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8/9

最強スライム、終わったはずの放課後


 山へ向かう乗り物を作ったら、定員が増えていた。


 ミナ。

 セレスさん。

 エレオノーラ。


 三人が座って、その後ろに荷物。


 私は床であり、座席であり、足回りだった。


「快適ですわね」


 エレオノーラが、背もたれに体を預けた。


「伯爵家の馬車より揺れません」


「褒められてるのは分かるけど、気持ちは複雑」


「ぜひ、父にも紹介したいですわ」


「馬車として?」


「友人としてです!」


 ミナが笑った。


 セレスさんは、乗ったときからずっと床を観察している。


 指で押す。

 手帳に書く。

 もう一度押す。


「くすぐったいんだけど」


「失礼しました。衝撃をどこで吸収しているのか気になって」


「私の我慢」


「精神力による制御、と」


「書かないで」


 山道を、四人で進む。


 前は、この道を下りるだけで精いっぱいだった。


 いまは、後ろから話し声がする。


 それがうれしくて、私は少し遠回りをした。


 見晴らしのいい尾根を通ったら、エレオノーラに「落ちませんわよね?」と三回聞かれた。


     ◇


 アルジェントは、洞窟の外にいた。


 珍しかった。


 いつもなら鼻を叩くまで起きないのに、今日は崖の上で、東の山を見ている。


「ただいま」


 呼ぶと、銀色の首がゆっくり動いた。


『……来たか』


 声が低かった。


 セレスさんが息をのむ。


 エレオノーラは、座席から降りる途中で止まっていた。


 初めて見る白銀竜は、二人が想像していたものより、ずっと大きかったらしい。


 でも、私は別のことが気になった。


「何かあった?」


 アルジェントは、東へ顔を戻した。


『昨夜、山の向こうで鐘が鳴った』


「鐘?」


『人には聞こえぬ。地の下を伝わる音だ』


 私も地面へ体を広げた。


 岩。

 土。

 木の根。


 その下へ、感覚を伸ばす。


 あった。


 とん。


 とん。


 とん。


 遠い場所で、規則正しい振動が続いている。


 大きな心臓みたいだった。


『三千年、止まっていた音だ』


 アルジェントが言った。


     ◇


 セレスさんは、挨拶も忘れて地図を広げた。


「方角は、こちらでしょうか」


『もう少し北だ』


「では、旧帝国の観測所跡……」


 細い指が、地図の一点を押さえる。


「記録では、崩落して内部へ入れないはずです」


 私は、地面に伸ばしていた体を戻した。


 鼓動のような音に、別の振動が混じっていた。


 ばらばらで、速くて、弱い。


 知っている。


 町を包んだとき、あちこちから伝わってきたものと同じだった。


「人がいる」


 三人が私を見る。


「地下。何人か、走ってる」


 アルジェントの爪が、岩を削った。


『余が上から砕けば、中の者も埋まる』


「私が行く」


 すぐに言った。


 セレスさんが地図を畳む。


「案内します」


「危ないかもしれないよ」


「だからです。旧帝国の施設には、魔力を使っただけで作動するものがあります」


 私は彼女を見た。


 あの巨人も、そうだった。


「分かった。教えて」


 エレオノーラも頷いた。


「わたくしも参ります。今度は、説明を聞いてから動きますわ」


 ミナは、私の横へ来た。


 小さな鞄のひもを、肩にかけ直す。


「包帯、持ってきてる」


 私は三人を乗せ直した。


 今度は、少し頑丈に。


「アルジェント、入口が崩れたら、外から支えてくれる?」


『任せよ』


 銀色の翼が開いた。


 私たちの上に、巨大な影ができた。


 山で暮らしていた三千年の間、一度も見たことのない姿だった。


     ◇


 観測所の入口は、半分崩れた石壁の奥にあった。


 周囲の草が踏み荒らされている。


 新しい車輪の跡。


 捨てられた縄。


 入口の前には、開いた木箱がいくつも積まれていた。


 中に残った布には、金色の紋章。


