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生きて帰った英雄と、仇の娘の後悔と日々  作者: 羽園零雅


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4 夢のような運命の形

暴力描写がございますので、苦手な方はご注意ください。

 





「……お母様」

 家の地下のこんな所に、母が捕まっている。

 一応驚きはしたものの、同時に頭のどこかで、やはりそうかと納得もした。

 ただそれ以上に、人間が怪我をしているという事象に恐怖を感じていた。

「ディーナッ……! 帰って来てくれたのね……! 助けて……!」



 言いたいことと思考が無数に浮かんで立ち尽くしていると、彼がこちらを振り返った。

「見ろよ、ディーナ。悪党の末路なんてのはこんなものらしいな。惨めなもんだ」

 まるで世間話をしているかのように、気負わない口調だった。

「……オルランド、あなたが……」

「私以外に誰がいるって言うんだ? 分かりきったことを聞かないでくれ」

 そう言うと私の義兄弟は一歩前に進み、無造作に母を蹴り飛ばした。



「なっ……やめて!」

 思わず駆け寄ろうとしたが、肩を掴んで止められた。

「やめておけよ、こんなクソ女にくれてやる同情なんかどこにもないだろ」

「で、でも、証拠……」

「喋ってくれたよ、三日目に。だけどさあ、そんなものなくたって、これの仕業以外有り得ないじゃないか。君もそう思ってるから、冤罪じゃなくて証拠って言ったんだろ?」

 考えないうちに言ったことを指摘され、私は震えていた。オルランドは黙って冷たく見つめていたが、やがて上着の中に手を入れた。

 出てきた物は、拳銃だった。



「ほら、持ち方は分かるか? 結構簡単なんだ、これの駒がやったみたいにするだけでいい」

「……ディーナっ……」

「嫌……無理よ、何で……」

「何でって、いちいち説明する必要もないと思うんだが。こんな腐り切った寄生虫なんかと一緒に住めるか? 汚い性根が移る」

「待って、こんなこと、あなたの経歴が……」

 オルランドは、攻撃的に息を吐いて笑った。



「はっ、経歴! 随分馬鹿らしいことを気にするんだな⁉︎ 君も! 何回手を汚してきたと思っている⁉︎ 少なくともこんなゴミよりは余程生きる価値のある人間を、何度も殺してきたんだ! 経歴なんてのは、とっくに傷だらけだ! これのせいで!」



 彼は短く呼吸すると、額に手を当てた。そして腕を組み、また薄ら笑いを浮かべた。



「なあ、セレネイス人だって馬鹿じゃない。エリック・アドルノの正体は、ベルティス候爵の三男だってことに気付いた奴くらいいるさ。それでも密告されなかったってことは、皆期待してるんじゃないのか。追われた国を救った人間が、故郷に戻って家族の仇を取る。いい話だよな。向こうは私を世話してやったっていう恩を売れて嬉しいし、この国は人気取りに使えそうな奴が出てきて嬉しい。血筋以外取り柄のない虫が一匹駆除されたところで、誰が気にするって言うんだ? むしろ麗しき復讐に、皆拍手喝采だ」



 返事をせずに無理やり握らされた拳銃を下げていると、彼はにこやかに私の肩を掴んだ。握力が強すぎて痛いほどである。

「さっき嬉しいって言っていたよな? 私もだ。君だけだ、十年経っても探してくれていたのは。警察も親戚も、誰もそんなことはしてくれなかった。感謝しているし、信じているよ」

