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思し召し  作者: もい
18/19

目が覚めると、見覚えのある天井だった。

ぼんやりと眺めているうちにひきづり込まれる。




体が重い。

薄ぼんやりとした視界。

落ちる。




「…障りは軽いのよ」

「軽いのに起きないの?!私がするわ。お願い、やらせて」

また、落ちた。




「全部やめちゃってるのよ?!障りが残ってるの!絶対に」

「慣れていなくて、体が拒否しているだけ。だから」

「慣れる前に、死んじゃうわ!」

泣かないで?もうすこしだから




「一郷さん、お水を飲んでちょうだい。お願いよ」

うん。お水、ほしい。

口をあけるとぬるいけれど優しい味が口内に広がる。

ごくりと飲み込むと、身体中に気持ちのいい風が吹き抜けた。



「全身に澱を浴びたの。普通は生きてはいられない。でも、生きてる。もう少し時間がかかるだけ。慣れている私たちとは違うの」

違わないよ。あなた方は人より視えるものが多いだけで、同じだよ。

だから、線を引いて遠ざからないで。



乾いた、大きな手のひらが額から撫でおり、頬で止まる。

知ってる手。でも誰だっけ。


すごく、安心する。



「そろそろ起きてよ、紀久ちゃん」

うん、もう、起きるね。

寝るのはもう飽きた。


目が覚めると見たことのある天井だった。

ぼんやりと室内灯を見つめて思う。

トイレに行きたい。

うつらうつらと膀胱と我慢くらべをするが勝てるわけもなく。

起きあがろうとして体がやたら重いことに気づいた。やばい、立てない。

「一郷さん?」

「た、つよさん」

声が掠れている。でもそれどころじゃない。

「トイレ、連れて行って」

決壊は許されない。女性として、大人として。


気がついた時にはもう、三連休はすでに終わり、次の週末が差し迫っていた。

私は高熱を出して、寝たきりだったらしい。

らしいというのは記憶がまるでないから。

起きたら、また土曜日ってなによ。


季節外れのインフルエンザに罹患した模様。発熱も突然だったが、なかなか熱が下がらず、目が覚めなかったと龍与さんが教えてくれた。


今、枕元で優美ちゃんが泣いている。

なんだか、久しぶりだねぇ、と話しかけるといきなり泣き始めて、今とても困ってる。

「紀久ちゃん、よかった。よかったよぉ」

「うん、ごめんね、心配かけて」

慰めたいけど、体が重くてガチで動きづらいのだ。

「私たちのせいで、」

なんで優美ちゃんたちのせいになるの?もしかして寮で流行ってたの?インフルエンザ。でも、優美ちゃんたちのせいじゃない。伝染病なんてどこでかかるかわからないんだから。

「違うよ。誰のせいでもないよ。優美ちゃんが謝るのは絶対におかしい」

私の免疫力が負けただけ。

それよりも、優美ちゃん。

「お腹すいた。なんか食べさせて」

優美ちゃんは一瞬きょとんとして、次の瞬間、光が当たったように微笑んだ。

「わかったわ。任せて」


私がすっきりと目が覚めたのは、さらに何日か時間をおいた後だった。

目が覚めて、割とすぐ、会社のことを思い出して焦ったが、そこは龍与さんがなんとかしてくれた。

「悪いとは思ったんだけど、あなたのカバンを見せてもらったの。社員証があってよかったわ」

とゼブラ柄と豹柄が混在するくすみブルーのブラウスを着た龍与さんが肩をすくめる。そのブラウスどこで買ったのか聞きたい。けど聞けない。興味はすごくあるけど、でも聞けない。


