五十六話 真面目で気弱で臆病な
「……思ってたより落ちついた夜会じゃない。もっとあっちこっちでガバッと行ってんのかと思ってたわ。拍子抜け」
黒いドレスを身につけて、暗がりに溶け込む様にして青紫の瞳をフェリシアに向けていたガートルードは悪態を吐いた。
白いドレスに白い髪。少ない明かりの中でも淡く光って見えるフェリシアは遠目でも見つけやすい。
彼女が同じく白っぽい髪をした長身の男性に話しかけられる所から今まで、ガートルードは目立たぬ様に入り口側の壁、明かりの下を避けた暗い部分に張り付いていた。
「あいつもそう。長身に、暗がりでも映える髪色……攻略相手のオスカーだと思うけど、こんな所にいるくせに普段通り紳士気取っちゃって、ちゃっちゃと連れ込んじゃえば良かったのに大人しいんだから。外交官なんてお堅いキャラのわりにパーティー好きな設定だったけど、まさかこっちの夜会にも顔出してるとはね。紳士で真面目な好青年の部分に惹かれてたオスカー推しは発狂するんじゃないかしら。潰れたシナリオって間違いなくあいつ絡みね。つまんない奴と思ってたけどとんだパリピじゃない」
ガートルードは手にしたグラスに口を近付けながらフェリシアから離れたオスカーを見た。
「簡単に追い払われちゃって……情けない奴。まぁ、アル様とフェリシアはお互いがお互いに不審を抱いてる状態だから、あいつが居てもいなくてもこの場で修復は無理でしょうけど。ああ、記憶が戻ってから約十四年……長かった。でもやっと、アルベルト様に手が——」
ガートルードが低く笑いながらグラスを傾けた時、突然横から誰かにぶつかられた。
その拍子に、グラスの縁に欠けたと思う程の勢いで強か歯を打ちつけた為、ガートルードは声無く悶絶する。
「——っ……——ぅ!」
「あ! 人がいるとは思わず、失礼を……大丈夫でし——」
聞き覚えのある声に痛む前歯を押さえて振り向くと、ぶつかってきたのはロドニーだった。
「どっこ見て歩いてんのよ危ないじゃない! 歯が欠けたかと思ったわよ! あー痛いっ!」
「ガートルード嬢⁈ なんでこんなところに……」
ロドニーは驚いた様子を見せている。そういえば、何の返信もしていなかったなと痛みで滲んだ涙を拭いながらガートルードは思い出す。
「……なんでって、この夜会にって意味なら、私には頭がパーリナイしてる兄がいるからで、こんな暗がりにって意味ならここから静かにあの二人の最後を見届けようと思ってるからよ」
「あの二人って……アルベルト卿もいらっしゃってるの?」
「当たり前じゃない。アルベルト様に婚約者の痴態を見ていただく為に来てるんだから。今日が待ちわびた二人の最後よ」
単純に夜会への興味が大きかったからとは言わない。
「最後って……」
ロドニーが何故か焦ったような声を出したが、ガートルードは構わず二人を視線で示した。
「ほら見て——あら、何で移動したのかしら——ほら、中央付近。今ちょうど、お互いがお互いに抱いた不審感の頂点なの。きっと今日が決別の日、待ちに待ったクライマックスよ。私達の悲願はようやく達成される。先に祝杯と行きましょうよ」
楽しみで堪え切れないといった風に微笑み、ガートルードは近くのテーブルからグラスを取ろうと手を伸ばした。
けれどそれをロドニーが掴んで止めた。
「待って。聞いてなかったと思うけど、今日のこと……」
「……伝え損ねたの。手紙が届いたのが昨日の事だったから。でもそれで何か不都合あって?」
「不都合って言われたら……それは……でも今、急にここで二人が別れる事になっても……今の状態じゃ、フェリシアは……」
「……なに? 聞こえませんわ。はっきり喋ってくださらない?」
俯いてボソボソと呟くロドニーにガートルードは苛立ちを隠さない。
強い口調で促されたロドニーは少し迷う素振りを見せたが顔をあげて訴えた。
「今のままじゃフェリシアは僕を見てくれない!」
