夕焼け
子どもの頃のある日、住んでいた団地の窓から夕焼けを眺めていた。
どんな色だったかははっきりと思い出せないけれど、飽きずに眺めていたくらいだからきっと綺麗な色をしていたのだろう。
浮かんでいる雲が夕日の色に染まっていたことは確かだ。
特別なことが何かあったというわけではなく、よくある日常の中の一場面。
日常に過ぎないその日のその場面を鮮明に覚えているのは、それが「時間は進んでいる」「同じ時間は二度と来ない」ということを実感した瞬間だったから。
何がきっかけで空を見始めたのかは覚えていない。
それこそ、単に綺麗な夕焼けだと思っただけの理由かもしれない。
ただ、はっきりと覚えているのは、その時に感じたこと。
大人になって振り返っている今ならまだしも、時間の進みが早いとか遅いとか、子どもの頃はそんなことを気にしていなかった。
もちろん見たいテレビ番組の時間や、親が帰ってくる時間を時計で確認しながら生活していたけれど、だからと言ってそれが時間の流れを実感することと直結するわけではない。
早く時間にならないかな、とそわそわしたり、まだ帰って来ないな、と心配することがあっても、それは時間経過そのものに対してではなく、時間が経った先で起きる事柄に関心を持っているだけだ。
あの日見ていたのは、空で起きている「変化」そのものだった。
見えている部分がどんどん小さくなって、段々と沈んでいく太陽。
それとともに刻一刻と変わる空の夕焼けの色。
少し見ていないだけで、色も形も、浮かんでいる場所も変わっていく雲。
さっきまでそこにあった雲は、同じ場所に無いだけじゃなくて、中には消えてくものもある。
空を見ている時に感じていたのは、目の前にあるそうした全てが時間の経過によって起きているという事実。
きっと、窓辺からじっと眺めていたのではなくて、いったん離れては何分か置きに見ていたことで変化をより実感したのだと思う。
そして、今見ている景色はもう二度と見られないのだということも唐突に理解した。
その衝撃を今でも覚えている。
今までになかった考え方や新しい視点を得る瞬間というのは、多少なりとも驚きと衝撃を伴う。
それは大人になった今でも同じだ。
子どもだった当時、視界が開けて目が覚めるようなその感覚に、一際大きな驚きを感じたのだろう。
だからこそ、その時のことを忘れることなく未だに覚えているに違いない。
「常に時間が進んでいる」ことは当たり前の事実で、それを驚きを持って実感するなんてあまりない経験かもしれない。
今でも時々、雲が流れている風景を見るとその時の感情を思い出す。
それはきっと、私だけの大切な思い出であり、アイデンティティを構成する一つの要素なのだ。




