再会編2『初恋の彼女を、こんな形で抱けるわけない』
青島 望は、言葉を失ったまま、その場に立ち尽くしていた。
「何よ、あんた!
18になった途端に女を買いに来たわけ?
サイテーだな!」
突然の罵声に、望は面食らったように目を瞬かせた。
それから、気まずそうに視線を泳がせ、頭をがしがしと掻く。
「……悪かったな」
少し拗ねたようにそっぽを向いた。
そもそもの始まりは、俗にタニマチと呼ばれる、有望選手を支援してくれる篤志家に挨拶に行ったときのこと。
女性経験を聞かれた。
素直にないと答えた。
これまで競技一筋。恋愛経験もなければ、当然、女性経験もない。自分では特に気にしていなかったのだが、面白半分にいじられた。
そして、この店に連れてこられた。
「どんな子が好みだ?」と尋ねられたときも、深く考えず、頭に浮かんだ理想をそのまま口にした。
――まさか。
まさか、そんな願望どおりの相手が目の前に現れるなんて、誰が想像できただろう。
しかも、よりによって。
「……希」
中学時代の同級生。
陸上部で一緒に汗を流した、あの緑川希だった。
当時の希は、男友達と変わらない距離感で接してくる女の子だった。
肩を叩き合い、くだらないことで張り合い、負ければ本気で悔しがる。遠慮も気取りもない。あいつと一緒にいると、妙に気が楽だった。
やがて望は私立のスポーツ強豪校へ進学し、希は地元の公立高校へ進んだ。
進路が分かれてからは、会う機会もなくなった。
連絡を取ろうと思えば取れたはずだ。
それでも、日々の練習や試合に追われるうちに、いつしか疎遠になっていた。
その希が。
今、目の前にいる。
肩や胸元を露わにした、白いスリップドレスをまとって。
記憶の中の希は、いつだってジャージ姿だった。短い髪を揺らし、真剣な顔でトラックを駆け抜けていた。
ところが、目の前の彼女は違う。
細い鎖骨。華奢な肩。日焼けの跡は、かえって白い素肌の艶めかしさを強調していた。
いつもは男友達のように接していた相手なのに、今はどうしようもなく女の子に見えた。
いや、女の子なのは昔からわかっていた。
ただ、こんなふうに意識したことがなかっただけだ。
どうしていいのかわからない。
視線を逸らそうとするのに、気づけばまた彼女を見てしまう。
頭がどうにかなりそうだった。
「……で、どうするんだ?」
不意に、希が口を開いた。
不安と開き直りが入り交じった瞳が、じっとこちらを見上げている。
「どうするって……何を?」
間抜けな返事をしてから、望はようやく我に返った。
ここはどこだ。
自分は何をしに来た。
そうだ。散々からかわれ、意地になって、この店に連れてこられたのだ。
目の前にいるのは、店が用意した相手。
いや、違う。
緑川希だ。
その事実が、今さらのように頭の中で大きく膨らんだ。
「っ、お前こそ……いいのかよ、こんなところで」
口をついて出た言葉は、我ながら無粋だと思ったがもう遅い。
「いいわけ、あるか……!」
希の声が震えた。
大きな瞳に、みるみる涙が溜まっていく。
彼女は、それを見られまいとするように唇を強く噛み締めた。
望は息を呑んだ。
希が泣くところを見るのは、いつ以来だろう。
――中学最後の大会。
あの日の記憶が、鮮明に蘇った。
ゴールを駆け抜けた希は全国大会出場に、記録にして0.02秒届かなかった。
たった0.02秒。
希はしばらく呆然と掲示板を見つめていた。
やがて、俯いた。
短い髪をくしゃくしゃに掻き乱し、唇を噛み、必死に涙を堪えていた。
その姿を見たとき、望は初めて思ったのだ。
一人の女の子として、かわいいと。
あの瞬間、自分の中に芽生えた感情が何だったのか、当時の望にはわからなかった。
そのまま進学し、離れ離れになり、日々の忙しさに追われるうちに、すっかり忘れてしまったつもりでいた。
なのに。
目の前で涙を堪えている希を見た途端、あの日の気持ちが鮮やかに蘇った。
震える肩。
噛み締められた唇。
助けを求めることさえ、必死に我慢しているような顔。
胸が痛かった。
何があったのかはわからない。
それでも、これだけはわかった。
希は、こんなことを望んでいない。
望は、ゆっくりと息を吐いた。
そして、希の目をまっすぐに見つめた。
「……希」
久しぶりに呼ぶ名前は、思ったよりも自然に口から出た。
「俺、帰るわ」
そう告げてから、望は一度だけ拳を握り締めた。
「だから……もう、泣くなよ」
格好のいい台詞にはならなかった。
どうしていいのか、正直、まだわからない。
それでも。
目の前の希を、これ以上泣かせたくなかった。




