最強スライム、カレーは飲み物か検証する
翌朝、私は大変なものを見つけた。
米だった。
市場の穀物屋。
麦の袋と豆の袋の間に、それはあった。
少し丸くて、白くて、小さい。
私は袋の前で止まった。
跳ねるのも忘れた。
「ひまり?」
ミナが振り返る。
私は震える触手で、袋を指した。
「これ」
「水麦だね」
「これ」
「ひまり?」
「お米だ……」
三千年ぶりの再会だった。
向こうは、たぶん初対面だった。
◇
本来、今日はセレスさんをアルジェントのところへ連れていく予定だった。
でも、出発前に寄った市場で米を見つけてしまった。
仕方なかった。
竜は逃げない。
米も逃げないけど、私の気持ちはもう炊き上がっていた。
「セレスさん」
「はい」
「予定を変更してもいい?」
大荷物を背負ったエルフの研究者は、不思議そうにこちらを見た。
「何か、問題でも?」
「カレーを作りたい」
長い耳が、少し傾いた。
「……かれえ」
「私の故郷の料理」
セレスさんの目が光った。
しまった。
研究材料を与えた。
「非常に興味深いですね。ぜひ」
よかった。
了承は早かった。
ミナが穀物の袋をのぞき込む。
「ひまりの故郷では、これを食べるの?」
「食べる。めちゃくちゃ食べる」
「お粥にする?」
「今日は炊く」
「炊く?」
「水をちょうどよく入れて、ふっくらさせる」
私は言いながら、少し冷静になった。
炊飯器がない。
計量カップもない。
カレールウもない。
そもそも私、前世で一人でカレーを作ったこと、あったっけ。
お母さんの横で、じゃがいもの皮をむいた記憶はある。
あと、味見。
味見はかなりやった。
「……まず、材料を探そう」
◇
肉はあった。
玉ねぎっぽいものもあった。
にんじんは、少し黄色かった。
じゃがいもは、普通にじゃがいもだった。
問題は、スパイスだ。
私は香辛料屋の前で、並んだ小瓶を一つずつ見ていた。
黄色い粉。
赤い粉。
茶色い種。
黒い粒。
いけそうな気がする。
でも、見た目で入れたら大惨事になる気もする。
「どんな料理に使うんだい?」
店のおばさんが聞いた。
「肉と野菜を煮込んで、とろっとさせて、お米にかける料理」
「辛いのかい?」
「ちょっと。でも、辛いだけじゃなくて、いい匂いがして……」
説明しながら、もどかしくなった。
名前は知っている。
ターメリック。
クミン。
あと、何だっけ。
知識として持っているのは、カレーの箱の裏を何となく見た程度だ。
三千年もあったのに、勉強する方向を間違えた。
山脈を包めても、カレーが作れない。
「南の煮込みに似ていますね」
セレスさんが、小瓶を一つ取った。
「これは、脂で温めると香りが立ちます。こちらは色と苦み。辛さはこちらで調整できます」
「詳しい!」
「南方の遺跡で、六年ほど発掘していましたので」
「考古学、生活に役立つ!」
「現地で食べていただけです」
おばさんが笑いながら、試しに一つ香りを嗅がせてくれた。
私は体の表面に、ほんの少し取り込んだ。
温かい土みたいな匂い。
続いて、別の瓶。
爽やかで、少し甘い。
それを順番に試していたら、ふっと、懐かしいものがつながった。
「あ」
セレスさんが顔を上げる。
「近い。いまの、近い」
まだカレーではない。
でも、カレーのいる方角が分かった。
◇
宿の女将さんに頼むと、昼の仕込みが終わったあとなら、台所を貸してくれることになった。
「ただし、鍋を溶かすんじゃないよ」
「溶かしません」
「包丁も」
「溶かしません」
「竈も」
「調理より解体を警戒されてる」
女将さんは、作業台に大きな鍋を置いた。
「お代は、終わったあとの台所掃除。それと、味見一皿」
「任せて!」
ここは自信がある。
私はまず、台所を全部ぴかぴかにしようとして止められた。
「終わったあとでいいんだよ。いま床をきれいにしても、また汚れるだろう」
正しかった。
力の使いどころについては、まだ学ぶことが多い。
◇
ミナが野菜を洗う。
セレスさんが香辛料を量る。
私は、玉ねぎを切ることになった。
触手を二本、手の形にする。
片方で玉ねぎを押さえる。
もう片方で包丁を持つ。
力を入れる。
まな板まで切れた。
「ひまり」
「ごめん」
女将さんが、黙って予備のまな板を出した。
その目が、少し細くなった。
私は包丁を置いた。
代わりに、体の端を薄い刃にする。
玉ねぎの硬さを確かめる。
刃を通す深さを決める。
すっ、すっ、すっ。
今度は、きれいに切れた。
調子が出てきた。
触手を増やす。
玉ねぎ四つ。
にんじん三本。
じゃがいも六個。
同時に切る。
作業台の上へ、同じ大きさの野菜が並んでいく。
ミナが手を止めた。
