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第40話 絵里奈の涙(2)

 絵里奈が涙を拭いた頃、女性の給仕さんが次の料理を運んできた。


 ロッソ王国では飲食店でサービスする給仕は男と決まっていたから、女の人がこんなことするなんて新鮮だ。


 思わず目で追ってしまうと、絵里奈がいたずらっぽく微笑んだ。


「ねえ、カズキくんは元の世界に帰りたいと思ってる?」


 この質問は難しい。こちらに来たばかりの頃は元の世界に帰ることばかり考えていた。だけど、こっちの生活に慣れて、仕事も見つけて、しかも勲章ももらってちやほやされて、それなりに充実して暮らしていくうちに、元の世界のことを思い出すこともだんだんと減ってきた。ただ一つ、心残りがあるとすれば……


「母のことは、心配かな……」


「ああ、カズキくんは母子家庭だったもんね」


 あれから4年近く経っている。母も、もう僕のことはあきらめて新しい生活を始めているだろうか?


 こちらの世界に転移する朝、母と喧嘩してしまった。もう一度だけ会って、あのことを謝りたい。それだけが心残りだ……。


「私は……こっちに来てよかったと思ってるよ」


 僕が母を思い出し物思いにふけっている間、絵里奈はずっと話し続けていた。以前と同じように目を伏せて、控えめに訥々とした口調で。


「もしあっちの世界に残ってたら、地元の大学に行って、卒業したら地元で公務員になるか就職することになって、適当な人と地元で結婚して……ずっとあの田舎町に閉じ込められて人生を歩むことになったと思う」


「絵里奈だったら大学はともかく、就職の時に地元を出ることもできたと思うけど」


 しかし、僕の言葉に絵里奈はゆっくりと首を振った。


「カズキくんは男の子だから、望めば東京だって、海外だって羽ばたけたと思う。だけど、私は女の子だから……。あの田舎の……あの両親とか、祖父母とか、親戚とか‥‥そういった人間関係の圧力に勝てなかったと思う……」


「それは、そうかも……」


 

 僕は男だし、母も元々は別の土地の出身だから、あまりそういうプレッシャーは感じなかった。


 だけど、今思えば、高校時代、無邪気に東京の大学に行こうと話していた時に、彼女の顔に少し翳が差していた気がする。あの頃から絵里奈はそんな風に悩んでたんだ……。


 お互いうつむいたまま、しばらく無言が続いた後、絵里奈が顔を上げた。さっきとは表情が一変し、すっきりと洗い流したような顔だ。


「でも、この世界に、このノワール共和国に来てよかった。この国は完全な男女平等で実力主義。女だからって未来が制約されることなんてない。軍に入って、前の世界の知識を生かして兵器開発で功績を挙げて、いまや中佐だよ」


「オクタゴン要塞で大砲を見たけど、あれも絵里奈が開発したの?」


 僕の言葉に絵里奈が厳しい表情になった。僕がひるんでいると、一瞬で元の控えめな笑顔に戻った。


「カズキくんがいるロッソは、男の人の立場が弱いから大変かもしれないけどさ。ノワールはいいよ~。のびのび自由に生きられてすごく住みやすい。だから、ロッソにいる未帰還者が帰りたくないって言ってるのは、私も信じられなくて……どういうことなのかな?」


 絵里奈が上目遣いで見つめながら、いきなりぶっこんできた。その質問は厳しい……。


「100人以上の未帰還者に会ったけど、本当にみんな帰りたくないって言ってた。ロッソで新しい家族ができたり、仕事を見つけてたり……理由はいろいろだったけど」


「ふ~ん……」


 絵里奈は納得いかないといった表情で腕組みをした。だけどすぐに表情を緩めた。


「私が、ここに居場所を見つけて元の世界に帰りたくないみたいなもんかな~」


「それはわからないけど……」


「まあ、いいや。仕事の話はやめよ。せっかく久しぶりに会えたんだしさ!ねえ、カズキくんはロッソで新しい彼女できたの?」


「えっ、いや……いないけど……」


「えっ?あのエリーゼさんはどうなの?」


「違うって。あの人はただの上司」


「そうかな~?向こうはそう思ってないと思うよ~」


 それから後は、近況報告や高校の時の思い出話に花を咲かせた。


 仕事の話はほとんど出なかったし、この時の絵里奈との会話が窮地を脱するきっかけになったなんて、翌日まで気づかなかった。



翌朝早く、パオロ大佐にホテルの会議室に呼び出された。


「ふあ~ぁ」


「あくびとは余裕じゃないか。昨日は遅くまでお楽しみだったみたいだね」


 エリーゼが唇を尖らせて、そっぽを向いている。口調も不機嫌そうだ。昨日、僕だけで絵里奈に会いに行って、一人放って置いたのが気に食わないんだろうか?


 絡んでくるエリーゼを無視してると、ノックの音がして、急ぎ足でパオロ大佐と絵里奈が部屋に入ってきた。


 そして席に着くや否やパオロ大佐が神妙に頭を下げた。


「昨日は失礼なことを申しました。エリナ中佐とも話しましたが、国民本人の意思が大事ということを忘れていました。ロッソ王国に残りたい者、帰りたい者、それぞれの意思を尊重しましょう」


「えっ?ということは?」


「ロッソ王国からの3名の帰還者を受け入れます。またノワール王国で帰還を予定していた50名はそのままご帰国いただきます」


 エリーゼはガタッと音を立てて椅子から立ち上がり、それから力が抜けたのか、へなへなと座り込んだ。


 よかった。これでエリーゼと僕の首がなんとかつながった…。


「来月の第2回帰還交渉もよろしくお願いしますよ」


 パオロ大佐の言葉を聞きながら、横目で絵里奈の方をチラリと見ると、彼女も僕を見ていて目が合った。彼女は意味ありげな視線を寄越し、声を出さずに唇だけ動かした。


『また会えるね』


 彼女の唇はそう言っていた。


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