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7/9

最強スライム、悪役令嬢におかわりを勧める


 悪役令嬢は、朝ごはんの途中でやってきた。


 正確には、悪役令嬢っぽい人だった。


 黒い馬車。

 金色の紋章。

 騎士が六人。


 そして、縦に巻いた金髪。


 すごい。


 あれ、寝るときどうしているんだろう。


 私は宿の窓辺で、感心しながら見ていた。


 馬車から降りてきた少女は、私と同じくらいの年頃に見えた。


 濃い青のドレス。

 白い手袋。

 先の尖った靴。


 宿の看板を見上げて、眉をひそめる。


「ここですの?」


 聞こえた。


 語尾まで完璧だった。


     ◇


「エレオノーラ・フォン・ヴァルツェンです」


 食堂へ入ってきた少女は、そう名乗った。


 後ろには鎧の騎士。


 宿の女将さんが、私たちの前へ出た。


「どのようなご用件でしょう」


「父、ヴァルツェン伯爵の名代として、古代兵器の件で参りました。この町を救ったという魔物は、どちらに?」


 私は皿の横で、小さな手を上げた。


「はーい」


 少女が私を見た。


 止まった。


 頭の白い花を見る。


 隣のスプーンを見る。


 もう一度、私を見る。


「……これが?」


「これです」


「もっと、大きいものと」


「昨日のカレーで、ちょっと増えたかも」


 ミナが咳き込んだ。


 笑いを我慢している。


 エレオノーラさんは、細い眉をさらに寄せた。


「おふざけは結構ですわ」


「わりと、いつもどおりなんだけど」


     ◇


 用件は二つだった。


 川岸に積んだ古代兵器の部品を、伯爵家が引き取ること。


 私を、伯爵のお屋敷へ連れていくこと。


「調査のため、領内で発見された危険な遺物を管理する必要があります」


 少女の後ろにいた、細い口ひげの男が説明した。


 文官のセヴランさん、らしい。


「加えて、兵器の中枢を取り込んだ魔物についても、安全を確認せねばなりません」


「調査はいいけど、引っ越しは困るかな」


 私は答えた。


「ここで暮らし始めたところだし」


「あなたの希望を聞いているのではありません」


 セヴランさんは紙を広げた。


「これは命令です」


 ミナの手が、膝の上で止まった。


 私はその手に、そっと触れた。


「いつまで?」


「必要な期間です」


「帰れる?」


「調査の結果によります」


「お仕事の予定は?」


「魔物に、そのような——」


「働いています」


 ミナが言った。


 小さな声だった。


 でも、途中で消えなかった。


「ひまりは、自分で働いて、宿代も払っています」


 セヴランさんが彼女を見た。


「君には聞いていない」


 私はテーブルから降りた。


 床に着いて、少しだけ高くなる。


「私には聞いてくれる?」


 食堂が静かになった。


 エレオノーラさんが、初めて口を開いた。


「……待遇については、屋敷で相談できますわ」


「ここで相談できない?」


「伯爵家にお仕えできるのです。悪い話ではありません」


 私は彼女を見上げた。


 たぶん、半分くらいは本気で言っている。


「私は、ここがいい」


 そう伝えた。


     ◇


 話が終わる前に、外で鐘が鳴った。


 警鐘ではない。


 東の揚水場が、作業を止めるときの鐘だ。


 続いて、通りの向こうで怒鳴り声がした。


 バルツさんだった。


「まだ外すなと言っとるだろうが!」


 私は窓へ伸びた。


 荷馬車が一台、揚水場の方から来ていた。


 荷台には、見覚えのある青い石。


 魔石だ。


 私が充電した、六つのうちの一つ。


「何してるの」


 セヴランさんは紙を畳んだ。


「同じ魔力の影響を受けた設備も、接収の対象です」


「それ、町の水をくみ上げるやつだよ」


「代替手段は、町で用意していただきます」


 女将さんが息をのんだ。


 エレオノーラさんが、文官へ顔を向ける。


「生活設備も、ですの?」


「閣下のご指示の範囲内です。危険な魔力を放置するわけにはまいりません」


 少女は口を閉じた。


 白い手袋の指が、書類の端を押さえる。


 私は見ていた。


 止めるなら、いまだった。


 けれど、彼女は止めなかった。


 私はミナから手を離した。


「ちょっと行ってくる」


     ◇


 揚水場では、騎士が魔石の台座を囲んでいた。