「……お店、できそう」
「仕込み担当ならいけるかも」
セレスさんは、いつの間にか手帳を開いていた。
「形状操作の精度が、対兵器戦闘時と——」
「今日はカレーの話をしようね」
◇
鍋で脂を温める。
香辛料を少し入れる。
ぱち、と音がした。
匂いが変わった。
その瞬間、私は体を伸ばした。
「これ!」
「まだ種しか入っていませんよ」
「でも、これ!」
玉ねぎを入れる。
じゅう、と大きな音。
かき混ぜるたびに、白かった玉ねぎが透き通っていく。
急ぎたくなった。
温度を上げれば、早くできそうだった。
「焦がさずに、もう少し」
女将さんが横から言った。
私は火をそのままにした。
待つ。
かき混ぜる。
また待つ。
三千年も待ったことがあるくせに、玉ねぎが色づく時間は、やけに長かった。
やがて、鍋の底に甘い香りが広がった。
肉を入れる。
野菜を入れる。
水を注ぐ。
別の小鍋で、小麦粉と脂を炒める。
茶色くなったところへ香辛料を混ぜると、見覚えのある色になった。
私は小鍋を見つめた。
カレーだ。
かなり、カレーに近づいている。
「ひまり、焦げるよ」
「あっ」
感動している場合ではなかった。
◇
煮込んでいる間に、米を炊いた。
まず洗う。
水を替える。
鍋に入れる。
問題は、水の量だった。
「このくらい?」
私が聞くと、三人が首をかしげた。
水麦は知っていても、普段は粥か、ゆでて水を切る食べ方らしい。
私の知っているお米と、必要な水が同じとも限らない。
私は少し考えた。
「小さい鍋で、先に試そう」
ひとつかみ分を取り分ける。
水を入れて、蓋をする。
火にかける。
しばらくして、鍋の中から、かすかな音が聞こえてきた。
水の動き。
米が膨らむ気配。
底に触れた粒の熱さ。
私は鍋の外側へ、薄く体を沿わせた。
「何をしているんですか」
「焦げないように見てる」
「蓋は閉まっていますが」
「振動とか、熱とか。ちょっと分かる」
セレスさんが手帳を探した。
私は触手で、そっと閉じた。
試し炊きは、少し硬かった。
水を足して蒸らすと、よくなった。
本番は、その分だけ水を増やした。
強くしすぎない。
底だけ熱くしない。
湯気が減ったら、火を落とす。
竜の毒を受け止めていた体で、いまは鍋の温度を均等にしている。
たぶん、この使い方はかなり上手だ。
◇
カレーの最初の味見は、失敗だった。
辛い。
香りもある。
でも、何かが足りない。
全体が、ばらばらだった。
「どう?」
ミナが聞いた。
「カレーの材料を食べてる感じ」
「まだ、カレーになってない?」
「うん」
私は鍋を見た。
あの茶色い箱があれば。
ぱきっと割って入れるだけで、全部まとまる。
いまさら、すごい発明だったんだと分かった。
「塩は?」
女将さんに聞かれた。
私は止まった。
入れていなかった。
女将さんは何も言わず、塩壺を差し出した。
私は厳かに受け取った。
無敵になっても、料理の基本は身につかない。
少しずつ塩を入れる。
味が、急にはっきりした。
さらに女将さんが、いつものスープに使う干し茸の煮汁を分けてくれた。
ミナは玉ねぎの残りを、柔らかくなるまで炒めて足した。
セレスさんが最後の香りを、ほんの少し調整する。
私はもう一度、味を見た。
「……うん」
三人がこちらを見る。
「できた」
◇
米の蓋を開けた。
白い湯気が、顔のない私の前を通った。
粒が立っていた。
しゃもじの代わりの木べらで、底から返す。
ふっくらしている。
少しだけ、おこげもあった。
私は一粒、もらった。
ゆっくり取り込む。
柔らかい。
でも、粒の形が分かる。
甘い。
「……ごはんだ」
ミナも一粒食べた。
「お粥と、全然違う」
「でしょ」
私は体を少し高くした。
自分が発明したわけでもないのに、誇らしかった。
◇
大きな皿へ、ごはんをよそう。
隣に、カレー。
肉とじゃがいもを、ちゃんと入れる。
黄色いにんじんも。
四人分を並べると、台所の作業台が、急に食卓になった。
「いただきます」
私が言った。
ミナが続く。
「いただきます」
セレスさんと女将さんも、少しぎこちなく真似してくれた。
私は小さな手でスプーンを持った。
体ごと食べれば早い。
でも、今日はこうしたかった。
ごはんとカレーを、一緒にすくう。
取り込む。
ゆっくり。
最初に香り。
次に、玉ねぎの甘さ。
肉の味。
少し遅れて、舌の代わりのどこかが、ぴりっとする。
そこへ、ごはん。
合う。
ちゃんと、合う。
前世で食べていたものと、まったく同じではなかった。
もっと香辛料の粒を感じるし、お米も少し違う。
でも、二口目を食べたくなる理由は、同じだった。
「おいしい」
