そう思うならやってみな
強大な魔力の波動を感じ、イスタリスは慌てて防御体勢に入る。
が、すでに手遅れだった。
「くっ!」
体内にケーネイアの魔力が侵入してくる。なんの魔法かわからないが、防げなかった時点で敗北は決したようなものだった。
魔神の細胞が他者の魔力を拒絶し、暴れ始める。
熱した鉄の棒で腹の中をかき回されるような激痛に、イスタリスは浮遊魔法を維持できずに落下した。地面に激突する寸前になんとか受け身を取ったが、背中をしたたかに打って悶絶する。
「無様だな、イスタリス」
すぐ傍からケーネイアの冷たい声が聞こえてきた。
身体が動かせない。おそらく魔力で対象の動きを封じる拘束魔法だろう。
エルフ特有の細くしなやかな指先が、みぞおち辺りを無遠慮に這いまわる。
不快感よりも恐怖が勝った。かつて全身を切り刻まれた実験の日々がまざまざと脳裏に蘇り、イスタリスは頭が真っ白になった。
「……ふむ、私が施した術とは異なるな。かなり丁寧に歪みを抑えるための術式が編まれている。ラスティンではないな……わずかだが精霊の力も感じる……お前の仲間の仕業か?」
「――ッ!」
仲間――その一言が正気を取り戻させてくれた。
イスタリスは返事の代わりに、死に物狂いで体内の魔力を爆発させ、自身を拘束していた術を打ち破った。そして思いきり腕を振りほどき、転がるようにして距離を取る。
意外なことに、ケーネイアはあっさりと解放した。
「前言を撤回しよう。イスタリス、お前はなにも変わっていない。かつて家族を失ったときのように、誰も守れず、ただ大切なものが失われる様を見ていることしかできない哀れで無力な存在のままだ」
「……かもな」
「だが喜べ。お前が再び私の実験体となるのなら、もっとマシな力を与えてやろう。あの頃よりもさらに知見が深まったからな」
「断る。誰が二度もてめぇの世話になんぞなるかよ」
一切の迷いなく、イスタリスは突っぱねた。
「そうか……ならばそこで仲間が殺されるところを指を咥えて見ているがいい」
「もしあの連中に手を出すなら、俺はこの場で、てめぇを殺す」
ケーネイアは失笑した。
「言ったはずだ。お前では不可能だと」
「そうでもねぇさ。自分の手をよく見てみな」
それでケーネイアも気付いたようだった。いつのまにか彼の指先から黒い瘴気のようなものが立ち込めていることに。
「……呪い、か」
「不用意に俺の身体に触れたのは失敗だったな。俺が死ねば、てめぇも死ぬ。そいつはそういう呪いだ。前に『死の刻印』を使うガラルハインとやり合ったことがあってな。そいつから着想を得た、俺のオリジナルだ」
好奇心の塊のようなケーネイアならば、かつての弟子の状態を確認するために、どこかのタイミングで必ず身体に触れてくる。イスタリスはそう踏んで、ここに来る前に触れたら発動する呪いを全身に仕込んでおいたのである。
体内にある魔神の細胞がそれを可能にしてくれたのだから、ケーネイアへの意趣返しとしてこれ以上のものはないだろう。
死中に活を求めるやり方は好みではなかったが、それくらいの覚悟がなければこのバケモノは止められない。
だが、呪いを受けた当人は微塵の焦りも見せていなかった。
「愚かな……。お前ごときの呪いで私を殺せると本気で思っているのか?」
「呪いの強さは代償の大きさで決まる。そいつは俺の命を懸けた呪いだ。いくらてめぇでも、一度呪いが発動すればただじゃ済まねぇはずだ」
「くだらんな。お前を拘束してからゆっくり解呪すればいいだけの話だ」
「そう思うならやってみな」
イスタリスは腰から短剣を引き抜き、刃先を自身の首に向けた。
「てめぇが術を発動するより先に俺が死ねば、その時点で呪いが発動する。よく考えるんだな。ここでそんなリスクを負う必要が本当にあるのか?」
「……」
「てめぇが引けば、俺は呪いを解く。単純な取引だ」
ケーネイアは美しい顔をわずかに歪ませ、押し黙った。
張りつめた沈黙が場を支配する。
これは賭けだった。
ケーネイアは稀代の魔法士だ。たとえ命を賭した呪いであっても、命を奪える可能性は限りなく低い。そんなことはケーネイアも理解してるだろう。
それでもイスタリスは信じていた。
呪いの強さではなく、ケーネイアという男との本質を。
才能に恵まれ過ぎた小心者――。
ケーネイアはなによりも自分の保身を優先する。たとえ可能性が低くても、ほんのわずかでも死の匂いを嗅ぎ取ったなら、必ず踏みとどまる。そうするだけの理性と計算高さを持ち合わせている。誇りや欲望よりも、生存本能を優先する。
