君の出番は今じゃない
ライザールがパーティに合流してから数時間、一行は麓の森を抜け、ラウスピッツ山に足を踏み入れていた。
鬱蒼としていた木々が少しずつ減り、代わりにごつごつした岩が増えてくる。勾配もつき始め、小石混じりの地面は滑りやすく、歩きにくい。
しかも、カイルはあえて道が悪い場所を選んで進んでいるように見える。
「ねぇ、ここよりもあっちの方が歩きやすいと思うんだけど……」
ライザールは比較的平坦になっている場所を指しながらカイルに声を掛けた。
「その通りだが、こっちの方が安全なんだ」
カイルは振り返らずに答えた。
「安全? どうして?」
「考えてごらん。人が滅多に立ち入らない山に、土を踏み固めてできた道のようなものがある。不自然だと思わないかい?」
ライザールは少し考えて、カイルが言わんとしていることを察した。
「もしかして、あっちはモンスターの通り道ってこと?」
「正解」
「昨日からやたらモンスターと遭遇するなぁとは思ってたけど……そっか、俺そんなことぜんぜん考えてなかった」
「まぁ、君が遠慮なしに魔法を使っていたってことも原因だろうけどね。あれだけ派手に暴れれば、モンスターだって嫌でも集まってくるさ」
「う……」
「もちろん、こっちのルートも絶対に安全ってわけじゃない。このラウスピッツ山にはモンスターだけでなく、あらゆる危険が潜んでいるからね」
「危険って、たとえば?」
「たとえば、そうだな……」
カイルは周囲を見渡すと、赤い実がなっている近くの木を指さした。
「あの木になっている実が何か知ってるかい?」
「それくらいなら知ってるよ。『ヒトリの実』だろ。前に本で見たことある。酸っぱくて不味いけど、いざってときの非常食になるって書いてあった」
「ほう、その年齢で書物を読んでいるとは感心だね」
「へへっ、まぁね」
ライザールは得意気に鼻の下をこすった。
「けど残念。あれはヒトリの実じゃないんだ」
「へ?」
「あれは『マガトリの実』といってね、強い毒性のある実なんだ。見た目がヒトリの実にそっくりだから、知らなければまず見分けがつかない。で、知らずに食べるとたちまち痺れて動けなくなる。マガトリの実は胃に入ると強烈な匂いを発するから、それに釣られてモンスターがやってくるって寸法だ。ちなみに俺も昔、知らずに食べて死にかけたことがある」
「それでどうやって助かったの?」
「彼のおかげさ」
そう言ってカイルは後ろから付いてきている大柄な戦士に視線を向けた。
「リアムが動けなくなった俺を背負って街まで運んでくれたんだ。俺ひとりだったら間違いなく死んでたよ」
ライザールはごくりと唾を飲み込むと、ポケットに手を突っ込んで中に詰め込んでいたヒトリの実――もといマガトリの実を地面に投げ捨てた。
それを見たカイルがほっとしたように息を吐く。
「食べてなくてよかったよ」
「どうやら命拾いしたみたい……」
もしヒトリの実が甘くておいしい実だったら、間違いなく一個つまんでいたであろうライザールは心の底から安堵した。
「けど、そんな木の実があるなんて初めて知った……」
「マガトリの実は発見されてからまだそんなに時間が経ってないからね。記載されている書物自体が少ないんじゃないかな」
「そっか……」
「いいかい、ラウスピッツ山は植生そのものが普通の山とは違うんだ。さっき君を襲った腐樹みたいなモンスターだけが脅威じゃない。この山はあらゆる手を使って人を殺しにくる。魔の山と呼ばれる所以さ」
「……よくわかったよ」
ライザールがそう答えた直後だった。
ずしんずしんという地響きが遠くから聞こえてくる。しかも、音は徐々にこちらに近づいているようだった。
「言ってるそばから、だな」
カイルは肩をすくめた。
「結局、どこを通ってもあんまり変わらなかったね」
「ままならないのが人生さ」
カイルはそう嘯くと、後ろの仲間に素早く合図を送った。
一行は素早く近くの岩陰に身を潜める。
やがて姿を現したのは、サイのような見た目をした四足歩行のモンスターだった。体長は五メートル近くある。体色は灰色で、体毛がないことから岩山を彷彿とさせる。鼻の先端から生えた長く鋭い角は、人間などいとも容易く串刺しにできるだろう。
「ひょっとして、あれが炎角のラガン?」
ライザールは小声でカイルに問いかける。
「いいえ、あれはラガンではありませんよ」
そう答えたのはヨネサンだった。
「同じザルド種ではありますが、ラガンはあれよりもふた回り以上は大きいはずです。おそらく縄張りに侵入してくる外敵を追い返すための見張り役みたいなものでしょう。そろそろラガンの縄張りに近づいてきたというなによりの証拠ですよ」
「それにしても、ずいぶんとごつい見た目をしてるなぁ」
「ザルドは大型種に分類されていますからね。あれでも大型種の中では小さい方です。ただし、危険度は変わりません。特にザルドの皮膚はとても硬いので、中途半端な攻撃魔法では傷ひとつ付けられないでしょう」
「だったら俺に任せてよ。俺の火球魔法なら一発で吹き飛ばせるから」
ライザールは手のひらに拳を打ち付けたが、「まぁ待て」とカイルに肩を掴まれる。
「君の出番は今じゃない。――ヨネサン、頼む」
