M10《1》誠意の単位(円)
「……で……」
渋谷デートの翌日。
寧子は家の近くのアンティーク喫茶店で、ある男のタイマンを受けていた。
相手は金髪ガタイのいい青年で、昨日夜に初めてメールをもらった。
テーブルの上には、一枚のシンプルな名刺。
【LLレコード エグゼクティブプロデューサー 黒磐猶人】
とその名刺にはある。
LLレコードは、そういう情報にうとい寧子でも知っている、大手の音楽レーベルだった。
その、LLレコードから、『ラブカ』のメジャーデビューが昨日、発表された。
しかも、本名である「波涛萬里」の名義でのデビューになるという。
これまでプライベートのすべてが謎に包まれていたラブカの露出に、ファンはばたばた倒れた。
(本名……波涛萬里……)
またまた……ご冗談を……という気持ちだったが、アーティスト写真として出されたその青年は、無駄にキラキラしていたしめちゃくちゃなキメ写真ではあったが、確かに、「隣人氏」その人で。
(気づかなかったーーーーーー!!!)
いや、気づきようがなくない!? 隣人が「そう」だなんて、お察しは無理でない!? ラブカは覆面クリエイターだし!! と寧子は思っているのだけれど、確かに彼がベランダで描いていた絵は、「ラブカ」がいつも自作MVで使うものと一緒だった。
察しが悪かった、というより、徹頭徹尾、ラブカに、興味が……なかったのだった……。それ以上の言葉が、ない。
今も、ラブカの新曲を聴いても、「そう、か……?」「そうかも……」「まあいわれてみれば……」くらいの感想だ。
いや、もう別にそれは、当人から言われなかったのだから、気づかなくてもいいことなんだろうけれど。
問題は、今。今だ。ジャストナウ。
昨夜、黒磐猶人からきたメールには、案件のご依頼とあった。寧子ではなく、《ウラオモテヤマネコ》のアカウントメールだ。
ラブカこと波涛萬里のメジャーデビューにあたり、本人の公式アカウントの運用を寧子に任せたい、というのがその概要だった。
(公式SNS運用……)
そういう仕事がある、ということは、寧子も知っていた。今は企業のSNSアカウントというのは広告宣伝のかなめだ。ただ宣伝をうつだけではなく、言葉尻ひとつで、バズることもあれば燃えることもある。
いやそんなん出来るかよ、責任重すぎるわ! と思った寧子だったが、依頼文に書かれていた誠意の単位(円)を見て動きが止まった。
月極の値段は、ちょうど、寧子の家賃の倍ぐらいあった。実作業がどれくらい時間がとられるのかはわからないが、どんなバイトよりも、高い。
《ウラオモテヤマネコ》のアカウントにはきたものの、表に名前は出さずに、あくまでもSNSスタッフとして動いて欲しいとの依頼だった。
(そんな、美味すぎる話、ある!?)
インターネットで楽して稼げるはすべて詐欺、である。
まあ、多分言うほど楽ではないのだろうけど。
「てか、わたしの活動、知ってて言ってるんですよね……?」
「一応。全部ではないですが目を通させてもらいました」
と黒磐猶人は思ったよりも丁寧に寧子に対して言葉を運んだ。見た目はイカつい系チャラなのに……と寧子は意外に思った。まあ、大手レコード会社の、正社員だし。
背筋を伸ばし、出来るだけ、社会人相手らしい言葉になるように寧子が言葉を重ねる。
「じゃあ、わたしがどういう配信者か、よくご存知だと思います。クリエイターの公式SNS運用なんて、とてもじゃないけど向いてないって、思いませんか?」
「それは……」
口元を抑えて、猶人が言う。
「確かに、全っ然向いてない…………」
せやろ、と寧子は深く頷いた。
「けど、他ならぬ萬里の指名なんで」
「はぁ~?」
とんでもない顔をしてしまった。小さくため息をつきながら、猶人が続ける。
「実際公式SNSの運用といったって、ほとんど機械的に運営の宣伝テキストを流してもらうだけで、たまにそこに、萬里のコメントが入る、これが多分、一番メインのファンサービスになると思うんですが、その、なんていうか……反応、とか、コメントをまとめて、伝えたり、伝えなかったり、そういうことを、していただきたいと思っていて。誰が、どうやって言うか。これにだいぶ左右される内容だと思う。そんでそれを、あいつはあなたがいいと言っていて……」
