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第5章

ここまで読んでいただきありがとうございます!

こちらで第一章は完結です。次のエピソードから第二章が始まります。


引き続き、毎日19時を目安に投稿予定です。

 怒涛のようにやってきたクイズ部の勧誘から僅か二日後、高校生になって初めてのゴールデンウイークが始まった四月の最終日。私は先輩らに連れ出って電車に乗っていた。


 ちょうどシノちゃん先輩が参加するクイズの大会があるというので、その見学を最初の部活動としようと誘われたのだ。シノちゃん先輩からは私も参加したらいい、と最後まで勧められたが丁重に断った。クイズのルールもわからないのに大会になんて、と伝えると「私だって着いてみるまでルールはわからないよ」と返され、驚いた。


 競技クイズでは、こうした大会を運営する大きな団体があるというわけではなく、社会人や大学生のサークルなんかが自主的に開催しているものが大半らしい。そこではクイズの問題もルールも主催者が作るため、定期的に開催されている大きな大会でもない限り、ルールは会場に着いてからのお楽しみというパターンが多いとのことだった。


「競技クイズのプレイヤーたちはクイズに回答する参加者であると同時に、自らもクイズを作り、ルールを作り、企画を運営する主催者でもある。互いにクイズを作り、解き合うことがクイズの大きな営みなんだよ」とシノちゃん先輩は語っていた。


 ちなみに、こうした大会は「例会」と呼ばれるのが競技クイズ界隈の習慣だそうだ。


 私からすると高校生の部活動って、何か与えられた枠組みの中で、大会とかそういうものを目指してたくさん練習して、勝ち上がったり負けちゃったりっていうのがテンプレだった。だから自分が主催者側になるなんて想像ができなかった。そんなこと、高校生にできるんだろうか。ましてや、私みたいな「そういう人」じゃない側の人に。


 ウチの部活で主催の例会もいつか開催したいな、と語るシノちゃん先輩の横で、私の不安を感じ取ったのか、同行していたアズサ先輩が声をかけてくれた。


「私も、例会は基本、参加しないんだ。私はシノのお手伝いとして色んなことを調べたり作問したりするのが楽しいから。アスナちゃんもそういう参加の仕方でもいいんだよ。逆に解く側だけでもいいんだし」


 気を遣ってもらったのが恥ずかしくて、ちょっと顔が熱くなる。でも、なるほどと少し心が軽くなった。そういう考え方でもいいのか。私は作問も企画も大好きだぞ、と再び語り始めたシノちゃん先輩はともかく、そういう人もいるんだと思うと気後れしないで済んだ。


 今のところ私がクイズに感じている魅力は「ヒナ姉ちゃんがいない」ことだ。ここなら劣等感に潰されないでいられそうなのだ。だから作問とか企画とか、今のところピンと来てないというか、ちょっと興味がない。


 自分の狭量きょうりょうさが、嫌になる。


 でもクイズには、シンプルに勝ち負けがついて、自分が肯定される瞬間が、きっとある。私はそれを体験したい。すごいって言われたい。かっこ悪い理由だけど、それでも何かに挑戦しようと思う自分のことは、肯定したかった。


 吊り革を握って向かい側に立つシノちゃん先輩とアズサ先輩を見る。二人がどうしてクイズをやっているのか、クイズ部を立ち上げようとまで思ったのかは知らないけど、きっと私よりは純粋でかっこいい理由な気がする。


 だから聞くことはできなかった。


 先輩たちは、どうしてクイズをやってるんですか?


 劣等感が口から出ないように気を使いながら、他愛もない話で時間を潰した。


=======================


「問題。肉、魚、野菜の三つを」


 ピーン。


 ガチャガチャガチャガチャ!


 ――ほんの僅か、問題文の冒頭が読まれた瞬間に、高らかな電子音が一つ鳴った。ほとんど同時に、そこにいた全員が一斉にボタンを押す音が響く。


 初めて観た競技クイズの光景は、圧巻だった。


 読み上げられた問題文は僅か数文字で止められ、私がその内容を咀嚼そしゃくするよりも速く、ほぼ全員が早押しボタンに飛び掛かる。


 この例会は社会人中心のサークルが主催で、二十人くらいが参加していた。二十代から三十代くらいの人がほとんどで、高校生は私たちだけ。年上のオトナしかいない、そんな中で読み上げられた最初の問題。


 手元のボタンが赤く光っていたのはシノちゃん先輩だった。


三徳さんとく包丁ぼうちょう


 ボタンを押してから、間を空けず堂々と答える。


 ピポピポピポーン、と明るい電子音が鳴る。


「正解です。肉、魚、野菜の三つを扱えることに名前を由来する、家庭用によく用いられる包丁は何でしょう? 正解は三徳包丁。参加者中、最年少の尾関さんの正解で開幕です」と問題文を読み上げていた主催者さんが解説を入れた。


