第619話 “風”がワタシ達を引き合わせた
『オベリスク』首都では『氷壁』に囲まれている事もあり、朝日を感じるには地平線からもう少し離れてからが一般的だった。
薄闇に覆われた首都の早朝を出歩く者は、警邏する者と、早くから雪かきをする者くらいである。
生産工場では一晩中、灯りと暖房が絶えることなく動き続け、中で弾丸の生成を行う作業員達も来たるべき時に向けて一丸となって作業を続ける。
クロエはそんな生産工場から少し離れた廃材置き場で剣を振っていた。
「…………」
剣筋は乱れる事無く、極寒の空気を纏うように刃は冷たくなる。
寝起き。準備運動無しで剣を振るう。
それは鍛錬を行うと言うよりも環境に対して帳尻を合わせるため。
白い息、刺すような寒さ、雪の踏みしめる感覚は地面とは違う。
極寒の環境は反射的に身体が強張ってしまう。
寒さから震えて体内に熱を作ろうとする生理現象は感覚を遮断しない限りは止める事は出来ない。
寒さは震えを生み、剣筋を鈍らせ、魔法を行使する際に集中力を削ぐ。視力のないクロエにとっては、“寒さ”も大事な感覚であり、ソレを考慮した上で必要最低限のパフォーマンスを行うことは当然の事だった。
“クロエ、小生の師――【武神王】はお前を“眷属”には誘わなかった。何故だが解るか?”
剣が舞うように空間を凪ぐ。空間に、剣と身体を一体として順応させなければならない。
“クッカッカ。お前からは俺たちの様な器を感じないんだろうよ”
整った体幹は雪を踏みしめても僅かにも乱れることが無い。雪を踏んだ際の厚みを考慮して重心を調整する。
“師はアレで気難しいからのぅ。最近は良く酒に誘うんじゃが、マリーの奴の目が厳しいわい”
体重移動から的確に刃に重さを乗せ、剣に鋭さを持たせる。
“主は視点が我々と違う。クロエ、貴女は貴女のままに剣を振りなさい。変態どもの言う事など気にする必要は無いわ。もっと早く貴女の事を知っていたら私が弟子にしたのに……”
片手から両手に持ち替え、後方への斬り払いから、身を引いて突きを繰り出す。
“だ、大丈夫だよ、クロエちゃん! ほら! お師匠もさ、二代目の器は読み違えたじゃない? だから大丈夫! ……これって聞かれたら怒られるヤツかな?”
周囲の索敵。動いている間も常に己の位置と身体をイメージする。
“地面に立つと言う行為は強さを追い求める者たちへ平等に与えられる権利なんだ。師も地に足をつけているだろう? つまり立っている土俵は同じだ。そう考えれば、師――【武神王】は届かない存在には思えないハズだ”
汗が肌から離れて舞うと、周囲の空気で瞬時に凍りつく。
“貴女は……私が見えていますね?”
私が剣を持つのは弟を護るためだった。
その果てに【武神王】……アイン様へ挑む事をファング様に求められ、それでも良いと思った。
でも今は?
クロウはもう居ない。私は何のために剣を握り、振る?
“クロエは何のために戦ウ?”
ディーヤさんの言葉が思い起こされる。あの時は“家族のため”と迷いなく返したが、剣を振っていると改めて葛藤が蘇る。
弟を失った時から、剣を振るたびに己に問い続けている。しかし、次に思い起こされる声は、『霊剣ガラット』を巡ってローハンに負けた時の事だった。
「……ふー」
剣が止まる。
『霊剣ガラット』なんて要らなかった。彼が『星の探索者』を去ると聞いて、私は引き止めたかった。
いや……きっとあの時の私は彼に一緒に連れて行って欲しかったのだ。自分にはもう、何もなかったから……
剣は鈍く、まともな打ち合いさえも出来なかった。でも、彼は私よりも私の事を理解していた。
“疲れたら訪ねに来い”
それが、彼が去り際に私に残した言葉。
あの時、彼に着いて行ったら私は今も剣は持てなかっただろう。
「貴方はいつも説明足らずよね」
クロウが繋いでくれた『星の探索者』との縁。
けどあの時、クロウが『星の探索者』に入ると言わなければ……マスターに出会わなければ……今もあの子は生きていたのかしら?
“姉ちゃん!”
「…………」
私はクロウの最期には立ち会えなかった。
あの子は……淋しかったのか、怖かったのか、死にたくなかったのか……
クロウは皆の前では強がっていたけれど、私にだけはいつも本心を話してくれた。だから……ソレだけを聞きたくて“願いを叶える珠”を求めたのだ。
もしも、最後の時に……私が側に居たら……
クロウ……貴方はなんて言ってくれたの?
握る剣は追い求める強さの果てに唯一の心残りに辿り着けるのだろうか?
クロエが改めて己の心を整理していると、ゾフ、と雪を踏みしめる音が聞こえた。瞬時に何者かが自分を求めて場に現れた事を察する。
すると、踏み込むには絶妙な間合いで雪を踏みしめる音が止まった。
「【水面剣士】クロエ・ヴォンガルフだな?」
向けられる声から相手の情報を推察。
身長はクロエよりも低い。背丈はレイモンドと同じくらいで、声色的にも年齢は同じくらいだろう。既に武器に手をかけて中腰で構えている。
「誰かしら?」
「フォルネラ・ハインケル」
それは一刀に全てをかける“居合い”と言う構え。自然体で安定した姿勢は相当な練度であると察せた。
「“風”がワタシ達を引き合わせる。我が刃、受けてもらおう」




