第八話:槍ヶ岳に散る
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朝日は残酷なまでに美しく昇った。黄金色の光がすべてを照らし出し、槍ヶ岳の頂を神々の玉座のように変えていく。けれど僕にとって、その光は悲劇を際立たせるためのスポットライトでしかなかった。
静寂。先ほどまで吹き荒れていた風が嘘のように止み、標高三一八〇メートルの世界に息を呑むような沈黙が訪れる。
海斗が最後の息を吐いた――谷底へと消えていく残響のような、長い長い溜息。そして、すべてが止まった。朱莉のジャケットを掴んでいた彼の指が、力なく解け、凍てついた雪の上に落ちた。
「海斗……?」
朱莉の声が震える。小さく、壊れそうな声だった。
彼女は海斗の肩を優しく揺らした。それから、もっと激しく。
「海斗、冗談はやめてよ……見て、お日様が起きたよ。一緒に見るって約束したじゃない。卒業アルバムのために、一緒に写真を撮ろうって言ったじゃない……」
僕は二人の数歩後ろで立ち尽くしていた。見えない手に心臓を握り潰され、何も残らなくなるような感覚だった。
「海斗! 起きて!」
朱莉が叫んだ。その悲鳴は、静まり返った朝の空を切り裂いた。彼女は海斗の頭を胸に抱き寄せ、冷え始めたその体に自分の温もりを分け与えようとする。「私を一人にしないで……まだ心の準備ができてないの。毎日どれだけ愛してるか、まだちゃんと伝えられてないんだよ……」
朱莉は激しく泣き崩れた。その泣き声はあまりにも切なく、僕も叫び出したい衝動を抑えるために、唇を強く噛み締めるしかなかった。
「……どうして、あなたなの? どうして江戸じゃなくて、あなたを連れて行っちゃうのよ!?」
朱莉が取り乱して叫んだ。心の奥底にある傷口から、無意識に溢れ出した言葉。
僕は息を呑んだ。その言葉は、どんな氷の棘よりも鋭く僕を貫いた。足の傷を抱え、肩を麻痺させながら海斗を背負ってきた僕がそこに立っているのに。自分の存在が、一種の「間違い」だと言われたようだった。
けれど数秒後、朱莉は腫れ上がった瞳で、後悔に満ちた顔で僕を見た。
「ごめん……江戸君……ごめんなさい……私、もう、どうしたらいいか分からなくて……」
僕はゆっくりと近づき、二人の隣に膝をついた。海斗の冷たくなった手に触れる。親友であり、ライバルであり、僕の重荷だった彼……。彼は、もう行ってしまった。
「あいつはもう、楽になったんだよ、朱莉」
ほとんど出ない声を絞り出す。「空に一番近い場所で逝ったんだ。あいつは、幸せだったはずだ」
「でも、帰らなきゃいけないんだよ、江戸君……。あの子なしで、どうやって帰ればいいの?」
僕は険しく危険な下り道を見つめた。本当の試練はここからだ。魂の抜けたこの体を背負い、滑りやすい鉄梯子を下りて、家に送り届けなければならない。僕自身も、心は粉々に砕け散っているというのに。
「僕が背負っていく」
海斗の体に再びロープを回しながら言った。「僕がここまで連れてきたんだ。だから、僕が家まで送り届ける。……あいつの両親の元へ」
僕は再び海斗の遺体を背負った。今度は、重みの質が違った。首筋に触れる息遣いも、背中に感じる鼓動も、もうない。ただ、凍てつくような冷たさが僕の全身に伝わってくるだけだった。
下る一歩一歩が、拷問だった。朱莉は僕の隣を歩き、僕の背中で垂れ下がった海斗のジャケットの端を握りしめていた。まるで、恋人の帰宅を最後に見届けるかのように。
僕は、自分の初恋の葬送人だった。
無慈悲なまでに青い長野の空の下、僕は悟った。自分の一部もまた、この頂上で海斗と共に死んでしまったのだと。
「最後までお読みいただきありがとうございます。次回の更新は明日、22:00を予定しております。また明日お会いしましょう!」




