3 生き残った雛鳥たちの飛び方について
ベルティスの館に到着し、馬車から降りるやいなや、帽子も荷物も置いて駆け出した。その勢いのままに玄関を開けて叫ぶと、悲鳴のような声が出た。
「オルランドッ!」
明かりのない広間の中は無人だった。
「ねえ、誰かっ……いないの⁉︎ 帰ってきたわよ? ランド⁉︎」
正面の階段を登りながら目当ての人を探していると、三階の廊下の向こうに、光を背にした男性の影を見つけられた。
「ああ……」
思わずその場で膝を折った。そのまま立ち上がれずにいると、影は足音を立てて近付いてきた。
これで少なくとも、幻覚ではないことは確定した。鼓動が忙しくなりすぎて、胸の中が痛い。
「……ディーナ」
かなり低い声で、私の名前を呼んだ。そこでもう我慢できなくなり、足元に縋りついて涙を落とした。
「オルランドっ……! 生きていたのね、やっぱり……! 信じていたわ……!」
この私が見間違えるわけがない。そこにいたのは、確かに求め続けた人だった。背が伸びて少し日に焼け、やや伸びた毛先は茶色く染められている。
どれほどの苦労をしたことか、赤紫色の瞳は鋭さを増し、かつての陽気さは見る影もなくなっていた。
「おかえり……探したのよ……」
しかし痩せた頬に手を伸ばそうとすると、さっと振り払われた。
「え……」
「今まで、どこにいた?」
昔からは考えられない程に彼の口調は冷たく、視線は疑り深かった。
それで分かった。オルランドは、この再会を私のように喜んではいない。動揺は隠せなかったが、どうにか気持ちを立て直して明るく答えた。
「……レステル。シルキアンのラックスから、船で戻ってきたところなの」
「そうか、聞いていた通りだな。何故そんな所に?」
「あなたを探していたのよ? 決まってるじゃない」
「……撃ち殺すために?」
今度こそ、心臓が凍りついた。
「違う! そんなわけがないでしょう……!」
もしかしたら彼に恨まれているかもしれない、とは思ったことはあった。この子の気持ちを考えれば、当然の帰結だ。仕方がない。
けれどまさか、他でもないオルランドにそんな皮肉を言われるとは。
誰のために私がこれほど、あなたは何も分かっていない他人ではないのに。
悲しくて悔しく、そして失望していたが、それを口にするのは自分の立場を弁えていなさすぎる。
黙り込んでいると、オルランドはふいと目線を逸らした。
「……冗談だ。もう行こう、ベリンダも会いたがっていたから」
全く冗談には聞こえなかったと思ったが、その時は一応何も言わずに、歩を進めることにした。
久しぶりに会ったベリンダはかなり老けて疲れた雰囲気になり、イフィクレスは大人しく無口になっていた。だがそれでも、全体的には皆珍しいくらいに和やかだった。
あの手紙を受け取った時からイフィクレスのことは気がかりだったのだが、思い過ごしだったらしい。
ただ、二年前にはいたある一人は姿が見えなかった。誰も口にしなかったし、私も聞く気は起きなかった。きっと未亡人館にいるのだろうと、根拠なく自分を納得させていた。
夕食の席でオルランドが言ったことには、私の予想通りマルガ河を通って逃げていたらしい。
数ヶ月は河畔の都市に潜んでいたが、捕まりそうになったのでレステル湾へ下り、そこでエリックという偽名を使ってまずはアントリーへ逃亡したのだそうだ。
各地を転々としながら貿易船で数年働いた後、セレネイスの軍艦に乗り込んだらしい。
そしてそのまま、キテイラとの戦況を覆した戦いに加わるにまで。
「そう、船……それで見つからなかったのね。港町は調べられても、船の中までは調べられないから」
「元から船乗りなんていうのは、事情がある奴が山ほどいるからな。外国人でもそれほど浮きはしなかったよ」
