最強スライム、悪役令嬢におかわりを勧める
悪役令嬢は、朝ごはんの途中でやってきた。
正確には、悪役令嬢っぽい人だった。
黒い馬車。
金色の紋章。
騎士が六人。
そして、縦に巻いた金髪。
すごい。
あれ、寝るときどうしているんだろう。
私は宿の窓辺で、感心しながら見ていた。
馬車から降りてきた少女は、私と同じくらいの年頃に見えた。
濃い青のドレス。
白い手袋。
先の尖った靴。
宿の看板を見上げて、眉をひそめる。
「ここですの?」
聞こえた。
語尾まで完璧だった。
◇
「エレオノーラ・フォン・ヴァルツェンです」
食堂へ入ってきた少女は、そう名乗った。
後ろには鎧の騎士。
宿の女将さんが、私たちの前へ出た。
「どのようなご用件でしょう」
「父、ヴァルツェン伯爵の名代として、古代兵器の件で参りました。この町を救ったという魔物は、どちらに?」
私は皿の横で、小さな手を上げた。
「はーい」
少女が私を見た。
止まった。
頭の白い花を見る。
隣のスプーンを見る。
もう一度、私を見る。
「……これが?」
「これです」
「もっと、大きいものと」
「昨日のカレーで、ちょっと増えたかも」
ミナが咳き込んだ。
笑いを我慢している。
エレオノーラさんは、細い眉をさらに寄せた。
「おふざけは結構ですわ」
「わりと、いつもどおりなんだけど」
◇
用件は二つだった。
川岸に積んだ古代兵器の部品を、伯爵家が引き取ること。
私を、伯爵のお屋敷へ連れていくこと。
「調査のため、領内で発見された危険な遺物を管理する必要があります」
少女の後ろにいた、細い口ひげの男が説明した。
文官のセヴランさん、らしい。
「加えて、兵器の中枢を取り込んだ魔物についても、安全を確認せねばなりません」
「調査はいいけど、引っ越しは困るかな」
私は答えた。
「ここで暮らし始めたところだし」
「あなたの希望を聞いているのではありません」
セヴランさんは紙を広げた。
「これは命令です」
ミナの手が、膝の上で止まった。
私はその手に、そっと触れた。
「いつまで?」
「必要な期間です」
「帰れる?」
「調査の結果によります」
「お仕事の予定は?」
「魔物に、そのような——」
「働いています」
ミナが言った。
小さな声だった。
でも、途中で消えなかった。
「ひまりは、自分で働いて、宿代も払っています」
セヴランさんが彼女を見た。
「君には聞いていない」
私はテーブルから降りた。
床に着いて、少しだけ高くなる。
「私には聞いてくれる?」
食堂が静かになった。
エレオノーラさんが、初めて口を開いた。
「……待遇については、屋敷で相談できますわ」
「ここで相談できない?」
「伯爵家にお仕えできるのです。悪い話ではありません」
私は彼女を見上げた。
たぶん、半分くらいは本気で言っている。
「私は、ここがいい」
そう伝えた。
◇
話が終わる前に、外で鐘が鳴った。
警鐘ではない。
東の揚水場が、作業を止めるときの鐘だ。
続いて、通りの向こうで怒鳴り声がした。
バルツさんだった。
「まだ外すなと言っとるだろうが!」
私は窓へ伸びた。
荷馬車が一台、揚水場の方から来ていた。
荷台には、見覚えのある青い石。
魔石だ。
私が充電した、六つのうちの一つ。
「何してるの」
セヴランさんは紙を畳んだ。
「同じ魔力の影響を受けた設備も、接収の対象です」
「それ、町の水をくみ上げるやつだよ」
「代替手段は、町で用意していただきます」
女将さんが息をのんだ。
エレオノーラさんが、文官へ顔を向ける。
「生活設備も、ですの?」
「閣下のご指示の範囲内です。危険な魔力を放置するわけにはまいりません」
少女は口を閉じた。
白い手袋の指が、書類の端を押さえる。
私は見ていた。
止めるなら、いまだった。
けれど、彼女は止めなかった。
私はミナから手を離した。
「ちょっと行ってくる」
◇
揚水場では、騎士が魔石の台座を囲んでいた。
バルツさんが、工具箱を抱えて立ちはだかっている。
