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第3R 背負うもの

 涼風が岡田厩舎に来て1か月と少しが過ぎた。

 

 ようやくトレーニングにも慣れてはきたものの、例の件もあり、涼風はどうしても桜のことが気になってしまうのであった。


 そんな中、またしても桜は大仕事をやってのけた。G1競走であるオークス3歳牝競走で2着となったのだ。前走の桜花賞3歳牝競走(G1)で7着に敗れて人気を落としていた桜であったが、周囲の評価を覆して自身2度目となるG1競走での2着という成績を残したのである。


「桜さん。お、おめでとうございます。」

「ありがとう。」

 

 涼風はリカバリールームで桜と一緒になった。月曜日の今日は、トレーニングセンターは全休日であるため競人達は各自思い思いに過ごしている。


 いつもは大志とともに行動をしている涼風であるが、この日はたまたま一人で過ごしていた。桜とは前運動を一緒に行っているため慣れた関係のはずなのだが、二人きりとなるとどうも勝手が違うようだ。


「なに。涼風君緊張してるの。」

「そそ、そんなことはないです。」


 桜に茶化された涼風は自分の顔が真っ赤になるのを感じた。桜の過酷な競走日程を気にしているうちに桜のことを考えることは多くなったが、『それ以外の意味はない』と涼風本人は思っているのである。


「お姉さんの魅力にあてられちゃった感じかな。」


 トレーニングのときははいつも真面目で口数の少ない桜であったが、どうやら意外と茶目っ気のある性格のようだ。


「あっ。いえ。そんな。」


 桜に煽られて言葉にならない返事を返す涼風。


「あはははは。意外とシャイなんだね。」

「ははっ。ははっ。」


 涼風は自分の顔が引きつっているのを感じた。しかし、それ以上に桜の人間味溢れる性格を知れたことに喜びを感じているのであった。


「桜さん、身体の調子はどうですか?」

「レースが終わったばかりだから結構きついけど、それ以上に喜びの方が大きいからね。まぁ優勝できなかったのは残念ではあるけどね。」

「本当にすごかったです。大外から伸びてくる桜さんを見て、テレビの前で大志さんと広道と絶叫してました。」

「あはははは。あha~。」


 鼻息を荒くして熱弁する涼風の様子に笑い転げる桜と、普段では見ない桜の様子にきょとんとした様子の涼風であった。


 しばらく雑談をしながら互いにストレッチなどをしていたが、ふいに涼風が例の件について質問をする。


「あの、桜さん。レース間隔がかなり詰まっていますけど・・・。」


 桜の顔が一瞬こわばったように見えた。


「すいません。今のは聞かなかったことにしてください。」


 やはりまずかったか。涼風はすぐに撤回を申し入れるが嫌な沈黙が続いた。


「ほんとっ、いやになっちゃうよね。こんな可憐なレディーにあんなに出走させるんだから。絶対に呪ってやる。」


 しばらく考えていた桜が笑顔で答えてくれた。涼風はほっと胸を撫でおろす。


「オーナーのことは本当に嫌い。でもね、ここの人たちが一生懸命にサポートをしてくれるから、それだけで毎レース毎レース大変だけど走り切れるんだよ。スタッフには感謝していてるから、これからも期待に応えたいと思っているよ。」


 涼風は雷に打たれたかのような衝撃を覚えた。涼風の中では、桜は無理矢理にレースに出走させられている悲劇のヒロインという認識であった。しかし、桜の口からは予想にもしない言葉が返ってきた。


「それじゃ、先に部屋に戻るね。」


 そう言うと桜はリカバリールームを後にした。


 涼風は桜の背中を見つめながら、自身の競人としての覚悟の甘さを痛感しながらも、何か心の雲が晴れていくのを感じていた。


 6月に入り広道と涼風のデビュー戦が決まった。

 

 広道は、6月初週の東京競走場で行われる新人戦だ。涼風は6月最終週の福島競走場で行われる新人戦に決まった。


 競人は、毎年約8000人が生産されている。その中からJHRAの所属としてデビューできる競人は5000人弱である。JHRAでデビューできなかった競人は地方公共団体が主催をする地方競走場の所属となったり、競走に向かないと判断された場合には用途変更手続きをとられ、競走とは別の道を歩むこととなる。


 そして、JHRAからデビューを果たした競人のうち、1勝をあげることができるのは1500人程だ。涼風達はこの過酷な競走の世界で、まずは、第一関門であるデビューを果たすことができるところまで来たのである。


