表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
生きて帰った英雄と、仇の娘の後悔と日々  作者: 羽園零雅


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/25

23 貝殻物語

 







 首都の中心部からやや離れた場所に建つフライナ家の屋敷の中は、少し前から極端に張り詰めた空気で満たされていた。

 持ち主であるオルランドも、踏み込んだ時からその異様な雰囲気は感じ取っている。だが構わずに、ひたすら階上を目指して足を動かしていた。



「オルランド様……」

 広い階段を上がりきったその時に、声をかけられた。目を向けると、ベリンダが曲がり角で立ち尽くしている。



「ベリンダ……無事だったのか」

 ゆっくりと近寄ってきた彼女は首を竦めて猫背になり、目を真っ赤に充血させてはいたものの、どこにも怪我はなかった。



「はい、私どもは……。ですが……」

 肩を震わせながらどうしてこんなことばっかり、と呟いているのでオルランドは堪らず、腕を取って支えた。



「無理しなくてもいい。もう、今日は部屋に戻れ」

「そうはいきませんよ……。まだまだやらなきゃいけないことが、いっぱいあります」

 彼はベリンダの憔悴した顔をしばらく見つめた。いつの間にか、死んだ母親の歳を追い越しているようだった。

「それなら、今はどうなっているのかだけ教えてくれ……。誰が怪我をしているんだ」



「……お嬢様と、イフィクレス坊ちゃんと、レミー・ランディスさんという人が。ガラテア様のところから、ついてきてくれていたんです。ランディスさんは勝手ながら客間にお通しして、ついさっきお休みになりました。もう一人、グリフィンさんという従者が側についています。坊ちゃんは擦り傷だけでしたから、今はお部屋に。お嬢様が一番大変で……」



 横にいるクライドが、小さく息を吐き出す音が聞こえた。

 しかしオルランドはむしろ平静で、あまり動揺のない心持ちになっていた。

 敵艦が見えたと聞いた時とも、家族の怪我を目撃した時とも異なる感覚だった。



「多分まだお眠りになってますが、お会いしますか? ずっと、ご主人様をお待ちになっていましたから……」

 彼は頷くと、そのままただベリンダの後について行った。



 クライドが代わりに医者の先生に会ってまいります、と言っていたが、全く情報として伝わってはいない。

 そのことはクライドにも分かったが、後でもう一度声を掛ければいいと背を向けたので、彼らは別々になった。



 道すがら、ベリンダは枯れた声で呆然と、少しずつ話をし始めた。

 祭日に浮かれたような、見ず知らずの集団が通りがかったらしい。

 イフィクレス、という呼びかけを聞き咎められて、ディーナ・メレンヴィルとイフィクレス・フライナの姉弟であると知られてしまった。



 彼らはしばらくは道に立ち止まり、囁きを交わしていただけだったが、やがて犯罪者がサラヴィア号の英雄ともあろうお方に寄生するなんて、どういうつもりなんですかという声が飛んできた。