 ――すごい。すごい! 何なんだ、これは。


 周りの人たちも全員、答えがわかってボタンを押しているんだろうか。みんなが一斉にボタンを押していたということは、きっとあの人たちにはわかるんだ。


 何よりシノちゃん先輩がちゃんと正解している。適当に当てずっぽうを答えたわけじゃなくて、問題文の途中で、答えがわかってボタンを押している。


 私が息つく暇もなく、主催者さんによって次の問題が読まれていく。


 そこからのシノちゃん先輩は、まるで漫画かドラマの主人公のように、圧倒的で、かっこよかった。

 

「夏の明け方や夕方に、カナカ」 


――ピーン。「ヒグラシ」ピポピポーン。


「長編デビュー作の『遠い山並みの光』」 


――ピーン。「カズオ・イシグロ」ピポピポーン。

 

「日本で売られている自転車の多くで、右ハン」 


――ピーン。「前輪」ピポピポーン。

 

「定番のBGMにはロシア民謡『コロブ」 


――ピーン。「テトリス」ピポピポピポーン。

 

 またたく間に正解を重ねていく。


 第一ラウンド、と呼ばれたこのクイズでは、五問正解したら勝ち抜けと事前に説明されていた。シノちゃん先輩は、大人の中に混じりながらイチ抜けした。


 かっこいい。


 この例会は、いくつかのラウンドでポイントを重ねて競う形式だった。さっきシノちゃん先輩が勝ち抜けした、いわゆる早押しクイズだけじゃなく、各ラウンドで様々な出題形式でのクイズが行われた。


 テレビのバラエティ番組みたいな○×クイズ。


 難問に正解すると、今まで獲得したポイントを倍にできるようなチャレンジクイズ。


 早い者勝ち、一問こっきりの敗者復活戦。


 どのラウンドもルールに趣向がらされていて、見学してるだけでも楽しかった。


 そうしてついに決勝ラウンドが始まろうとしていた。シノちゃん先輩はしっかりとポイントを積み重ね、決勝ラウンドに進んでいた。


 決勝前の小休憩に入ったシノちゃん先輩に、興奮気味に声をかける。


「おつかれさまです! すごいです、こんな、オトナばっかりの中で決勝なんて」

「ありがとう。後輩の前でまず恰好かっこうがつけられて安心したよ」


 シノちゃん先輩は笑顔で答える。すると「調子いいなー、シノは。昨日あんなに不安がってたくせに」とアズ先輩が突っ込む。えっ、そうなのか。シノちゃん先輩が慌てた様子で、いやそれは、と言ったところでアズ先輩がさえぎる。


「帰り道にずーっとボソボソ喋ってるんだもん。誤答ばっかりだったらどうしようとか、勝ち抜き制ルールで一回戦負けしたらまずいとか。挙句の果てには有名なクイズプレイヤーがしれっと混ざってないか、ってⅩとインスタグラムで参加表明してるユーザーを検索したりとか。そんな不安になるなら勝てないかもって予防線張っといたらいいのに、って言ったら、それはかっこ悪いから嫌だとか。もう文句ばっかり言うんだもん」

「言わないでくれよ、アズサ。初めてできた後輩が、初めてクイズを見学するんだ。先輩がかっこいいところ見せないとまずいじゃないか」


 その言い方に、思わず笑ってしまった。シノちゃん先輩でも緊張していたんだ。ねた様子で言い返してくる。


「だって社会人や大学生のプレイヤーがほとんどなんだぞ。このくらいの例会でも、テレビのクイズ番組で優勝した経験があるようなプレイヤーがゴロゴロいたりするんだ。予防線だって張りたくなるだろう」

「普段も自信満々なんだからその調子でいけばいいのに。アスナちゃんだってそう思うよね?」


 アズ先輩に振られて「はい、ちゃんとかっこいいんで、堂々としていただければと思います」と冗談めかして答える。実際そう思う。そんな不安がってた先輩もかわいいけど、さっきまでの先輩は本当にかっこよかったんだ。


 椅子に座って、手元のボタンを構えて集中している姿。思わず見ているこっちが息を止めてしまうくらい集中し、誰より早くボタンを押す。まるでアスリートみたいだった。


「アスナもなかなか言ってくれるじゃないか。かわいい後輩の前だしね、このままいいかっこ出来るように頑張ってくるよ」といつもの調子を取り戻して答えると、そのまま私に爆弾発言をする。


「その前に、そんなかわいい後輩には一個だけ部長命令をさせてもらおうかな。曰く、かわいい子には旅をさせるべきだからね」


=======================


 決勝ラウンド前の小休止が明けると、主催者さんの案内で、前方の席に自称初心者の参加者が集められた。それぞれに早押しボタンが配られる。


 その輪の中に、さっきまで見学者席にいた私がいる。


 手中には、さっきまでシノちゃん先輩たちがしのぎを削って押し合っていた早押しボタンがある。


 なんで?