「順番があるんじゃ! 圧を抜いて、水門を切り替えてから——」
「下がれ」
騎士が彼を押しのけた。
私は間に入った。
バルツさんの背中を受け止める。
同時に、台座へ伸びた騎士の手を包んだ。
「説明を聞いて」
腕を引かれる。
私は離さなかった。
「機械って、適当に触ると危ないから」
「命令に逆らうか」
「手順を守ってって話」
外から、馬車の車輪が止まる音がした。
エレオノーラさんたちも追いついてきた。
セヴランさんが、私を指さす。
「ご覧ください。すでに領主の兵へ危害を加えています」
「つかんでるだけだよ」
「姫様、ご決断を」
エレオノーラさんは、私を見た。
バルツさんを見た。
魔石の台座を見た。
そして、腰の細い杖を抜いた。
「そこを、お退きなさい」
杖の先に、白い光が集まった。
私は小さく息をつくように、体を沈めた。
「ここで撃っちゃ駄目」
◇
白い輪が、私の周りへ現れた。
床。
左右。
頭上。
六つの輪が重なって、檻になる。
派手だった。
ちゃんと貴族の魔法、という感じがした。
「伯爵家に伝わる封鎖術式ですわ。抵抗しても——」
私は一か所だけ、食べた。
輪がほどけた。
少女が黙った。
私はそのまま、体を広げた。
床の上を。
壁に沿って。
魔石の台座を包むように。
騎士たちの足を、靴ごと床へ固定する。
剣を抜きかけた手は、鞘ごと包む。
エレオノーラさんの杖の先には、小さな青い蓋をした。
全員、無傷。
全員、動けない。
「お話は聞くから」
私は言った。
「先に、機械の説明も聞いて」
バルツさんが、深く頷いた。
「そうじゃ。まず、一番弁を——」
そこで、金属の割れる音がした。
◇
奥の管が跳ねた。
外された魔石につながっていた制御装置。
その針が、赤いところを越えていた。
バルツさんが叫ぶ。
「下がれ!」
太い管の継ぎ目が裂けた。
白い水が噴き出した。
エレオノーラさんの、すぐ横だった。
私は彼女を包んだ。
水の刃を、背中で受ける。
壁が砕けた。
窓が飛んだ。
崩れた石を、伸ばした体で拾う。
騎士の拘束を解いて、出口へ押し出す。
バルツさんを、工具箱ごと外へ運ぶ。
その間にも、水は噴き出していた。
川から引き込んでいる水だ。
止めなければ、下の通りへ流れる。
家も、店もある。
「バルツさん!」
「上流の取水口を閉めるんじゃ! 外の水門だ!」
「分かった!」
私は床下の水路へ、体を伸ばした。
暗い穴を抜ける。
流れに逆らう。
川へ出る。
水門を見つける。
動かそうとして、途中で止めた。
いきなり閉めたら、また別の場所が壊れるかもしれない。
代わりに、破れた管を私の体でつないだ。
水を受ける。
曲げる。
そのまま、川へ返す。
揚水場の外に、大きな青い管ができた。
私だった。
◇
エレオノーラさんは、私の内側にいた。
頭の周りには空気を残してある。
服も、髪も、濡れていない。
ただ、目を見開いていた。
私の向こうを、凄まじい量の水が通っていたから。
「……どうして」
「危なかったから」
私は答えた。
「私のことは、放っておけば」
「今しゃべると、舌かむかも。ちょっと揺れるよ」
彼女を外へ運ぶ。
乾いた地面へ、そっと降ろす。
エレオノーラさんは膝をついた。
その目の前で、私は裂けた管を支えていた。
町へ向かう水を、一滴も逃がさないように。
「バルツさん、これでどう?」
「よし! そのまま待て! わしらで水門を閉める!」
「お願い!」
遠くで、人が走る音がした。
工具が鳴った。
号令が飛んだ。
私は待った。
こういうときは、分かる人に任せる。
カレーと同じだった。
◇
水が止まるまで、しばらくかかった。
私は最後に、床へ残った水を集めた。
泥と油を分ける。
川へ戻してよい水だけ、外へ流す。
いつもの大きさに戻ると、頭の花が少し傾いていた。
直そうとしていたら、ミナが駆けてきた。
「ひまり!」
「大丈夫。今日は水味」
「味は聞いてない」
