第36話 第4章プロローグ
後にロッソ王国で、『奇跡の奪還』として伝説になった、ノワール共和国軍からオクタゴン要塞を奪還した攻防戦から約1年。
僕は、雨期の始まりらしいどんよりとした雲の下、王都ロマーニャの裏通りにある市民公園に来ていた。
「噴水近くで待ち合わせだったけど……」
今にも雨が降り出しそうな天気のせいだろうか。噴水近くの人影はまばらで、すぐに目当ての人を見つけることができた。
僕は、噴水の縁で新聞を広げている、どことなくしょぼくれた印象の中年男性の隣に腰かけた。
「アレックスさんですか?いえ、ノワール風にアレクサンドロさんとお呼びした方がいいですか?」
そう告げると、その男の人-アレックス―は慌てて周囲を見回し、「しっ」と言いながら口元に人差し指を当てた。
「その名前で呼ぶのはやめてください……。誰が聞いてるかわかりませんから。あなたがカズキ少尉ですか?」
僕が黙ってうなずくと、アレックスは俯きながらせわしなく貧乏ゆすりを始めた。
「軍の方が、私にいったいどんな御用でしょう?妻にも内緒で出てきましたので、早く帰らないといけません。なるべく手短に話していただけないでしょうか……」
「大丈夫ですよ。アレックスさんにとって悪い話じゃありません。むしろ喜ばしい話をお伝えに来ました」
僕がなるべく明るい調子でニッコリ笑いかけると、やっとアレックスが顔を上げた。
しかしその顔からは緊張の色が消えていない。むしろ何かに怯えるかのように、瞳が落ち着きなく揺れている。
「何からお伝えしたらよいか……。まずこれまでの4年間、ロッソ王国軍のせいで大変ご苦労をおかけしました。軍を代表してそのことを謝らせてください」
「いえ、そんなことよりも早く本題を伝えてください……」
アレックスの声が震えている。確かに不要な前置きをせず早く伝えたあげた方がいいだろう。
「おめでとうございます!アレックスさんの故郷、ノワール共和国へご帰還いただけることが決まりました!!」
吉報と思いながら伝えた僕の言葉に、予想外にもアレックスは手で顔を覆い、天を仰いだ。
「オーマイゴッド……ひどい…なんてことだ……」
アレックスの手の間から零れた声はひどくかすれ、そして震えていた。
その声が天に届いたわけではないだろうが、ポツッ、ポツッと雨粒が落ちてきて、やがて本降りになった。周囲にいたわずかな人影も、雨を避けるように見えなくなった。
「なんで……。なんで今さら……」
しかし、アレックスは噴水から一歩も動かず、ずっと手で顔を覆ったまま、ただ雨に濡れていた。