 バルツさんが、工具箱を抱えて立ちはだかっている。


「順番があるんじゃ! 圧を抜いて、水門を切り替えてから——」


「下がれ」


 騎士が彼を押しのけた。


 私は間に入った。


 バルツさんの背中を受け止める。


 同時に、台座へ伸びた騎士の手を包んだ。


「説明を聞いて」


 腕を引かれる。


 私は離さなかった。


「機械って、適当に触ると危ないから」


「命令に逆らうか」


「手順を守ってって話」


 外から、馬車の車輪が止まる音がした。


 エレオノーラさんたちも追いついてきた。


 セヴランさんが、私を指さす。


「ご覧ください。すでに領主の兵へ危害を加えています」


「つかんでるだけだよ」


「姫様、ご決断を」


 エレオノーラさんは、私を見た。


 バルツさんを見た。


 魔石の台座を見た。


 そして、腰の細い杖を抜いた。


「そこを、お退きなさい」


 杖の先に、白い光が集まった。


 私は小さく息をつくように、体を沈めた。


「ここで撃っちゃ駄目」


     ◇


 白い輪が、私の周りへ現れた。


 床。

 左右。

 頭上。


 六つの輪が重なって、檻になる。


 派手だった。


 ちゃんと貴族の魔法、という感じがした。


「伯爵家に伝わる封鎖術式ですわ。抵抗しても——」


 私は一か所だけ、食べた。


 輪がほどけた。


 少女が黙った。


 私はそのまま、体を広げた。


 床の上を。


 壁に沿って。


 魔石の台座を包むように。


 騎士たちの足を、靴ごと床へ固定する。


 剣を抜きかけた手は、鞘ごと包む。


 エレオノーラさんの杖の先には、小さな青い蓋をした。


 全員、無傷。


 全員、動けない。


「お話は聞くから」


 私は言った。


「先に、機械の説明も聞いて」


 バルツさんが、深く頷いた。


「そうじゃ。まず、一番弁を——」


 そこで、金属の割れる音がした。


     ◇


 奥の管が跳ねた。


 外された魔石につながっていた制御装置。


 その針が、赤いところを越えていた。


 バルツさんが叫ぶ。


「下がれ!」


 太い管の継ぎ目が裂けた。


 白い水が噴き出した。


 エレオノーラさんの、すぐ横だった。


 私は彼女を包んだ。


 水の刃を、背中で受ける。


 壁が砕けた。


 窓が飛んだ。


 崩れた石を、伸ばした体で拾う。


 騎士の拘束を解いて、出口へ押し出す。


 バルツさんを、工具箱ごと外へ運ぶ。


 その間にも、水は噴き出していた。


 川から引き込んでいる水だ。


 止めなければ、下の通りへ流れる。


 家も、店もある。


「バルツさん!」


「上流の取水口を閉めるんじゃ! 外の水門だ!」


「分かった!」


 私は床下の水路へ、体を伸ばした。


 暗い穴を抜ける。


 流れに逆らう。


 川へ出る。


 水門を見つける。


 動かそうとして、途中で止めた。


 いきなり閉めたら、また別の場所が壊れるかもしれない。


 代わりに、破れた管を私の体でつないだ。


 水を受ける。


 曲げる。


 そのまま、川へ返す。


 揚水場の外に、大きな青い管ができた。


 私だった。


     ◇


 エレオノーラさんは、私の内側にいた。


 頭の周りには空気を残してある。


 服も、髪も、濡れていない。


 ただ、目を見開いていた。


 私の向こうを、凄まじい量の水が通っていたから。


「……どうして」


「危なかったから」


 私は答えた。


「私のことは、放っておけば」


「今しゃべると、舌かむかも。ちょっと揺れるよ」


 彼女を外へ運ぶ。


 乾いた地面へ、そっと降ろす。


 エレオノーラさんは膝をついた。


 その目の前で、私は裂けた管を支えていた。


 町へ向かう水を、一滴も逃がさないように。


「バルツさん、これでどう?」


「よし! そのまま待て! わしらで水門を閉める!」


「お願い!」


 遠くで、人が走る音がした。


 工具が鳴った。


 号令が飛んだ。


 私は待った。


 こういうときは、分かる人に任せる。


 カレーと同じだった。


     ◇


 水が止まるまで、しばらくかかった。


 私は最後に、床へ残った水を集めた。


 泥と油を分ける。


 川へ戻してよい水だけ、外へ流す。


 いつもの大きさに戻ると、頭の花が少し傾いていた。


 直そうとしていたら、ミナが駆けてきた。


