そういうのは後にしよう
大型モンスターには、見た者にある種の神秘性を抱かせる何かがあるという。
ライザールは初めてその獣を見た時、不覚にも見惚れてしまった。
ザルド種は昨日も見たが、崖の上に佇むその巨獣は、まったく別の生物に見えた。
甲冑を纏っているかのような分厚い皮膚と屈強な四肢。そして鼻先から鋭く伸びる太い角。目を赤く光らせこちらを見下ろす姿は、まさに王者の風格を備えた獣の王そのものだった。
「あれが炎角のラガンです」
ヨネサンが緊張をはらんだ声で言った。
「なんかものすごく怒ってるように見えるんだけど……」
「当然でしょう。こっちは縄張り荒らしですからね」
その通りだと言わんばかりに、ラガンが再び咆哮をあげた。そして前足を上げて宙を掻くと、派手に土煙をあげながら一気に崖を滑り下りてくる。その巨体からは信じられない身軽さだった。
「なにしてる、逃げるんだッ!」
カイルの声で全員が弾かれたように走り出した。
当然、ラガンも追いかけてくる。その巨体が一歩進むごとに大地が震える。振動が足元から腹まで響き、思うように真っ直ぐ走れないほどだった。
「みなさん、振り返らないでください!」
そう言うや否や、ヨネサンが足を止めて魔法を発動させた。
同時に光の爆発が起こり、世界が一瞬だけ白く染まる。
光をまともに浴びたラガンは「ブモォー」と低い呻き声を発しながら迷走し、そのまま岩壁に激突した。衝撃音と共に岩壁が崩壊する。岩塊が次々とラガンに降り注ぎ、あっという間にその姿を舞い上がる砂塵の中に覆い隠した。
「さぁ今のうちに――」
ヨネサンが言い終わるよりも先に、派手な音と共に瓦礫が吹き飛んだ。
ラガンはまるで何事もなかったかのように砂塵から出てくると、身体をぶるっと震わせ、再びパーティ目掛けて突進してくる。
「あれだけ派手に自爆したのに無傷かよ!」
しかも驚いたことに、ラガンの目は閉ざされたままだった。嗅覚か聴覚を頼りにこちらの位置を捕捉しているのだ。
怒れる巨獣が邪魔な木や岩を粉砕しながらぐんぐんと距離を詰めてくる。このままでは追い付かれるのも時間の問題だった。
「――ねぇ、なんでもいいから大声で騒いで」
いつの間にかライザールの隣を並走していたシェルファが声をかけてきた。
「なんで?」
「いいから言う通りにして!」
そう言うと、シェルファは走りながら手をかざし、聞きなれない言葉を囁き始める。
小鳥のさえずりのような高い音。それは呪文の詠唱というより、見えない何かに語り掛けているようだった。
すると突然、周囲から音が消えた。
ライザールは驚いて思わず「えっ!」と声を発したが、どういうわけか、その声はパーティがいる位置とはまったく別の場所から聞こえてきた。
『もっと!』
シェルファが口の動きだけでそう催促してくる。
ライザールはわけがわからないまま、とにかく喚き散らした。その声はすべて遠くから聞こえてくる。
ラガンはそれに釣られた。なまじ聴覚に優れているだけに、声のする方へと進路を変え、怒涛の勢いで走り去っていく。
一行はその隙に全力で逃げた。
ただ、さすがに永遠に走り続けることは不可能なので、途中で大きな岩の陰に隠れて呼吸を整える。
「ふふん、どう?」
シェルファが得意気に胸を反らした。
彼女が精霊魔法を使ったのだと、ライザールは遅れて理解した。おそらく風の精霊に周囲の空気の振動を止めさせて、さらにそれを別の場所で再現させたのだ。
「すごいけど、それって匂いも移せるの?」
「……それは無理」
「じゃあダメじゃん」
「うるさいわね、時間稼ぎにはなるでしょ!」
案の定、再び大地を揺さぶるような重低音が聞こえてくる。音は間違いなくこちらに近づいてきていた。
「執念深いやつだなぁ」
「まったくね。しつこい男は嫌われるのに」
「ラガンってオスなの?」
「さぁ?」
シェルファは興味ないとばかりに肩をすくめる。
そんな無意味なやり取りの間にも、ラガンの足音はすぐそこまで迫っていた。
「……カイル」
