100 パティシエコンクール東京本大会へ
早朝。まだ外が薄暗い時間。
マナは厨房でひとり、黙々とコンクール用の食材を車に積み込んでいた。
箱の向き、保冷剤の位置、衝撃を受けない配置を何度も確認しながら、慎重に詰めていく。
すべて積み終えたあと、マナはふと、作業台の上に置いてあった一本のパレットに目を向けた。
松永のパレット。
そっと手に取り、胸に抱きしめる。
(……一緒には行けないけど……)
使う予定はない。
それでも、持っていきたかった。
マナは静かに道具ケースを開き、
その中へ、そっとしまった。
外へ出ると、朝の光が一気に差し込んでくる。
まぶしさに目を細めながらも、
マナの表情は、不思議と凛としていた。
車に乗り込み、エンジンをかける。
ナビに、東京の会場の住所を入力する。
ピッ――という音が鳴ったあと、
マナは一度、目を閉じた。
深く、ゆっくりと息を吸って、吐く。
「……行ってきます」
小さく、でもはっきりと呟いた。
車は静かに走り出し、高速道路へと入っていく。
――東京へ。
フロントガラスの向こうに広がる景色を眺めながら、マナの脳裏に、これまでの日々がよみがえった。
初めて松永の店で食べたショートケーキ。
優しくて、あたたかくて、思わず涙がこぼれたあの日。
一緒に働くようになって、失敗して、落ち込んで、それでも、何度も立ち上がれたこと。
コンクールの書類審査に向けての練習。
夜遅くまで残って、黙々と作業した時間。
気づけば、いつも隣に松永がいた。
前に立って引っ張るわけでもなく、厳しく叱るわけでもなく。
ただ、そっと横で支えてくれていた。
――あの人がいたから、ここまで来れた。
(……私……)
マナは、そっと唇を噛む。
(私、松永さんが好きだ……)
優しくて。
一緒にいると、なぜか安心できて。
そばにいるだけで、心が落ち着く。
そんな存在。
でも――
(今は……一人)
しかも。
東京本大会の審査員には、かつて働いていた「雅ホテル」の吉村シェフがいる。
厳しく、完璧主義で、妥協を一切許さない人。
胸ぐらをつかまれた時の記憶が、胸の奥をちくりと刺す。
マナの指が、無意識にハンドルを強く握った。
わずかに、震える。
(……怖い)
正直な気持ちだった。
でも。
(逃げない)
ここまで来たのは、松永さんと一緒に積み重ねてきた時間があるから。
私は、一人じゃない。
マナは、前を見据えた。
朝の光の中、車はまっすぐ、東京へ向かって走っていく。
――夢の舞台へ。
続く