 エレオノーラが、それを拾った。


「王立学院の調査隊ですわ」


 セレスさんが眉を寄せる。


「この遺跡を再調査する申請は、出ていなかったはずですが」


 そのとき、奥から悲鳴がした。


 私は扉の隙間へ体を入れた。


 内側に引っかかっていた石を外す。


 厚い扉を、押し開ける。


 階段の下から、一人の男が転がるように駆け上がってきた。


「逃げろ!」


 顔が真っ青だった。


 肩から血が流れている。


「下に、まだ人が?」


「止まらないんだ。扉も、魔法も……!」


 男が振り返った。


 階段の暗闇から、細長い金属の脚が現れた。


     ◇


 蜘蛛に似ていた。


 ただし、胴体は棺桶くらい。


 脚の先は、全部刃物。


 天井を這うもう一体が、男へ向かって跳んだ。


 私は男をミナの方へ押し出した。


 代わりに、脚を受け止める。


 刃が体へ沈む。


 そこで止まる。


「先に言っとくけど、痛いのは嫌いだからね」


 八本まとめて握った。


 きゅっと縮める。


 金属の脚が、内側へ折り畳まれた。


 もう一体は、その上へ重ねた。


 逃げないように、二体を結ぶ。


 金属製の、よく分からない置物ができた。


 セレスさんが立ち止まった。


「保存状態が……」


「あとで直せる?」


「……いえ、人命優先です」


 切り替えの早い研究者で助かった。


 ミナが男の肩へ布を当てる。


「押さえていてください。歩けますか」


 私は外へ小さな触手を伸ばし、アルジェントに合図した。


 銀色の爪が、入口の天井へ添えられた。


 これで、帰り道は大丈夫。


「行こう」


     ◇


 地下は、思っていたより深かった。


 壁に光る線が走っている。


 天井には、古い星座の絵。


 でも、床の上にあるのは、新しい足跡と、ちぎれた荷物だった。


 曲がり角で、鉄の扉が落ちてきた。


 私は腕を伸ばして受け止めた。


 そのまま、横へ曲げる。


「通って」


「これ、封鎖用の隔壁です」


 セレスさんが言った。


「非常に硬い合金で——」


「後ろから、もう一枚来てるよ」


「通ります」


 エレオノーラが、その後ろをくぐった。


「あなたと一緒ですと、扉の意味を考えてしまいますわ」


「普段はちゃんとノックするよ」


 奥へ進むほど、鼓動が大きくなる。


 床の文字も増えていた。


 触れたくない感じがする。


 あの巨人の中枢と、よく似た流れだった。


 私は三人の足元へ、薄く体を敷いた。


「線、踏まないで。私の上を歩いて」


 セレスさんが頷いた。


「施設の認証術式です。侵入者から魔力を抜き取ります」


「じゃあ、こっちからはあげない」


 表面を閉じる。


 床の文字が、一斉に光った。


 引っ張られる感覚。


 でも、私からは何も出ていかない。


 壁の光が、少し暗くなった。


 向こうの方が、疲れたらしい。


     ◇


 広い部屋に出た。


 中央に、巨大な輪が浮かんでいた。


 石なのか、金属なのか分からない。


 何重にも重なった輪が、別々の方向へ回っている。


 その下で、三人の調査員が倒れていた。


 もう一人が壁際に座り、必死に杖を振っている。


 床から伸びた光の糸が、全員の手足へ巻きついていた。


『不足魔力を徴収中』


 部屋に、平たい声が響いた。


『接続を維持してください』


「止めろと言ってるだろう!」


 壁際の男が叫んだ。


 私たちに気づくと、目を見開いた。


「来るな! 捕まるぞ!」


 私は床へ広がった。


 四人の体へ届く。


 光の糸を、一人ずつ切る。


 傷口を避けて包み、通ってきた廊下へ運んだ。


 ミナが駆け寄る。


 エレオノーラも、その隣へ膝をついた。


「ここは、わたくしたちが」


 彼女はミナを見た。


「何をすれば?」


「この人の頭、少し支えて。ゆっくり」


 私は中央の輪へ向き直った。


 まだ、回っている。


 人から吸えなくなった分を、壁から取っている。


 壁から足りなくなったら、もっと外へ取りにいく気配があった。


