吠え面かきやがれ
荒れ狂う上昇気流が大地の瘴気を吸い上げ、ラウスピッツ山の上空を灰色に染め上げる。生物が五分と留まっていられないであろう死の空……。
目的の人物は、そこにいた。
ラウスピッツ山の上空は姿勢を制御するだけでも困難を極める。だが、男はまるで足元に地面があるかのように姿勢が乱れない。
イスタリスは浮遊魔法を唱え、ゆっくりと高度を合わせてゆく。
とうにこちらの接近に気付いているだろうに、男は天空にいる神のごとく静かに地上を見下ろしたままだ。その視線の先にいるのが己の息子であろうことは疑いようもなかった。
「高みの見物とはいいご身分だな」
そう声を掛けると、かつての師――ケーネイアはようやく振り向いた。なんら感情の揺らぎを感じさせない氷のように冷たい目は、昔となんら変わっていない。
「誰かと思えば……なるほど、さっきの魔法はお前の仕業か。わざわざこんなところまで何の用だ?」
「おいおい、弟子が師に会いに来るのに理由なんていらねぇだろ」
その言葉に、ケーネイアの眉がわずかに上がる。
「ほう、そんな冗談を口にできるようになったか。共にいた頃に比べて随分な変わりようだな。これもラスティンの教育の賜物か?」
「知らねぇよ。それよりもてめぇに話がある」
「私はお前になど用はない。さっさと去れ」
ケーネイアは追い払うように雑に手を振ると、ゆっくりと移動を開始する。
その進路上にイスタリスは立ち塞がった。
「……なんのつもりだ?」
「そっちに用がなくてもこっちにはあるんだよ。てめぇがあのガキをどうしようが知ったことじゃねぇが、今は手を引け。ほっといてもあの連中はあのガキをラスティンに引き渡す。接触するならそれからにしろ」
「ラスティンに頼まれたのか?」
「ちげぇよ。あいつは関係ねぇ」
「ならば引っ込んでいろ。それとも、私が息子と会うことを止める権利がお前にあるとでも言うのか?」
「そんなものはねぇし、止めるつもりもねぇ。ただ、今は手を引けと言ってるんだ」
「随分と熱心ではないか」
ケーネイアの視線が地上にいるカイルたち方へと向けられる。
「あの冒険者連中はお前の知り合いか?」
イスタリスは答えなかった。
が、その沈黙は正解だと告げているようなものだった。
「なるほど、そういうことか。まさかお前がな……本当に変わったようだな」
ケーネイアは初めて表情を崩し、声を出して笑った。
そのあからさまな嘲笑に、イスタリスの中で怒りが一気に膨れ上がる……が、ぐっと堪えた。魔法士同士の戦いは冷静さを失った方が負ける。ケーネイアと過ごした二年間で学んだことだった。
ケーネイアは笑いを収めると、再び視線を地上へ向けた。
「お前の仲間、なかなかの逸材揃いではないか。特にあの盾を持った男……かつて私が魔神と戦った際にパーティを組んでいた戦士に匹敵する頑強さだ。実に素晴らしい」
イスタリスは耳を疑った。ケーネイアが他人を称賛することは滅多にない。それほどまでにリアムの戦いぶりに感銘を受けたのだ。
もっとも、そんなことは言われるまでもないことだった。イスタリスは盾役としてのリアムを誰よりも高く評価しているのだから。
「――だが、いかに優れた戦士だろうと、私の邪魔をするなら殺すだけだ」
ケーネイアはそう宣言し、再び滑降を始める。
「それ以上進むんじゃねぇ!」
両手を広げて立ち塞がるイスタリス。
それを見て、ケーネイアは鼻で嗤った。
「やめておけ。天地が逆転しようが、お前では私に勝てん」
「ならさっさとかかって来いよ。それともビビってんのか?」
「……どうやらしばらく会わぬうちに私の恐ろしさを忘れてしまったようだな、不肖の弟子よ」