「会社に病欠の連絡もしてあるし、診断書も提出して、それなりの療養期間をもぎとってるからゆっくり治してね。あなたが取引のある会社に勤めててよかったわ」

と言われても私はしがないサラリーマンだ。電話連絡すると、係長をすっ飛ばして、課長すら取次扱いで部長に繋がれた。部長なんて話したことないんですけど!?と焦った。

「症状の連絡は受けています。仕事も分担してやっているので、心配せずに、ゆっくり休養しなさい」

というお言葉をもらった。すごく気を使われていて、逆に不安になった。電話をかけているそばで、龍与さんがニンマリ笑ってスタンバってたのも怖かった。

でも、まあ?正直、熱が下がったんなら明日から来いとか言われなくてよかった。ぜったい無理。まだちゃんと歩けないし。


さらに時間を重ねて。

歩く練習から初めて(結構な日数を寝ていたので筋力が落ちてヨボヨボになっていたのだ)ようやく介助なしでお風呂に入れるようになった頃、浩くんが訪ねてきた。

手には菓子折りを持って、沈痛な顔をして。


またか、とうんざりする。優美ちゃんもそんな顔してて鬱陶しかったのに、この人もかい。面倒臭い。

「謝るとかやめてよ。今回のは仕方がなかった。以上」

目が合った瞬間に言ってやった。優美ちゃんなら言葉を尽くして慰めるけど、浩くんはいいや。

「うん。わかった。あの、これ」

「おお、フルーツゼリー!ありがとう!私、これ好き」

銀座の高級果物店のゼリーだ!誰かに貰わない限り、口には入らない一品。素直に嬉しい。

「よかった。まだ、重いものは食べられないってきいてて」

「いつの情報よそれ。もう揚げ物もいけるよ」

「そうなんだ。安心した。それならケーキとかの方がよかった?」

「うーん、ケーキもうれしいけど、ゼリーも好き。いま食べたいから、一緒に食べない?」

お持たせで悪いんだけど。


私はぶどう、浩くんは梨を選ぶ。ぶどう味はシャインマスカットを使っていて果実がゴロっと入っていた。優しい甘さがうまい。

「ねえ、浩くんも瀬越さんも熱は出なかった?」

「うん、俺たちは慣れてるし」

インフルの免疫を持ってたんだろうか。しかし慣れてるってなんだ。集団生活だから、蔓延しやすいんだろうか。ちなみに優美ちゃんは、自力でなんとかなるから大丈夫って言ってた。

「そうなんだ。感染しなかったならよかったよ」

「もう、体は平気なの?何日も寝ていたからすごく心配してた。龍与さんも会わせてくれなかったし」

「うん、もう大丈夫。私的には、寝て起きたらもうすごく時間が経ってて驚いたんだよね。しかも体が動かないし」

あれ?この、体が大丈夫?とかって下り、

「この間まで、大丈夫?って聞いてたの私なのに、なんか逆転しちゃったね」

浩くんは、一瞬きょとんとした後、ほんとだね、とようやく笑った。

「浩くんは、もう傷大丈夫なの?」

「さすがにもう塞がったよ。もう筋トレしてるし」

「ええ?傷口開かない?また血が」

「だからそれで弄るのもうやめてって。ちゃんと塞がってるよ。見る?」

いやいやいや、Tシャツ捲らなくていいから!お、おお?シックスパックではないけど、それなりの腹筋ですな。

傷口はピンク色に肩口からおへそのあたりまで走っていた。

「結構広範囲だったんだね」

「まあね。その代わり浅かったから。すぐに塞がったよ」 

ピンクの傷、触ってもいいかな。はしたないけど、でも、触ってみたい。

「紀久さん?」

欲望の赴くまま手を伸ばして傷口に触れた。

ピンクの線をなぞるように、つう、と指を走らせる。


うん、思い出した。

ちゃんと、思い出したよ。


「き、紀久さん」

焦ったような浩くんの声。くすぐったかった?ごめんね。

ぺとりと傷口に手のひらを当てる。

ドクドクと早い鼓動が聞こえる。

「ちゃんと、還れたかな」

囁きを浩くんは拾ってくれた。

「ちゃんと還れたよ。ちゃんと見届けたよ。体も、ちゃんと空に還ったよ」

そっか。それなら、もう暗くも寒くもないね。暖かい光の中でちゃんと眠れたね。

「そっか。よかった」


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