むかつく野郎だ
カイルのパーティが炎角のラガンを討伐してから二年……レニゴール領は魔神出現以来となる未曽有の危機に陥っていた。
その原因となったのは、一体の霜の巨人だった。
突如としてラウスピッツ山に現れたその巨人が、瞬く間に周辺の大型モンスターを駆逐し、新たなる山の王として君臨したのである。
それまでモンスター同士の縄張り争いで辛うじて保たれていた平穏は脆くも崩れ去り、たびたび下山してくる巨人によって、わずか一か月のうちに五つの村が壊滅した。
さらに、巨人が操る冷気は周辺の気候に影響を及ぼすほどで、領内は季節外れの冷害に悩まされた。
事態を重く見た領主メリッサンは、多額の報奨金を提示して冒険者達に霜の巨人の討伐を呼びかけた。
だが、討伐に赴いた者達は巨人の力の前に成す術なく返り討ちに遭い、誰ひとり戻らなかった。
霜の巨人は、その圧倒的な強さと脅威度から、『ガジール(古代王国語で『暴君』の意)』と呼ばれるようになった。出現からわずか数か月という異例の早さでの名前付き認定である。
当然、ガジールの討伐要請はカイルのパーティにもあった。
だが、カイルはすぐに動こうとはしなかった。
結成して七年。飛ぶ鳥を落とす勢いで名を上げてきたカイルのパーティは、今や領民にとってモンスターの脅威から街を守る最後の砦という扱いになっていた。
だからこそ、失敗は許されない。
ガジールの強さは、それまで戦ってきた大型モンスターとは一線を画している。
だから勝つための算段が整うまでは絶対に戦わない。慎重に情報を集め、入念に作戦を練り、ぎりぎりまで準備に時間を費す。
その間、犠牲者は増え続けたが、カイルは鉄の意思でそれを貫いた。
だが、出現から半年。定期的にやってくる人間どもに怒りが頂点に達したのか、ガジールはついにレニゴールの街を標的と定めて動き出した。
迎え撃った騎士団は奮戦むなしく敗北し、街の命運はカイルのパーティに託された。
カイルはレニゴールの街から目と鼻の先にある平原を決戦の地と定め、ガジールに戦いを臨むことになったのである。
「き、来ました、ガジールです!」
遠視の魔法で周辺の警戒をしていたヨネサンが上ずった声で叫んだ。
「あれがガジールか……なるほど、噂以上にやばそうな見た目をしてやがるな」
同じく遠視の魔法を使っていたイスタリスは顎の無精髭を撫でながら呟く。
霜の巨人ガジール……。
大きさはゆうに十メートルを超えているだろう。薄青白い肌に覆われた肉体は筋骨隆々で、巨大な氷の塊を削って作った彫刻を思わせる。
暴力という言葉を具現化したら、こんな生物になるのではないか。その完成された造形美は、モンスターだとわかっていても思わず見惚れてしまう不思議な魅力があった。
「よし、みんな配置につけ!」
カイルの指示で、メンバーが所定の位置に散っていく。
パーティの存在に気付いた巨人が、地響きを立てて近づいてくる。凄まじい冷気のせいで、足を一歩踏み出すごとに周囲の大地が白く染めあげられていく。
「大丈夫だ。いつも通りにやれば問題ない」
カイルのその言葉は、どちらかというと自分自身に向けられているようにイスタリスには感じられた。
「いくぞ、戦闘開始だッ!」
合図と同時に、後衛の魔法士たちが一斉に魔法の詠唱を開始する。
「――炎を司る精霊よ、我が声に応え、凍てつく風から皆を守れ!」
シェルファが両手を広げ、精霊にしか伝わらない言葉で呼びかけた。
願いを聞き届けた炎の精霊が、見えざる膜となってパーティを包み込む。
すると、それまで感じていた刺すような冷気がまったく気にならなくなった。
精霊が発揮できる力は術者の力に依存する。二年前と比べ、シェルファの実力は飛躍的に向上していた。
そしてそれは他のメンバーも同様だった。
リアムが盾を打ち鳴らしながらガジールの前に立ちはだかる。
盾に掛けられた魔法の効果によって、巨人の憎しみは、不快な音を打ち鳴らす戦士に強制的に向けられた。
岩石のような拳が頭上から降り注ぐ。
その強烈な一撃を、リアムは正面から盾で受け止めた。鈍い金属音が響き、一瞬遅れて衝撃波が周囲の雪を吹き飛ばす。
拳を防がれたガジールの動きが一瞬止まる。
そこへ走り込んできたカイルの剣が巨人の踵を切り裂いた。魔力を帯びた刀身の一撃は腱にまで達し、巨人の姿勢を崩すことに成功した。
「死ねやッ!」
間髪容れずに放ったイスタリスの火球魔法が、巨人の胸辺りに炸裂する。
爆発の勢いに抗しきれずに、ガジールは地響きを立てて仰向けに倒れた。
リアムが防ぎ、カイルが崩し、イスタリスが仕留める。対大型モンスター戦におけるパーティの常套戦術だった。
「畳みかけろッ!」
カイルの鋭い指示が飛ぶ。
「言われるまでもねぇ!」
イスタリスは精度を無視し、威力重視で火球魔法を連発した。
ガジールを中心に無数の爆炎が巻き起こる。熱で溶けた雪が蒸気となって噴き上がり、周囲に白い壁を作っていく。
「はぁ……はぁ……」
イスタリスは腰のポーチから魔力回復ポーションを取り出し、一気に飲み干した。
これまでに戦ってきた大型モンスターは今の一連の攻撃で大抵は倒せた。
とはいえ、さすがに名前付き認定された巨人をこの程度で仕留められるとは思っていない。