ケーネイアの声に冷気が帯びる。
彼は昔から自身の身の安全や立場を守るために様々な制約を課している分、個人の力を行使してもよい状況になると簡単にタガを外す。
今がまさにその状況だった。
だが、イスタリスに動揺はなかった。
こういう展開になるであろうことは予想していた。
いや違う。
対峙してはっきりとわかった。
自分は最初からケーネイアと戦うことを望んでいたのだ。
捨てられたあの日から、ずっと。
細かい理屈をすべて取っ払ってしまえば、結局のところ屈折した感情の行き着く先は『この男を認めさせたい』という一点に集約しているというだけの話だった。
イスタリスは大きく息を吸うと、両手を後ろに回し、高速で呪文を詠唱する。
左手に魔力の矢を発現させ、さらに魔力を操って圧縮する。そして同時進行で右手に爆裂魔法の詠唱も行う。
圧縮爆裂弾……その名のとおり、圧縮した魔力の塊を高速で標的にぶつける魔法だ。
かつてジェノキャスを破壊したこの魔法を、ヨネサンの協力で実戦向きに改良し、五年間で磨き上げた。ちなみに命名はイスタリスではなくヨネサンである。
ラウスピッツ山の上空、それも浮遊魔法を維持しながらでも、イスタリスは完璧に制御してみせた。
極限まで圧縮された魔力の塊がバチバチと音を鳴らす。
ケーネイアは口元に薄い笑いを浮かべたまま動かない。
お前の力を見せてみろ――目がそう言っていた。
その傲慢さが命取りになるとも知らずに。
この魔法は一瞬で標的を貫く。たとえ世界最強の魔法士だとしても、見てからの回避や防御では絶対に間に合わない。
(吠え面かきやがれッ!)
イスタリスは左手を前に突き出し、間髪容れずに右手の爆裂魔法を叩きつけた。
轟音と共に閃光が炸裂する。
次の瞬間、魔力の塊はケーネイアの胸を寸分違わず貫いた。
ケーネイアは声すら発さず、ただ信じられないという表情で自身の胸に開いた穴を凝視している。
が、イスタリスはすぐに違和感に気付いた。
傷口から血が一滴も出ていないのだ。
「イスタリス、愚か者よ」
その声はすぐ後ろから聞こえてきた。
「魔力を圧縮して高速で撃ち出す、か。随分と小器用な真似をするようになったではないか。もっとも、愚鈍なモンスターには通用しても、この私には通用しないがな」
ぱちんと指を鳴らす音と共に、イスタリスの目の前にいるケーネイアが細かい粒子となって宙に霧散した。
「幻覚……いつのまに……?」
「最初からだ」
ケーネイアは勝ち誇ったように笑みを浮かべる。
「お前は昔から自身に影響を及ぼす魔法への警戒心は人一倍強いが、その反面、相手の観察を疎かにしがちなのだ。だからこんな単純な手にも引っ掛かる」
「……ッ!」
完全にしてやられ、イスタリスは歯噛みする。ケーネイアが双極の魔法使いと呼ばれていることを今さらながらに思い出した。
ケーネイアが使ったのは、ただの幻覚魔法ではなかった。上空の視界の悪さを利用し、さらに風の精霊を使って声まで再現するという、おそろしく手の込んだ仕込みがなされていた。術式魔法と精霊魔法を併用した複合技……それだけの手間暇をかけて、ただ相手を騙すだけ。まさにケーネイアという男のすべてが詰まった魔法だった。
むろん、注意深く魔力を探っていたら気付けたはずだが、そうさせないためにわざわざ舌戦を仕掛けてきたのだろう。
――魔法は単なる破壊の手段ではない。敵を欺き、不意を突く。その状況を作り出すための手段こそが魔法なのだ。
かつてケーネイアに言われた言葉が、敗北感と共にイスタリスの脳裏に蘇る。
「さて、気は済んだだろう。今度はこちらの番だ」
その宣言と共に、ケーネイアの呪文が発動した。