ミナが言った。
見ると、もう次の一口をすくっていた。
「ちょっと辛いけど、ごはんと食べると、また食べたくなる」
「そう。それ」
女将さんは肉をかみ、考え込んだ。
「こりゃ、パンにつけても売れそうだね」
セレスさんは黙って食べていた。
手帳も開いていない。
しばらくして、顔を上げた。
「おかわりは」
「あります」
私はうれしくなった。
その拍子に、スプーンを持つ手が少し崩れた。
カレーが一滴、体に落ちた。
そのまま吸収した。
女将さんが、私を見た。
「食べこぼしがないのは便利だねえ」
「そこはかなり便利です」
◇
二皿目を食べながら、ミナが聞いた。
「ひまりのおうちでも、こうやって作ってたの?」
「うちは、固まった味つけのやつを入れてた」
「味つけが固まってるの?」
「うん。箱に入ってて、ぱきっと割るの」
説明すると、セレスさんが今度こそ手帳を開いた。
それは研究してもらって構わない。
むしろ、ぜひ実現してほしい。
「お母さんが作ると、じゃがいもが大きくてさ」
私は皿の中のじゃがいもを見た。
「熱くて、よく上顎やけどした」
「痛そう」
「でも、急いで食べるんだよね」
学校から帰ったとき。
玄関にランドセルではなく、くたびれた通学鞄を置いて。
台所からこの匂いがすると、それだけで夕ごはんまで待てなくなった。
何か手伝って、と言われて。
お皿を出して。
味見をねだった。
ああ。
私はスプーンを止めた。
食べたかったのは、これだった。
ごはんも、カレーも。
作っているあいだの匂いも。
もうできる、と言われて待つ時間も。
「ひまり?」
ミナが、そっと呼んだ。
「うん」
「辛すぎた?」
「……ちょっとだけ」
ミナは水の入ったコップを、近くへ寄せてくれた。
私はお礼を言って、もう一口食べた。
温かいうちに食べたかった。
◇
鍋には、まだかなり残っていた。
女将さんが人数を数える。
「夕方まで置けば、客にも出せるね。少し買い取ってもいいかい?」
「いいの?」
「仕込みを手伝った手間賃も、あとで考えようか」
私は鍋を見た。
おいしくできた。
みんなも食べてくれた。
おまけに、お金になるかもしれない。
カレー、すごい。
「でも、一鍋分は取っておきたい」
「誰かに持っていくのかい?」
「うん。アルジェントに」
セレスさんの長い耳が立った。
忘れていなかったらしい。
私は続けた。
「今日のごはん、あの人にも食べてもらいたい」
ミナが頷いた。
「蜂蜜、少し入れたら喜ぶかな」
「竜の好み、まだよく分かんないんだよね」
セレスさんが手帳を構えた。
「では明日は、白銀竜の食性についても——」
「まずはカレーを食べてもらおうね」
私は、やんわり遮った。
食性の話は、こちらへ戻ってくる危険性が高い。
◇
後片づけは、一瞬だった。
鍋についた焦げを取る。
皿をきれいにする。
作業台を拭く。
床に落ちた野菜くずも、まとめて回収する。
食べ物の残りと汚れを取り込むのは得意だけれど、今日ばかりは、カレーの香りを少し惜しく思った。
「きれいになったねえ」
女将さんが、鍋の底に自分の顔を映した。
「明日も作ってくれないかい」
「まずは、今日の反省をしてから」
「何か失敗した?」
ミナが聞いた。
私はまな板を見た。
切断面は、恐ろしく滑らかだった。
「力加減」
「ああ」
三人が頷いた。
◇
その夜。
宿の部屋で、ミナが針を動かしていた。
私は窓辺で、明日のお土産用の鍋を見ていた。
カレーは女将さんに教わって小分けにし、冷ましてある。
いまは鍋の周りを私の体で包み、冷たく保っていた。
温めるのも、冷やすのも、前よりずっと細かくできる。
人間の暮らしに、ちょうどいい力加減を覚えているところだ。
「ひまり」
「なに?」
「故郷には、ほかにもおいしいものがある?」
「あるよ。いっぱい」
「また、作れる?」
私は考えた。
おにぎり。
卵焼き。
唐揚げ。
お味噌汁は、味噌を探さないといけない。
あと、クレープ。
いちごと、生クリームが入ったやつ。
今度は、ちゃんと最後まで食べたい。
「作ろう」
私は答えた。
「少しずつ、思い出しながら」
ミナは笑って、また針を動かし始めた。
私は自分の体を見た。
今日、何度もカレーを味見したせいか。
ほんの少しだけ。
いつもより、緑色に見える。
「……ミナ」
「うん?」
「私、黄色くなってない?」
ミナが顔を上げた。
じっと見た。
白い花のひもを、少し直してくれた。
「明るい色になったね」
「そういう励ましじゃなくて」
ミナが笑った。
私も笑った。
とりあえず、明日の朝までに戻ることを祈った。
アルジェントに、絶対に何か言われる。