 それでも大人三人は穏便に切り抜け、どうにか逃げるか馬車に閉じこもろうとしていたが、周り中から腕を掴まれ、恫喝されるようになるまであまり時間はかからなかった。



 不意に、ディーナはイフィクレスを抱き上げ、ベリンダに押し付けた。

 そして逃げろ、とランディスに突き飛ばされた。そのせいで彼らは逆上したのか、より大声を上げ始めた。



 だがベリンダは振り返れず、少年を腕に逃げ続けた。近隣住民と一緒に歩いてきた、若い従者が道の先に見えるまで。

 彼女は声を詰まらせて、それ以上は語ることができなかった。

 しかし、聞かずとも大体のところは分かっている。



 気付けば、奥まった場所にある目当ての扉の前に立っていた。

 その時オルランドはまず、この部屋はディーナには危険なのではないかと想像した。

 割れ物があったり、燃やせる物があったりしたらまた手を出そうとしかねない。



 そして、彼女の慇懃だが冷たい態度を思い出す。また無闇に刺激してしまったら、と思うと入りたくない気持ちも遠くの方にあった。

 しかし扉が開いていくと、彼はさほどの間もなく、操られているような足取りで入っていった。



 薄暗い中、ディーナは包帯の巻かれた頭を枕の上に乗せていた。

 毛布を被っているので全ては確認できないが、首元にも白い包帯が見えている。

 鼓動が大きく、胸を圧迫して息苦しかった。



 息を詰めて近付いていくと、布で覆われていない方の目は開いていた。しかし、ぼんやりとして動かない。

 気付いていないのか、それともまた無視しているだけなのか。

 せめて、後者であることを願った。



「お嬢様、オルランド様がお帰りですよ……」

 しかし前にいたベリンダが声をかけると、青ざめた顔の中に明るい色を浮かべ、再会して以降聞いたことがないほど弾んだ声を出した。



「本当? どこにいるの?」

「……こちらに」

 それで向けられた目線は、最近の対応が嘘のように親しげで、自然な喜びがこもっていた。



「やっと来てくれたのね……待ってたのよ。もっとこっちに来て、よく見えないの」

 彼が言われた通りに身を近付けると、嬉しそうに怪我をした指で頬に触れた。

 平常よりも、はるかに熱かった。

「ディーナ……」

「はい、お帰りなさい。会いたかったわ……」

 彼は思わず、奥歯をぐっと噛み締めた。



「……体調は?」

「まあ、痛いは痛いかしら。でも、我慢できないってほどじゃないから……大丈夫よ」

「何が大丈夫ですか!」

 二人が大声の元の方を見ると、ベリンダは頬に大粒の涙を伝わせていた。何が……、と声を震わせている。



「ちょっと、ベリンダ……。泣かないでって言ったのに……」

「よくそんなことを仰れますね! どなたのせいだとお思いですか!」

 ディーナは血の滲んだ唇を動かして不満そうな表情を浮かべていたが、何も言わなかった。

 オルランドがもういいから、もう休もう、などと言いながら部屋の外に連れて行く。

 そしてしばらく経ってから、一人で戻ってきた。



「……ベリンダは疲れてるのよ」

 オルランドが椅子に掛けると、彼女はへらりとした笑みを浮かべた。

「そうだろうな」

「だから、怒らないでね?」

「怒っていない」



「ベリンダだけじゃないわ、ランディスさんと、イフィクレスにもよ……? 分かっているでしょうけど、イフィクレスのせいじゃないんだから……。ああ、でも、あのランディスさんには悪いことをしたわ……思わなかったのよ、こんなことになるなんて……。後で、よくお礼をして差し上げなくちゃね……」



「そのつもりだ」

 それから、オルランドは何があったのか詳しいことを尋ねようとした。

 ディーナは初めは笑ってはぐらかしていたが、ベリンダからの伝聞を口にすると、ああ、知っていたのと呟いた。



「そうなのよ。道を塞いでしまって、迷惑よねと思っていたらあれだったってわけ。さすがに、ここまでは予想できなかったわ」

「……確かに」



 それからディーナは当時の状況を事細かに聞かせ始めたが、何故かやや興奮気味に、笑いながら話していた。

 特に、着けていた真珠の腕輪に目をつけられた時の話になると、得意げですらあった。



「寄越せって言われたけど、これだけは絶対に渡せませんってね……こうやって抱え込んで、誰か来るのを待ってたの。ほら見て、そこにちゃんとあるでしょう……」

 目をディーナが示した方に動かすと、小さな棚の上に一粒の白い真珠が置かれていた。

 確かにそれは、かつて姉から譲り受け、ディーナに贈った腕輪の一部だった。



「それだけしか残せなかったのよ……ごめんなさい。でも、私は頑張ったわ。一粒だけでも取り返せたし、少しはランディスさんから気を逸らせたと思うの。多分……」 

 そしてどこにも憂いの無い微笑みを、浮かべていた。



「よければ、あなたが預かっていてくれない? もう、失くしたくないから」

 そう言った時の、いいことができたと本気で信じており、否定的な反応が返ってくるなどとは思ってもいなさそうな表情を見ていると、瞬間的に首から上が炎のように熱くなった。


 ふざけるな、何を考えているんだ。

 そんな物、大人しく差し出しておけばよかったじゃないか。

 それを、頑張った? いい加減にしろ……!



