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最強スライム、保護者に会いに行く



 町を救った翌朝。


 斡旋所の掲示板に、私がいた。


 青い丸。

 頭に白い花。

 下に、大きな文字。


『トルカの守護者』


 私は絵を見上げた。


 横から見ても、下から見ても、完全に私だった。


「エダさん」


「はい」


「これ、誰が描いたの」


「昨日、東門で勤務していた衛兵です」


「上手だね」


「そうですね」


「でも、こっちの肩書き、何とかならない?」


 エダさんは紙を一枚めくった。


「では、市議会から届いている別案を読みますね」


「別案」


「蒼穹の大賢者」


「やめて」


「慈愛の蒼き海」


「規模が大きい」


「救国の聖——」


「ひまりでお願いします!」


 受付の奥で、誰かが笑った。


 昨日から、みんなが少しだけ遠い。


 道を歩けば避けられるし、宿の人は妙に丁寧だし、朝ごはんの皿には頼んでいない肉まで乗っていた。


 肉はおいしかった。


 そこは返さなかった。


 でも、できれば普通に話してほしかった。


     ◇


「こちらが、昨日の緊急対応の報酬です」


 エダさんが、小さな袋を置いた。


 じゃらり、と鳴った。


 開ける。


 銀色がいっぱい。


「銀貨三十枚。現場の救助と防衛、古代兵器の無力化に対する、市からの支払いです」


「……三十」


「回収した金属の扱いは、まだ調査中です。そちらは決まり次第お知らせします」


 私は袋をのぞき込んだ。


 銅貨三千枚。


 蜂蜜パン三千個。


 三千年生きて、初めて年齢とパンの数が並んだ。


「ミナ」


「うん」


「しばらく、ごはんに肉つけられる」


 ミナは笑ってから、少し考えた。


「先に、お部屋を借りるお金を残しておこう?」


 正しかった。


 私は前世を含めて三千十七歳。


 家計に関しては、全面的にミナを頼ることになりそうだった。


 袋をしまったところで、エダさんがもう一枚の紙を出した。


「それと、面会の申し込みが一件」


「お仕事?」


「王立学院の研究者だそうです」


 嫌な予感がした。


「解剖?」


「目的の欄には、書いてありません」


「書いてあったら断ってね」


     ◇


 研究者は、斡旋所の隅でお茶を飲んでいた。


 灰色の外套。

 細い銀縁の眼鏡。

 長い耳。


 エルフだった。


 初めて見た。


 ちょっと感動した。


 女性は私に気づくと立ち上がり、持っていたカップを置き損ねた。


 私が床へ落ちる前に拾った。


「どうぞ」


「……ありがとうございます」


 渡すと、女性は私の触手をじっと見た。


 長い。


 見る時間が長い。


「解剖は駄目だよ」


「しません」


「瓶詰めも」


「しません」


「一口だけとかも」


「何の研究者だと思っているんですか」


 女性は咳払いした。


「王立学院、古代魔導史研究室のセレスと申します」


 向かいの椅子に、ミナが座る。


 私はその隣によじ登った。


 机が見えない。


 ミナが自然に、私を膝へ乗せてくれた。


 セレスさんの目が、少しだけ丸くなった。


「その方が、昨日の……」


「昨日の私です」


     ◇


 セレスさんが調べているのは、川底から出てきた古代兵器だった。


 トルカへ来たのも、その発掘調査に立ち会うためだったらしい。


「私が到着する前に動きだして、到着した時には分解されていました」


「ごめん」


「謝る必要はありません。あれが町へ入っていたら、調査どころでは済みませんでした」


 そう言って、彼女は紙を広げた。


 細かい文字と、巨人の絵が描かれている。


「私が伺いたいのは、内部の構造です。特に胸部の中枢について」


「黒い玉があったよ」


 セレスさんのペンが動く。


「周りに、ぐるぐる文字が回ってた」


 速くなる。


「触ったら、従えとか命令してきたから、食べた」


 止まった。


「……食べた」


「うん」


「中枢の、防御術式を?」


「たぶん、そのへん全部」


 セレスさんは眼鏡を外した。


 拭いた。


 かけ直した。


「味は?」


「そこ、必要?」


「私も何を聞けばよいのか分からなくなっています」


 正直な人だった。


 私はできるだけ思い出して、黒い球の形や、管がつながっていた場所を説明した。


 触手で空中に形を作ると、セレスさんは夢中で描き写した。


 最後に、小さく息を吐いた。


「間違いありません。旧帝国末期の、魔力徴収型の兵器です」


「徴収」


「周囲から魔力を奪って動きます。戦争が終わったあとも停止せず、多くの土地を荒廃させたと記録されています」


 私は、山の地下にあった黒い塊を思い出した。


 あれも、ずっと脈打っていた。