 

 なんと決勝ラウンドの前座として、今回の例会では初心者の方だけのサプライズレクリエーションを開催するそうだ。今回せっかく参加してくれたのに、そこまでクイズに正解する経験がほとんどできなかった初心者のために開かれた、主催者側の気配りだった。それだけなら心温まる気づかいというか、アットホームな競技なんだなあとほっこりする内容なのだけど、このレクは見学者も参加可能と発表された。


 シノちゃん先輩はこのことを事前に耳にしていたらしく、部長命令として、このレクへの参加を私に厳命した。


 クイズ部への入部二日目のペーペーである私に拒否権は無く、頼みのつなのアズ先輩もニコニコとするだけで助け舟は出してくれなかった。まさか今日は、ここまで見越して私を呼んだのだろうか。サプライズとは言っていたけど、先輩たちが事前にリサーチしていた可能性もある。やられた。


 そうこうしている間に、主催者さんがルールを説明していく。


 早押し形式で三問正解した人が勝ち抜け。このルールを「三マル」というらしい。


 もしボタンを押して間違えてしまってもお咎めなし。


 しかもエンドレスチャンスという形式で、誰かが誤答した後も、他の人がボタンを押して回答できる。「ブブー」という音が聞こえたらすぐボタンを押してよいらしいので、もし回答権が取れなくても諦めずにもう一度ボタンを押す、という仕組みだ。


 そして勝ち抜けは三人まで。参加者は私を含めて五人。


 と、ここまでルールを聞いてもフワフワした気持ちが落ち着かない。


 早押しクイズどころか、手元のボタンを押したこともない。いや押したことはあるけど、確かに先輩の前で一回押したけど、あれっきりだ。競技として誰かと競うには経験値が足りてない。


 初心者しかいないとはいえ、こんな会に参加しているメンバーなのだ。そもそも、あんな風に問題文の途中でボタンを押して答えるなんてできる気がしない。


「じゃあせっかくなので、ボタンチェックもしましょうか。手前の方からどうぞ」


 主催者さんの声が聞こえる。ボタンチェック? ボタンチェックってなんだっけ。


 すると、二つ隣に座った人がボタンを一回押した。ピーンという音がするとすぐにピポーンと正解の音が鳴る。ひとつ隣の人がボタンを押す、ピーン、ピポピポーン。


 間が空く。


 え、何?


「あ、谷口さん。ボタンを押してみてください」


 主催者さんに名前を呼ばれて、焦ってボタンを押す。ピーン。


 私、何か失敗してしまったんだろうか。


 ピポーン。ボタンを押した瞬間に正解の音がする。すると左隣の人がボタンを押し、ピーン、ピポーン、ピーン、ピポピポピポピポーンと音が鳴り、会場に拍手が起きた。


 ほんとに、何?


「はい、ありがとうございました。すみません、事前に説明すればよかったですね。これはボタンチェックと言って、ちゃんと早押し機が動作するかを確認するために全員のボタンを順番に鳴らすんです。ちょっとした儀式的なものですね」


 そう説明した主催者さんに向かって、同世代くらいの人から、初心者に優しくないぞー、とヤジが飛んだ。「いやいや反省ですねー」と主催者さんは恥ずかしそうに頭をかき、会場がちょっと緩んだ雰囲気になった。


 ……そんなものがあるなら言ってほしかった。いや、主催者さんじゃなくて先輩たちに。


 ほのかな怒りを胸に先輩方に視線をやると、二人がこちらを拝むように手を合わせて頭を下げていて、にやっとしてしまった。


 それのお陰か、いつの間にか、緊張は少し和らいだ気がした。


「さあさあ始めましょうか。問題もそんなに難しい難易度帯じゃないと思うので、よく聞いて押してみてください」


 主催者さんが問題が書かれているだろう紙に目を落とす。


 早押しクイズが始まる。


「問題。絶対に間違いのないものとして保証することを、大きな判子に例えて、「何を押す」と――」


 ピーン、と音が鳴る。


 誰かがボタンを押した、私は押していない。


――間違いのないものとして保証する、大きな判子に例える……?