 一瞬、この着古した黒い服に目を向けた。

「母親とは違うって。今、ここで証明してみせてくれ」



 私は拳銃を握ったまま震えていたが、ついに覚悟して腕を振り上げた。そして手首を使って、母の顔に投げつけた。銃は派手な音を立てて床に落ち、滑っていった。

「いっ……!」

「……ここまでよ。私にできるのはここまで。いくら皆を殺した人でも、私には、撃てない……」



 彼はゆっくりした動作で数歩移動し、銃を拾った。

「そうか。これみたいなクズの中のクズであっても、親は親なんだな。残念だよ、ディーナ。私もできることなら、君を信じたかったのに」

「それは違うわ、オルランド」

 少し場に慣れてきたのか、思っていたよりも冷静な声が出た。

「もちろん、あなたには及ばないでしょうけどね。私がこの人を恨んでいないなんて思わないで」



 それともこの地獄にも等しい日々の中で、何度も何度も考えたことだからか。

 母は、私には以前のように接した。優しくて慈愛深く、教育熱心な親として優雅で完璧な顔を見せていた。

 演技でも何でもなく、私には本心からそうできるらしいという話だ。

 あまりにも自然体なので、むしろ私や周りの方が間違っているのではと思ったこともある。

 だが残念ながら、それだけで母への認識を元に戻せるほど、現実を無視することもできなかった。

 今、母を目の前で殺されても構わないのかと言うと全くの否だが、百万言を尽くしても足りない恨み言だって当然ある。



「だったらどうして庇うんだ? さっきから言っていることが破綻していないか?」

 暗い緊張感に頭の中を覆い尽くされていたが、彼の声に私は笑みを浮かべた。

 自分では見えなくとも、おかしな顔になっていることは分かる。

「いいえ? 破綻していないわ。だってね、オルランド。私は母を庇ってなんかいないもの。ただ、もう二度と、人の怪我なんて見たくもないだけ! あなたがわざわざ見せつけないで勝手にやる分には何も言わないわ、言えるわけがないわよね⁉︎ でも、どうして私が……!」



 少し前までは誰もがへつらうベルティス第一の貴婦人、権謀術数の申し子として間違いなく車輪の頂上に座していたのに、今となってはこの有り様だ。

 野生の獣もかくやというほどの悪臭を放ち、焦げてぼろ布と化した服には、どう見ても黒い血と膿がこびりついている。

 不道徳と言う人があれば言えばいい。私も認める。

 だがそれでも、見なければよかったと思わずにはいられなかった。



「……絶対に無理なの、この人であったとしても! 文句を言える立場じゃないことは分かっているわ、だけどお願いだから、他の方法にしてくれない? 必ずあなたの言う通り、証明してみせるから……!」

「へえ。それじゃあ」

 一瞬のうちに、私は汚い床に倒れていた。

 頬を重い衝撃が襲い、続いて背中と肩に強烈な痛みが発生している。

 息の吸い方も忘れるような苦しさで、身を動かすことができない。母の甲高い悲鳴が遠くから聞こえてくる。



 痛い、とばかり感じ取っている心が、それとは別に嘘だ、これは何かの間違いだと言っていた。

 今、あのオルランドが、私を殴った。力を込めて。

 目眩がする、痛い、信じられない。

 叩かれる経験は無論初めてではないし、彼が罵声混じりに手を振り上げるところも何度も見ている。

 だがそれは常に彼の兄姉たちに向けられるものであって、私にではなかった。

 しかしどうして、などと素直に思っている場合ではない。



「剣に毒を塗って、これの代わりに君を刺すっていうのはどうだ? 姉さんとロドルフ兄さんと父上だから、その三倍で九回分がいいかな? 本当に申し訳ないと思っているなら、耐えられるだろう?」

 既に崩れかけていた結い髪に指を入れられ、乱暴に持ち上げられた。

 ぶちぶちと音を立てて何本かは引き抜かれたが、むしろその痛みが、遅まきながら理解を促している。

 彼はもう、かつての優しく親切で、いつも私に笑いかけていた少年ではないらしい。オルランドならば分かってくれるなどという都合のいい考えは、厳に慎むべきだ。

 私は口の中の血を味わって気合いを入れ直し、どうにか穏やかに微笑みを作った。

「……まあ、それだけでいいの? 私を刺したら、声を出した分だけその銃で撃つとかにした方がいいんじゃないかしら?」



 またもディーナ! という声が上がったが、私は見もしなかった。

 しかし、オルランドはちらりと一瞬、目を向けていた。それで、ああ、と確信を強めた。彼が私の主張の真偽を見極めようとしているのは事実だと思われる。

 だがもう一つ、仇への拷問という意図もあるようだった。母が最も嫌がること、すなわち子供への暴力を見せつけてやろうという気なのだろう。

 イフィクレスは大丈夫かしら、と考えた。健康そのものに見えたが、やはり後で確認した方がいいのかもしれない。



「また、簡単そうに言うんだな」

「別に簡単だとは思っていませんけどね。それであなたが信頼してくれるって言うなら、もっと確実にするべきかと思って。少しは皆とあなたへのお詫びにもなるでしょうし、ちょうどいいんじゃなくって?」

 彼の目が、すう、と恐ろしいほど無感情に細められた。

「死ぬまで血を流すことになったとしても?」

「私、自分の血は結構平気なのよね。だって見慣れているもの」



 殴り飛ばされた衝撃からかつい、淑女にあるまじきことを口走ってしまったが、オルランドはあまり動じなかった。やや雑に手を離し、頭をさすっている私を腕を組んで見下ろしていた。