リアムの呼びかけに、カイルは「わかってる」と頷き返すと、パーティメンバーの方へ向き直った。
「みんな聞いてくれ。おそらくこのまま全員で逃げても逃げ切れない。だから二手に分かれる。俺とリアムでラガンを引き付けるから、他の皆はその間に下山してくれ」
「そんなのダメよ!」
ダイアナが蒼白になって叫ぶ。
「そうだよ。だったらみんなで戦おうよ!」
ライザールもそう主張したが、カイルは首を横に振った。
「ダメだ。目的を忘れるな。君は炎紋草を友達のところへ届けるんだ。いいな?」
「でも――」
「大丈夫だ。俺とリアムだけならなんとでもなる。むしろ体力的に劣る魔法士が一緒にいる方がかえって動きづらい」
「……」
ライザールは咄嗟に反論できなかった。実際、本気で全力疾走しても子供の足では鍛えた大人には到底かなわない。それに、ヨネサンとダイアナはあきらかに体力的な限界が近そうだった。
沈黙を了解と受け取ったのか、もとより相手の同意など求めていないのか、カイルはリアムに向かって「いくぞ」と声を掛けて走り出した。
リアムは黙って頷くと、ラガンを挑発するようにメイスを盾に打ち付けながらカイルの後を追う。
派手に打ち鳴らされる金属音に、ラガンは不快そうに唸り、移動するふたりに吸い寄せられるように体の向きを変えた。
「今だ、いけ!」
常日頃からカイルに絶大な信頼を置いているメンバーたちは、複雑そうな表情を浮かべながらも移動を開始する。
だが、ライザールは動かなかった。
納得がいかなかったのだ。
いくらカイルやリアムがすごい戦士でも、あの強大な獣をふたりだけでどうにかできるはずがない。どう考えても自分たちが犠牲になって他のメンバーを助けようとする行動にしか見えなかった。
たしかに指示に従うと約束した。マイラの命だって救いたい。
だけど、そのために別の誰かを犠牲にするのは違う。
「冗談じゃない! そんなの俺は絶対に嫌だ!」
ライザールは両手を前に突き出し、呪文の詠唱を開始する。
「ちょっと、なにしてるのよ!」
シェルファが咎めてくるが無視する。
難しく考える必要はない。
ここでラガンを仕留めればいい。それだけの話だ。
ライザールは生まれながらに強い魔力と、それを自在に操れるセンスを持っていた。おかげでたいした訓練もせずにひとしきりの魔法を使いこなすことができた。
中でも火球魔法は得意中の得意だった。
幼い頃に夢中になって読んだ物語に出てくる勇者は炎を自在に操る魔法使いで、その活躍に憧れ、ずっと炎系の魔法ばかり練習してきた。おかげで炎系魔法は誰にも負けないという自負があった。
むろん、ただの大言壮語ではない。炎系魔法は使っていて身体に馴染んでいる感覚がある。魔力特性を調べたラスティンからも「火属性との相性が抜群に良い」と太鼓判を押されたほどである。
実際、魔法学校の入学試験の時に、過去に一度も破壊されたことがないという特殊仕様のゴーレムをたった一撃で吹き飛ばしたことだってあった。
「炎角だか何だか知らないけど、炎で俺に勝てると思うなよッ!」
呪文が完成する。勢いよく放たれた灼熱のエネルギーが、今まさに突進を開始しようとしているラガンの横腹に突き刺さった。
耳をつんざくような爆音と共に高々と火柱が上がる。
「よしっ!」
ライザールは勝利を確信し、拳を握りしめる。手応えは完璧だった。
……だが、黒煙が晴れたとき、信じられない現実が待ち受けていた。
「そ、そんな……」
ラガンは無傷だったのだ。
しかも、全身に炎が揺らいでいるような形をした縞模様が浮かび上がり、そこから白いオーラのようなものが溢れ、防護膜のように身体を覆っている。
変化はそれだけではない。
ラガンの角から激しい炎が噴き出していた。
炎は角の先端で球体になると、勢いよくライザールに向かって放たれた。
先ほどの火球魔法を凌ぐ巨大な炎の塊が襲いかかってくる。
ライザールは逃げようとしたが、渾身の大魔法を放った直後だけに足が動かない。
「くそっ!」
無駄と知りつつ、咄嗟に両腕で顔を庇う。
そのとき、横目に誰かが飛び込んでくるのが見えた。