「太鼓判を押す!」


 二つ右隣の人が答えて、ピポピポーンと音がする。


 なるほど、そういう意味か。


 答えの内容は知ってるものだったからちょっと安心した。考える時間がもらえたら答えられそうだけど、ボタンは押せなかった。学校のテストとは違う。問題の途中でボタンを押さないと、回答することすら許されない。


――なるほど、これが早押しクイズ。


 頭の中を整理する暇もなく、次の問題が読み上げられる。


「問題。月の表面などに見られる、丸くくぼんだ――」


――月の表面、凹み。


 あっ、あれだ。ボタンを押さなきゃ!


――そう思った瞬間、ピーンと音がした。ほぼ同時に、他の誰かがボタンを押したガチャガチャという音も聞こえた。私は、押せていない。


「クレーター」


 ピポピポーンと正解のチャイムが鳴る。


――月の表面の丸くくぼんだ地形の、クレーター。これも知ってる。でも押せない。速さで負けている。


 知ってるのに。


 知ってるのに答えられないことがもどかしい。シノちゃん先輩はやっぱりすごかったんだ。周りの人も、初心者ばっかりって聞いてたけど、シノちゃん先輩よりもボタンを押すのが遅い気はするけど、それでもみんな問題文の途中でボタンを押す。こんなことは私にできない。できる気がしない。


 一瞬呆けていると、すぐに次の問題が始まってしまう。いけない、聞かなきゃ。


「問題。子どもが経済的に自立できず――」


――子ども、経済的に自立できてない状態。素寒貧、赤貧、とか? 子ども関係ないじゃん、違う。


「――親に養われていることを――」


――親。親離れ。ニート、とか? 違う。クイズはもっと「それっぽい」答えが多かった。例えばそう、慣用句とか、ことわざとか。


「――親の何をかじる」


ピーン。


音がした。


音に遅れて、ボタンを押した。わかった、わかるのに! またボタンの音が聞こえてから押してしまった。


「すねをかじる!」


 私の左の席の人が、少し大きな声で答える。ピポピポーン。


 正解した彼女がガッツポーズをする。この人も、まさか今日が初めてのクイズなんだろうか。すごくうれしそうだ。うらやましい、悔しい。


 押したい、押してみたいのに。


 私じゃ押せないんだろうか。


 ここにはお姉ちゃんはいない。いないのに。


 そうして次の問題が始まる。


「問題。腕相撲うでずもう指相撲ゆびずもう紙相撲かみずもうのうち――」


――のうち? 


 この三つのうち、どれかってこと?


 それなら。


 当たる、かも。


「――直接、からだ」


 ピーン。音。ボタンを押したことがわかる音。


 問題文が止まる。一瞬、会場から音が無くなったみたいに、しんとなった。


 押したのは、私だ。


 手元のランプが光っている。

 

 嘘。


 押してしまった。最悪。なんだっけ。


 三択だった。相撲。腕相撲、指相撲、紙相撲。


 ボタンを押したのに何も答えない私を見ながら、出題者さんが指を立てて数を数え始めた。そうだ、ボタンを押したら五カウント以内に答えるってルールだ。


 カウントが進む。


 問題、なんて言ってたっけ。


 直接。


 からだ、身体?


 直接、身体が? 


 身体が触れるのは、相撲なんだから、それはそう。腕相撲だって指相撲だって――


――あ。


「っ、紙相撲!」


 脳から直接、口まで声が届いたみたいだった。声を出した瞬間、何も聞こえなくなった。


 カウントしてた出題者さんの指が止まる。出題者さんの方を見る。


――ピポピポーン。


 さっきまで何度も聞いていたのに、初めて聞いたみたいな電子音が鳴る。


 正解の音。私の答えを肯定する音だ。


――気持ちいい。

 

「おお、いいところで押しましたね! 紙相撲、その通りです。どういう読みだったか、せっかくなので聞いてみましょうか」


 と、主催者さんがコメントをしてくれる。


 私の方を見ている。え、読み?