「そうだとしても、まさかあのサラヴィア号にあなたが乗っていたなんて。全然知らなかったわ。もしかしたら前線にいるのかもとは思っていたけど、よりにもよって……」
「やめてくれ」
彼はやや煩わしそうに言い、目線を斜めに落とした。
「それも全部終わりだ」
「あ……ごめんなさい。ね、でも、あなたが生きていてくれて、本当に嬉しいの。ありがとう、戻ってきてくれて……。ねえ、よかったらいなくなった皆を呼び戻して……」
私はその時、最後まで言い切ることはできなかった。
天井が落ちてきたのかと思う程の激しい音をさせて、オルランドが拳を食卓に叩きつけたためである。
上に乗っていた食器や花瓶が一斉に飛び跳ね、私やその場にいた五人も、びくりと肩を震わせた。
「呼び戻して、何だよ? どうして今、そんな話ができるんだ?」
とても優しく、静かな口調だった。表情も穏やかそのもので、むしろ先程よりも瞳の色を明るく変えていた。だが、そのせいでより緊張が高まっているような気がする。
「……ごめんなさい。ちょっと、急ぎすぎだったかしら」
「いや、私としても急だとは思っていないよ。だけどその前に、何か言うべきことがあるんじゃないかと思うんだが」
深く、息を吸い込んだ。落ち着かなくては、来るべき時が来ただけだと自分に言い聞かせながら。
別に、事件との関わりを誤魔化そうとしていたわけではない。
だがあの出来事は私にとっても受け入れたくない記憶であり、それをオルランド本人に事細かに説明するなど、苦行以外の何物でもなかった。
そのためもし曖昧に済ませてくれるとしたら、その方がよかったのだ。
「……例えば?」
「例えば何故君はあの時、テオ兄さんと私を父上たちのところに行かせたのか、とかさ」
少しだけ虚をつかれた。私の一番の失敗は、窓を開けたことだとばかり思っていた。だが彼の目線からしてみれば確かに、そのことの方が問題だろう。
「……そうね、まずはその話をするべきだったわよね、ごめんなさい」
きちんと述べようとはしたものの、どうしても冷や汗は抑えられなかった。
「……あの、だから、ね。知らなかった、からなの。あの時は、ただふざけていただけで……ベリンダにいたずらしたら、面白いかしらって思ったのよ……ごめんなさい……」
「そうか。じゃあ、窓を開けたのは? それも偶然だったのか?」
「偶然、ではないけれど……お母様に開けるように言われたから、でも、知らなかったの……空気が悪いからって……。ごめんなさい……お願いだから、許して……」
「なるほど。つまりあいつらを招き入れたのも子供部屋から追い出したのも君だが、全部悪気はなかったってことだったのか。それを信じろと?」
緊張のあまり具合が悪くなってきたが、それでも精一杯の愛想笑いを浮かべる。とても気持ち悪くて、夕食を口にしなければよかったと思った。
「……別にいいわよ、信じなくても」
多くの人に囁かれてきたことだ。今さら傷付きはしない。それにいくら事実とはいえ、言っている自分からしてみても嘘くさい。
「でも、嘘じゃないわ……ベリンダか、誰か他の人にも聞いてみてよ……」
「いや、信じはじめてるよ」
オルランドはだらしなく背を丸め、目を細めて片方の袖口を眺めていた。
「今まで話を聞いてきた奴らの誰も、君のことは悪く言っていなかった。……ディーナ、少し来てくれないか。見せたいものがある」
と、手を差し伸ばしてきた。
まず間違いなく碌なものではあるまいと理解していたが、私には選択肢などない。腕に掴まって、階下へとついて行った。
そこから彼は暗い地下階段を迷わずに歩いていって、最奥にある扉を開けた。淀んだ空気と鉄の臭い、それから洗っていない生き物の臭いがする。
中の陰影に目が慣れてくると、誰か人が身をよじるのが見えた。
「……お母様」
皺の増えた顔にまだ乾いていない裂傷や火傷を作った母が、髪を振り乱してこちらを見上げているのだった。