「そうかもね。だけどそれが何?」
だから今じゃない、待ってほしい。
そう訴える気持ちを込めた言葉をあっさりと受け流されてしまってロドニーは虚を衝かれた。
「なにって……だから、それじゃ、話が違うから……」
「違う?」
ガートルードは大きな溜め息を吐くと、掴まれたままだった腕を振り解いた。
「ねぇ。ねぇねぇねぇねぇ、ねぇロドニー! 私達の目的は何? 何の為に協力関係を結んだかあなたお忘れ? あの二人の心からお互いを追い出す為よねぇ。それが今叶おうとしてるのに話が違うですって? 勘違いしないで! 言ったはずよ、その後に関しては保証しないって。それでもこの話に乗ったのはあなたでしょ。空っぽになったフェリシアの心に入り込めないんだとしたら、それはあんたのせいに他ならない。私のせいでも間違ってるからでもない。あんたがヘタレだからよ」
詰め寄るガートルードにロドニーは気圧されながらも言い返す。
「わ、わかってるよ……そんな事言われなくたって。でも、こんな汚い真似しても、今じゃまだフェリシアには届かないんだ。だからもう少し待って——」
「待ってって言われても、もう私だって止められないもの。それに待ったところで何か変わるの? 無駄だとわかってるから、フェリシアとの関係を壊すのが怖いからって、自分からは何も動かずに結局諦めるしかなかったあんたが。今だってそうでしょ? 散々小細工はして来たけど、あんた自身が何かあの子にアプローチしてみせた? この後に及んで自分から踏み出せもせずにいて、フェリシアに気づいてもらいたい、だからまだ早い待ってくれだなんて。真面目で気弱? ただの臆病な卑怯者よ笑っちゃう」
「君に……君にだけは卑怯だなんて言われたくない!」
「あらやだ、意外とプライド高いのかしら? そうよ、私は人の事言えない卑怯な真似してる。はっきり自覚だってしてる。だからこそ、あんたみたいに中途半端な所で怖気づいたりしない。羨むだけの人生はもうやめたの。私はやっと主人公になったんだから。どんな真似してでも手に入れたい物が目の前にあるのよ。それに手が届く可能性があるんだから卑怯だって分かっててもやるわ。私はあんたみたいに軟弱な気持ちでアルベルト様を愛してるわけじゃないの」
距離を詰めたガートルードは下からロドニーを睨みつけた。鋭さのせいか、その瞳からロドニーは目が離せなくなる。
「それは僕だって、簡単に諦められなかったから……だから卑怯と分かっていても君と協力……」
「僕だって、ですって? 言うじゃない。私と同じだけの覚悟があるって言うんだったら、こんな所でオドオドしてないでやってみせたらどうなの。踏み出して、手を伸ばしてみせなさいよ。ここに来るまで散々汚い真似しておきながら、気づいてほしいから待てだなんて弱気なこと言ってないで、自分からフェリシアを手に入れて見せたらどうなの? 私と組んで卑怯な手を使ってまで二人の仲を乱したのは何の為? 全てはあの子を自分のものにする為でしょ? だったらうだうだ言ってないで行動してみせなさいよ、ねぇ、ロドニー?」
享楽の喧騒と音楽が満ちるはずのホールの中で、ガートルードの言葉だけが頭の中で反響する。
目眩がする感覚がして、視界に収まっている背景が渦巻く様に歪んでいく。
それなのに、何故かガートルードの瞳だけは縫い止められたように視界の中央に据えられたまま動かない。
世界の端の方が俄に騒がしい気がしたがすぐに遠くなって、急に置き去りにされた気分がする。
何かおかしい、と意識の片隅で思うのにそれが何かがわからない。
わからないまま、ただずっと今掛けられたばかりの言葉の反響音を聴きながらロドニーは見つめ返す。
鋭い眼差しを向け続け、赤紫に光って見えるガートルードの両の瞳を。
コンプライアンスマン「未成年飲酒、ダメ絶対!」
中身アラ■■「……ちっ!」