その点だけは信用できた。
やがて、小さな舌打ちが聞こえてきたことで、イスタリスは自分が賭けに勝ったことを確信した。
「……いいだろう。今日のところは引いてやる」
ケーネイアはそう言うと、地上にいる息子を見た。
「どのみち実が熟すには今しばらくの時が必要のようだしな」
「負け惜しみはいいから、さっさと消えろ」
イスタリスはこれみよがしに短剣を首筋にあてた。
それを見たケーネイアは薄く笑うと、転移魔法を詠唱し、次元の裂け目へと姿を消したのだった。
危機は去った――そう認識した途端、イスタリスはその場に膝をついた。凄まじい疲労感に襲われ、とても立っていられなかった。
「くそが……」
今さらになって悔しさが込み上げてくる。
ただひたすらに強さを求めて生きてきた。
望んだとおりの力を手に入れたつもりだった。
だが、ケーネイアにはまったく通用しなかった。今なら同じ地平に立てるかも、という期待は甘い幻想に過ぎなかったのだ。
自信は粉々に打ち砕かれ、代わりに無力感が全身を満たしている。
それでも、落ち込んでいる場合ではなかった。なんとか追い返すことに成功はしたが、根本的な問題はなにも解決していないからだ。
ケーネイアの息子……名はたしかライザールだったか。
どういう流れで炎角のラガンと戦闘になったのかは知らないが、普段のカイルならば、メンバー以外の人間を戦闘に参加させるような真似は絶対にしない。
あの少年を戦力として扱ったということは、近い将来、パーティに加入させる腹積もりなのだ。実際、あの年齢で頑強なザルド種――それも変異種をほとんど一撃で倒してしまったのだから、少年の魔法の才は相当なものだ。
もちろん、いくらカイルでも十二歳の子供をいきなりパーティに加入させたりはしないだろう。それでも唾くらいはつけておいてもおかしくない。カイルはそういう男だ。
去り際の口ぶりからして、ケーネイアがそう遠くない将来、再び少年のもとに現れるのは間違いない。あの少年がどうなろうが知ったことではないし、むしろパーティ加入前にいなくなってくれた方がありがたいまである。
だが、もしパーティ加入後に現れたら?
イスタリスはゆっくりと立ち上がると、浮遊魔法を詠唱し、宙に浮かび上がった。
遠目に小さな人の輪が出来上がっているのが見えた。
その中心で、赤毛の少年が弾けるような笑顔を浮かべている。
そして少年を囲う仲間たちの表情には、ただ保護対象が無事だったことを喜んでいる以上の感情が混じっているように見えた。
イスタリスはふと、自身の体質のことを彼らに話したときのことを思い出した。
解雇を覚悟で告げたはずが、彼らの反応は真逆だった。
揃いも揃って、まるで我がことのように躍起になって解決に奔走しだしたのだ。
最初に知ったダイアナは言うに及ばず、カイルは取り寄せる書物に医術や呪いに関するものが増え、ヨネサンは実家の伝手を使って手に入れた薬品や魔道具を惜しみなく提供してきた。普段ほとんど関わりのないシェルファでさえ、文句を言いながらも精霊魔法を使って術式の歪みを矯正しようとしてくれた。
後遺症を完全に克服するには至っていないが、今もなお生きながらえているのは、間違いなく彼らのおかげだった。
別に頼んだわけではない。玄関の戸を固く閉ざしていても、裏口から勝手に入り込んでくる。そういう連中なのだ。
だからこそ、あの少年に危機が迫れば、間違いなく守ろうとする。仮にケーネイアの脅威を伝えたところで、彼らが考え方を改めるとは到底思えなかった。
ならばどうするべきか。
「ったく、めんどくせぇ」
とりあえず今回の件はカイルに話そう。
イスタリスはそう決めた。
気はすすまないが、ひとりですべてを抱え込む必要はない。
忠告はする。当然、反対だということも伝える。その上であの少年をパーティに加えると言うのなら、好きにすればいい。
自分が成すべきは、次にケーネイアと対峙する時までに対抗手段を用意しておくことだ。それがどれだけ難しいか、少し考えただけでも気が滅入るが。
ただ、かつての自分だったらこんな考えには到底至らなかっただろう。これもあのお人好し連中と一緒にいた弊害なのかもしれない。
「とりあえず帰るか……」
イスタリスは浮遊魔法を操り、夕日で茜色に染まりつつある南の空へと進路を取った。
パーティに合流する気にはとてもなれなかった。むしろ見つかると色々と説明が面倒なので、そうなる前にさっさと立ち去るに限る。
今はただ、宿舎のベッドにもぐりこんで泥のように眠りたかった。




