最強スライム、終わったはずの放課後
山へ向かう乗り物を作ったら、定員が増えていた。
ミナ。
セレスさん。
エレオノーラ。
三人が座って、その後ろに荷物。
私は床であり、座席であり、足回りだった。
「快適ですわね」
エレオノーラが、背もたれに体を預けた。
「伯爵家の馬車より揺れません」
「褒められてるのは分かるけど、気持ちは複雑」
「ぜひ、父にも紹介したいですわ」
「馬車として?」
「友人としてです!」
ミナが笑った。
セレスさんは、乗ったときからずっと床を観察している。
指で押す。
手帳に書く。
もう一度押す。
「くすぐったいんだけど」
「失礼しました。衝撃をどこで吸収しているのか気になって」
「私の我慢」
「精神力による制御、と」
「書かないで」
山道を、四人で進む。
前は、この道を下りるだけで精いっぱいだった。
いまは、後ろから話し声がする。
それがうれしくて、私は少し遠回りをした。
見晴らしのいい尾根を通ったら、エレオノーラに「落ちませんわよね?」と三回聞かれた。
◇
アルジェントは、洞窟の外にいた。
珍しかった。
いつもなら鼻を叩くまで起きないのに、今日は崖の上で、東の山を見ている。
「ただいま」
呼ぶと、銀色の首がゆっくり動いた。
『……来たか』
声が低かった。
セレスさんが息をのむ。
エレオノーラは、座席から降りる途中で止まっていた。
初めて見る白銀竜は、二人が想像していたものより、ずっと大きかったらしい。
でも、私は別のことが気になった。
「何かあった?」
アルジェントは、東へ顔を戻した。
『昨夜、山の向こうで鐘が鳴った』
「鐘?」
『人には聞こえぬ。地の下を伝わる音だ』
私も地面へ体を広げた。
岩。
土。
木の根。
その下へ、感覚を伸ばす。
あった。
とん。
とん。
とん。
遠い場所で、規則正しい振動が続いている。
大きな心臓みたいだった。
『三千年、止まっていた音だ』
アルジェントが言った。
◇
セレスさんは、挨拶も忘れて地図を広げた。
「方角は、こちらでしょうか」
『もう少し北だ』
「では、旧帝国の観測所跡……」
細い指が、地図の一点を押さえる。
「記録では、崩落して内部へ入れないはずです」
私は、地面に伸ばしていた体を戻した。
鼓動のような音に、別の振動が混じっていた。
ばらばらで、速くて、弱い。
知っている。
町を包んだとき、あちこちから伝わってきたものと同じだった。
「人がいる」
三人が私を見る。
「地下。何人か、走ってる」
アルジェントの爪が、岩を削った。
『余が上から砕けば、中の者も埋まる』
「私が行く」
すぐに言った。
セレスさんが地図を畳む。
「案内します」
「危ないかもしれないよ」
「だからです。旧帝国の施設には、魔力を使っただけで作動するものがあります」
私は彼女を見た。
あの巨人も、そうだった。
「分かった。教えて」
エレオノーラも頷いた。
「わたくしも参ります。今度は、説明を聞いてから動きますわ」
ミナは、私の横へ来た。
小さな鞄のひもを、肩にかけ直す。
「包帯、持ってきてる」
私は三人を乗せ直した。
今度は、少し頑丈に。
「アルジェント、入口が崩れたら、外から支えてくれる?」
『任せよ』
銀色の翼が開いた。
私たちの上に、巨大な影ができた。
山で暮らしていた三千年の間、一度も見たことのない姿だった。
◇
観測所の入口は、半分崩れた石壁の奥にあった。
周囲の草が踏み荒らされている。
新しい車輪の跡。
捨てられた縄。
入口の前には、開いた木箱がいくつも積まれていた。
中に残った布には、金色の紋章。
エレオノーラが、それを拾った。
「王立学院の調査隊ですわ」
セレスさんが眉を寄せる。
「この遺跡を再調査する申請は、出ていなかったはずですが」
そのとき、奥から悲鳴がした。
私は扉の隙間へ体を入れた。
内側に引っかかっていた石を外す。
厚い扉を、押し開ける。
階段の下から、一人の男が転がるように駆け上がってきた。
「逃げろ!」
顔が真っ青だった。
肩から血が流れている。
「下に、まだ人が?」
「止まらないんだ。扉も、魔法も……!」
男が振り返った。
階段の暗闇から、細長い金属の脚が現れた。
◇
蜘蛛に似ていた。
ただし、胴体は棺桶くらい。
脚の先は、全部刃物。
天井を這うもう一体が、男へ向かって跳んだ。
私は男をミナの方へ押し出した。
代わりに、脚を受け止める。
刃が体へ沈む。
そこで止まる。
「先に言っとくけど、痛いのは嫌いだからね」
八本まとめて握った。
きゅっと縮める。
金属の脚が、内側へ折り畳まれた。
もう一体は、その上へ重ねた。
逃げないように、二体を結ぶ。
金属製の、よく分からない置物ができた。
セレスさんが立ち止まった。
「保存状態が……」
