68 氷山のような空気
まるで氷山にいるかのように冷え切った室内、誰もが声を出せずにいる静かな空間で、冷や汗を流し怯えるグレゴリオのはぁはぁ、という息遣いだけが響く。
その音すら鬱陶しいとばかりに、テオドールが氷よりも冷たい声色で呟いた。
「……ねぇ。僕さぁ、いつ君たちの敵になったっていいんだよ? この国に思い入れがあるわけでもないんだから。手始めにこの建物でも全壊してみる?」
味方であるはずのリグでさえ、背筋が凍る思いだった。ぶるっと震えるポレットの動きに気付き、リグはポレットを抱き上げてやる。
唯一言い返すことのできるテオドールが怒ってくれたことに溜飲が下ったのは事実だが、もう少しこちらに配慮してほしいところでもあった。
そんな中、魔杖を向けてくる魔法使いたちが震える声で両者に懇願していた。
「グ、グレゴリオ卿。テオドールはこんなですが、実力は確かです。どうか穏便に……!」
「テオドールも、どうか、どうか怒りを鎮めてくれ……!」
テオドールの実力を知っているからこそ、魔法使いたちは必死なのだろう。
「ああ、もう。割に合わないわ。あたしの仕事は娘を連れてくること。つまりもう終わっていますの。今押さえてあげてるのはサービス。これ以降は一切手助けしなくてよ!」
ついにミリューも苛立ちを隠そうともせずそう言い切った。
今この場でテオドールを押さえられるのはミリューくらいだ。
グレゴリオはまだ納得のいかない顔をしていたが、さすがに我が身が可愛いのだろう。
喉の奥から絞り出すような声で「わかった」と小さく呟いた。
「テオドール」
「……もう、仕方ないなぁ」
最後にモッシュが静かに名前を呼んだことで、テオドールはしぶしぶと氷の魔法を解除する。室内にいた人たちが一斉に安堵の息を吐いた。
リグもその一人だ。そろそろ寒さで限界がくるところだった。
特にポレットはまだ身体も小さいのだから冷えるのも人より早い。
魔法が解除された後もまだ少し震えているため、リグは引き続き抱き上げながら背中をさすって温めた。
(気持ちはわかるし、スッキリもしたけど……身内のことも考えてほしいよ)
思わずそんなふうに考えてしまうのも仕方のないことだ。
相変わらずひりついた雰囲気ではあるが、ようやく本題に入れそうだ。
モッシュがグレゴリオに向かって再び口を開く。
「発言をしても?」
「……ふん。さっさとしろ」
不服そうに腕を組んでいるが、今度は平民だなんだと騒ぐことはなさそうだった。
モッシュは表情を変えることなく、抑揚のない声で話し始めた。
「では。精密検査を受けさせろとのことだが、ポレットはすでに検査を受けている。この通り、白の証明書もあるのだが。なぜ今さら改めて精密検査など?」
「口答えは認めん。そう決まったことなのだ。黙って従え」
「納得できる説明がないというのなら、保護者として要求を拒否する。その権利がこちらにはあるはずだ」
「平民風情が生意気な……!」
実に沸点の低い男だ。このままでは埒が明かない。テオドールが今度こそグレゴリオを全身氷漬けにしてしまうかもしれない。
別にリグたちは困らないのだ。このまま立ち去って、次の町の復興作業に向かうだけ。
とても困るのであろう、相手側の魔法使いたちが必死に懇願していた。
「グレゴリオ様、ここは私どもにお任せを。専門的な話になりますのでどうか、どうか……」
「……ふん。結論は変わらんからな」
「はい、重々承知しております」
まるでポレットを調べるのは確定とばかりの言い分には思うところがあるが、ひとまず話を全部聞くことにしたのだろう。
リグも全ての思いを飲み込んでひたすら黙って待った。
「この度は、強引な形で連れてきてしまったこと、心よりお詫び申し上げます……ですが、わたくし共もなかなか難しい立場でして……」
「そういうのはいい。大体わかる。俺は最初からちゃんと説明しろとしか言っていない」
「は、はい。かしこまりました……申し訳ありません」
なんだか魔法使いたちもずっとペコペコ頭を下げていて大変そうだ。同情はするが、やろうとしていることは変わらない。
いいから説明しろと告げるモッシュに対し、魔法使いはやっと改めて精密検査をする必要性を告げた。
保身のためか、グレゴリオのことを気にしてか、かなり遠回しな言い方ではあったが、要約するとこうだ。
ここ最近のテオドールやポレットの活躍が耳に届き、ポレットの年齢からしても異常なほど魔法の才に溢れていること、そして保護されたいきさつが、厄災の魔女が行方不明になった時期に近いことが主な原因として挙げられ、軍部から再調査の指令が魔法省に下されたのだという。
(やっぱり目立ちすぎたんだ……もっと隠しておくべきだった)
ポレットがあまりにも嬉しそうに魔法を使うから、自由にさせてやりたかった。
困っている人たちを助けたいという純粋な思いを無下にしたくなかった。
そんな言い訳は彼らに通用しない。リグたちはもっと、ポレットを普通の幼女として隠していかなければならなかったのだろう。
(……でも、隠し通せたかな。ポレットは幼いし、夢のこともあるし……いずれは明るみに出てしまったことなのかも)
今さらどうにもならないことで悔しさがこみ上げてくる。
(もし、精密検査でポレットが魔女だと判断されたら……?)
魔女検査をする前の、あのどうしようもない恐怖が再びリグを襲った。




