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第4話

読んでいただきありがとうございます。

基本、毎日19時を目安に投稿予定です。

 二日間かけて行われた入学テストも終わり、その翌週にはテストも返却された。私のクラス順位は総合で五番、学年では三十番以内で、手ごたえ通りといったところだ。クラスでは「よく勉強してるからちょっと成績いい子」で、お母さんからは「いいんじゃないかしら」といった評価に落ち着いた。これでいい。


 四月も後半に入ると、クラス内での学力差やクラスメイトのキャラクターが何となく見えてきた。最初は近い席同士と同じ中学出身同士で集まっていた生徒たちの関係も、徐々に分解されて再構築された。


 小学校の頃は液体みたいにみんなで混ざり合っていた。好き勝手にクラスメイト同士が友達になって、グループ同士で混ざり合って、誰か離れて、またくっついてと自由自在になっていたのに。高校生になると、もう液体には戻れない。くっつくときには理由が必要だし、離れるときにはもっと理由が必要だ。私もクラスで「目立ちたくない」子たち同士で静かに集まって、ちょっとずつ気の置けない距離感の友人ができてきたように思う。


 人生最大の激動のように感じていた高校での生活はあっという間に凪ぎ始めた。私としては、これでいい。誰かに期待しすぎず、誰かに期待されすぎることもない、私の平熱の学校生活が始まった。


 はずだった。


 今週末からゴールデンウイークが始まる、四月の最終週。授業も終わり、放課後が始まる。


 今日も私の斜め前方の席に座ってほんわかしているきょーちゃんは、入学テストが終わるとすぐさま演劇部に入り、既に演劇部員としての活動にいそしんでいる。有言実行だ。なんと平日のほぼ全ての放課後を、講堂での舞台稽古(けいこ)に費やしていた。さすがは陽実女子最大の部活動だけある。お昼ご飯も、私とじゃなくて演劇部員の一年生同士で集まって食べることが増えてきて、ちょっと話す機会が減ってきてしまったけど、今日はきょーちゃんとご飯を食べる流れになった。


「そういえば、ヒナは元気してる?」ときょーちゃんがサンドイッチを片手に質問してくる。この質問に深い意味がないことは長い付き合いでわかっている。


 ヒナ姉ちゃん。ヒナ姉ちゃんはというと、まず高校に入った時点で編入組として一目を置かれた。エスカレーター式の中高一貫の女子高で、編入生徒という名の劇物げきぶつは生徒が求めてやまない刺激だろうから当然だ。正確に言うと、めちゃくちゃに校則が厳格な礼華れいか女子に編入しながら、入学一週間で大寝坊を決めたことで別の意味で一目を置かれていたそうだ。ちなみにお姉ちゃんは「あれはアスナが起こしてくれなかったせいだよ」と未だに恨み節を言っている。


 しかし入学テストの結果で内部進学組を抜き去って学年上位を見事奪取すると、その評価が一気に逆転した。更には中学時代にバスケと水泳とでそれぞれ全国への進出経験があることまで知れると、学年どころか上級生にも名前が知れ渡るようになった。目が回るような運動部からの勧誘に参ってしまって部活は入ってなかったらしいけど、先週になって突然「将棋、めちゃくちゃ面白いかも……」と突然に将棋部に仮入部した。


 さすがにお姉ちゃんでも将棋は一朝一夕にマスターするまいと思っているけど、常識が通じないのがヒナ姉ちゃんの怖いところだから、どんな結果を残すのか興味があった。「今度どんな感じか教えてよ」と言うとにこにこしながら「お姉ちゃん頑張るから期待しててよね」とどやっていた。まあヒナ姉ちゃんならどこでも結果を出すだろうし、受け入れられるだろう。


 そんな他愛もないヒナ姉ちゃんのことを話している間、きょーちゃんはずっと笑顔だった。「どしたの、ヒナの話そんなに面白い?」と聞くと「アスナが話すヒナちゃんの話が面白いんだよ」と返された。姉妹仲がいいね、ってことだろうか。アスナも将棋始めたらいいじゃん、と言われて心臓がぎくりとなった。いや将棋はちょっと違うかなー、と反論になっていない返事をして、その場は流した。


 ちなみに、私とてきょーちゃんとばかりご飯を食べているわけでもなく、基本はクラスメイトの子たちとご飯を食べている。午後の休み時間に、そのメンバーの一人から「アスナちゃんは部活入んないの?」と聞かれた。一人は軽音楽部に、もう二人は美術部にもう入っている。


