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笑顔の味、心のレシピ 〜不器用なバツイチシェフは恋心に気づかないフリをする〜  作者: タルトタタン
東京本大会パティシエコンクール編

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102/104

102 蘇る言葉

 控え室に荷物を置いたあと、

マナは一度、席を立った。

(……トイレ行こう)

深呼吸をひとつして、廊下へ出る。


 会場の外は、さっきまでの静けさが嘘のように、

人の気配と緊張感に満ちていた。

白い廊下。

 すれ違うのは、同じコンクールに挑むパティシエたち。

誰もが無言で、険しい表情をしている。


 そのとき―― 


「瀬川じゃん。なんでお前ここにいんの?」

心臓が、跳ねた。


ゆっくりと振り返る。

「……安藤先輩?」


そこに立っていたのは、

かつて働いていた雅ホテルの先輩――安藤だった。

同い年だが、高卒で入社した彼は二年先輩。 


 そして――マナにとって、忘れたくても忘れられない存在。

『お前、生理だと全然使えねぇな!』


『お前、パティシエ向いてねぇよ』

チョコペンで文字を書いている最中、わざと机を叩かれたあの日。

手が震え、うまく書けなくなった感覚が、今も残っている。


(……っ)

喉が、ひゅっと鳴る。

身体が、わずかに強張った。


「お前みたいのが書類審査通ったのか?」

安藤は、品定めするようにマナを見下ろす。


「どんな手を使ったんだよ」

「いえ……そんな事は……」

声が、うまく出ない。


「あぁ……」

ニヤリ、と口元を歪める。

「どこかの審査員のシェフに気に入られるような事とかしたのか?」

「いえ……そんな事は……」


「まっいいわ……」

興味を失ったように肩をすくめる。

「どうせお前みたいな奴は最下位だ」


一歩、すれ違いざまに。

「俺が優勝だからな」

冷たい視線だけを残して、安藤はそのまま通り過ぎていった。


足音が、遠ざかる。


――静寂。


マナは、その場に立ち尽くしていた。

胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。


呼吸が浅くなる。

(……また……)


過去の言葉が、蘇る。


 その場にいられなくなり、マナは足早にその場を離れた。


 トイレを済ませ、手を洗う。

蛇口から流れる水が、コポコポと静かに響く。

その音だけが、やけに大きく感じた。


 マナは、背筋が凍るような感覚に襲われていた。

ゆっくりと顔を上げる。


鏡に映った自分は――

顔色が真っ青だった。 


『お前はパティシエに向いてない』

頭の奥で、あの声が響く。

呪いのように、重くのしかかる。


(……っ)

視線を逸らしそうになる。


そのとき――


『そんな奴の事忘れろ』

「……っ」

ハッと息をのむ。


 ふいに、ある光景が蘇る。

静かな厨房。コーヒーの香り。


松永が、何も言わずに一杯のコーヒーを差し出してくれた、あの日。


『マナは才能あるよ』

その言葉が、胸の奥にじんわりと広がっていく。

(松永さん……)


ぎゅっと、拳を握る。

もう一度、鏡を見る。 


さっきと同じ顔。

でも――


ほんの少しだけ、違って見えた。

「笑顔っ!笑顔」

震える声で、自分に言い聞かせる。


ぎこちなく、それでも確かに口角を上げる。

(大丈夫……)

小さく息を吐く。


 マナは、鏡から目を逸らさずに、もう一度うなずいた。

そしてそのまま、トイレのドアを押し開けた。




続く


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