ヨネサンは「承知しました」と答えると、岩陰から出て魔法の詠唱を開始した。
当然、ザルドがこちらに気付き、牛のような低い鳴き声をあげながら突進してくる。鈍重そうな見た目に反してかなり速い。このままでは魔法が発動するよりも先にザルドの突進を喰らってしまうだろう。
だが、ヨネサンは焦るどころか、ゆっくりと詠唱を続けている。
カイルもまったく動揺する素振りを見せない。
「ちょ、ちょっと――」
焦るライザール。
その横を大柄の戦士――リアムが駆け抜けていった。彼はそのままパーティの前に出て盾を構える。正面からラガンの突進を受け止めようというのだ。
「いや、いくらなんでもそれは無茶だって!」
体重差を考えれば勝負にすらならない。軽く吹き飛ばされて終わりである。
「いいから、黙って見てるんだ」
カイルの声は冷静そのものだった。
直後にザルドの角とリアムの盾が凄まじい衝撃音と共にぶつかり、火花を散らせた。
吹き飛ばされこそしなかったものの、リアムの身体は土煙をあげながら後ろに押し込まれていく。
このままだと踏み潰される――ライザールは最悪な未来を想像した。
だが、ザルドの突進は徐々に弱まり、やがて完全に止まった。
「……うそでしょ?」
信じられない光景だった。人間が大型種の突進を止めたのだ。盾を構えたまま立ち尽くすリアムの姿は、まるで大地に深く根を下ろした大樹のようだった。
その間にヨネサンの魔法が完成していた。
白い霧がザルドの頭を包み込み、目や耳、そして鼻から体内に吸い込まれていく。
数秒後、ザルドの巨体がぐらりと揺れ、横倒しに倒れた。そしてそのまま穏やかな寝息を立て始める。
ヨネサンが唱えたのは『眠りの魔法』だった。
術式魔法の中でも最も基礎的な魔法である。
本来、眠りの魔法は興奮状態の相手には効果が薄く、ちょっとした刺激――それこそ倒れたときの衝撃で目を覚ましてしまう程度の浅い眠りにしかならない。ゆえに戦闘中では一瞬の隙を作る目的くらいでしか使われない。
だが、目の前のザルドは完全に熟睡していた。
いかに頑強なモンスターでも、眠っているときは無防備になる。今ならば簡単にとどめを刺せるだろう。
ところが、カイルをはじめパーティの誰もそれを実行に移そうとはしなかった。それどころか眠れるザルドを無視して行軍を再開しようとしていた。
「ちょ、ちょっと! とどめを刺さないの?」
戸惑うライザールに、カイルは頷き返した。
「ここで下手に殺してしまうと、血の匂いで他の個体を呼び寄せてしまう危険性があるからね」
「でも、目を覚ましたら追っかけてくるかもしれないじゃん」
「その心配はないよ。ヨネサンの眠りの魔法は他とは一味違うから」
カイルは自信満々に言い切ると、さっさと背を向けて行ってしまった。
「……どういうこと?」
ライザールは魔法を使った張本人に視線をスライドさせた。
「別に特別なことはしていませんよ。カイルが大げさに言ってるだけです」
ヨネサンは澄まし顔で答える。
「強いて言うなら対象の特性や体質などに合わせて術式を組み上げていることくらいですかね。これはモンスターに限った話ではありませんが、動物は眠る時に体温が下がります。ザルドのような大型種は熱が外に逃げにくいので、術式の中に体内の熱を奪うデバフ効果を混ぜて魔法を効きやすくしたんですよ。たぶん蹴っ飛ばしても目を覚まさない程度には深い眠りに落ちているはずです」
「……」
「そんなに心配しなくても、ああして無防備に眠りこけていれば、そう遠からず他のモンスターの餌食になるでしょう。なんと言ってもここは魔の山ですから」
ヨネサンはそう言うと、カイルの後を追って歩き出した。
ライザールは呆然とその背を見送る。
ヨネサンがやったことは簡単そうに思えて、実はかなり高度な技術を要する。相手の特性を見極め、それに合わせた術式を瞬時に構築するなど、綱渡りをしながら計算問題を解くようなものだからだ。
魔力の強さだけを見れば、ヨネサンのそれは自分の半分にも満たないだろう。だが、おそらく自分ではああも完璧にザルドを眠らせることはできない。術式の構築技術において、ヨネサンは自分を遥かに上回っていた。
すごいのは彼だけではない。
大型モンスターの突進を止めて五体満足でいるリアムもまた普通ではなかった。身に着けている装備品に強い魔力が付与されていることを差し引いたとしても、ありえない頑強さである。本当に人間なのか疑わしいくらいだった。
(この人たち、すごい……)
ライザールは自分の能力に絶対の自信があった。
だが、出会って間もない冒険者パーティに驚かされてばかりだった。
カイルの知見。リアムの頑強さ。ヨネサンの技術。他にもダイアナの癒しの力に、シェルファの精霊魔法……。そのどれもが自分にはないものばかりで、しかもひとつひとつのレベルが高い。
彼らと一緒なら炎紋草を手に入れられるかもしれない。
希望の光がライザールの胸の内で輝きを増していく。
同時に、抑えきれない興奮が全身を震えさせた。
「これが、冒険者……」
そう呟くライザールのすぐ横を、エルフの少女シェルファが「ふふん」と鼻を鳴らしながら通り過ぎてゆくのだった。