案の定、白い霧の中から姿を現したガジールは、まるで何事もなかったのように立ち上がり、再びリアムに襲い掛かった。
まったくの無傷というわけではない。皮膚は爛れ、肉は焦げ、深く抉れた傷口からは白いものまで覗いている。むしろ重傷といっていい状態である。
それでもガジールは、傷など関係ないと言わんばかりに血をまき散らしながら暴れ続ける。とんでもない狂戦士ぶりだった。
「バケモノめッ!」
イスタリスは立て続けに火球魔法を放った。
爆発の度に巨人は苦痛の呻き声を上げ、激しく身を捩る。
攻撃は間違いなく効いている。
だが、死なない。
それどころか巨人の怒りに比例するかのように吹雪がどんどん激しくなっていた。触れるもの全てを凍り付かせるほどの冷気に、体力と体温が際限なく奪われてゆく。
「おい、精霊の加護はどうなってる! さっきからちっとも効いてねぇぞ!」
イスタリスはシェルファに向かって叫んだ。
「ちゃんとやってるわよ! けど、こんなの精霊の力だけで全部防げるわけないでしょ!」
「ダイアナ、もっと離れろ! そこじゃ凍結攻撃に巻き込まれる!」
前線からカイルの指示が飛ぶ。
「無理よ! これ以上離れたらリアムに魔法が届かなくなる!」
やがて彼ら声は暴風に掻き消され、ほとんど聞こえなくなった。
それまで完璧だったパーティの連携に綻びが生じ始める。
準備は万全だった。
戦術も間違っていない。
ガジールのタフさが想定を大きく上回っていただけだ。
しかし、その「たったそれだけ」があまりにも致命的だった。
戦闘が長引いたことで、大量に用意してきた魔力回復ポーションは底を尽いた。それ以前に体力と気力が限界に近い。
このままでは負ける――。
イスタリスの脳裏に敗北の二文字がちらつく。
と、その時だった。
唐突に巨人がこちらに背を向けた。
足元を見ると、それまで足を止めて戦っていたリアムが、パーティからガジールを遠ざけるように移動しながら挑発を繰り返していた。
その行為には大きな代償が伴う。移動しながらでは不完全な体勢でガジールの攻撃を受けねばならず、大ダメージを負う可能性が高いからだ。
カイルの指示――ではない。
リアムは自らの意思でそうしている。
その意図に、イスタリスは気付いた。
パーティが撤退するチャンスを作ろうとしているのだ。
仲間のために自らを犠牲にして……。
「相変わらず、むかつく野郎だ!」
イスタリスはそう吐き捨てると、残った魔力を一点に集中させる。
ガジールが離れたことで冷気が弱まり、わずかに余裕ができていた。
巨人の無防備な背中が見える。
いくら変異種の巨人でも不死身ということはありえない。
心臓を貫けばどんな生物だって死ぬ。
その好機が目の前にあった。
イスタリスはかつてないほどの集中力で、渾身の圧縮爆裂弾を完成させた。
それを巨人の背に向かって放つ。
回避不可能な閃光が空を切り裂き、ガジールの背中を刺し貫いた。
大地を揺るがすほどの凄まじい咆哮。
だが、巨人は倒れなかった。
おそるべき生存本能とでもいうべきか、ガジールは被弾の直前に身体をわずかに傾け、急所への直撃を避けたのだ。
「クソが……」
今の一撃で魔力は底を尽いた。
もはや巨人を倒す術は残されていない。
後は一方的に蹂躙され、全滅する未来が待ち受けているだけ……。
ところが、巨人はまるで時が止まったかのように眼下にいるリアムを睨みつけたまま動こうとしなかった。
にわかに訪れた静寂の時間。
……やがてガジールは威嚇するように低い呻き声を発すると、ゆっくりと後退を開始した。
よく見ればガジールの全身にはおびただしい傷があり、足元もおぼつかない。満身創痍なのは奴も同じだったのだ。
「――逃がすものかッ!」
巨人を追おうとするカイルを、イスタリスは羽交い締めにして止めた。
「離せッ!」カイルは叫びながら強引に進もうとする。
「ばかやろう! 周りをよく見ろ、これ以上は無理だ!」
その言葉に、カイルははっとして周囲を見た。
ダイアナは膝をついたままぴくりとも動かず、ヨネサンとシェルファは地面に突っ伏すように倒れていた。魔力と気力を使い果たして意識を失っているのだ。
イスタリス自身、手足の感覚がほとんどなかった。おそらく壊死一歩手前だろう。後衛の自分ですらこうなのだから、前衛のカイルやリアムはもっと酷い状態に違いない。
しかも、あのおそるべき巨人は、ただ凶暴なだけのモンスターではない。引き際を心得た戦士だ。この状態で追撃したところで返り討ちに遭うのが関の山だった。
「……頭を冷やせ。巨人は追い返したんだ。ここいらが引き時だ」
その言葉に、カイルはようやく力を抜いた。
ガジールの姿が吹雪の向こうに消え、やがて完全に見えなくなった。
戦いは終わったのだ。
望んだ結末とは違う形で……。
「くそッ!」
カイルが地面を蹴りつける。
彼にしては珍しく感情をむき出しにしていた。受けた依頼はガジールの討伐である。撃退しただけでは任務達成とはならない。
これまでも苦戦や一時的な撤退は何度かあったが、どんな困難に直面しても最終的には必ず依頼を達成してきた。
あるいはカイルにとって、これが初めての挫折なのかもしれなかった。
「このままじゃダメだ……」
絞り出すようなカイルの声は、しばらくの間イスタリスの耳に残り続けた。