「あ、突然すみません。どんな推測で、紙相撲が正解だと思ったのかを聞いてみたくて」とフォローを入れてもらった。

「あの、えっと」


 正解の余韻に浸ってしまっていた。言葉が口から出てこず、しどろもどろになってしまう。


「直接、と身体、ってフレーズまで聞こえたので、身体を触れ合って行う競技って考えたら、紙相撲だけは、身体が触れ合わないことに気づいて、それで」と、モゴモゴと話すと、ピポピポピポーンと、また音がした。主催者さんが拍手をしてくれる。つられて周囲の人も、両隣の回答席の人たちも、みんな拍手していた。


「素晴らしい読みですね、問題文の続きもその通り。この三つの中で、直接身体が触れ合わないのはどれ? という問題でした。いいところでの押しも出たところで、次の問題にいきましょう!」


 正解できた。半分勘みたいな正解だったけど、正解できた。


 先輩たちの方を見る。二人も拍手している。笑顔で。


 うれしい。


 そうか、こういうことなんだ。


 問題文の途中でボタンを押すのは、そこまでで答えがわかるんじゃなくて、問題文の続きを予想しているんだ。途中まで聞いて、その先の問題文が予想できるから、あんなにみんなが早くボタンを押す。まぐれだったけどそれを体感した。この気持ちよさを体感できた。


 次の問題が、さっきよりもくっきりと聞こえる。


「問題。「私は、その男の――」


――私? その男? でもこれは、聞いたことあるような気がする。押す? でも自信がない。


「――写真を三葉、見たことが」


 ピーン。


 私が押した!


 と思ったのに。光ってるのは私のボタンじゃない。


 そんな!


 左を見ると二つ隣の人のボタンが光っている。もう二問正解している人だ。ただ、すぐには答えない。ちょっと考えている。出題者さんのカウントダウンが始まる。


「……太宰治?」


 ちょっとだけ疑問形な声色で答えると「ブブー」という厳しいブザー音が返ってきた。


 誤答だ。


 でも、作者じゃない? 私も答えは太宰治だと思っていた。だって、この作品は太宰治の――


 ピーン。そこまで考えたところでもう一度音がした。


 そうだ、誰かが誤答してもまだボタンを押していいんだった、と思い出す。私の左隣の人のランプが点いている。


「『人間失格』!」


 彼女がまた大きな声で答える。


 ああ、それだ!


 ピポピポーンと音がする。この正解で彼女は勝ち抜けリーチとなった。


 こんな問題もあるのか。小説の書き出し。「恥の多い生涯を送ってきました」というフレーズが有名だけど、小説の書き出しは「私は、その男の写真を三葉、見たことがある」だ。


 何度も読み返したことのある小説だったのに。さっきの正解の喜びがどこかにいったように、また悔しさがむくむくと膨らんでくる。次は押したい。押したい。


 問題、と出題者の声が聞こえる。ボタンに置いた指の力を強める。


「――手ごたえがないことをいった言葉で、「のれんに」といえば」


 ピーン。


 しまった、まただ。また押せてない。ランプはまた左隣の人。嬉しそうに答える。


「のれんに腕押し!」


 また答えられてしまった。


 そう思った瞬間。


 ブブー、と無情な音が鳴る。


――えっ? 「のれんに腕押し」じゃない? 誤答が出たけど、誰もボタンを押せない。変な空気が流れる。


「もう一度、最初から読みます」


 主催者さんが言う。誤答したあとにボタンを押す人がいなかった場合は、こうしてもう一度読み直されるのか。でも、のれんに腕押しじゃない正解って、何だろう。


「手ごたえがないことをいった言葉で、「のれんに」といえば「腕押し」ですが――」


 ――ですが!


 そういえば午前中のクイズでも何問かあった。問題文の途中で「ですが」が入って、内容が変化する問題。


 なんて意地悪。


 でも、だとしたら、と思って指に力を込める。


「――「ぬかに」と」


 ボタンを押す。手ごたえがあった。ガチャガチャッと全員のボタンから音がしたけど、私の方が早い。


 だってほら、手元を見たら、私のボタンが光ってる!


くぎ!」


 はっきりと答える、自信ある! 


 それでもピポーン、と聞こえてくる正解の音は、うれしい!


――こんなパターンもあるんだ。クイズって、すごいかもしれない。


 ただ早く押すだけじゃないんだ。こんな出題の方法もある。午前中にも聞いた「ですが問題」だったけど、体験したらわかる。こんな問題も、先を推測して答えることができるんだろうか。


 はっきり言って、今、すごく楽しい。


 頭の中にいろんな考えがぐるぐると巡る。こんな風に人と何かを競って、勝負して楽しいなんて、どれだけぶりだろう。


 今の私は。


「問題。ランニングの途中で苦しさが薄れ」


――ここでボタンを押してしまう。聞かなくたって、続きがわかる気がしたから。


 苦しかった時間を抜けて、あんなに辛かったのがウソみたいに爽快な気分になっていく。


 今の私は。


「ランナーズハイ」


 不思議と不安じゃない。


 正解だって確信がある。


 先輩の方を見た。二人とも笑ってる。


 主催者さんの方を見た途端、ピポピポピポピポーンと少し長めの正解の音がした。


――楽しい。クイズって、楽しい。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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