それ、いるか? スタッフが? 反応なんか全部無視したら? と顔に出ていたのが、多分バレていたのだろう。
「わかる。俺も、正直、そんなんいらんのじゃないかと思ったんだが……」
とにかく、うちの会社としても、今年の一番の目玉、パワープッシュしていきたいアーティストだから。
本人の希望と環境は、出来る限り整えたいというのが猶人の会社の方針らしかった。
それとも、猶人個人の方針なのかもしれない、と寧子は勘ぐっていた。
この、黒磐猶人という男、寧子に、《ウラオモテヤマネコ》に決していい印象を持っているようには見えなかったが、同時に、波涛萬里という少年は、とかく甘やかして育てている。そんな印象を受けた。
「……それから、あいつはまだ、17、もうすぐ誕生日が来たら、18なんで。やっぱり、子供だと思うんで、愚痴や、相談が出来る相手が、専任で近くにいてもらえた方が、あいつにとってもいいだろうと、思っていて……」
17。もうすぐ18。寧子はひとり、ベランダに佇む萬里の背中を思い出す。
「──もうちょっと、待てなかったんですか? せめて、高校を卒業するまで」
自分が踏み込むところではないと思いながら、寧子はそれを告げてしまっていた。
猶人が渋い顔をする。
「俺も、そうしてやりたかった。けど、今年に入ってから、あいつのつくる曲が本当によくなっていて、『今』が間違いなくひとつの売り時のピークだってことに、業界の人間はとっくに気づいてる。一応、あいつのとこにきてる企業案件は目を通してるんだが、あらゆる事務所が『ラブカ』に手を出そうと狙ってるから」
今、なのだと猶人が言う。
「わ、かんない、んですけど全然……」
上目遣いに寧子が正直に言うと、猶人は頭の後ろをかいて、「だよな~~」とため息をついた。
「あなたがあいつの曲、全然響かねーての、そういう人間がいるのもわかるし、悪いことじゃないと思ってる。そんで、萬里に至っては、“それがいい”らしいんだよな」
見てくれ、と猶人がテーブルに出してきたのは、プリントアウトしたテキストだった。メール文面と、SNS画像のようなもの。
「なんです、これ……」
「これは毎日、ラブカのところにおくられてくる、怪文書メッセージだ」
そこに並んでいたのは、「あの歌は自分のためのものだったと思う」「私の思いを歌ってくれて嬉しい。貴方ともっと■■■なことがしてみたい」「どうして勝手に自分のことを書いたのか理解に苦しむ。アイデア料を以下に振り込んで欲しい」他にも、シンプルな殺害予告、シンプルな爆破予告………
「うわ。キッッッショ」
素直に寧子の口をついて暴言が出てしまう。
いやこれはひどくないだろうか。あまりにひどすぎる卑猥と思われる言葉には黒い海苔が貼られている。
「こんなのが、毎日……?」
これは病むでしょ、と寧子が言う。「まあ、耐えられてんのは萬里だからだと思う」と猶人も頷いた。
「あいつは、作品の発表当時からとにかくこういう客がつきやすかった。見なくていい意見も、見て、怒ったり拒絶したり、したらいいのに全然しなかった。本当に、怒るってことをしないんだ、あいつは。こんな意見も、自分の音楽がつくりだした音で、聞くべきだって」
「はぁ? わざわざ聞いてやるんですか? こんなのを?」
気分の悪さを隠さずに寧子が言った。猶人は頷く。
「切り離してる、とは言ってた。それも俺はこえーんだが……からっぽなところに響かせているから大丈夫、って」
「大丈夫じゃないですよ」
寧子は思わず言っていた。脳裏に浮かんだのは、電車でしゃがみこんだ萬里のこと。
これからメジャーデビューをすればこの比じゃない言説がインターネットの世界を荒れ狂うことだろう。現実世界でさえ、週刊誌などにすっぱ抜かれることを危惧しなければいけない日々がはじまる。
だから、その、「SNSの部分」を寧子に担って欲しいという、そういう依頼のようだった。
「わたしだって、見てるだけで気分悪いですこれ」
「……あんたは、ちゃんと、あいつのために怒ってくれるんだよな」
苦笑をしながら猶人が言った。