 どちらもそんなに活発な部活ではないらしく、週に一度集まって、ちょっと駄弁ったり、学祭に合わせて作品を描いたりバンドを組んだりする。せっかくグループにいるんだし、どっちかに入ったらいいじゃんと誘われた。悪くないかなと思ったけど、悪くないかな、程度の気持ちで誘いに応えていいのか、わからなかった。とりあえず保留にしてしまったけれど、早めに決めてしまいたい気持ちもある。


 軽音部も美術部も、別に良くも悪くも思っていない。決め手に欠ける決断を漫然としないといけないのが、ストレスだった。


 放課後になった。とりあえず今日は美術部の見学に行ってみよう。机の中の教科書をいったん廊下のロッカーに詰め、鍵を閉める。ちらと教室を見ると、部活動に所属した子たちはほとんどいなかったものの、まだ多くのクラスメイトたちがお喋りに興じていた。


 陽実女子は部活動の所属を強制しないので、帰宅部になる人はけっこういる。それでもきっと八割くらいの生徒は部活動に所属する。ここも私としてはちょっと悩みどころだ。人波に部活には所属したいと思うけど、逆に所属しないままでもいいのだ。うーん、美術部の雰囲気次第かな、と考えていると、見覚えのない生徒が二人、うちのクラスの出入り口から中を覗き込んでいる姿が見えた。


 廊下から教室を覗き込んで、誰かを探している風情だ。


 声をかけてみようか。一瞬、頭をよぎったけど、きっとそんなに困ってるわけでもないか、と自分に言い聞かせた。その時、私が美術室を目指して歩き出したところで、二人組のうちの一人が廊下側にくるっと振り向いた。目線をそちらに送っていたので、ばちっと目が合ってしまった。げっ。


「あの、七組の方ですか? 実は、ちょっと探している生徒がいるんですけど」


 話しかけてきた生徒の胸元を見ると、胸章きょうしょうの色が私たちと違う。上級生だとは思わなかったけど、話しかけてきた先輩は確かにちょっと大人っぽく見える。緩やかにパーマを当てた髪はきれいに巻いてあって、指先も、目立たない色だけどきれいに塗られている。


 部活の後輩とかを探してるのかな。


すると、少し遅れてもう一人の子――私よりも背が低い――が振り返ると、彼女も先輩だった。


 二人に向き合って、質問に答える。


「はい、七組です。誰でしょうか? もう部活に行っちゃってる人も多いので、いないかもですが」

「ありがとー。私たち全然お知り合いが居なかったから、助かります!」と背の高い先輩が答えると「かたじけないな。早速だけど、一年七組の出席番号十六番は誰か知ってるかい?」と背の低い方の先輩が続けた。


 かたじけない、という耳慣れないフレーズを使う先輩にちょっと面食らう。武士みたいな言葉遣いだ。


 でも、何より引っ掛かったのは質問の内容だった。


 何故なら、出席番号十六番は、私なのだ。


 はじめましての人向けに作っていた笑顔のまま表情がカチンと固まり、二の句が継げなくなってしまう。


 この人たち、誰?


 ぽかんと間が空いてしまったからか、背が高い方の先輩が焦ったように口を開いてくれた。


「あ、あれ? ごめんね、急にこんなこと聞いちゃって。クラスメイトだけど、名前とか、まだ覚えてなかったりするよね」

「そういうケースもあるか。だとしたら、まだ教室にいるかどうかわかるだろうか? 今週中に何とか勧誘しないといけないんだ」


 今、小さい先輩は「勧誘」と言った。部活動の勧誘? 


 私に? 


 名前も顔も知らないのに? 


「あ、あの」

「お、顔はわかりそうかい?」

「いえ、その、出席番号十六番って、私です」


 また沈黙が走る。息を吸う音が聞こえる。気まずい。


 二人の目が見れず、目線を下に向けたまま、ぼそりと答えてしまった。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。そもそもこんな廊下で先輩たちと話していたら、目立ってしまう。顔と背中が熱くなってきた。しかし、二人からの返事はない。呼んだのはそっちじゃないのか、用事があるなら早く言ってほしい。


 そろりと目線を上げ、様子を見る。必然的に、まず小さい先輩の顔が目に入った。


 彼女は目を見開いて、にっかりと笑っていた。

 

 え? 


 と思うや否や、両手で肩を掴まれた。


 え、え? 


