M04《2》「ネネさん、酔ってる?」
「やっぱ、いた!」
寧子がボリューム調節のきかない声で声をかけると、隣人である萬里氏は、びくっと身体が硬直して振り向いた。
一緒に、コードレスの大きなヘッドホンを外したから、音楽を聴いていたのだ、とわかった。
「やーほー」
ちゃぷちゃぷと、半分以上まだ入った缶を揺らしながら、寧子が話しかける。
頭がふわふわして、陽気な気持ちだった。
長い前髪の奥で目を丸くしていた萬里が、ゆっくり、いつもよりも慎重に近づいてくると。
「ネネさん、酔ってる?」
やっぱり慎重な口調で、確かめるように聞いた。
「酔ってないよお。飲む!?」
酔っ払い定番の返事。萬里はため息。
「飲まない。ネネさん声、気をつけて。ボリューム落として」
みんな窓を閉めてて、誰も聞いてないのに、と思いながら寧子が唇をとがらせる。
「なんだ、つまんないのー。なにしてんの? お絵かきー?」
目をこらしてキャンバスを見た。太い筆で描かれたそのキャンバスを、「ぐっちゃぐちゃ」と言って寧子はは笑った。酔いのせいで、全部が面白くなってしまっていた。
素面であれば失礼すぎて言わなかった言葉だ。でも、その時は気持ちが愉快で。出てしまった。素面になっても覚えていたら、即座に謝罪していたことだろう。
受け取る萬里も、それに傷ついた様子なく、今まで見せたことのない、やわらかな笑みを浮かべて、筆を水入れにさしながら言った。
「そう。ぐちゃぐちゃのお絵かき。なんかうまくいかないから、ネコさんがはやくかえってきて、配信でもしてくれないかなって思ってた」
「ざあんねんでした~。ネコさんは今夜はお休みです~」
ちゃぷ、ちゃぷ、と缶を揺らしてご機嫌な様子で寧子が言うと、
萬里は呆れたようにため息をついて。
「なら、そこで喋っててよ」
と、寧子に背を向け、キャンバスに戻りながら言った。
首をことんと落とすように傾げて、寧子が聞く。
「プライベート、専用配信?」
「そう、雑談でいいから」
背中越しに萬里は言う。
「そしたら上手く描けるかもしれないし。──いる? 投げ銭」
渡すなら、財布もってくるけど。
少し丸めた背中で聞かれて
「わたしが言うことじゃないけど、お金大事にしな~」
と寧子がはちゃめちゃ適当なことを言った。雑談配信は仕方ない、しかも酔っ払い配信、舌のすべりもよくなるというもの。
寧子は飲み飲み、萬里を眺めた。
油絵の具の特徴的な匂いがする。コンビニのチューハイよりも強い匂いに鼻をひくつかせながら、少しとろりとした目で、首にかけて戻されることがない、ヘッドホンを見た。
「ねぇ、なに聞いてんの?」
缶を持った指先を伸ばして聞いたら、萬里が小さく振り返った。
「耳。わたしじゃなかったら、誰の配信聞いてんのよう?」
別に、誰でもよかった、けれど。雑談の延長で。
誰の配信を聞くんだろう、ぐらいの気持ちだった。ゲーム配信? いや。
(そもそも、ゲームしないのになんで、わたしの配信聞いてたんだ……?)
ふと、あぶくのように疑問が浮かぶけれど、それより、萬里の聞いているものの方が気になった。
わたし以外の配信で、好きなやつ、あるんだ? 言ってみなさいよ、という当たり屋めいた気持ちも確かに、あった。
「……」
萬里は少し、迷うように沈黙した。片方の肩を持ち上げ、多分まだなにごとか、流れているであろうヘッドホンの耳当てを、片目で睨む。そして。
「音楽」
そう言ってから、ふっと、小さく笑って、言った。
「ネネさんの、一番響かないやつ」
その言葉に、寧子は一瞬かたまったが、すぐに、気づいた。
「ええ_!? まさか、アンタもラブカの信者なわけ……!?」
ウラオモテヤマネコはラブカのアンチ。
それは、ネコの配信のリスナーなら、お約束のネタで。
てっきりそういう「煽り」をうけたのだと、その時寧子は思ったのだ。
「別に」
長い前髪で隠れた瞼をおろして、萬里が言う。
「信者じゃ、ない」
ふうん、と寧子が言う。缶を振ると、音がしなかった。「なくなっちゃった」と脳直で口にした。
そろそろ、自分が酔っているのか酔っていないのかも判断がつかなくなってきた。いや、それは確実に酔っているということだが。「うーもうちょっと買ってきたらよかった」と言う寧子に、呆れた顔で萬里が近づいてなだめにかかる。
「もうダメです。おしまい」
「なによ~年下男子、生意気に」
「はいはい、生意気でいいから、年上女性、寝て下さい」
「えーねえ、今度バンリくんも一緒に飲もうよ!」
「だから飲まないって。……寝落ち配信してくれるんなら、付き合ってもいいですけど」
「なあにーそれー?」
寧子は眠そうにそんなことを言いながら、千鳥足で部屋に戻っていった。頭の中はもう、買ってきたスイーツを、冷蔵庫にいれなくちゃ。それくらいしか、なくて。
ベランダに残された萬里は、ため息をつきながら、《戸締まりきちんとしてくださいね》とLINEを送る。果たして見るかはわからないけれど。
そしてそれから、キャンバスに向かうと、ヘッドホンを耳にあて、ひとりごちるように、呟いた。
「別に、信者じゃないんだよなぁ……」
──月もない夜誘うベランダ
僕が猫なら一声鳴いて
この絵を踏んで踊ったのに
M04 お送りいたしました。
お楽しみいただけましたら幸いです。
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次回は
M05 炎上ゲーム配信者、電車で急病人を助ける
でお会いしましょう♪