ひもを結び直してくれる。
その後ろで、セヴランさんが声を張った。
「この魔物が設備へ干渉したために——」
「外せと命じたのは、あなたでしょう」
エレオノーラさんが言った。
声は大きくなかった。
でも、文官の言葉が止まった。
「安全な停止を待たず、取り外すように命じた。わたくしも、止めませんでした」
「姫様、私は閣下のご意向を」
「命令書を」
「しかし」
「見せなさい」
少女が手を差し出した。
今度は、引っ込めなかった。
◇
命令書には、古代兵器の回収と、関係者への調査協力の要請が書いてあった。
揚水場を止めろとは、書いていなかった。
私を捕まえろとも。
「協力の要請、ですわね」
エレオノーラさんが読み上げた。
セヴランさんの額に、汗が浮かんでいた。
「危険性を考慮し、現場判断で——」
「あなたの判断として、報告に記します」
少女は、そばの騎士へ命じた。
魔石を戻すこと。
技師の指示に従うこと。
兵器の部品に、これ以上触れないこと。
それから、セヴランさんには馬車で待つように告げた。
文官が去っても、彼女はその場を動かなかった。
バルツさんへ向き直る。
「修理に必要な費用と人手を、教えてください」
「……まずは割れた管じゃな」
「伯爵家で負担します。書面を作ります」
バルツさんは、少女をしばらく見た。
「わしだけに謝っても、済まんぞ」
「分かっています」
今度は、本当に聞いているようだった。
◇
昼を過ぎても、エレオノーラさんは揚水場にいた。
ローデンさんが呼ばれ、書類が作られた。
兵士たちはバルツさんの指示で瓦礫を運んだ。
私は持ち上げるのを手伝った。
少女は修理が終わる見込みと、水の配給が必要な場所を、一つずつ確認していた。
途中で、彼女のお腹が鳴った。
聞こえたのは、たぶん私だけだった。
耳はないけど、そういうのはよく聞こえる。
「ごはん食べた?」
「……まだです」
「朝も?」
「出立が早かったものですから」
私はミナを見た。
ミナが、小さく頷いた。
「じゃあ、カレー食べる?」
◇
宿の台所で、昨日のカレーを温め直した。
女将さんが鍋の中を混ぜながら、私を見る。
「竜に持っていく分じゃなかったのかい」
「少し分ける。また作るから」
「そうかい」
それ以上は聞かれなかった。
食堂の隅で、エレオノーラさんが背筋を伸ばして座っていた。
さっきまでの騎士も、文官もいない。
白い手袋を外すと、指に小さな赤い跡があった。
瓦礫を運ぶときに擦ったらしい。
ミナが水と布を持っていく。
「ありがとうございます」
少女が言った。
朝はなかった言葉だった。
◇
カレーを出すと、エレオノーラさんは皿を見つめた。
「これは……」
「カレー。ごはんと一緒に食べるの」
「香りが強いですわね」
「苦手だったら、無理しなくていいよ」
彼女はスプーンを持った。
少しすくう。
食べる。
目が、わずかに開いた。
もう一口。
今度は、ごはんを多めに。
しばらくして、小さく息を吐いた。
「……温かい」
「温めたからね」
「ええ。そうですわね」
少女は、少しだけ笑った。
巻き髪も、青いドレスも、そのままだった。
でも、もうさっきほど遠くには見えなかった。
◇
「お父様に、認められたかったのです」
皿が半分ほど空いた頃、彼女が言った。
私はスプーンを置いた。
「兄たちは、それぞれ領地や部隊を任されています。わたくしに任されたのは、今回が初めてでした」
「うん」
「何も分からないと思われたくなくて。迷えば、侮られると……セヴランにも言われて」
そこで、彼女は首を振った。
「いえ。あの者のせいだけではありません」
スプーンを握る指が、少し白くなった。
「水を止めると聞いて、おかしいと思いました。でも、皆の前で問い直すのが怖かった」
私は、揚水場で口を閉じた彼女を思い出した。
「バルツさんは、分からなかったから怒ってたんじゃないよ」
エレオノーラさんが顔を上げる。
「分かる人の話を、聞かなかったから」