「君か! 君だったか! いやはや、これも運命だろう。アズサ、聞いたか? なるほど、こういう縁があるものなんだな。こんな出会いがあるのならば、二週間の休部というのもドラマの一環だったと受け入れられる」

「すごいねえ、シノ。こんなことあるんだね」


 シノと呼ばれた先輩はそこで私の肩から手を放し、アズサと呼んだ背の高い先輩の方を見て大喜びしている。話が見えない。


「ごめんね、こっちだけで盛り上がっちゃって。私は二年の山形(あずさ)って言います。よろしくね。それでこっちが」

「同じく二年の尾関おぜき芳乃よしのだよ。十六番ちゃんは部活に入っているのかな?」


 十六番ちゃんとは、私のことだろうか。


「シノ! そんな呼び方したら失礼でしょ」

「あ、すまん、ついテンションが上がってしまって。君、名前を教えてもらえないだろうか」

「私、は」さすがに面食らってしまって、言葉が出遅れる。

「谷口、明澄奈あすなです。一年七組、出席番号十六番です」

「谷口ちゃん! よろしくね」

「谷口さんか。急にすまないんだけど、谷口さんはもう部活に入っているのかな」


 部活。本当に部活の勧誘? というか、十六番のときは「ちゃん」づけだったのに、名前がわかったら「さん」づけになった。先輩の距離感がわからない。とりあえず返事をする。


「部活は、入ってないです」


 尾関先輩は目を輝かせる。


「おお、それは好都合だ!」そして続ける。「では、もしも良かったら、どうだろう。私たちの作った部活に入ってもらえないだろうか」


 そう言うと、尾関先輩はこちらに向けて、握手するように手を伸ばす。尾関先輩のそばには山形先輩が笑顔のまま立っている。


「陽実女子高クイズ部に」


 廊下での邂逅かいこうから数分後、私は尾関先輩と山形先輩に手を引かれ、クイズ部、もといクイズ同好会の部室に案内された。尾関先輩の舞台さながらの決めセリフを正面から喰らった私は、返事もできずにぽかんと立ち尽くした。それを見た山形先輩はすかさず「すぐに入部とはいかないだろうし、まず見学に来てもらえばいいんじゃないかな」と提案し、尾関先輩は即諾した。


 豆鉄砲の掃射そうしゃを浴びたはとのように立ち尽くす私の手を取ると、ずんずんと大股おおまたで部室に向かって歩き始めたのだった。


 五階の教室を横断し、校舎東側の階段に辿り着くと、一階まで降りる。階段の正面にある昇降口を横目に廊下を進む。一階には吹き抜けの小さなホールがあり、そこから伸びた廊下の脇に美術室、多目的室、書道室、保健室が並んでいて、この辺は授業でも使ったことがある。突き当たりの扉を開けると、外に出た。ここは校舎と体育館とを繋ぐピロティ。売店や、腰を下ろせるちょっとした休憩スペースが並んでいる。


 私の手を引く尾関先輩はここまで一言も話さず、手を繋いだままだ。ピロティの脇に設置された水道で、顔を洗っている陸上部の人にちらっと見られた気がする。顔を伏せながら、先輩の大股に歩調を合わせて、ピロティを通り過ぎ、体育館へ向かう。陽実女子に体育館は二つあり、新旧で呼び分けられている。


 古い方が旧体育館、通称旧体。こちらは剣道部や卓球部が今は活動している。新しい方は新体。今はバスケ部が汗を流しているみたいだ。部活が始まったばかりの時間帯だから、体育館の中は賑やかだけど、外には人がほとんどいない。校舎の中よりも少し落ち着いた雰囲気の、二つの体育館の間にある通路を進んでいく。この先には部活棟がある。


 部室棟は背の低い一階建てで、主に文化部の部室が集まっている。入り口はガラス窓付きの引き戸になっており、ガラッと開けると正面に廊下が伸びる。左右に均等に扉が付いており、新聞部、軽音楽部、ディベート部などと書かれた手書きの案内が各扉に貼られている。右手の奥には先日お邪魔させてもらった百人一首部がある。張り紙には正式名称通り「競技かるた部」と書かれているが、先輩も百人一首部と呼んでいた。


 と、ここでようやく尾関先輩が手を放してくれた。


 私の前に出て、競技かるた部の向かい側の扉の鍵を開ける。その扉には、まだ何も書かれていない。


 尾関先輩がノブを捻り扉を引くと、がちゃりと音を立てて開いた。部室棟の廊下が薄暗いからか、開いた扉から少し赤みがかった光が伸び、小さく舞ったほこりに反射してキラキラと光った。