「涼風。」


 トレーニングを終えた涼風を岡田が呼び止めた。


「もうじきデビュー戦だな。俺はお前が勝つと踏んでいる。」

「精一杯頑張ります。」

「よしよし。それでな、お前のオーナーの越さんは新潟競走場の会員なのは知ってるな。」

「はい。聞いています。」

「オーナーはお前が新潟競走場で走る事を大変楽しみにしている。だからな、8月に開催される新潟競走場の2歳チャンピオンを決める新潟2歳競走(G3)を目標にしてみろ。」


 涼風は力強く頷く。

 

「まずは、デビュー戦だ。しっかりと仕上げておけよ。」


 そう言い残すと岡田は去って行った。


 涼風は、はっきりと目標を掲げられたことで、自身のデビュー戦が近づいていることをはっきりと認識し直したのであった。


 涼風は、トレーニング後のストレッチで広道とリカバリールームで一緒になった。


「今週はデビュー戦だね。調子はどう?」

「やっぱり緊張するよ。涼風君は月末だったね。」

「そうなんだよ。岡田調教師から新潟2歳競走を目標にしっかり勝ち上がれって発破をかけられちゃったよ。」

「そっか。オーナーが新潟の人って言ってたもんね。頑張らなきゃ。」

「目標とは言うけど、まずは勝ち上がらない事には始らないからなぁ。」

「そうだね。お互いに勝ち上がれるといいね。」

「広道は目標の競走とか決まってるの?」

「今のところは決まってはいないよ。今週の競走を勝っても負けても北野グループのトレーニング施設に戻る予定だよ。」


 広道達、北野グループに所属する競人は、普段は北野グループのトレーニング施設でトレーニングを行い、出走競走が近くなると関東トレーニングセンターの厩舎に戻ってくるという方式を採っている。


「そっかぁ。次はいつ戻ってくるの。」

「一応、10月の東京開催の予定だよ。」

「やっぱり、北野グループは中央場所にしか興味なしって感じだな。」


 JHRAには10場の競走場がある。その中で、中央場所と呼ばれる東京、中山、京都、阪神の競走場は格式の高い競走が組まれるため必然的に出走競人のレベルが高くなるのだ。


「今週の競走の出来次第ではあるんだけどね・・・。」


 少し広道の顔が曇ったようにも見えたが、二人は黙々とストレッチを続けるのであった。


「涼風君。僕はマッサージに行くね。」


 そう言うと、広道はリカバリールームを去って行った。


「おう。涼風。」


 広道と入れ違いに大志がリカバリールームにやって来る。


「涼風、調子はどうだ。」

「まあまあですね。」

「ははは。余裕そうだな。」


 涼風は少しおどけて返事をする。


「大志さん、広道とは今後一緒にトレーニングする機会が減っちゃうんですね。」

「そうだな。北野グループは自前でトレーニング施設持ってるから、調教師は出走登録だけしておけってスタンスだ。」

「へぇ~。」

「ここだけの話だけどよ。岡田調教師はそれが気に喰わないから、あまり北野グループ出身者を採らないんだぜ。」


 大志は小声で悪い笑みを浮かべながら涼風に囁く。


「岡田調教師の性格なら納得です。」


 涼風は岡田の顔を思い浮かべ、つい笑いが漏れてしまうのであった。


「それは冗談として、涼風この話は胸の内にしまっておけ。」

「何でしょうか?」

「広道が何で岡田厩舎に居るのかって話だ。」


 涼風は息をのんだ。


「北野グループには大勢の有力競人がいるだろ。グループ内部での競争もかなり大変なんだ。」

「はい・・・。」

「そして。期待されている競人はだいたい決まった厩舎の所属になる。関東でいうなら国江厩舎とか手越厩舎とかだな。」

「はい・・・。」

「ここまで言えば分かると思うが、岡田厩舎はその厩舎のリストには入っていない。」


 涼風は、広道との会話の途中で、広道の顔が曇ったように見えたことが事実であることに気が付いた。


「何か言っちまったようだな。」


 涼風の顔が青ざめるのを見て大志は悟った。


「言ってしまったものは仕方がない。広道に気を使わせないように普段通り接するんだぞ。いいな。」


 ストレッチとマッサージを終えた涼風は部屋のベッドに居た。


 ―広道には悪いことを言っちゃったな。北野グループってだけでも相当なプレッシャーがあるのに、広道の気持ちとか何も考えてなかった。―


 涼風の頭の中はまたしても思考がぐるぐると回っているのであった。


 広道のデビュー戦当日。


 涼風は反省から、レースのことには触れずに広道とのトレーニングの時間をを過ごしていた。広道自身も競走に向けて集中した様子で涼風との会話を気にする様子は見せていなかった。


