24 不幸の終曲は二拍子で
それからのディーナは、ずっと眠りについていたりうわ言を言っていたりしていたが、明瞭な会話ができる時もあった。
イフィクレスには事故に遭ったと言ってしまったから、合わせてくれと言うとそうしましょう、と優しく答えていた。
あのオルランドがイフィクレスに心配りをしていることと、頼んだ通りに責めないでくれていることが、申し訳ないと共に嬉しかったのだ。
「別にあの子は悪くないんですけど、そんなこと言ったって気にならないわけじゃないものね……。事故の方が、まだいいわ」
オルランドとしてもそう思ったから嘘をついたのだが、将来的にはどちらの方がいいのだろうと思った。
目を逸らしたくなるような事実に向き合わせるのか、幼すぎる心を虚構で包むのか。
しばらく考えてみても答えは出なかった。
「……そういえば、これは提案の一つなんだが。落ち着いたら、セレネイスにでも行かないか。多分面白いし、この国にいるよりも気が楽だろう。全員……」
実現の可能性は低いことも、できたとしても相当先になることも分かっていた。
しかし今現在、ディーナには少しでも建設的な話をしたかった。
「……あまり気が乗らなさそうだな」
微笑んではいるが、片目を逸らしている様子から何となくそう感じた。
「……だって、旅行にはもう十分行ったから……。絶対に嫌ってわけではないけど、でも、私は……」
ディーナは続けようとして、密かに口の中を噛んだ。
目の奥には今も、ベルティスの深い森や風の吹き抜ける麦畑、白い羊が遊ぶ雪景色が輝いていた。
しかし、その中にある懐かしい部屋に戻ることは二度とない。
これから回復しようと、そうでなかろうと。
「……何でもないわ。まだ当分はこの家にいることになりそうだから、先のことなんてね……。あなたには迷惑をかけるけど」
言い終えた拍子に肋骨とその中が鋭く痛み、思わずまた頬の内側を噛み締める。
その様子を見て、オルランドは急ぎ人を呼んでから水を差し出した。
しかしいい、と喉だけの音で断られたので、代わりに手を握った。
「迷惑じゃない。怪我人は余計なことを考えるな」
息も絶え絶えに、答えが返ってきた。
「事実、言ったまでよ……」
「決めつけるなよ。事実じゃない」
「どうかし、ら……。証明、できない、でしょう」
彼は眉を寄せて、細く息を吐いているディーナをしばらく見下ろしていた。
次いで、手を握ったまま背を曲げて、唇を触れさせた。
少しあってから離れると、ディーナの左の瞳は潤んで揺れ、海によく似た色合いになっていた。右側に巻かれた包帯にも、水の染みがあるように見える。
「もっと」
か細い声に応えて、オルランドはもう一度頭を近付けた。明るい光が二人の姿を、ただ白く
茫漠と浮かび上がらせていた。
ディーナは以降も、もう少しだけ生きた。
「申し訳、ないことをしたわ、色々……。ごめんね。本当にね……」
目覚めていた最後の夜には、そのように言っていた。
続いて空中を見つめ、ただ単純に心からの感想として、唇を動かしてもいた。
「早く死んだ方がいいとは、思っていたけど……こんな風にとはね……。思わなかった……」
次にもう一度夢を見始めた翌日の昼、室内にはベリンダのすすり泣きが響いていた。
イフィクレスは状況は分かってはいるものの、実感がまだ湧かず、姉の肩を何度も叩いている。
しかしオルランドは、何も行動を取っていなかった。揺れ動いているディーナの顔に、ひたすらにじっと目を注いでいた。
ベリンダが泣き疲れて幾度も息を吐き、イフィクレスに何か囁き始めた時になってやっと、目線をずらす。
緩慢な動きで握っていた手ともう片方を取り、胸の上に置いた。
そして不安定な足取りで、廊下を目指していった。
扉の外には、家の中にいた大半が集まっていた。オルランドが出てくると全員がすぐに壁際に寄り、道を開けた。
誰かが、あの……、という気遣わしげな声を掛ける。どうしたらいいのか分からない目線が飛び交っていた。
彼は抑揚のない口調で、短く答えた。
「死んだよ」
それだけ言うと、あちこちからの息を呑む音や声が洩れ出ていた。
それにも構わず、大きな正面階段の方へ向かっていく。
角を曲がり、吊るされている照明の下、一段目の少し手前で止まった。手すりの端を握り、どこでもない場所へと目を彷徨わせていた。
クライドの顔を見たことで、今後の流れや取るべき連絡のことが頭の一部に閃いていたのだが、全てどこかに飛んで行っていた。
どうして移動しようとしていたのかも思い出せない。
持っていた丸い真珠を、指の中でただ転がし続けていた。
ある時、偶然に真珠は手から滑り落ちて、絨毯の上に転がった。
階段の方へは行かず、小さく跳ねてから磨かれた床の上で止まっていた。
オルランドは身じろぎもせず、その様子を温度なく眺めている。
後ろから様子を窺っていた人々はそっと近寄って、落ちた物を拾ってやろうとしていた。
だがそれよりも、オルランドが一歩移動する方が早かった。
彼は怒りも嘆きもなく、ただの作業のように、黒い革靴の底で真珠を踏み潰した。
それは彼の足にみしり、という小さな感触を与えると、あっけなく宝石としての価値を失った。
えっ、という声が上がる。
足元を見下ろしていたオルランドはそれに反応して首を動かした。
しかし集まっていた者たちに見せたその顔の中には、何の表情も浮かんではいなかった。
周囲のことを知覚しているのか、何か思考しているのかも伝わってこないままに、いつまでもただ目を逸らさずにいた。
静寂に満ちた建物の中に、開け放たれていた扉から昼の光が差し込み、賑やかな音が少し離れた所から届いてきている。
楽隊が演奏する行進曲が歓声と共に、辺り一帯に明るく響き渡っていた。
オルランドの耳には、そういった朗らかな音色やざわめきというものは入ってもいない。
だが当然ながら、外にいる通行人や見物客たちも、彼の立つ建物内のことになど気付いてもいなかった。
人々は皆、青空の下の華やかな隊列や楽器の音、舞い散る紙吹雪に心を浮き立たせ、そして笑い合っていた。
「国王陛下万歳! エウシェリア王国よ永遠に!」




