第9話 初めての反抗
知事の視察から1か月ほど経ったある日、僕は、唐突に図書館長室に呼び出され、一枚の辞令を渡された。
「おめでとう。明日から本省の方に異動してもらうからよろしくね」
「ぐぇっ?」
館長からそう告げられた時、僕は驚きのあまり変な声が出てしまった。
「あ、あの…、僕は臨時職員ですよね。臨時職員が異動なんてあるんですか?しかも本省に?」
本省も図書館も同じブラックレイク地方の行政府に属している。
だけど市民サービスがメインの図書館とは違い、本省は行政の中枢を担うエリート部署。
図書館から異動することがあるなんて聞いたことない。まして臨時職員が本省に異動なんて…。
「あ~、そのことは心配いらないわよ。ちょっと事情があって、あなたの身分を正職員に切り替えさせてもらったから。ほほほっ……」
「えっ?いつの間にか正職員になってたんですか?」
正職員になれば給料も上がる。福利厚生も段違い。しかも任期がないから定年まで勤めあげることができる。
でも、レオンがあんなに長く勤めても、正職員になれないばかりか、無情にも雇止めになっていたのに、ついこの間、臨時職員になったばかりの僕がこんな簡単に正職員になれちゃっていいんだろうか……。
嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちで葛藤していると、図書館長から「じゃあ、私からの話はこれだけだから。明日からは本省に出勤して、後のことはあっちの人に聞いてね~」と言われ、急き立てられるようにして部屋を出た。
ほとんど何も説明されず、わけがわからない。正直、不安しかない。
「だけど正職員か…。これで路頭に迷う心配はなくなったぞ」
この世界でも公務員がクビになることはめったにない。年金もあるはずだ。だから万が一ソフィアに愛想を尽かされたとしても、一人で生きていける目途が立った。
「あっ、そうだ……ソフィアに相談しなきゃ」
ソフィアは何て言うだろう?僕の心には、新たな不安の種が芽吹いていた。
◇
「あれっ?今日は夕飯が豪華じゃない?何かの記念日だったっけ?」
テーブルの上には、いつものパンやピクルスの他に、チキンのトマト煮、シーザサラダ、白身のカルパッチョ、フリッターなどを用意した。
どれもソフィアの大好物のはずだ。その効果は絶大で、彼女は目を丸くしながらも口元を緩めている。
「ちょっとしたお祝い事があったんです。ビールも買ってありますよ。あっ、まだお仕事があるようでしたら炭酸水にしますけど」
「せっかくだし、今日は飲むことにするかな~。でも何のお祝いなの?」
ソフィアのコップに買って来た氷で冷やしたビールを注ぐと、彼女は一気にそれを飲み干し、プハッ~っと声を漏らした。
ここまで機嫌が良くなればもう言っても大丈夫だろう…。
「あの、実は今日、図書館長に言われたんですけど、僕は役所の正職員になれたみたいです」
「へえ……」
さっきまで機嫌良さそうだったソフィアの顔が一瞬で凍り付いた。鋭い眼光が僕を捕らえている。
まずい、雲行きが怪しい…。
「働きが認められたのかな~。あっ、給料も上がるみたいですよ。給料が上がったら何かプレゼントしますよ。何がいいですか~?」
「おどけてごまかさないで。この間、臨時職員になったばかりで図書館の雑用しかしてないのに、いきなり正職員なんておかしいでしょ。何があったの?」
空気を変えようとしてみたけど、無駄だった。ソフィアが真剣な顔でじっと見つめる。
「あ、あの……実は、正職員になって本省に異動するように言われて…」
「本省?」ソフィアが目を剥いた。
「あっ、本省って言っても、たぶん図書館に同じように雑用のお手伝いだと思うんですけど……。よっぽど人手が足りないんですかね~。猫の手も借りたいニャン。みたいな。ハハッ」
僕がネコのポーズでおどけると、ソフィアはバンッとテーブルを叩いた。
「ふざけないで!!確かにすごい話だけど、それよりも本省は激務なんでしょ?家のことは大丈夫なの?」
「はい……、家事でご迷惑をかけないように頑張りますので……」
「家事もそうだけど、子どもができたら誰が育てるのよ!!本省で働きながら子育てできるの?」
「あ~、いや……それは産休育休とか……」
たぶんそんな制度はないだろうな。
だって、そもそも役所で働く男の正職員なんかほとんどいないんだから。
「断りなさい」
「で、でも…」
「本省なんかいったら、家のことと両立なんかできっこないんだから。断るしかないでしょ。この話はそれでおしまい」
ソフィアは苦虫を嚙み潰したような顔でそう言うと目を背けた。取りつく島もない様子だ。
でも、せっかく正職員になれたんだ。この世界で生きていけるチャンスの蜘蛛の糸が目の前に下りてきている。それをふいにすることなんてできない。
「い、いやです……」
「なにっ?」
ソフィアがギロリと睨んできた。怖い。だけど、それにひるんじゃいけない。
「この国で、男が役所の正職員になれるなんて、滅多にないって聞いています。僕にとって二度とないチャンスだと思ってます。家事とも、子育てとも両立しますから、お願いします」
僕は立ち上がり、テーブルに手をついて頭を下げた。そのまましばらく沈黙が続く…。
どうだろうか?
上目遣いでチラリとソフィアを盗み見た瞬間、胸ぐらを掴まれた。
「チャンスだと?男のお前が!お前みたいなか弱い男が!!役所で、しかも生き馬の目を抜く本省で、化け物みたいな女と戦っていけるの?」
「それは……」
「あたしは、お前のために言ってやってるんだよ。お前のことはあたしが守ってやる。お前はこの家にいて、家のこととか、子育てをして生きていけばいい。それがお前の幸せなんだ!!」
僕の胸ぐらを掴む力が強くなる。ちょっと前、冒険者になりたいと軽口を叩いたあの日よりもさらに強い力だ。だけど、ここで負けることはできない。
「誰が、か弱いんですか?誰が守ってもらう必要があるんですか?」
僕は、自分にバフを掛け、ソフィアの腕を振り払おうとした。しかし、ソフィアが抵抗したので揉み合いになった。まずい!
宙を舞い、ドガシャッ!!と派手な音を立ててテーブルの上に落ちた。
ソフィアの体が……。
揉み合いの中で思わず力が入ってソフィアを投げ飛ばしてしまった。
「ど、どういうことだ?」
ソフィアが体を起こしながら、驚愕と恐怖がこもった目で僕を見上げる。
「見てのとおりです。僕もバフが使えるようになりました。もう女の人と闘っても、ソフィアと闘っても負けません。だから守ってもらう必要なんかない。僕は自分の足で立ちたいんです!!」
目に力をこめてソフィアを強く見つめ返す。
「じゃあもう好きにしろ。だけど、家のことはちゃんとやってもらうからな」
ソフィアは立ち上がり、僕と目を合わせないまま吐き捨てた。
「それじゃあ……」
「それから!子どもができたら仕事をやめてもらうからな!!」
ソフィアはそのまま、ダンッダンッ!!と不機嫌そうに強い足音を立て、そのまま書斎に入り、バンッ!!と叩きつけるようにドアを閉めた。
とうとうソフィアに逆らってしまった…。
守ってもらう必要なんかないって言ってしまった…。
僕は、テーブルの上にあった料理や割れたお皿が散乱した床を片付けながら、自分の言葉の大胆さに、今さらながら震えた。
だけど、その言葉を撤回しようなんて思わなかった。
『自分の足で立ちたい』それは間違いなく僕の本心だったから……。