「ひまり!」


「大丈夫。今日は水味」


「味は聞いてない」


 ひもを結び直してくれる。


 その後ろで、セヴランさんが声を張った。


「この魔物が設備へ干渉したために——」


「外せと命じたのは、あなたでしょう」


 エレオノーラさんが言った。


 声は大きくなかった。


 でも、文官の言葉が止まった。


「安全な停止を待たず、取り外すように命じた。わたくしも、止めませんでした」


「姫様、私は閣下のご意向を」


「命令書を」


「しかし」


「見せなさい」


 少女が手を差し出した。


 今度は、引っ込めなかった。


     ◇


 命令書には、古代兵器の回収と、関係者への調査協力の要請が書いてあった。


 揚水場を止めろとは、書いていなかった。


 私を捕まえろとも。


「協力の要請、ですわね」


 エレオノーラさんが読み上げた。


 セヴランさんの額に、汗が浮かんでいた。


「危険性を考慮し、現場判断で——」


「あなたの判断として、報告に記します」


 少女は、そばの騎士へ命じた。


 魔石を戻すこと。


 技師の指示に従うこと。


 兵器の部品に、これ以上触れないこと。


 それから、セヴランさんには馬車で待つように告げた。


 文官が去っても、彼女はその場を動かなかった。


 バルツさんへ向き直る。


「修理に必要な費用と人手を、教えてください」


「……まずは割れた管じゃな」


「伯爵家で負担します。書面を作ります」


 バルツさんは、少女をしばらく見た。


「わしだけに謝っても、済まんぞ」


「分かっています」


 今度は、本当に聞いているようだった。


     ◇


 昼を過ぎても、エレオノーラさんは揚水場にいた。


 ローデンさんが呼ばれ、書類が作られた。


 兵士たちはバルツさんの指示で瓦礫を運んだ。


 私は持ち上げるのを手伝った。


 少女は修理が終わる見込みと、水の配給が必要な場所を、一つずつ確認していた。


 途中で、彼女のお腹が鳴った。


 聞こえたのは、たぶん私だけだった。


 耳はないけど、そういうのはよく聞こえる。


「ごはん食べた?」


「……まだです」


「朝も?」


「出立が早かったものですから」


 私はミナを見た。


 ミナが、小さく頷いた。


「じゃあ、カレー食べる?」


     ◇


 宿の台所で、昨日のカレーを温め直した。


 女将さんが鍋の中を混ぜながら、私を見る。


「竜に持っていく分じゃなかったのかい」


「少し分ける。また作るから」


「そうかい」


 それ以上は聞かれなかった。


 食堂の隅で、エレオノーラさんが背筋を伸ばして座っていた。


 さっきまでの騎士も、文官もいない。


 白い手袋を外すと、指に小さな赤い跡があった。


 瓦礫を運ぶときに擦ったらしい。


 ミナが水と布を持っていく。


「ありがとうございます」


 少女が言った。


 朝はなかった言葉だった。


     ◇


 カレーを出すと、エレオノーラさんは皿を見つめた。


「これは……」


「カレー。ごはんと一緒に食べるの」


「香りが強いですわね」


「苦手だったら、無理しなくていいよ」


 彼女はスプーンを持った。


 少しすくう。


 食べる。


 目が、わずかに開いた。


 もう一口。


 今度は、ごはんを多めに。


 しばらくして、小さく息を吐いた。


「……温かい」


「温めたからね」


「ええ。そうですわね」


 少女は、少しだけ笑った。


 巻き髪も、青いドレスも、そのままだった。


 でも、もうさっきほど遠くには見えなかった。


     ◇


「お父様に、認められたかったのです」


 皿が半分ほど空いた頃、彼女が言った。


 私はスプーンを置いた。


「兄たちは、それぞれ領地や部隊を任されています。わたくしに任されたのは、今回が初めてでした」


「うん」


「何も分からないと思われたくなくて。迷えば、侮られると……セヴランにも言われて」


 そこで、彼女は首を振った。


「いえ。あの者のせいだけではありません」


 スプーンを握る指が、少し白くなった。


「水を止めると聞いて、おかしいと思いました。でも、皆の前で問い直すのが怖かった」


 私は、揚水場で口を閉じた彼女を思い出した。


「バルツさんは、分からなかったから怒ってたんじゃないよ」


 エレオノーラさんが顔を上げる。


「分かる人の話を、聞かなかったから」


「……はい」


