幕間 つかのまの休息………だった
――――誰にも会いたくない、一人でいたい、という時間が誰しもあるのではないだろうか。特に、大事のあった後ならなおさら。
マチルダにとって、今がそれだった。裏通りの‘境目’ギリギリを通り抜け、周囲に人がいないのを確認して、‘かくりや’と雑に彫られた看板の、薄暗い店に足を踏み入れる。
入った瞬間、感覚の鋭い獣人やエルフが回れ右しそうなほどツンと来る刺激臭が体を包み……すぐにマチルダは周囲に結界を張って遮断する。
棚にところ狭しと並ぶ薬瓶やアルコール漬けの魔獣の一部、そしてカウンターで退屈そうに水煙を咥えている眼光鋭い壮年女性に会釈をして、すぐさま衝立ての奥にいくと、
「お、」
「……ああ、どうも」
そこには先客がいて、ふぃっ、と目を逸らす。
――――サーザイルか。
組合上位者が選ぶ、誰からも邪魔されにくく、かつ人を避けることのできる店は限られており、だからこそこうして被ることもあるわけだが――――。
「ホットワインか……珍しい」
「少し前に嵌ってな、冷える仕事の後だと格別うまい」
彼は、香辛料の並ぶ棚から適当なのを見繕い、熱を発する魔導装置上のビーカーに注がれたワインに次々投入する。
なるほど、と頷いてそれ以上は問わず、眼前の並んだ棚からお気に入りを取り出し、グラスに注いで指先一つでキン、と冷やす。
「はあ……うまい」
店主夫妻の、旦那の方が趣味であちこちから揃えた美酒だ。マチルダも酒好きなので、どこにあるどんな酒かはラベルを見ればすぐにわかる。
この店は、ごく限られた者しか知らない薬問屋。この衝立てからこちらは、夜は旦那が知人を呼んで酒盛りをする場所に変わる。
――――しばらく無言の時間が流れ、
ガランガラン!
派手に呼鈴がなった。
「ババア、薬をくれぇ、金は用意した!」
ダミ声と同時にバタバタと慌ただしく、駆け寄る足音。
「人にものを頼む態度じゃないね。ババアはないだろババアは」
「いいから!…………麗しき御婦人、いつもの薬を頼む!」
「はいよ」
そんなやり取りののち、ごくごくと飲む音がして、
「あ、ありがてえ。奴ら、体力回復の薬とかいって、だ、だましやがった。あああ、あいつはもうダメだ……ちくしょうが」
「うまい話に引っかかるからだろ」
「ああ、ああ、俺はそうはならねえぞ……ババア、また来る」
「ババアはやめろってんだろが」
ガランガラン、とけたたましい音を立て、男は去った。
「どう見る?」
「吃音、独特の匂い、それと‘体力回復薬’。……中期の薬物中毒者だな。おおよそ1年で抜ける。サボらなければな」
席を二つほど挟んだ向こうで、サーザイルがふっ、と笑う。マチルダもにやりとして、
「ふ、ふふふ、あんなに必死になって……無様だな。だが、嫌いじゃない」
誰かが、自分の生に必死でしがみつく様をみるのはな。
「……悪趣味だな」
サーザイルは呆れたように肩をすくめ、酒を飲み干すと席を立った。
「夫人、麻痺薬と麻酔薬を二瓶ずつ、くれ」
「あいよ。酒と一緒につけとけばいいかい」
「頼んだ」
ベルの音を鳴らさず、男は扉を開けて出る。それを見送ったマチルダも、酒の最後の一滴までしっかり味わって飲んだ後、同じく店を出た。
いつになく幸先が、いい。
と思ったのもつかのま、通りに出れば、何かがその足を止め、彼女は表情を曇らせた。首筋に走る、さざなみのような悪寒。
……膨大な魔力を持つエルフには、人でいう第六感のようなものが備わっている。そしてそれは、しきりに今、マチルダに訴えていた。
――――おかしい。DPA……ではないはずだ。会合の前にひと騒動起こそう、となんてするわけもなし。だとすれば、他の特等級か、もしくは……。
人目につかぬよう慎重に行動しつつ、まずは情報を得るため組合の総合まで向かい、周囲及び出入りの人の様子に変化がないのを確認して、それでも警戒は解かず中に入った。
入るとまず、噎せ返るような潮の匂い、そして見覚えのありすぎる魔力の残滓が目に飛び込んでくる。
鍛えられた軍人がそうするように、反射的に体が動き、すぐさま踵を返そうとするのを押し留め、受付までいくと、今日の担当が笑顔で手をあげた。
「あ、マチルダさん!お疲れさまです。このあいだ、ロロディアさんが探しに来ていたそうですよ。相変わらず彼らに愛されてますね!」
その瞬間、まわりにいた者たちの空気が凍りついた。
‘おいおい――いきなり逆鱗踏み抜きやがった’
今日の担当はステラ。事情通であれば、空気の読めなさで定評のある彼女が受付に立っていればまずぎょっとし、次に、また人手不足かよ、と腑に落ちる。
特等級は当然として、主な組合員である中級から上級冒険者たちも迷宮に潜るのが最優先。受付業務というのは持ち回りの押し付け合い――――というのは有名な話だ。
マチルダは一見普段と変わらず、むしろ笑みさえ浮かべ、
「――――悪いが、緊急の用事が入ってるんだ。これからすぐ、第四までいかなければならない」
「え、あんな乾燥地帯に……働きすぎは体に毒ですよー」
「緊、急の仕事なんだ!どっかの阿呆が尋ねてきても、私は第四で仕事をし、長く戻らないと伝えてくれ」
矢継ぎ早にそう言って、今度こそ彼女は踵を返し、組合を後にする。
‘―――最近働きづめだから、少しのんびりするつもりだ、と親しい相手には話してたらしい’
‘うわーマジで気の毒’
後にはひそひそと、噂話をする声だけが残っていた。