「さあ、入ってくれたまえ」

 

 ものすごい勢いで部室まで連れてかれてしまった。


 部室と言ってもなかなか簡素な作りで、入って正面の壁に大きな窓が一つある六畳ほどの部屋だ。二人がけの長机が二つ中心に置かれ、その周りには椅子が五つほど散らばっているだけだった。机の上には薄い冊子が大量に置かれている。部屋の壁際にも同じく長机が一つあり、何故かコーヒーメーカーらしきものと、あと何やら取っ手の付いた筒、ちょっと小洒落こじゃれた瓶が数個。長机の下には段ボールがこれまた数箱並んで収められている。


「まあまあ」と山形先輩に背を押され、机に座った。「ごめんねえ散らかってて。かばん、そこ置いてね」と促されるまま、肩にかけていたスクールバッグを机に置いた。遅れて入ってきた尾関先輩が後ろ手に扉を閉めると、がちゃりという音がした。


 え、嘘。


 鍵、閉めた?


 尾関先輩の身体に隠れてわからないが、もしかして、閉じ込められた?


 もしかしてヤバい? と思って椅子から腰を浮かせかけたところで、山形先輩から声をかけられた。


「谷口ちゃんはコーヒー好き? シノもいる?」


 山形先輩からのほほんとした声が掛けられた。「おお、薄めで頼むぞ」とシノこと尾関先輩が応えながら、彼女は私の向かいに座った。思わず目が合うと、目線で問いかけられたので「あ、コーヒー、好きです」と山形先輩に伝える。


「おっけー」と返した山形先輩の様子を見て、尾関先輩は満足げだった。


 尾瀬先輩は、まず机の下の段ボールから謎の機械を取り出した。ものすごい数のコードがごちゃごちゃになって机を埋め尽くし、先輩はそれらのコードの中心にある黒いボックスのボタンをカチカチと操作した。コードの先には、三倍くらいに厚くしたスマホのような、小さな黒い箱。こちらには小さな赤いスイッチとランプが一つずつ付いている。


「これ、クイズのボタンですか?」


 ポロッと思ったことを聞いてみる。ユーチューブか何かで見たことがある気がする。


 しかし、これが失敗だった。


「なんだ、早押し機のことを知ってるのかい! これは話が早いな。それじゃ、さっそく一度ボタンを押してみようか。これはね、早稲田わせだ式早押し機と呼ばれる、大規模な大会でも使用されるほど市民権を得ている早押しボタンだ。そこらじゃなかなかお目にかかれない代物しろものだよ。わずかな着順の差を正確に判定し、一着だけでなく二着以降を判定する機能もあるんだ。あ、精密機器だから、丁寧に扱ってね。あまり強くボタンを押したり、連打したりするんじゃないぞ。さあ、押してごらん」


