12 癒しではない眠り
それからもオルランドはディーナに会いに行き、冷たくあしらわれながらも何とか納得させようとしていた。だが今のところ大した効果はなく、何を言っても全く聞き入れられなかった。
例えばテオドールは生き残った者たちの幸せを願っているはずだと言えば、
「それは仰せの通りでしょうね。ですが、その中に仇の幸せなど含まれているはずがないではございませんか」
ディーナには悪意はなかったのだから、そもそも仇ではないと伝えると、
「お兄君は、地上で最も甚大な被害を受けられたのですよ? にもかかわらず、その元凶に全くお怒りでないなんて。そのような蓋然性は、低いかと存じますが」
テオドールは実の兄だから自分の方が詳しいと言っても、
「ええ、そうでしょうとも。ですがお兄様は復讐を望まれているとお思いになったから、わたくしのことを追放なさろうとお決めになったのでしょう? あなた様も。わたくしもそのように考えております」
などと、常に平行線にしかなっていなかった。
特に、どうにか情に訴えかけられないかと、あえて彼らの関係の特別さを引き合いに出した時はひどかった。
例えテオドールが復讐を待っていたとしても他の家族は分からない、
いや、皆様方がテオドール様の意思を尊重されないはずはない。
あの家族たちが君のことは尊重しないとでも思うのか、だからそれは命と信頼が失われる前の話だとまたも言い争いになっていた。
「君が! 私の頼みを無視して、テオ兄さんのために死のうとするのか⁉︎ この私が、必要ないと言っているのに⁉︎」
それが耳に入った途端、ディーナは掴みかからんばかりの勢いでオルランドに怒鳴り返した。
「そうですよ! わたくしは、あなた様のお兄様を優先するの! どうしてそんなことをお聞きになるの⁉︎ そのくらい申し上げるまでもないでしょうに! わたくしが……!」
テオドール様とご家族方を死なせたが、あなたはまだ生きているから。
ディーナはその思いに支配されていたが、とても最後まで言うことはできなかった。
ぶるぶると全身が震えて息が詰まり、怒りがさらに湧き上がる。
一瞬のうちにその目に涙を溜めると、わっと泣き出した。
ディーナは目の前の男を叩いてやろうとしたが直前でやめ、机を薙ぎ倒そうかと思ったがそれもできず、ついに自分の髪を引き抜いた。
続いて首の包帯を掻きむしろうとするのでオルランドはやめさせようとしたが、彼女はその手を振り払って羽布団の上に伏し、ひたすら泣き続けていた。
このようにして毎回会話が成立しなくなって終わるので、彼の方としてもかなり疲弊しているという自覚が、奥の方に形成されていた。
もうこれは、どうにもならないのかもしれない。何となく、そう傾きかけてはいた。
近頃は話しかける度に必ず怒らせて泣かせ、その後彼女は起き上がることもできなくなる。助けようとすればするほど追い込まれていく姿は見るのも辛く、楽にさせたくなった。
「……そうですわね。わたくしも、許していただきたくないなんて考えてはおりません」
「だったら……」
「ですから! ですから仮に! あなた様の仰せの通りにした、といたしましてね? このまま歳をとって、そして死後の世界とやらの門の前で、お兄君にお目にかかったといたしましょう。もしわたくしが、過ぎた忠節を選ばずにいてよかったと仰ってくださりましたら、何も問題はございませんわ……。ええ、ありませんね。ですが、どうして最期に伝えたことを聞いていたのに、無視したのかと仰せになりましたら……。わたくしは、どうすれば? わたくしは、その時が何よりも恐ろしいのです。そうなってからでは遅いのですから。慈悲深くもわたくしをお許しくださったのであれば。どうか、正義を為す機会をお与えくださいませ」
こうまで言っていた相手、一度は命を奪おうとまでした相手を引き留め続けて、もう何をしているのか分からなくなってきていた。
彼女はベリンダやポロニウスたち年長者の労りも、丁寧にだが拒絶する。
同年代や年下の諫言は聞くふりをして、自分の味方になるよう誘導を試みさえする。
それならと身内以外の手を借りようとしてみれば、余計に悪化した。
相談した医者や聖職者がやってきた時、ディーナは穏やかに歓迎した。
その身の辛さを訴え、聞いていただけて嬉しいと喜ぶ素振りまで見せていた。
だがその客が帰った後になると、予想をはるかに超えて大荒れになった。
たった一つの義務さえ果たせば全て解決するのに、どうしてこんな思いをさせるのか、余計なことをするなという趣旨の主張だった。
それでもいつかは効果が出るかもしれないと信じて引き続き依頼していたのだが、ある夜に怒りの余り激しい発作を引き起こしたため、中止せざるを得なかった。
そんな状態でも、会計の確認に視察に揉め事の仲裁にと、日々の仕事は容赦なく降りかかってくる。
普通ならここまで忙しくないはずだが、自らのことしか考えていないあの女と情勢不安のせいで、ただ優雅に暮らしてはいられなかったのだ。
長年の下働きで鍛えられた体力をもってしても、さすがに限界が見えてきているとは薄々分かっていた。
しかしだからと言って用事が減るわけでも、私事の悩みが解決するわけでもない。
人にも心配されていることは分かっているが、今休んでは彼らを養えなくなる。
手伝いは既に増やしたが、誰にも代わってもらえない判断というものはあった。
