101 戦いの前の深呼吸
9時20分。都内。
マナは遠藤製菓専門学校の駐車場に到着した。
ここは料理界で有名な料理評論家・遠藤和夫が立ち上げた学校で、現在も講師として活躍している。
東京で一番有名な製菓学校だ。
「10時受付……かなり早く着いたぁ……渋滞もなくて良かった……」
ふう、と小さくため息をつき、コンビニで買ったホットコーヒーを口にする。
ふと、コンテナの中から松永のパレットを手に取った。
今までどれだけ松永に頼っていたのか――
そんなことを、改めて思い知らされる。
マナはコンクールの概要をもう一度確認する。
もう何十回と読み、暗唱できそうなくらい目を通したはずなのに、不安は消えてくれない。
『マナ、何回もイメージトレーニングしろ。時間内で落ち着いてやれる自分をイメージしろ』
(松永さん……)
(開始は11時。審査員や専門学校の在校生が見ていて……作業の様子はユーチューブでライブ配信される……)
(でも、私は集中するだけ……)
マナはそっと目を閉じる。
頭の中で、手順をなぞる。
(最初にオーブンの予熱設定……オーブンの癖がわからないから、いつもより5度低く……)
(湯煎を用意、計量……)
(大丈夫……何回も練習してきた)
「後は……」
そのとき、三日前の練習後の会話がふっと蘇る。
『マナ、あと一つ審査員の癖だな』
『いろんな審査員がいると思うが……作業中の表情を明るくするようにしろ』
『明るくですか?』
『そうだ。眉間にしわを寄せて苦しそうに作るやつと、表情が柔らかく楽しそうに作ってるやつ……どっちを応援したくなる?』
『楽しそうな方ですかね……』
『だろ?審査員も人間だからな。応援したいと思われるパティシエになれ』
『わかりました』
そしてもう一つ、松永が話していたことを思い出す。
『後は特別審査員の加点方法についてだ』
『特別審査員?』
『簡単に説明すると、特別審査員は大会のスポンサーだな』
『会場費、審査員の人件費を企業が負担し、なるべく出場者に負担させないようにしている』
『特別審査員は通常の審査員より+20点加点出来るようになっている』
『その20点の加点はその特別審査員が決めて良いことになっている』
『ただし、加点基準は事前には伏せられ採点後、わかるようになっている』
『昨年は転職サイトの求人会社が特別審査員で、書類審査、本大会での前向きさから将来性が加点基準だった』
『そんな基準があるんですね……』
『だから、マナは応援されるような人間になれ』
マナはゆっくりと目を開けた。
バックミラーに映る自分の顔は、思ったより不安げだった。
「笑顔!笑顔!」
慌てて口角を上げる。
(この日の為に頑張ってきたんだ!頑張らないと……)
マナは深く息を吸い込んだ。
遠くから、製菓学校の門をくぐる車が一台、また一台と増えていく。
同じように夢を抱えたパティシエたちが、ここに集まってくる。
そして、もう一度だけバックミラーの自分に向かって、小さくうなずいた。
続く




