20 悪徳滅びて人荒む
首都の雲居の宮殿内にて行われた記念式典は、キテイラ帝国に勝利したこともあり、特別華やかなものだった。
とは言ってもオルランドは出席したのが初めてであり、その次の予定のことばかり気にしていたので、例年との違いはあまり目に入っていなかったが。
その後儀式が終了して少し時間が経ってから、オルランドはジリート伯に与えられている一室に、密かに向かっていた。
ディーナたちが馬車に乗っていた時と同じ頃である。
そして伯爵との少しの雑談を交わした後に、オルランドは彼の娘との結婚話を断っていた。
すると張り詰めていた空気はむしろ緩み、ジリート伯は皺の多い頬に穏やかな笑みを浮かべた。
そして和やかな口調で承知しました、私から伝えておきますと言うと、彼が過去に伝えていたエマニュエラ王女との縁談のことを持ち出してきていた。
「いや、それにしても閣下には申し訳ないことを。その節は大変失礼いたしました」
ジリート伯は王室や中央政府に反感を持つ者の多い、王国西部の有力者である。
しかしその彼は王室内で信頼を勝ち取った上、他の西部人との関係も良好という離れ業を成し遂げていた。
要するに、何が何でもベルティスと繋がりを持たなければならないわけではなかったのである。
そのためいくら名高くとも、国内としては近年類を見ない血生臭さを漂わせる家系に娘を行かせるなど、全く乗り気ではなかったに違いない。
相手の義姉妹や、異母弟のことを考えれば尚更だ。
「お忙しい中でご負担をおかけしたことは、長らく気になっておりましてね。どうかご勘弁を」
「……いいえ、謝られるようなことでは。しかし、広い世の中には物好きな方もいらっしゃるものです。成立し得ないと分かっていて、あえて臣下に話を持ちかけるとは」
思わず軽い皮肉を口にしても、さすがの貫禄で伯爵は穏やかな態度を崩さない。
「情熱的な殿下のことです。祖国をお離れになる前に、思い残すことは全て無いようになさりたかったのでしょう」
「……慕われていらっしゃるようで」
「私が?」
「そうですよ、そちらが。殿下は、私のことなど好きでも何でもないではありませんか。ただ、手近なところに都合のいい者がいたというに過ぎません」
オルランドは昔のエマニュエラ王女とはまあまあの付き合いがあったこともあり、その思惑は大体推測できていた。
彼女の性格からして本当に好意を持たれているはずはなく、また婚約寸前という立場を弁えられていないはずもない。
にもかかわらず、王女の結婚相手となるには後ろ暗いところが多すぎる者にわざわざ接近してきたということは、気の進まない嫁入りをさせられる当て付けだったのだろう。
「……それほどまでに、あの方はシルキアンがお嫌いなのですか」
そう聞くとジリート伯は、さすがに笑みを困ったようなものに変えた。
「いやいや……。エマニュエラ様は、ご成婚を楽しみにされています。仰る通りで、最後のわがままのおつもりだったのでしょう。候爵閣下には、ご迷惑をおかけしましたが……」
そのわがままを止めるのが貴殿たちの仕事だろうと言いたいのを飲み込み、いえと短く返す。
オルランドとしても、幸せな子供時代を過ごした故郷を一人離れる辛さは分からないでもなかった。
そして、幼い頃から世話してきた王女を気遣う気持ちも。
「……そうお思いなのであれば。代わりに一つ、お聞かせ願いたいことがあるのですが」
そう伝えると相手は探るような慎重な色を少し見せたが、穏やかな口調のままで答えた。
「私にお答えできることでしたら、何なりと」
オルランドは双方の付き添いたちに、少々下がるように頼んだ。
言われた通りに退出する者たちを見ていた後、いざ口を開こうとしたのだが。
何故だか急に息が詰まり、話を続けられなくなった。
何度も推敲したはずの質問であったのに、全て忘れてしまい、声に出せなくなっていた。
「……そうですね。こんなことを聞いて、どうするつもりかと思われるかもしれません。私も聞いたからと言って、これ以上何かする気はありませんが。恐らく家族としても、不忠によって先祖代々の名誉と、私が運良く手に入れた名誉を傷付けることまでは望まないでしょう。……サムエル・ジリート殿」
取り止めもなく喋り続けていたオルランドは初めて彼の上の名前を呼ぶと、大きく、だが細く溜め息をついた。
淀んだ目を上げ、ぼそぼそと発音する。
「あなたの友人の息子として、伺います。王族方は、私の一族の死に関わられていたのですか」
そう聞くと、伯爵は笑ったままだったが、目の奥のみが凍り付いていた。
それだけが、あの地獄の底から這い出てきたような女に迫ろうとする中で、いくら調べても明らかにできなかった引っかかりであった。
証拠は見つからず、調査を頼んだ者たちやベルティスの住人たち、ディーナやイフィクレスに尋ねてみても、その答えは否だった。
だが、当の本人だけは。
関わりがあったと、答えていた。
オルランドとしても何となく、恐らくは冤罪なのだろうと考えてはいた。
父の後妻が一人で全てを計画し、責任逃れのために嘘をついたのだろうと。
しかしそれでも、この疑いは常に彼の胸の中に巣食っていた。
目の前のジリート伯は、一度まばたきをした。
それから、顔を伏せる。
ただしその口元も瞳も凪いだものであり、次第にゆっくりと、年少者への優しさが表れてきていた。
「……では私も、お父上の友人としてお答えしましょう。オルランド君。私からの答えは、『いいえ』です。畏き方々は、何もご存知ありませんでした。少なくとも、この身の知る限りでは」
優しいが真剣な声に、オルランドは静かに耳を傾けていた。
誰かが談笑しながら廊下を通り、そして遠ざかっている。
「あの時も私は畏れ多くも、やんごとなき皆様方からのご信頼をいただいておりました。まだ、今の役職ではありませんでしたがね。ですのでこちらにおわす方々のどなたかが、ご家族を疎んじられていたのであれば。必ずや、私の耳に入っていたことでしょう。……オルランド君」
その声は温かく、血の通ったものだった。
「陛下は、泣かれておいででしたよ。顔も見たこともないような他人であっても、早すぎる死は辛いものでしょう。ご親戚であれば、尚のことです。王妃様やお子様方も大変お悲しみになって、お祈りはいつも君やご家族方のためのものでした。それにもちろん、誰も彼もが必死になって、君を探していましたよ」
彼を捜索していたその中にはジリート家も入っていたが、伯爵はそれを言いはしなかった。別に恩を着せたいわけではなかったからだ。
オルランドはただ目を伏せて、頭を垂れていた。そして脚に肘をついて、額を支える。
「……そうでしたか。……ありがとうございます」
「……私の話を、信じられてよろしいので?」
彼は、迷わずに言った。
「はい。……それを聞けて、よかった。……今さら気がついたのですが、私は、疑わずに済むなら、疑いたくはなかったようです。できることであれば、本当は」
「……そうでしょうとも。それは、誰でもそうですよ」
という答えが、優しく返ってきた。
伯爵は煙草に火を付け、その小さな赤い光を眺めている。
「陛下方はご心痛の余り、弟君とそのお姉上にまで冷たくされたことがお有りでしたが……私が思うに、あれはちとやり過ぎでしたか。いや、私が言えた義理ではありませんがね……」
独り言のように、空想しているかのように呟いていた。
「本当に、メレンヴィル嬢は大した方ですな。ご健勝であられますか。何やら、色々なお噂は聞きましたが」




