第631話 引き金を引く玄人
「…………」
本格的に夜に備える時間帯になり、人々の入った建物からは一次的に灯りが溢れる。
今となっては『地下居住区』で生活する彼らであるが、まだ『ゴースト』の脅威が少なかった頃は地上が主体で地下は補助的な居住地だったのだ。
そんな温かい光を感じさせる首都をサリアは歩いていた。
血のついた防寒具は黒いモノへと着替え、ゴーグルに簡易なサバイバル装備一式を背負う。
武器のライフルを一丁と弾丸も必要最低限の分だけを持ち、そのまま首都の西側にある『氷壁』上部へ上がる滑車装置へと向かっていた。
「サリア」
クロエは警邏の人手が足りない様子にスティリナから頼まれて滑車装置の周辺の調査をお願いされていた。
まだ敵が潜伏していないかの懸念。クロエは自分に出来ることとして迷いなく引き受けた所でサリアがやって来たのである。
「警戒してくれてるのね。ありがと」
「その装備からして偵察じゃなさそうね」
サリアの体積から何日も首都を開ける装備を持っている事が解る。
「戦況から見るにあたしは『解放軍』から消えた方が『クイーン』にとっては脅威よ」
「貴女が居る方が『解放軍』は安心できると思うわ。ガイエンさんが居ない今は……特にね」
「前まではね。でも【死期】が居るなら話は別よ」
この場には二人しか居ない。サリアは『解放軍』の面子の前では出せなかった本音を口にする。
「あの異名は師の生涯だったのよ。『バレット』として磨き上げられた技量が最高峰である証。狙撃手として最高の名誉でもある異名なの」
サリアにとって父であり、師でもあるエルガン・バレットはどんな時でも冷淡で感情は殆ど出さなかった。
サリアを訓練している時も表情を変えた事は一度も無い。最期のあの時までは……
「狙撃手じゃなかったらあたしは気にしなかった。でも、ダメなのよ。狙撃手が【死期】の名を持つ事は決して許してはならないの」
師は最期に言った。お前はもう“弾丸”ではない……と。
あの言葉は……あたしを『バレット』から解放する為に言ってくれたのだと思っていた。けど、師の意図はソレだけじゃなかった。
「師はあたしに撃たれたあの時に【死期】を捨てたの。あの言葉を告げる事であたしよりも先に『バレット』じゃなくなったって教えてくれたのよ」
最期の時まで師が『バレット』であったのなら、あんな言葉は絶対に残さなかった。沈黙のまま逝き、あたしの心に『バレット』を残し続けただろう。
「だから許すワケにはいかないの。ここであたしが【死期】を撃たなければ、父の言葉が意味のないモノになってしまう」
誰にも理解されなくてもサリアにとっては容認できるモノではなかった。【死期】と言う名だけは……狙撃手に名乗らせるワケにはいかないのである。
決意するサリアの言葉をクロエは尊重している。しかし、懸念がある事も事実だった。
「サリア、何故【死期】が『鳥翼族』ばかりを狙い、何故貴女を撃たないのか……その答えは出ているの?」
「…………」
「状況に対する“答え”が少なければ少ないほど、進む先で己の命を脅かすわ」
狙撃手の視点は狙撃手にしか分からない。クロエには【死期】の意図が全く読めないが、サリアは何かしらの要素に気づいている可能性が高かった。
「『バレット』では鳥を撃つのが基礎にして重要な訓練だった」
サリアが呟く様に告げる。
『バレット』が狙うのは地に立つモノが殆どだったが、だからと言って宙を舞う存在を外して良い事にはならない。
「射程内で当てられない存在を作ってはならないの。だから『バレット』では射撃は基本的に三次元をイメージして行われるわ」
「今回、『鳥翼族』ばかり狙うのもそう言う事なのかしら?」
「恐らくね。少なくとも【死期】は『バレット』を知ってる。けど、まだ“訓練”の段階よ。20年程度で師はおろか、あたしの領域まで届いていないわ」
ソレが今回サリアが行く理由の一つだ。
狙撃とは本人のセンスと腕前に左右されるが、一番必要なのは幾度と行う“射撃訓練”だった。
狙撃手とは“弾丸を当てるプロ”ではなく“引き金を引く玄人”なのだ。
何千、何万と指先でトリガーを引いた分だけ放たれる弾丸は望んだ箇所へ着弾する。
その数ミリの誤差を修整する為には、センスよりも数と経験による積み重ねが何よりも重要なのだ。
ソレが分かっていたエルガンも訓練としてサリアには50年の間、射撃と環境適応を重視させたのだ。
「敵が完成する前に捉えるわ」
「もう一つ……貴女を狙わない理由。ソレも見当がついてるの?」
「…………」
敵は【死期】を名乗り、『バレット』の訓練方法を取っている。サリアは否定していたが、クロエとしては――
「コレはあたしの“仮説”なんだけどね――」
サリアは現状から導き出させる“仮説”をクロエへ伝えた。
その“仮説”を聞いてクロエは驚きはせず、ただ受け入れる様に聞き終える。
「この件はローハンとボルックの意見を貰えればもっと確定した事が解ると思うけど」
「今は時間が無いわね」
ソレは『ゴースト』の起源に迫るモノになるかも知れない。しかし、今は議論する時間も余裕も無い。
「【死期】を撃って確かめるわ。もし、この“仮説”が正しいのなら『クイーン』は絶対にここで始末しないといけない」
「そうね。そっちは私に任せて」
クロエは迷いなくそう告げるが、今提示した“仮説”が正しかった場合、懸念されるのはクロエの方だった。
「クロエ、もし出てきたら……アンタは斬れるの?」
「斬るわ。理由は貴女と同じよ」
迷いなくそう告げるクロエにサリアは取り越し苦労だったと肩をすくめる。
「そう。それじゃ、あたしは先に闇に潜るわ。皆に伝えてくれる? 現地には【魔弾】の眼がある。敵の狙撃は無い、って」
クロエはサリアの顔が少し冷えている様子を感じ取り抱き寄せた。
「現地で合流しましょう。風邪を引かないようにね」
サリアは少しの間、クロエの暖かみに身を預けていたが、ゆっくり離れると恥ずかしい気持ちを隠す様に滑車装置へと乗り込んだ。
「アンタの慰めはあたしじゃなくてローハンにしてもらいなさいよ」
「ふふ。彼の方が寂しがってると思うわよ?」
「はぁ……あんな男のどこが良いんだか……」
上がっていく滑車装置のサリアは手を振るクロエを見下ろしながら嘆息を吐く。
あたしには“護るべき者”と“護ってくれる者”がいる。それなら――
「外しようが無いわね」
これまでで最高の射撃が出来ると、迷いなく確信している。




