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生きて帰った英雄と、仇の娘の後悔と日々  作者: 羽園零雅


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21 燃える松明と慈愛

 







「本当に、メレンヴィル嬢は大した方ですな。ご健勝であられますか。何やら、色々なお噂は聞きましたが」



 この質問に、オルランドは思わず手を握りしめた。何かは返さなければならないのだが、一言で言い表そうとしてもとても答えられなかった。

 彼のその様子に、ジリート伯もあまり好ましい状況ではないらしいと推し量る。



「……そう言えば、話は変わりますがね。君のご友人は最近、何か悩みを抱えられているそうで」

 オルランドには、心当たりのない話だった。

「……。友人……」

「そう、ご友人の話です。よろしければ、お聞かせ願えませんか?」



 他人、それも政界に身を置く人間にはあまり弱みを見せるものではないという思いも、口外した場合起こり得る不都合な状況も、オルランドの心の中には確かにあった。

 それに、あまり人に話せるような内容でもない。

 しかしサムエルは少し八方美人なところはあるが、いい奴だし口は堅いと言っていた父が、淡く思い浮かぶ。

 気付けば自分のことではないという名目で、各所を省略しながらも、それなりに多くを打ち明けてしまっていた。



「……今は、ハルビア伯爵夫人の下を訪ねています。ご親戚の」

「そうですか、ガラテアが……。あの子は昔から聡明でしたから、少しは助けになるでしょう」



「はい。……ですがもう、分からなくなりました。何をすれば、正しいことになるのか……。そう思うくらいなら、初めから仇を討とうとなどしなければよかったのでしょう。ですが友人は……。未だに恨みを晴らしたことを、悔やめていないのです。その相手の娘を助けたいなどと、言っておきながら……。彼を、身勝手だと思われますか?」



 言ってから、余計なことを言ってしまったと思った。

 何となく、最近は普段よりも馬鹿になっている気はしていたが、まさかここまでとは自分でも驚く。

 だが既にジリート伯は、真面目にその問いについて考え始めていた。



「……そうですな。あまり道理にかなっているとは、言えないかもしれませんね」

 短い髭の生えた口で深く煙草の煙を吸い込み、また吐いている。



「本当ならばその方は、法と人道を守られるべきでした。その方ご自身の未来と、生き残った方々のためにも。例えどれほど憎く悔しかろうと、お兄上が望まれていようとです。それができないならばせめて、中途半端な情は捨てておかれるべきだったでしょう。誰も咎めることなど、できはしません。そのためにご友人は、護国の勇士となられたのでしょう?」



 オルランドは相手の襟辺りを眺めていた。

 しかしそこには意識は向いておらず、破壊された甲板や人、敵味方の制服を着た怪我人や死体、海の中に散る赤い血液が目に映っていた。



「……しかし。しかしそれでもです、オルランド君。ご友人の行動をただ愚昧の一言で済ませるのは、あまりにも非情というものですよ。劇にもあるではありませんか。父を殺された復讐をしない者など、息子ではないと」



「……それは……。いえ、そうですね……」

 思わず父の死だけが復讐を行った原因ではないと訂正しようとして、いや伯爵が言葉通りの意味だけで発言したとは限らない、と口を噤んだ。



 しかし今、改めて思い返してみると、コルデリアとロドルフ、テオドールへのものに比べれば、それほどでもなかったのかもしれない。

 父を悼む心の大きさは。



 生き返らせられるものなら生き返らせたい、何者にも変え難い唯一の父親ではある。

 その思いが、変わることはない。

 とは言えもし、父が奴との再婚を勧められた時に、首を横に振ってさえいれば。



 フライナ家はオルランドから何代か前に、政治的にも経済的にも苦境に立たされた時期があった。

 そしてその際に救いの手を差し伸べたのが、メレンヴィル家である。

 フライナ家が窮地を脱してからも彼らの交流は続き、前ベルティス候の再婚相手としてディーナの母が紹介されたのも、往時の恩返しの一環という面が強かった。



 そのため父の判断も、あの時点では無理からぬことであるとは彼も認めている。

 また、死者を、それも身内を非難したいわけでもなかった。

 だが同じ立場に立った者として、白銀のベルティスに立つフライナ家の人間としては、批評の目を持たなくてはならない。



 あの災厄そのもののような女が諸悪の根源であることは大前提であり、また、結果論ではあるものの。

 父はあのような女を、迎え入れるべきではなかった。

 そう分かっていたからこそ、自分は余計に仇への怒りを募らせていたのかもしれないとオルランドは思った。



 奴の非道と裏切りのみが原因ではなく、子供たちを守ろうとした、もう二度と帰って来ない被害者に恨みを持たないために。



「……いや、ご安心を。私にはもう、ご友人を糾弾するほどの度胸も正義感もありません。あの方のご両親とは懇意にさせていただきましたし……私とて、件の女性は全く好きではなかった。未だに人の軛からは逃れられていないようですな。その方も私も」 

 はあ、と静かに溢す。



「……確かに、逃れていたら今はなかったでしょう」

「そうです。ですのでそれよりも、今後について話し合うというのはいかがですか。年寄りがお役に立てるとはあまり思えませんが、一応にでも」



「では……。後で伝えておきますので、もう少しご意見を伺えればと。彼は今、迷っているのです。伯爵夫人の元から帰って来てもなお状況がそのままだった場合、引き続き解決する努力を続けるか、それとも家族の意思を第一にするか……。どう思われますか?」



 要するに、ディーナが心変わりするように働きかけるのか、テオと彼女のために生命を諦めるのか。伯爵はその質問に少し困ったようになって、どう思うか、ですか……と、居心地悪そうに眉を動かした。



