大切なもの
私にとって大切なものはたくさんある。
それは他人とは違うものであって当然で、誰かに否定されるものでも、強要されるものでもない。
ただ、その全ては、平和な日常という基盤があってこそ大切に思う余裕が出来るのだ。
戦争体験者、被爆者の証言を特集するテレビ番組を見ている時に、そのことに改めて思い至った。
私の祖父母も戦争を知る世代だ。
遠方に住んでいた母方の祖父母は毎年お正月に会っていた程度で、顔は思い出せるけれど、どんな人だったかと聞かれると答えに窮するくらいの関わりだった。
当時子どもだった私にすれば、たまにしか会わない従妹たちと遊ぶことの方がお正月のメインイベントだったのだ。
その上、私が義務教育を受けている頃に二人とも亡くなっていて、きっと多くの体験をしていただろうけれど、本人の話を聞くことのないまま会えなくなってしまった。
父方の祖父母は、学生の頃に終戦を迎えて、召集を受けることはなかったけれど当時のことをはっきりと記憶している、そんな年齢だ。
それでも、会う度に戦時中の話ばかりしてきたわけではないから、どんな経験をしてきたのかを深く知る機会はなかった。
今となっては、当時の話を聞けるのも祖母一人しかいない。
その祖母も、施設に入所していることもあって会う機会そのものが減っているし、面会に行ったら近況を話すくらいのもので、戦争体験が話題になる切っ掛けもない。
知っていることといえば、彼女の兄弟には軍人として戦死した人がいること。
それから、認知症の診断を受けて二十年近く経つにも拘らず、最近まで軍歌や教育勅語をすらすらと諳んじられたことだ。
そういう戦時中の話は、子どもの頃から時折話題に上っていた。
祖母の親族の葬儀で集まった時だったり、それこそお盆の時期だったり。
そういう時に思い出話の一つとして聞くことがあったように思う。
学校で竹やりの突き方を教わった話は何度か聞いたし、当時の歌を歌ってくれることもあった。
急に歌い出すその歌が軍歌だということは何となく分かっても、子どもの頃はその意味を分かっていなかった。
ただ、ずいぶん昔のことをよく覚えているものだ、と感心した記憶がある。
今にして思うのは、そこまで記憶に残るほど繰り返し覚えさせられたそれは、洗脳に近い教育だったのではないかということ。
子どもの頃の流行歌を、歌詞を間違えることなく一曲歌いきれる自信はない。
どんなに好きだった曲であっても、せいぜいサビ部分を口ずさめるくらいだ。
それを、好き嫌いと関係ないだろうその曲を、覚えてから何十年も経った認知症の祖母が曲の頭からそらで歌えるのだ。
その一端だけでも、どんな教育を受けていたのだろうかと考えてしまう。
当時は今とは違う当たり前が存在していて、子どもだった人たちがそれを日常として経験してきた。
家族や親しい人が召集されて戦地に行くこと、空襲で家や人の命が奪われる光景、価値観や幸福の基準を強制される教育や世論の変化。
想像するだけで二度と起きて欲しくない現実ばかりだ。
今でも、世界ではそうした戦争行為が起きている。
人の命を奪い合う日常が傍にある人たちがいる。
そうした非日常がこの世界から早く無くなること、私自身を含め、大切な人たちの日常になる日が来ないことを願っている。