 山の根へ。


 地脈へ。


「これ、何の機械?」


 セレスさんが、柱の文字を読んでいた。


 顔色が変わる。


「観測装置ではありません」


 指が、古い文字の一列を追った。


「界境を越えるための……召喚門です」


     ◇


 輪の真ん中が、揺れた。


 水面みたいだった。


 その向こうに、何かがある。


 黒い空間。


 白い光。


 ちらちらと、違う景色が重なる。


 私は一歩、近づいた。


「召喚って」


 声が、うまく出なかった。


「別の世界から、呼ぶやつ?」


 セレスさんは柱から目を離さなかった。


「理論上は。ただ、成功したという確かな記録は——」


『対象を捕捉』


 機械が言った。


 輪の向こうに、手が現れた。


 人間の手。


 五本の指が、何もないところをつかもうとしていた。


 その腕を、白い光が引っ張っている。


 続いて、頭。


 肩。


 誰かが、向こう側から引きずり出されていた。


「いる!」


 私は叫んだ。


 体を伸ばす。


 その瞬間、輪の外側が割れた。


     ◇


 音が、消えた。


 割れた場所から、黒い線が広がった。


 触れた柱の上半分がなくなる。


 落ちたのではない。


 砕けたのでもない。


 そこだけ、最初から存在しなかったみたいに消えた。


「ひまり、戻って!」


 セレスさんが叫んだ。


「接続が崩れています! 触れたら——」


 私は伸ばしていた先端を引いた。


 触手の先が、なくなっていた。


 痛くはなかった。


 でも、いつもの再生とは違う。


 ちぎれた自分が、どこにもいない。


 少し、ぞっとした。


 輪の中の人は、まだ半分しか出ていない。


 止めれば、この人はどうなる。


 壊せば。


 食べれば。


 分からなかった。


 分からないまま、やってはいけない。


「セレスさん!」


 私は輪を囲むように体を広げた。


 黒い線が走る先へ、厚い壁を重ねる。


 一枚目が消えた。


 二枚目も。


 その分を、内側から作り足す。


「閉じるの、待って!」


「手動停止の術式を探しています!」


「止めるのは、引っ張り出したあとで!」


 輪の向こうで、その人が顔を上げた。


 若い男の子だった。


 何か叫んでいる。


 音は届かなかった。


 でも、伸ばした手の形だけで分かった。


 助けて、と言っていた。


     ◇


「エレオノーラ!」


 私は振り返らずに呼んだ。


「昨日の輪っか、できる?」


「封鎖術式ですの?」


「うん。この機械の外側。崩れないように、押さえてほしい!」


「強度が足りませんわ!」


「力は渡す。形をお願い!」


 一瞬だけ、返事が途切れた。


 それから、杖を握る音。


「分かりました。合図で!」


 彼女の足元へ、細い触手を伸ばす。


 杖の先に、白い輪が現れる。


 昨日、私を閉じ込めようとした魔法。


 今日は、壊れかけた門を支えるためのものだった。


 私は少しずつ、魔力を流した。


「まだ、いける?」


「もう少し!」


 白い輪が大きくなる。


 割れた金属を、外から締める。


 回転が、わずかに揃った。


 黒い亀裂が止まった。


「いまですわ!」


 私は、門の中へ手を入れた。


 男の子の腕をつかむ。


 冷たかった。


 強く握りすぎないように、肩から背中まで包んだ。


 引く。


 向こうから、引き戻される。


 輪の下の床が割れた。


 私は足場を増やした。


 廊下へ。


 柱へ。


 遺跡全体へ。


 外で、アルジェントが吠えた。


『支えておる! 構わず引け!』


 私は踏ん張った。


 足はないけど。


 三千年ぶん、踏ん張った。


 男の子の体が、輪を抜けた。


「今!」


 セレスさんが、柱の文字へ手を押し当てた。


 光が逆向きに走った。


 輪が、内側へ潰れた。


 最後の黒い亀裂を、私が包んだ。


 体の一部が消えた。


 それで、終わった。


     ◇


 静かだった。