 立板たていたに水。のべつまくなし。水を得た魚。虎に翼。後半は意味が違う気がする。


 一気いっき呵成かせいに喋り終えた尾関先輩の目は爛々《らんらん》と輝いている。


 この、赤いスイッチを押せばいいんだろうか。気圧されるように、指をスイッチに乗せた、その瞬間。


「問題」


 尾関先輩は、朗々とした声で問題をそらんじる。


「この戦いを見たゲーテは「この日、この場所から、世界史の新しい時代が始まる」と述べた、1792年にフランス革命軍がプロイセン軍を破った戦いを何という?」


 ――1792年。「国民万歳」と声を上げながら、プロイセン軍からパリを守ったこの戦いは、たしか――


「ヴァルミーの戦い」


 そう答えると尾関先輩は目を軽く見開き、そして小さく笑った。


「もう一回、かな。クイズに答える時はボタンを押すものだよ」


 あ、そう、なのか。そりゃそうか。つかんでいたボタンに付いている、赤いスイッチを押してみる。


 ピーン。先輩の手元に置かれたボックスから、甲高かんだかい電子音が鳴った。手の中のボタンのランプが赤く灯る。顔を上げると、先輩がこちらを見ている。


「ヴァルミーの、戦い」


 尾関先輩の目を見ながら、もう一度、今度はさっきよりはっきりと答える。


 ピポピポピポーン。テレビ番組でも聞いたことがあるような音が鳴る。正解を示す音。


「正解だ。1792年のこの戦いで、世界史の新しい時代が始まった」


 気づくと、コーヒーを淹れていた山形先輩もこちらを見ている。音を出さず、小さな拍手をしてくれている。尾関先輩が続ける。


「そして今日、この正解から、君のクイズが始まったわけだ。ようこそ谷口さん。競技クイズの世界へ」


「すごいね、谷口ちゃん! ヴァルミーの戦いって、中学校で習う範囲じゃないよね? シノもいきなりそんな難しい問題出して、って思ったのに」


「あ、世界史は好きだったので、入学する前からちょっと予習してたんです。それで」


「その知的好奇心が素晴らしい。しかも、問題を聞いた瞬間にそれをちゃんとアウトプットした」


 先輩らに褒めそやされ、少し照れる。ボタンを握ったままだった私の前に、マグカップが置かれた。


 ありがとうございます、と言いつつ、早速手に取って顔を近づける。


「すごい、いい香り」

「だろう? アズサの淹れたコーヒーは何だか違うんだ。私が淹れるとこうはならない」


 口をつけていたコーヒーを吹き出しそうになった。堂々と言うことじゃない。何だか自信満々に言われると納得してしまいそうになる。


 そして、こうやって僅かな時間、話しただけでわかる。尾関先輩は「そういう人」だ。


 他人の目を気にしたりしない。自分の振る舞いと決断に自信があり、それを押し通して周囲を納得させてしまう雰囲気がある。そっち側の人の雰囲気。


「それはシノの淹れ方が悪いんだって。言うこと聞かないんだもん」


山形先輩が笑顔で言う。歯に衣着せない言い方が面白くて、ちょっと笑ってしまう。


「ひどいな」と尾関先輩が返すと「それより」と山形先輩が遮る。


「谷口さん。結局、自己紹介もちゃんとしないままで連れてきちゃってごめんね。二回目になっちゃうけど、私は二年の山形梓。ここにいるシノと同じクラスで、去年一緒にクイズ部を立ち上げたの。結局それから部員は一人も増えなかったんだけど、谷口さんがもし興味を持ってくれたら嬉しいな」


 山形梓さん。コーヒーを入れてくれた、ちょっとオトナな雰囲気の優しそうな先輩だ。背もちょっと高めですらっとしてて、腰の位置も高い。メイクもネイルも、目立たないけどバッチリだ。髪も軽く巻いて下ろしてるけど、遊んでるとかそういう雰囲気は無くて、うん、モテそう。


「そして、私がクイズ部部長の尾関芳乃だ。アズサはシノとかシノちゃんとか呼ぶから、クイズ部に入ってくれるなら、そうだな、シノちゃん先輩と呼んでもいいぞ。このクイズ部はまだできて間もないが、ここから活躍の場を大きく広げていきたいと思っている」


 尾関芳乃さん。態度や言葉遣いに反して、あまり背は高くない。ただ丸みを帯びた顔は人形みたいに小さく、猫を思わせるようなくりっとした吊り目からは意志の強さが見て取れる。上を向いたまつ毛も長くて、正直、美人だ。ボリュームが出すぎない程度に切りそろえられたボブカットもよく似合っている。ネイルもしてないし、多分ほとんどすっぴんでこれだからすごい。


 二人ともコーヒーカップを携えながら、自己紹介を終えた。何だか落ち着いてしまったけど、そうだ。そもそも私、ここに誘拐されてきたんだった。


「ありがとうございます。私、一年七組の谷口明澄奈です」


 とりあえず、いま一番気になっていることを聞くことにした。


「あの、何で私、誘拐されたんでしょうか」


 尾関先輩が何を今さら、と答える。


「そりゃあもちろん、私たちの作ったクイズを解いてくれたからさ。しかもあれだけ幅広いジャンル――ノンジャンルでの出題に関わらず、バツは二つだけ。残りは全て正解だ。新入生でこれは素晴らしい。誰に強制されるでもなく、目の前のクイズを解き、私たちに提出した。君にはクイズを楽しむ素質が十二分に備わっている。君ならきっとクイズ王だって夢じゃない」


 私たちの用意したクイズ。白いカード。ソメイヨシノに貼り付けられた、あれか。でも。


「あれ、私が答えたってどうしてわかったんですか」


 そうだ。あの回答には名前もクラスも出席番号も書いてない。記入欄があったら、多分、回答しなかった。私が答えたとはバレないだろうから回答したのに。


「おっ、気づかなかったかい? 確かに、あれだけばらまいたのに、あっという間に回収されてしまったからなあ」と尾関先輩は頬を膨らませた。山形先輩が返す。


「当たり前でしょ。オリエンテーション以降の大規模な勧誘活動は禁止って建前たてまえなんだから」


 尾関先輩は「気づく」と言った。あのクイズには、それだけで個人を特定できる仕組みが隠されていた、ということだろうか。そんな仕組み、あった?