 思わず怒鳴りつけそうになり、最初の一音が出かかったところで、ディーナが目を閉じていることに気が付いた。

 少しだけ顔を傾けて、この僅かな隙に眠りに落ちている。

 オルランドはしばらくただ座っていたが、やがて一つの真珠を取って、上着の内側に入れた。

 少しめくれていた毛布を丁寧に掛けなおし、薄暗い部屋から外に出て行った。



 そしてふらつき、呻きそうになりながら、壁に掴まった。

 血の気が下がりすぎて、真っ直ぐに立っていられなかった。

 その背後から少しずつ、絶望が忍び寄ってきている。



 ベリンダが医者から聞いたということが、全て本当になるとは限らない。

 だがこれまでの人生上、重傷者は人よりも多く見てきた。

 ロドルフに父、コルデリアに、テオドール。それから貧しい浮浪者やセレネイス人、キテイラ人、エウシェリア人の兵士たちも。

 あれは、助からないかもしれない……。



 ディーナが語った内容が、頭の中に焼き付いて離れなかった。

 限りない手足の熱さと、頭や背中の冷たさに、とてもではないがこれ以上動けない。

 そんなオルランドを、一つの小さな影が見つめていた。



「あ……、兄上……」

 彼が見上げた先には、擦り傷のついた顔を髪の色よりも白くして、震え上がっているイフィクレスがいた。

 小さな打撲痕のある手で服を握りしめ、苦しそうに浅く呼吸をしている。

 あの、あ、えっと、と意味のない繋ぎの言葉を何度も発してから、少しの間、口を閉じていた。



「あの、ごめ、ご、ごめんなさい……。僕が、旅行に行こうって、言ったから……。すみ、ません、ごめんなさい。ごめん、なさい……」



 オルランドは銃口を向けて敵を狙う時のように、神経が研ぎ澄まされる気配を感じていた。心の底から、うるさい、黙れという思いが湧き上がってきていた。



 旅行に誘ったから? そんなどうでもいいことだけが罪だと思っているのか。

 違う。お前が生まれてきたからだ。

 お前が生まれてから、全てがおかしくなった。

 どこまで私の邪魔をすれば気が済むんだと柔らかい首を絞めて、耳障りな泣き声も、呼吸音も静かにさせてやりたかった。



 だが何故、今思い浮かぶのは、草や土を濡らす涙や、埃で汚れた床や酒樽なのか。

 腹立たしいほどに酷似している、穏やかで勇敢だったロドルフではなく。



 答えは、何となく求めることができていた。

 全く認めたくないが、自分たちは同じ呪いにかかっているせいだ。



 恐らくこいつは、一人だけ逃げ出す気などさらさら無かったのだろう。

 必ず問題を解決し、全員で戦い、逃げ、勝つつもりだった。

 だが非力な子供として当然の如く運命に負け、何もできず、大人の手によって逃がされたのだ。

 昔、冷たく柔らかい川の水に飛び込んだ役立たずのように。



 大体、これは本当にこの子供だけのせいなのか? 

 元凶の一人ではあるのかもしれないが、前回とは違い、工夫次第でいくらでも回避できた事件だったのでは? 



 ディーナに押し切られず、もっと人手を増やしておけば。腕輪など贈らなければ。

 この姉弟には何の責任もないと明言しておけば。

 もっと人の注目を集めないようにしておけば。

 オルランドは反射的に、頭を小刻みに振った。



 思うことすら許されない内容が、今日まで築いてきた自我の根本を突き崩すかのような文言が、目の前に浮かんでいた。



 復讐など、願わなければ。



 その文字列は端を覗かせただけで、すぐさま消滅していった。

 しかし、それだけでも彼を暗闇の中に突き落とすには十分だった。



 その沈黙を貫いているオルランドは、イフィクレスにとっては敵愾心を持った群衆と同じくらい緊張する相手だった。

 しかし、これだけではまだ説明不足だったのかと、さらに言を重ねようとした。



「あの、ぼ、僕は、止めようと思ったんだけど……。怖くて……駄目、だった……。ごめんなさい……」

「……いや、それは仕方がない。事故なんだから、どうしようもないだろう」



 イフィクレスは、思わず異母兄の疲弊した目を見つめた。

 どうしていきなり事故などと言い出したのか、何の意図があるのかよく分からなかった。

 しかしああそうか、伝達時に間違った情報が行ってしまったのだと判断して、鼻と目を押さえながら首を振った。



「そうじゃないんだよ、兄上……。姉上たちは、殴られたんだよ……」

 怒鳴り声やすぐ人影に隠れて見えなくなった異父姉の姿、ランディスの怯えた目が本物同然に舞い戻ってきて、少年は服の襟元を握りしめた。



「ベリンダに、逃げろって言って……」

「違う」

「違わないよ、知らない奴らが……」

「違う!」 

 低い大声にびくりと固まっていると、突然オルランドは膝をつき、そして両肩を掴んできた。



「いいか? それは全部夢だ。お前の姉さんは、事故に遭ったんだ。別の馬車にぶつかられたせいで、道の端まで落ちたから怪我をしたんだよ。ベリンダやお前たちは外に出ていたから大丈夫だったが、二人は、運が悪かっただけなんだ……」



 最早、イフィクレスには何が起こっているのか分からなかった。

 異母兄と目が合うことすら稀も稀であるのに、屈み込んで向こうから肩に触れている上、わけの分からない話までしてきている。



 これまでオルランドに対しての感じ方は、母へと同じくらい親しみと恨み、思慕と嫌悪が入り混じっていた。

 そのとかくに格上と見なしていた兄の理解できない言動は、暴力とも侮蔑とも異なる方向に恐ろしい。

 数時間前に起こった事件も含めて、全て悪夢を見ているような気がしてきていた。



 オルランドはオルランドで、イフィクレスが逃亡先から宛ててきた手紙のことを思い出していた。

 そこには彼らが隠れている場所や裏切りを決めた経緯、父や兄姉たちへの謝罪と忠節、そして命乞いが記してあった。



 乳児期の記憶があるなどという特殊な頭の持ち主に、こんな出来の悪い嘘をついたところで果たして意味があるのかとは思う。

 だが、既に体験したことがあった。家族に起こった不幸が自らに帰結するという現実が、どれほど受け入れ難く、辛いものなのか。



「……だから、お前のせいじゃない。もう気にしないでいいから、部屋に戻ってろ……」

 もしもあの時、そう言ってくれる者がいたとしたら。

 単なる気休めだ、何も知りはしないくせにと嘲笑いつつも、いつまでもしつこく覚えていたことだろう。



 そう思いながら、イフィクレスの背を押して近付けた。

 抱き締めるのではなく、ただ顔を押し付けさせたような形だったが、それが彼にできる最大限だった。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