 床に転がった部品が、一つだけ、からんと鳴った。


 私は男の子を、平らな場所へ寝かせた。


 呼吸している。


 生きている。


 よかった。


 ミナが近づいて、首元を緩めた。


 そこで、私は止まった。


 その服。


 黒い上着。


 銀色のボタン。


 襟の、小さな校章。


 知っている。


 私はそれを、毎日見ていた。


 教室で。


 廊下で。


 放課後の昇降口で。


「……え」


 声が漏れた。


 ミナが顔を上げる。


「ひまり?」


 男の子の顔を見た。


 濡れた前髪。


 右の眉の、短い傷。


 知らない顔のはずだった。


 三千年だ。


 人間なら、何十回も一生が終わっている。


 でも。


「相沢、くん?」


 名前が出た。


 壁に書き残していなかった名前が。


     ◇


 男の子が、まぶたを動かした。


 目を開ける。


 天井を見る。


 ミナを見る。


 エレオノーラを見る。


 それから、私を見る。


「……何だ、ここ」


 その言葉は、日本語だった。


 三千年ぶりに聞いた、自分以外の日本語。


 体の形を、保てなくなりそうだった。


「相沢くん」


 私も、日本語で呼んだ。


 彼の目が、こちらへ戻る。


「誰だ」


「小日向」


 一度、言葉が詰まった。


 もう一度、言った。


「小日向ひまり。二年三組の」


 男の子が、息を止めた。


 彼は私の顔のない体を見た。


 信じられないものを見る目だった。


 当然だ。


 昨日まで女子高生だった人が、青いまんじゅうになっていたら、私だって困る。


 昨日まで、ではないけど。


 もう、三千年も。


「……小日向?」


「うん」


「何で」


 彼の声が震えた。


「何で、お前が」


 私は笑おうとした。


 うまくできなかった。


「それは、こっちが聞きたいよ」


 相沢くんは上半身を起こしかけて、ミナに支えられた。


 それでも、私から目を離さなかった。


「だって、お前」


 彼は言った。


「先週、死んだだろ」


     ◇


 誰も動かなかった。


 セレスさんたちには、言葉が分からない。


 ただ、私たちの様子を見ていた。


 私は、相沢くんの言葉を頭の中で繰り返した。


 先週。


 先週。


 先週?


「……何年?」


 やっと、それだけ言えた。


「いま、日本は何年?」


 相沢くんが答えた。


 私が死んだ年だった。


 月も同じ。


 事故から、九日しか経っていなかった。


 私は地面に触れた。


 冷たい石。


 ひび割れた床。


 これは夢ではない。


 さっきまで、確かにここで戦っていた。


「お母さん」


 言ってから、怖くなった。


 聞きたかった。


 聞くのが怖かった。


「私のお母さん、知ってる?」


 相沢くんは、小さく頷いた。


「葬式で会った」


 私の中で、何かが崩れた。


 思い出せなくなるのが怖くて、壁に書いた。


 声を忘れないように、何度もまねをした。


 もう会えないから。


 同じ世界に戻れたとしても、とっくに誰もいないから。


 そう思っていた。


 相沢くんが、かすれた声で続けた。


「ずっと、お前の写真、持ってた」


 私は振り返った。


 壊れた輪。


 消えた光。


 ついさっき、自分で閉じた門。


「セレスさん」


 この世界の言葉へ戻すのに、少し時間がかかった。


 彼女が膝をつく。


「はい」


「この機械」


 私は、床に散らばった部品を見た。


 さっきまで、危ないから止めることしか考えていなかった。


 いまは。


「直せる?」


 セレスさんはすぐには答えなかった。


 その沈黙が、怖かった。


 私は続けた。


「向こうに、お母さんがいる」


 小さな手を作った。


 震えていた。


 三千年かけても、こんな震えの止め方は覚えなかった。


「まだ、いるんだって」

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