「あとで直せる?」
「……いえ、人命優先です」
切り替えの早い研究者で助かった。
ミナが男の肩へ布を当てる。
「押さえていてください。歩けますか」
私は外へ小さな触手を伸ばし、アルジェントに合図した。
銀色の爪が、入口の天井へ添えられた。
これで、帰り道は大丈夫。
「行こう」
◇
地下は、思っていたより深かった。
壁に光る線が走っている。
天井には、古い星座の絵。
でも、床の上にあるのは、新しい足跡と、ちぎれた荷物だった。
曲がり角で、鉄の扉が落ちてきた。
私は腕を伸ばして受け止めた。
そのまま、横へ曲げる。
「通って」
「これ、封鎖用の隔壁です」
セレスさんが言った。
「非常に硬い合金で——」
「後ろから、もう一枚来てるよ」
「通ります」
エレオノーラが、その後ろをくぐった。
「あなたと一緒ですと、扉の意味を考えてしまいますわ」
「普段はちゃんとノックするよ」
奥へ進むほど、鼓動が大きくなる。
床の文字も増えていた。
触れたくない感じがする。
あの巨人の中枢と、よく似た流れだった。
私は三人の足元へ、薄く体を敷いた。
「線、踏まないで。私の上を歩いて」
セレスさんが頷いた。
「施設の認証術式です。侵入者から魔力を抜き取ります」
「じゃあ、こっちからはあげない」
表面を閉じる。
床の文字が、一斉に光った。
引っ張られる感覚。
でも、私からは何も出ていかない。
壁の光が、少し暗くなった。
向こうの方が、疲れたらしい。
◇
広い部屋に出た。
中央に、巨大な輪が浮かんでいた。
石なのか、金属なのか分からない。
何重にも重なった輪が、別々の方向へ回っている。
その下で、三人の調査員が倒れていた。
もう一人が壁際に座り、必死に杖を振っている。
床から伸びた光の糸が、全員の手足へ巻きついていた。
『不足魔力を徴収中』
部屋に、平たい声が響いた。
『接続を維持してください』
「止めろと言ってるだろう!」
壁際の男が叫んだ。
私たちに気づくと、目を見開いた。
「来るな! 捕まるぞ!」
私は床へ広がった。
四人の体へ届く。
光の糸を、一人ずつ切る。
傷口を避けて包み、通ってきた廊下へ運んだ。
ミナが駆け寄る。
エレオノーラも、その隣へ膝をついた。
「ここは、わたくしたちが」
彼女はミナを見た。
「何をすれば?」
「この人の頭、少し支えて。ゆっくり」
私は中央の輪へ向き直った。
まだ、回っている。
人から吸えなくなった分を、壁から取っている。
壁から足りなくなったら、もっと外へ取りにいく気配があった。
山の根へ。
地脈へ。
「これ、何の機械?」
セレスさんが、柱の文字を読んでいた。
顔色が変わる。
「観測装置ではありません」
指が、古い文字の一列を追った。
「界境を越えるための……召喚門です」
◇
輪の真ん中が、揺れた。
水面みたいだった。
その向こうに、何かがある。
黒い空間。
白い光。
ちらちらと、違う景色が重なる。
私は一歩、近づいた。
「召喚って」
声が、うまく出なかった。
「別の世界から、呼ぶやつ?」
セレスさんは柱から目を離さなかった。
「理論上は。ただ、成功したという確かな記録は——」
『対象を捕捉』
機械が言った。
輪の向こうに、手が現れた。
人間の手。
五本の指が、何もないところをつかもうとしていた。
その腕を、白い光が引っ張っている。
続いて、頭。
肩。
誰かが、向こう側から引きずり出されていた。
「いる!」
私は叫んだ。
体を伸ばす。
その瞬間、輪の外側が割れた。
◇
音が、消えた。
割れた場所から、黒い線が広がった。
触れた柱の上半分がなくなる。
落ちたのではない。
砕けたのでもない。
そこだけ、最初から存在しなかったみたいに消えた。
「ひまり、戻って!」
セレスさんが叫んだ。
「接続が崩れています! 触れたら——」
私は伸ばしていた先端を引いた。
触手の先が、なくなっていた。
痛くはなかった。
でも、いつもの再生とは違う。
ちぎれた自分が、どこにもいない。
少し、ぞっとした。
輪の中の人は、まだ半分しか出ていない。
止めれば、この人はどうなる。
壊せば。
食べれば。
分からなかった。
分からないまま、やってはいけない。
「セレスさん!」
私は輪を囲むように体を広げた。
黒い線が走る先へ、厚い壁を重ねる。
一枚目が消えた。
二枚目も。
その分を、内側から作り足す。
「閉じるの、待って!」
「手動停止の術式を探しています!」
「止めるのは、引っ張り出したあとで!」
輪の向こうで、その人が顔を上げた。
若い男の子だった。
何か叫んでいる。
音は届かなかった。
でも、伸ばした手の形だけで分かった。
助けて、と言っていた。
◇
「エレオノーラ!」
私は振り返らずに呼んだ。
「昨日の輪っか、できる?」