「……はい」
「私も昨日、まな板切ったし」
「まな板?」
「包丁の力加減が分からなくて」
ミナが横から言った。
「ひまりは、そのあと教わってた」
「そう。次は、ちゃんとできた」
エレオノーラさんは、私とミナを見比べた。
それから、皿へ目を落とした。
「わたくしにも、次があるでしょうか」
「今日の修理、まだ終わってないでしょ」
私は答えた。
「まず、そこまでやろうよ」
少女は少し黙っていた。
やがて、しっかり頷いた。
◇
「それから、朝のことですが」
エレオノーラさんが、こちらへ向き直った。
「あなたの意思を聞かず、連れていこうとしました。申し訳ありませんでした」
私は、すぐには返事をしなかった。
隣にいるミナの手が見えた。
この子は、帰りたくないと言うために、あんなに勇気を使った。
「もう、嫌だって言った人を、勝手に連れていかない?」
「はい」
「魔物でも?」
彼女は私を見た。
白い花。
小さな手。
皿に残ったカレー。
「……魔物でも」
「分かった」
私は手を差し出した。
エレオノーラさんは、戸惑いながら指先を重ねた。
柔らかく包む。
彼女の肩から、少し力が抜けた。
「わたくしが、怖くはありませんの?」
「さっきの魔法?」
「いえ。伯爵家の娘ですし、その……面倒なことにも」
「面倒だったよ」
少女が固まった。
「でも、いまは話してるじゃん」
彼女は私の手を見た。
今度は、自分から握り返してきた。
◇
夕方までには、町の水が戻った。
最初の一筋が水路を流れたとき、バルツさんが大きく息を吐いた。
エレオノーラさんも、隣で頭を下げた。
謝罪はそれで終わりではなかった。
水を運ぶことになった店にも、洗濯を止めた家にも、彼女は説明しに行った。
怒る人はいた。
すぐには返事をしない人もいた。
それでも、途中で馬車へ戻ることはなかった。
日が傾いた頃、ようやく宿の前へ戻ってきた。
巻き髪が、少し崩れている。
靴には泥。
朝より、ずっと疲れた顔だった。
「明日、修繕費の支払いを確認してから帰ります」
「うん」
「遺物の調査についても、町と条件を決め直します。あなたへの面会は、その……申し込んでも?」
「エダさんに言って。仕事の予定あるから」
「承知しました」
少し間があいた。
彼女が、言いにくそうに続ける。
「調査ではなく、食事のお誘いの場合も?」
私はミナを見た。
ミナが笑った。
「それは、直接でいいんじゃないかな」
私は頷いた。
「カレー、気に入った?」
「ええ。とても」
「じゃあ、また食べよう」
エレオノーラさんは、うれしそうにしかけて、途中で表情を整えた。
「光栄ですわ」
「そんなにかしこまらなくていいよ。友達と食べるごはんだし」
彼女が止まった。
「……友達?」
「嫌だった?」
「いいえ」
返事が、少し早かった。
そのあと、頬が赤くなった。
私は、見なかったふりをした。
◇
夜。
私は台所で、もう一度カレーを作っていた。
お土産の分が、かなり減ってしまったからだ。
ミナがじゃがいもの皮をむく。
私は玉ねぎを切る。
今度は、まな板を切らない。
「友達、増えたね」
ミナが言った。
「うん。朝はどうなるかと思った」
「私も」
鍋に脂を入れる。
香辛料を温める。
いい匂いが広がる。
そこへ、セレスさんが台所をのぞいた。
「明日は、山へ行けそうですか」
「行く。たぶん。今度こそ」
「実は、エレオノーラ様が、白銀竜の件をお聞きになって」
私は手を止めた。
セレスさんの後ろから、金色の巻き髪が現れた。
「領内のことを、自分の目で確かめたいのです。同行させていただけませんか」
私はミナを見た。
ミナは鍋を見た。
それから、まだ洗っていないじゃがいもの籠を見た。
「……もう少し、増やそうか」
私は頷いた。
アルジェント。
明日、友達を連れていきます。
研究者と、伯爵令嬢も来ます。
カレーは増やします。
お願いだから。
私の離乳食の話だけは、しないでください。