「私も昨日、まな板切ったし」


「まな板?」


「包丁の力加減が分からなくて」


 ミナが横から言った。


「ひまりは、そのあと教わってた」


「そう。次は、ちゃんとできた」


 エレオノーラさんは、私とミナを見比べた。


 それから、皿へ目を落とした。


「わたくしにも、次があるでしょうか」


「今日の修理、まだ終わってないでしょ」


 私は答えた。


「まず、そこまでやろうよ」


 少女は少し黙っていた。


 やがて、しっかり頷いた。


     ◇


「それから、朝のことですが」


 エレオノーラさんが、こちらへ向き直った。


「あなたの意思を聞かず、連れていこうとしました。申し訳ありませんでした」


 私は、すぐには返事をしなかった。


 隣にいるミナの手が見えた。


 この子は、帰りたくないと言うために、あんなに勇気を使った。


「もう、嫌だって言った人を、勝手に連れていかない?」


「はい」


「魔物でも?」


 彼女は私を見た。


 白い花。


 小さな手。


 皿に残ったカレー。


「……魔物でも」


「分かった」


 私は手を差し出した。


 エレオノーラさんは、戸惑いながら指先を重ねた。


 柔らかく包む。


 彼女の肩から、少し力が抜けた。


「わたくしが、怖くはありませんの?」


「さっきの魔法?」


「いえ。伯爵家の娘ですし、その……面倒なことにも」


「面倒だったよ」


 少女が固まった。


「でも、いまは話してるじゃん」


 彼女は私の手を見た。


 今度は、自分から握り返してきた。


     ◇


 夕方までには、町の水が戻った。


 最初の一筋が水路を流れたとき、バルツさんが大きく息を吐いた。


 エレオノーラさんも、隣で頭を下げた。


 謝罪はそれで終わりではなかった。


 水を運ぶことになった店にも、洗濯を止めた家にも、彼女は説明しに行った。


 怒る人はいた。


 すぐには返事をしない人もいた。


 それでも、途中で馬車へ戻ることはなかった。


 日が傾いた頃、ようやく宿の前へ戻ってきた。


 巻き髪が、少し崩れている。


 靴には泥。


 朝より、ずっと疲れた顔だった。


「明日、修繕費の支払いを確認してから帰ります」


「うん」


「遺物の調査についても、町と条件を決め直します。あなたへの面会は、その……申し込んでも?」


「エダさんに言って。仕事の予定あるから」


「承知しました」


 少し間があいた。


 彼女が、言いにくそうに続ける。


「調査ではなく、食事のお誘いの場合も?」


 私はミナを見た。


 ミナが笑った。


「それは、直接でいいんじゃないかな」


 私は頷いた。


「カレー、気に入った?」


「ええ。とても」


「じゃあ、また食べよう」


 エレオノーラさんは、うれしそうにしかけて、途中で表情を整えた。


「光栄ですわ」


「そんなにかしこまらなくていいよ。友達と食べるごはんだし」


 彼女が止まった。


「……友達?」


「嫌だった?」


「いいえ」


 返事が、少し早かった。


 そのあと、頬が赤くなった。


 私は、見なかったふりをした。


     ◇


 夜。


 私は台所で、もう一度カレーを作っていた。


 お土産の分が、かなり減ってしまったからだ。


 ミナがじゃがいもの皮をむく。


 私は玉ねぎを切る。


 今度は、まな板を切らない。


「友達、増えたね」


 ミナが言った。


「うん。朝はどうなるかと思った」


「私も」


 鍋に脂を入れる。


 香辛料を温める。


 いい匂いが広がる。


 そこへ、セレスさんが台所をのぞいた。


「明日は、山へ行けそうですか」


「行く。たぶん。今度こそ」


「実は、エレオノーラ様が、白銀竜の件をお聞きになって」


 私は手を止めた。


 セレスさんの後ろから、金色の巻き髪が現れた。


「領内のことを、自分の目で確かめたいのです。同行させていただけませんか」


 私はミナを見た。


 ミナは鍋を見た。


 それから、まだ洗っていないじゃがいもの籠を見た。


「……もう少し、増やそうか」


 私は頷いた。


 アルジェント。


 明日、友達を連れていきます。


 研究者と、伯爵令嬢も来ます。


 カレーは増やします。


 お願いだから。


 私の離乳食の話だけは、しないでください。

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