オルランドは不謹慎だと自嘲しながら、両親と兄姉たちが天から降りてきて手伝ってくれないだろうか、と空想さえしていた。
そんな中、現在のディーナが声を荒げない数少ない話題が、戦傷者や遺族に渡す金額、今年の麦畑、セレネイス王国の増税額についてらしいと徐々に分かってきた。
見張りやベリンダが相手であれば噂話や編み物の話題にも優しく応じていたのだが、オルランドの声には適当に返事をしたり、無視したりしていた。
けれども他のベルティスの住人にも関わりがあることであれば、真面目な返答が望めたのである。
「……ですので、わたくしでしたらリメオン大臣に賛同いたします。ですがお二方とも一長一短でしょうから、皆様とご相談の上でお決めになって」
「いや、実は私もそう思っていたところなんだ。それを聞けてよかった、決心がついた」
そう言うと、オルランドは薄暗い部屋の中で肘掛けに肘をついて、しばし黙っていた。
「……お疲れのご様子ですね」
「……ああ……」
事実として、彼は疲れていた。前々から囁かれていた政治闘争がついに表面化し、これまでどうにか躱し続けてきたオルランドも、無関係ではいられなくなったのである。
そのせいで、ついこんな一言を溢してしまっていた。
「……君がテオ兄さんたちのために尽くしたいなら、私もそうしたい」
「え?」
「死にたいなら、置いて行かないでくれ」
それは紛れもない本音で、ディーナはしばらく、口を少し開けていた。
しかしすぐに、オルランドが予想していなかった反応に変わった。
小さく、吹き出していた。
「……あなた様が?」
と、見間違いようもなく笑っていた。
「……ディーナ?」
「ああ、申し訳ございません。だって、あんまりにも有り得ないことを仰るものだから……」
「……有り得ないだと?」
「そうですとも。あなた様がわたくし如きのために死をお選びになるなんて……ふふっ、おかしい。絶対に有り得ませんわね。賭けてもよろしいですわ」
オルランドは怒りも抗議もせず、ただ戸惑いと、深い胸の痛みを覚えてディーナを眺めていた。
まさか本心から湧き上がってきた思いが一笑に付されるとは。
これが以前のディーナだったら、すぐに動揺して大切なオルランドの顔色を窺っていただろう。だが今は相手の状態に気付いていても、面白そうにしてさえいた。
「……どうして、そう言い切れるんだ」
「はあ、わざわざ説明して差し上げることでもないかと存じますが」
ディーナはちょっとした微笑みを浮かべ、オルランドの肩に手を置いて身を乗り出した。
そして彼の髪の毛を撫で付けてから、その顔を覗き込んだ。
「わたくしが考えますにはね、閣下。あなた様はとっても誠実なお方。ご家族思いで、責任感をお持ちの方。では、そんなあなた様までいなくなってしまったら……この古き白銀のベルティスは、一体誰のものになるのでしょうね?」
薄い唇が引き結ばれたのを確認して、ディーナはさらに笑みを強めた。
そのことに気付いていても、言い返せないのが悔しかった。
もし、オルランドがいなくなったら。次にその順番が回ってくるのは、イフィクレスだった。
正当な相続ではある。
だがフライナ家の主人、復讐に身を捧げた者として、それだけは絶対に阻止しなくてはならなかった。
断じて許容できない。
そうなれば、例の人間に擬態した害虫の野望を実現させることになってしまう。
大体、いくら賢いとは言えまだ十歳の子供である。となれば後見人を立てることになるが、その立場を狙って多くの者がこのベルティスを踏み荒らすだろう。
仮に協議が上手く行って親戚筋から当主を出すことになったとしても、その選出でまたも揉め事が起こるのは必定である。
そうなれば住人の生活も一族の地位も、イフィクレスの命さえも危ぶまれる。
確かに彼女が見抜いていた通り、現実的に考えれば、絶対に死ぬわけにはいかなかった。
それに関してはもう仕方がない。
だがこのまま身体と精神を摩耗させ続けて行った先で、失ったものを取り返せるわけでもないのに、最も優しかった時代の生き残りさえここからいなくなってしまうのか。
そう思うと、これ以上何か行動を起こそうという気にはまるでなれなかった。
オルランドはディーナを見透して精神世界を見ていたが、彼女はさらに手を伸ばして、その頭を抱き寄せた。
柔らかな髪の束と、白い服と肌に包まれる。
女性特有の甘い香りと、横に置いてあった薬草の花の匂いがした。
「……何を?」
そして膝の上に横向きに乗り、胸に寄りかかる。肩に掴まって、髪越しに頬を触れ合わせた。
「おかわいそうにね。あなた様って、本当におかわいそうですわ。わたくしどもさえいなければ、こんなことにはならなかったのに……」
頭の後ろと首筋を撫でられ、微かに反発を覚えたのに動くことができなかった。
「ディーナ……」
思わず呼びかけると、彼女は深い青緑色の目を動かして、こちらを見据えた。
現実のこの時は抱き合っただけだったのだが、今回の夢では何故か改めて、手を差し伸ばしてきた。
その冷たい手を握りしめて目を閉じ、もう一度目を開けると、見慣れた明るい部屋に戻ってきていた。
睡眠不足によりつい眠り込んでしまっていたらしく、倦怠感と目の疲れがあった。
だが目覚めたのに何故かまだ、手の感触がしている。
一瞬、夢に出てきた人かと思ったが、違った。
彼女の弟である、イフィクレスの手であった。