「広道!がんばって!」

「ありがとう。行ってくるね。」


 手短に挨拶を済ませると、広道は東京競走場へ向かう車に乗り込んだ。


 正午過ぎ。


 広道のデビュー戦が終わった。圧勝であった。広道は2番手を難なく追走すると余力たっぷりに抜け出し、最後は流す余裕を見せながら後続をちぎってみせた。


 涼風は戦慄した。正直なところ広道がここまでの走りを見せるとは思ってもいなかったのだ。広道の勝利に対する嬉しさに相反する何か恐怖のようなものを感じていた。


 日高地域の育成センター出身の涼風は、その中では優秀なグループでのトレーニングを受けてきており、その評判は上々のものであった。涼風本人もその評価は耳にしているであるから、ある程度の自信は持っていたのだ。しかし、北野グループ出身の広道が想像以上の走りを見せたのである。北野グループのメイン厩舎ではない、岡田厩舎所属の広道が。

 

「桜、広道の走りみたか?」

「見た見た。びっくりしちゃった。」


 大志と桜が話しながら涼風の元へやって来た。


「涼風、ビビったか?」


 大志が尋ねる。


「正直、想像をはるかに超えていました・・・。」


 俯き加減に涼風は応えた。


「なんだかんだ言っても、広道君も北野グループだからね。私もG1で毎回北野グループの人に負けてるよ。」

「お前の場合はそもそも走りすぎなんだろ。」

「あっ!いったなぁ大志!」


 桜と大志がふざけ合うが、涼風には混ざるほどの余裕がなかった。


「涼風、何ブルーになってんだよ。お前、広道と桜と一緒にトレーニングしてるんだぞ。ましてやこの俺も一緒だ。」

「一人余計じゃない?」

「うっ、うるせいやい。」


 桜が大志にお返しとばかりに挑発をする。


「涼風、もう少し自信を持っても良いんじゃない?そこの大志みたいに。」

「桜!一言余計だぞ。でも自信を持って良いのは間違ってないな。」


 確かに、岡田厩舎に来て2か月。大志、桜、広道とみっちりとトレーニングを積んできた。自分なりにメンバーに喰らいついてやって来たのだからある程度はやれるのかもしれない。


 広道の走りにすっかり気後れしていた涼風であったが、大志と桜のコミカルな掛け合いもあって少し前向きな気持ちになることができた。


 夕方になり広道が帰ってきた。


「おめでとう。」

「ありがとう。何とか良い結果が出せてよかったよ。」


 涼風はいの一番に広道を出迎え、一緒にリカバリールームでストレッチを始めた。


「正直に言うと強すぎてびっくりしたよ。」

「ははは。ありがとう。」

「この前、広道に嫌なこと言っちゃったかなと思って。レースに響かないか心配だったんだ。」

「余計な心配かけちゃったんだね。正直に言うとレース前は色々と不安なこともあったけど、今は吹っ切れた気分だよ。」


 広道は、心境を打ち明けた。


「どれくらい走れるか不安だったよ。それにやっぱり所属厩舎のことは周りからも言われるから嫌でも気になってしまうしね。」

「やっぱりそうだよな。ごめん。」

「いいんだよ。厩舎に来た最初はトレーニングとかに疑問もあったけど、今日の結果を受けて大志さんや桜さん、それと涼風君とのトレーニングは間違いがなかったのかなって今は思っているよ。」

「桜さんは3歳女子の中ではトップクラスだもんな。」

「そうだね。それと大志さんもやっぱりすごい人なんだと思うんだ。確かにクラスは2勝クラスだけど、トレーニングに対する姿勢なんかは見習わないといけないなって。それに、走りだって圧倒されるから2勝クラスに留まっているのが不思議なくらいだよ。」

「確かに、それはそうかも・・・。」

「とにかく、今は岡田厩舎で良かったと思っているよ。」


 その後、二人は育成センター時代のことなど夜遅くまで談義を咲かせたのであった。


 自室に戻った涼風はベッドに横たわり、広道の心境と自分の心境を重ね合わせながら物思いにふけるのであった。

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