 全三十問のクイズにWEBサイトで答えるだけの簡単な構成。サイトに問題文は表示されてなくて、問題番号が書かれた三十個のボックスに回答を入力していくだけ。名前はおろか、クラスも出席番号も書かない。どうやって――


「ほら、今だってちゃんと目の前に提示されたクイズに真剣に取り組んでる。やはりあのクイズは作った甲斐があったぞ」


 尾関先輩の言葉に思考が一度止まる。しまった、そんなつもりはなかったのに。


「でも、あれのせいで二週間、勧誘活動を禁止されちゃったんだよ。シノの言うことを信じた私がばかだったよ……」

「ばかとは失礼だな。谷口さんという逸材いつざいをこうして勧誘できてるんだ。十分な成果と言えるだろ」


 逸材。


 そんな風に言われるほどの人間じゃない。


 カッと顔が熱くなり、さすがに口を挟む。


「あの、私、クイズとかしたことないし、それに逸材なんて、そんな。頭良いわけじゃないんで……」


 勢いよく喋り出したつもりが、途中、こちらを見た尾関先輩の目にすくんでしまい、言葉が尻すぼんで消える。


 でも、あんなのはテレビで聞いたり、本で読んだことがあったら答えられる問題ばかりだった。本当に逸材っていうのは、私みたいのじゃなくて、ヒナ姉ちゃんみたいな人のことを言う。一度見たこと、聞いたことを忘れない。記憶力だけじゃなく、理解力も、運動も芸術も。全部お姉ちゃんの方がすごかった。


「そんなことはない。あんな摩訶不思議まかふしぎな出題方法だったのに、谷口さんはあの問題に、ちゃんと正解したかったんだろう?」


 心臓がぎくりとなる。正解したい、答えたい。そんなの当たり前じゃないか。そんなの。


 尾関先輩はコーヒーを口に運び、続ける。


「もっと言うと、答えたかったんだ。きっと他の誰より先に。誰しも、正解したいという欲求は持っている。でも、唐突に自分が直面した問題に答えたがるってだけで珍しい人種なんだ。何故ならみんな間違えるのは怖いから。谷口さんは、間違えてもいい、わからなくてもいいと思って答えたんじゃないかな。「ヴァルミーの戦い」だってそうだ。百パーセント正解と思っていなくても、反射的に答えたように見えた。私はそれが、とても稀有な才能に思う」


 尾関先輩の言葉が私の身体を打ちつける。


 私がソメイヨシノに貼り付けられたあのクイズに答えたのは、問題を作った人がかわいそうだったからで。名前がバレないなら目立たないと思って。私しか気づいてないまま全部捨てられたらもったいないと思って。


 そうやって、自分の中で積み上げてきた言い訳が、先輩の言葉で崩れる。


 違う。


 私は、問題を解いて、正解したかった。まだ誰もやってないことを自分が初めてやってのけて、そして誰からでもいいから「すごいね」って言われたかった。そんな小さな欲望だった。それがこの人にはバレてしまった。


 でも、私だって「すごいね」が欲しかった。


 いつも「すごいね」はヒナ姉ちゃんのものだったから。

 

 だからお姉ちゃんがまだやってないことや、できなそうなことを探してきた。ただ、そんなことをしても、お姉ちゃんはいつだって私を追いかけてくる。そしていつの間にか私の前にいる。だって、お姉ちゃんはすごいから。


 答えを間違えたり、誰かに追い抜かれたりするのはもう辛くない。私にとってそれは当たり前のことだから。そんなことよりも、誰かからすごいねって褒めてもらいたかった。私が頑張りたいことを、お姉ちゃんと比べることなく、認めてほしかった。


 そうして、自分がクイズに感じている魅力の正体に気づく。


 ここにはヒナ姉ちゃんはいない。


 お姉ちゃんがいない、ここなら。


「あの」


 ぽろっと、口から声がこぼれるように出る。先輩二人がこちらにじっと視線を寄せた。


「クイズ、私にもできるでしょうか」


 山形先輩は、口に手を当てて目を見開いている。


 尾関先輩は不敵に笑った。


「できるさ。クイズは万人に平等だからね」

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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