「封鎖術式ですの?」
「うん。この機械の外側。崩れないように、押さえてほしい!」
「強度が足りませんわ!」
「力は渡す。形をお願い!」
一瞬だけ、返事が途切れた。
それから、杖を握る音。
「分かりました。合図で!」
彼女の足元へ、細い触手を伸ばす。
杖の先に、白い輪が現れる。
昨日、私を閉じ込めようとした魔法。
今日は、壊れかけた門を支えるためのものだった。
私は少しずつ、魔力を流した。
「まだ、いける?」
「もう少し!」
白い輪が大きくなる。
割れた金属を、外から締める。
回転が、わずかに揃った。
黒い亀裂が止まった。
「いまですわ!」
私は、門の中へ手を入れた。
男の子の腕をつかむ。
冷たかった。
強く握りすぎないように、肩から背中まで包んだ。
引く。
向こうから、引き戻される。
輪の下の床が割れた。
私は足場を増やした。
廊下へ。
柱へ。
遺跡全体へ。
外で、アルジェントが吠えた。
『支えておる! 構わず引け!』
私は踏ん張った。
足はないけど。
三千年ぶん、踏ん張った。
男の子の体が、輪を抜けた。
「今!」
セレスさんが、柱の文字へ手を押し当てた。
光が逆向きに走った。
輪が、内側へ潰れた。
最後の黒い亀裂を、私が包んだ。
体の一部が消えた。
それで、終わった。
◇
静かだった。
床に転がった部品が、一つだけ、からんと鳴った。
私は男の子を、平らな場所へ寝かせた。
呼吸している。
生きている。
よかった。
ミナが近づいて、首元を緩めた。
そこで、私は止まった。
その服。
黒い上着。
銀色のボタン。
襟の、小さな校章。
知っている。
私はそれを、毎日見ていた。
教室で。
廊下で。
放課後の昇降口で。
「……え」
声が漏れた。
ミナが顔を上げる。
「ひまり?」
男の子の顔を見た。
濡れた前髪。
右の眉の、短い傷。
知らない顔のはずだった。
三千年だ。
人間なら、何十回も一生が終わっている。
でも。
「相沢、くん?」
名前が出た。
壁に書き残していなかった名前が。
◇
男の子が、まぶたを動かした。
目を開ける。
天井を見る。
ミナを見る。
エレオノーラを見る。
それから、私を見る。
「……何だ、ここ」
その言葉は、日本語だった。
三千年ぶりに聞いた、自分以外の日本語。
体の形を、保てなくなりそうだった。
「相沢くん」
私も、日本語で呼んだ。
彼の目が、こちらへ戻る。
「誰だ」
「小日向」
一度、言葉が詰まった。
もう一度、言った。
「小日向ひまり。二年三組の」
男の子が、息を止めた。
彼は私の顔のない体を見た。
信じられないものを見る目だった。
当然だ。
昨日まで女子高生だった人が、青いまんじゅうになっていたら、私だって困る。
昨日まで、ではないけど。
もう、三千年も。
「……小日向?」
「うん」
「何で」
彼の声が震えた。
「何で、お前が」
私は笑おうとした。
うまくできなかった。
「それは、こっちが聞きたいよ」
相沢くんは上半身を起こしかけて、ミナに支えられた。
それでも、私から目を離さなかった。
「だって、お前」
彼は言った。
「先週、死んだだろ」
◇
誰も動かなかった。
セレスさんたちには、言葉が分からない。
ただ、私たちの様子を見ていた。
私は、相沢くんの言葉を頭の中で繰り返した。
先週。
先週。
先週?
「……何年?」
やっと、それだけ言えた。
「いま、日本は何年?」
相沢くんが答えた。
私が死んだ年だった。
月も同じ。
事故から、九日しか経っていなかった。
私は地面に触れた。
冷たい石。
ひび割れた床。
これは夢ではない。
さっきまで、確かにここで戦っていた。
「お母さん」
言ってから、怖くなった。
聞きたかった。
聞くのが怖かった。
「私のお母さん、知ってる?」
相沢くんは、小さく頷いた。
「葬式で会った」
私の中で、何かが崩れた。
思い出せなくなるのが怖くて、壁に書いた。
声を忘れないように、何度もまねをした。
もう会えないから。
同じ世界に戻れたとしても、とっくに誰もいないから。
そう思っていた。
相沢くんが、かすれた声で続けた。
「ずっと、お前の写真、持ってた」
私は振り返った。
壊れた輪。
消えた光。
ついさっき、自分で閉じた門。
「セレスさん」
この世界の言葉へ戻すのに、少し時間がかかった。
彼女が膝をつく。
「はい」
「この機械」
私は、床に散らばった部品を見た。
さっきまで、危ないから止めることしか考えていなかった。
いまは。
「直せる?」
セレスさんはすぐには答えなかった。
その沈黙が、怖かった。
私は続けた。
「向こうに、お母さんがいる」
小さな手を作った。
震えていた。
三千年かけても、こんな震えの止め方は覚えなかった。
「まだ、いるんだって」