「私の立場からしまして、諦められるべきだなどと言えるわけがないではありませんか。ですがそれよりもまず、オルランド君。前提をお忘れになってはいませんか? 君が、先程話してくれたでしょう。その方は初め、ご家族を天秤にかけることはしない道を選んだと。正直に申しまして、そのお嬢さんにとって生死どちらの方がましかなど、私には判断がつきませんよ。ご友人にできなかったのであれば、誰であってもできないことです」

 と言いつつも、思案中という風に少し顎を触った。



「……しかし、こんな無益な答えしか出せないようでは、歳をとった意味というものがありませんね。私の考えとしましては、義理の家族の縁を解くという方向性は、間違っていないかと。やむを得ないことですよ」

「……そう思われますか」



「はい。ですがお聞きした限りでは、今すぐにというわけにもいかないようですな。月並みな案で恐縮ですが、少々静養にでも行かれてはいかがですか。環境を変えるのも、一つの手ですから」

「静養……」

 医師からそういう方法もあると聞いてはいたのだが、実行に移すよりも先にガラテアの行かせる話の方が持ち上がっていた。



「やはり、そうですよね……。私も、いつかはそうできたらと思っていました」

 一応そう伝えると伯爵は意見の一致に、少し笑って頷いている。



「ああ、そうでしたか。国の南ですか? カルギス公国もいいかもしれませんね。もしも南部でしたら海岸沿いに私の従兄弟がおりまして……いや、それはあまりよくありませんか。他人のところに泊まると、気を使うでしょうから」



「いえ、ありがとうございます……。ですが私は……セレネイス……セレネイスがいいかと。できたら、ですが……」

「セレネイスですか?」



 まあ、悪くはないが……というジリート伯の内心が、手に取るように分かった。

 かの友邦にも保養地はいくつか存在するものの、静養と聞いて真っ先に思い出すほど人気があるわけではない。どちらかと言えば貿易港や軍港、都市観光で有名な国であった。



「はい。ディーナは、セレネイス語が話せますから」

 彼は途中から友人の話であるという設定を忘れていたことに気付いたが、そのまま話し続ける。



「もし向こうを気に入ればそのまま帰国せず、というのも悪くないのではと思いまして」

 ディーナの罪の意識を弱められないのは、昔を忘れられないため。

 加えて、昔の事件があまりにも有名すぎるため。

 となると、血の記憶も生々しいベルティスからは離れ、国外に行った方がいいかもしれない。

 そう思い付いていた。



 そしてもしうまく心を休めることができれば、ディーナはセレネイスで穏やかに暮らし、彼はエウシェリアに帰って来る。

 それが最善なのではないかと、オルランドは考えている。最早彼女にとってのフライナ家とは呪い以外の何物でもなく、これ以上共にいても、より深く傷付け合う未来が来るだけに違いない。



 どれほど助けたい相手であっても、どうにもならない時というものは存在している。

 その時とは今であり、これまでにも何度もあった。

 ジリート伯も、小さくああ、と言っている。



「なるほど、そういうことでしたか。もしよろしければ、向こうの知人をご紹介いたします。メレンヴィル嬢にも、お伝えください」

 はい、と短く答えたその後は、微妙に間が空いてしまった。

 これと言って意味のある沈黙ではなかったのだが、ジリート伯は子を見る親のように優しく、真剣な表情を浮かべた。



「……私は君のことが心配です。君のような人生を送ってきた子が幸せになるのは、普通よりも難しい場合が多いですから。メレンヴィル嬢のことは心配でしょうが、君が全て解決しなくてはならないわけではないのですよ」

 オルランドは気を悪くするとまでは行かなかったが、あまり賛同はできなかった。



「……他に事態にあたれる者がいないもので。それから私のような人生を送ってきた奴は大抵の場合、自らの幸福など望んではいません」

 伯爵の方も、負けずに言い返した。



「そうであってもです。逃げ出さない美徳はすばらしいものですが、それで君も不幸であるままではいけません。メレンヴィル嬢としてもご家族方としても、不本意であるはずでしょう。セレネイスに行くことになりましたら、その前にもう一度お会いしましょう。察するに、私からお誘いした方がよさそうですね」



「……お気遣いいただき、ありがとうございます。ですが、そこまでしていただかなくとも……」

 オルランドは反射的に面倒くさく感じ、そして訝しみながらそう答えていた。

 先程、本当は疑いたくなかったと言ったことが脳裏によぎってはいたが、長年の習慣というものは中々変え難い。



「いや、是非そうさせてください。私が、君の力になりたいのです」

「それは、何故……」

「何故? いやそれは、君はあのお父上の子供ですし……。何より、今日まで生きていてくれたのですから」

 ジリート伯は、まさか伝わっていなかったとはという風に答えた。



「私はずっと、せめて君だけでも生き残っているようにと願っていましたよ。お父上方の訃報を知った時から、そう思わなかった日などありません」

 そして顎を引き、眉毛を下げてオルランドの顔を覗き込んだ。



「昔よりも、お父上に似てこられましたね。ロドルフ君やイフィクレス君ほどではないですが、口元がそっくりだ」



 オルランドは喉に少し力を入れて、下を向いていた。長い人生を送ってきた者の実直な思いやりは、少なからず彼の荒んだ胸の奥に沁み入るものだった。

 ではあまり見合い話を持ち込まないで欲しかった、だからと言ってまた会いたいとは思わない、と憎まれ口を叩こうとしたが、それもできない。

 流れ出しはしなくとも、視界は少し涙で歪んでいた。





 


閑話

 フライナ姉弟は全員ほとんど同じような顔でしたが、ロドルフとイフィクレスは完全に父似、テオドールは母似、コルデリアとオルランドは入り混じった感じという設定があります。

 ディーナは割とお母さんに似ていますが、目つきがちょっと違うってイメージです。

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