「なるほど。そういえば確か前も、君は揉め事とか喧嘩が嫌いだったよな。自分に言われているわけでもないのにいつも逃げ出していて、面白かったよ」

「……そうよ。だから、やめて。お願い」



 この時はオルランドの変わりようや荒々しさ自体も怖かったが、へらへらと明るく残酷なことを口にして、それでいて冷徹にこちらの様子を観察している態度の方がより恐ろしかった。

「そうだな、君がそこまで嫌なら仕方がない。もっとふさわしい奴にやらせることにするよ。イフィクレスに頼もうか」

「……は?」



 すぐに出口へ向かおうとしたので、慌てて腕に縋りついた。

「待って、待って! やめて、どこがふさわしいのよ! 十歳の子に!」

 いくら一、二年に一回しか会いにこない薄情な姉でも、これは止めずにはいられなかった。

「そう、十歳だ。大きくなったよな、昔見た時は泣くか寝るかしかしてなかったのに。この前なんかもうエウシェリア叙事詩を読んでいたよ、私が十歳の時は修辞法の一つも分からなかったのにさ。立派なフライナ家の男になったなあ」

「違う違う、違う! やるから! 私がやるから、だから……もう一回、それを貸して……」



 オルランドの手から銃を掴み取って、時間を稼ぎながらお母様に銃口を向けた。

 耳の中に拍動が響き、殴られた頬が同じ間隔で痛む。黴と血が混ざった、腐敗したような臭いに吐き気がする。

 母は壁際で竦み上がっていたが、やがて観念したように目を閉じた。

「……ごめんね、ディーナ……」

 私は震えで、弾が逸れることを願いながら、引き鉄を、引いたのだった。



 かちり、という音と、軽くはない手応えだけを残して、後には静寂が訪れた。



「え……」

「……何だ、やっぱりできるじゃないか。どうせそうだとは思っていたけど」

 その時はまだ状況を理解できず、私まで意味のない笑みを浮かべていた。

「……どういうこと?」

「どうもこうも。見ての通りってやつじゃないか?」

 彼は銃を取り返すと、銃弾を装填した。そして止める暇もなく、骨まで震わせる炸裂音を響かせた。何度も。



 お母様は両手から血を流しながら、両足の傷口を押さえていた。

「や、めて……お母、様……。コルデリア、姉……様……」

 顔から血の気が引いていって、必死に埃のついた壁に掴まった。膝の裏が、嫌な風にぞわりとしている。

「死ねると思ったか?」

 オルランドは無感情に発音し、髪の毛を掴んで今度は右肩を撃ち抜いた。

「娘の手で死ぬなんて贅沢を、私が許すとでも思ったか? 害虫なんかに? 残念ながら、お前が仕留めきれなかった奴が死神役だ。一番殺しておきたかった奴に殺されるって、どういう気分なんだろうな? 今度教えてくれよ、気になるから」

 お母様を放り投げ、剣を取って胸元を一閃した。次に肩の傷口から、血を抉り出しているのが見えた。



「ぎっ……」

「これ……ん? だめだな、思い出せないみたいだ。ちゃんと姉さんとロドルフ兄さんと、父上を死なせたやつを塗ったはずなんだが……なんて名前だったかなあ? 分かるか、お前? 忘れたとか言わないよなあ? 覚えてるだろ? このくそ畜生が」 

「だめ、傷が……ベリンダ……」

「……まあいいか。どうせ私が適当に調合したやつだから、完全に同じとはいかないからな。もしかしたら今日中に死ねるかもしれない、運が良いといいな」

 そして左肩を突き刺した。

 見たくもないのに目を離せず、せめて気を逸らすために壁を引っ掻いていた。



 不意にオルランドは、ふらりと亡霊のような振り返り方をした。

「ディーナ。信じることにするよ、君の言っていた話。殴って悪かった」

 彼に支えられて階段を上がりながら、ぼんやりと自分の感情を分析した。知らない俳優の知らない演劇を見ているかのように、遠い出来事に感じられていた。



 私は、怒ってはいなかった。オルランドが母を憎み、私を疑っていたなど当然の話だ。

 捜索に夢中でその先まで詳しく考えていられなかったが、これはいずれ必ず起こることだった。

 ただ目の前での流血に耐えられなかっただけ、昔との差に驚いただけで、今も彼に対する思いは揺らいでいない。

 それは本当だと感じられた。



 けれどもあの頃にはなかった恐怖が、確実に芽生えていた。







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