カイルだった。
彼はライザールを抱きかかると、そのままの勢いで横に飛ぶ。
直後に火球が着弾した。視界が明滅し、炎を纏った暴風が吹き荒ぶ。
ライザールはカイルに抱えられたまま何度も地面に打ち付けられ、十数メートルの距離を転がされた。
「うう……いってぇ……」
くらくらする頭を動かして、周囲の状況を確認する。
すぐ傍にカイルが倒れていた。
「カイル!」
呼びかけてみるも、カイルは苦しそうに呻くだけで動かなかった。
「ちょ、カイル?」
ライザールはおそるおそるカイルの身体に触れた。
ぬめっとした感触が手のひらに伝わる。
「――ッ!」
爆風をモロに浴びたせいだろう。カイルの右腕が肩から肘にかけて皮膚がめくれてぐずぐずになっていた。
「心配、するな……たいした傷じゃない……」
言葉とは裏腹に、苦痛に歪む顔と額に浮ぶ脂汗が彼の状態の深刻さを物語っていた。
「そんな……お、俺……ごめっ……おれ……」
自分を庇ったせいでカイルが負傷した。その事実にライザールは激しく動揺する。
「カイル!」
すぐさまダイアナが駆け寄ってこようとする。
が、それを見過ごすラガンではなかった。
再び放たれた火球が容赦なくダイアナに襲い掛かる。
それから起こった出来事を、ライザールは後に奇跡と称した。
「おおおおおおぉぉッ!」
雄叫びと共にリアムがダイアナと火球の間に割って入ると、下から跳ね上げるように盾で火球を弾き飛ばしたのだ。
火球は弧を描いてパーティの遥か後方に着弾した。炎が木々へと燃え広がり、周囲の景色を赤く染めあげる。
その光景を目の当たりにし、ライザールはこれまでに感じたことがないような戦慄を覚えた。
凄まじい破壊力を誇るラガンの攻撃もだが、それ以上に生身の人間が自身よりも巨大な火球を弾いてみせたのだ。信じられない膂力と頑強さだった。
リアムは何事もなかったかのようにメイスで盾を叩き、挑発を繰り返す。
だが、ラガンはすぐに次の行動には移らなかった。前足を地面にこすりつけながら体勢を低くして唸っている。おそらく目の前の人間を明確な脅威だと認識したのだ。
その間にダイアナが到着する。
彼女の手から溢れる白い光がカイルの半身を包み込む。
光が消失すると、あれだけ酷かった火傷がきれいさっぱりなくなっていた。
「助かったよ、ダイアナ」
カイルが礼を言うと、ダイアナは小さく頷いただけで、すぐにラガンと対峙しているリアムの方へと振り向いた。そして今度は手をかざしながら、先ほどよりも長い呪文を唱える。
回復魔法は対象との距離が離れれば離れるほど難易度が跳ね上がると言われている。だが、ダイアナはそんなことを微塵も感じさせず、さも当然のように呪文を完成させた。
リアムの左肩付近が淡い光に包まれる。
甲冑に全身を覆われている人間が怪我をしているかどうかをぱっと見で判断することなど不可能に近い。少なくともライザールの目にはリアムが負傷しているようには見えなかった。
「なんでリアムさんが怪我してるってわかったの?」
「それくらい、ちょっと見ればすぐにわかるわよ」
五年も一緒にいるんだから――ダイアナはそう付け加え、小さく微笑んだ。
淀みない一連の動きと、自信に満ちた表情。ライザールは彼女が相当な場数を踏んできた一流の回復役なのだとあらためて認識した。
「怪我はないか?」
カイルの手が肩に置かれた。
「うん、俺は大丈夫。その、さっきは助けてくれてありがとう。あと、ごめん……」
「そういうのは後にしよう。それよりも、こうなった以上は腹を括るしかなさそうだ。ライザール、あいつを倒すには君の力が必要だ。やれるか?」
「もちろん!」
ライザールは力強く頷き返した。
先ほどまでの動揺はもうなくなっていた。カイルがリスクを承知で炎紋草の捜索へ踏み切ったのは、自分の魔法の才を認め、有用だと判断したからに他ならない。
ならば、その期待には応えねばならなかった。
「――よし、みんなやるぞ、戦闘開始だ!」
カイルの合図でパーティの空気が一瞬で切り替わった。