 誰もいないところで。


 長い長い間。


「ねえ。その旧帝国って、いつ頃なくなったの?」


「およそ、三千二百年前です」


     ◇


 その日の午後、私は買い物をした。


 大きなパンを六つ。


 燻製の肉を、塊で二つ。


 蜂蜜の入った壺を一つ。


 ミナが籠の中を見た。


「たくさん買ったね」


「うん。お土産」


「誰に?」


「アルジェント」


 名前を口にすると、急に会いたくなった。


 町へ来て、まだ何日も経っていない。


 なのに話したいことが、山ほどあった。


 お金を稼いだこと。


 甘いパンがおいしかったこと。


 ミナが仕事を見つけたこと。


 町を包んだら、変な肩書きをつけられたこと。


 それから。


 あの山の毒についても、聞いてみたかった。


「ミナも、一緒に行く?」


 ミナは一瞬、籠の取っ手を握り直した。


 山へ向かったときのことを、思い出したのかもしれない。


 私は返事を待った。


 やがて、彼女は頷いた。


「今度は、帰ってくるんだよね」


「もちろん」


「じゃあ、行く」


 私は大きなパンを一つ、買い足した。


     ◇


 町の外で、移動手段を作った。


 私自身で。


 まず、底を平たくする。


 その上に、ミナが座れるくぼみ。


 背もたれ。


 左右に持ち手。


 荷物を入れる場所。


 前には、風よけの透明な板。


 完成。


 スライム製、一人乗り車。


「……前みたいに、飛ばない?」


 ミナが聞いた。


「飛ばない」


「林、越えない?」


「道を行きます」


「急に速くならない?」


「まず歩く速さから始めます」


 前科があると、審査が厳しい。


 ミナは慎重に座った。


 私はゆっくり動いた。


 石畳の継ぎ目を越えるときも、座るところは揺らさない。


 車輪はない。


 下半分が、せっせと流れている。


「どう?」


「……気持ちいい」


 よかった。


 速度を少し上げる。


 ミナが頷く。


 もう少し上げる。


 景色が、なめらかに流れ始めた。


 頭につけてもらった白い花は、座席の横へ移してある。


 ミナはそれを指先で直してから、遠くの山を見た。


「ひまり、便利だね」


「強いより、そっちの方がうれしいかも」


     ◇


 山道へ入る頃には、ミナは笑っていた。


 段差は体を伸ばして越える。


 ぬかるみは底を広げて渡る。


 細い道では、座席だけそのままに、下を細くする。


 曲がり角から角兎が飛び出した。


 私は止まった。


 角兎も止まった。


 鼻をひくひく動かして、草むらへ戻っていく。


 昔、あいつの仲間に踏まれて、半分になった。


 その話をすると、ミナは目を丸くした。


「ひまりにも、そんなときがあったんだ」


「弱かったよ。小石も持てなかった」


「どうやって、強くなったの?」


「……食生活と、年月?」


 ミナは、座席を少し撫でた。


「長かったね」


 私は返事に迷った。


 長かった。


 でも、それだけではなかった。


 いつも隣に、寝息のうるさい竜がいた。


「うん。でも、一人じゃなかったから」


     ◇


 洞窟の入口に着くと、奥から風が吹いてきた。


 温かい。


 規則正しい。


 いびきだった。


 ミナが両手で髪を押さえる。


「寝てる?」


「絶好調で寝てる」


 私は荷物とミナを下ろし、いつもの大きさに戻った。


 鼻先まで跳ねていく。


 銀色の鱗。


 閉じたまぶた。


 大きな牙。


 以前より、顔つきが穏やかに見えた。


「ただいま」


 竜の鼻が動いた。


 片目が、ゆっくり開く。


『……忘れ物か』


「違うよ。遊びに来た」


『もう、人間に嫌われたか』


「第一声として最悪だよ」


 アルジェントは、喉の奥で笑った。


 それから私の頭を見た。


『花が生えたな』


「ミナが作ってくれたの」


 後ろで、ミナがお辞儀をした。


「こんにちは」


『うむ』


 竜は体を起こしかけて、途中で止まった。


 ミナに影がかかる。


 それを見て、ゆっくり腹を地面へ戻した。


『……よく来た』


 私はその鼻を、軽く叩いた。


 そういうところは、ちゃんとしている。


     ◇


 お土産を並べた。


 パン。

 肉。

 蜂蜜。


 アルジェントが、じっと見た。


『人間の食い物か』


「私が働いて買った」


 竜の目が、私へ向いた。


『働いた?』


「お掃除したり、魔石に魔力入れたり」


『ほう』


「あと、町を襲ったでかい鉄の人形を片づけたり」


『ほう』


 全部、同じ反応だった。


 世間では大騒ぎだったのに、この竜の中では同じ並びらしい。


 少し、ほっとした。


「ちゃんと、お金もらったんだよ」


『そうか』


「銀貨で」


『そうか』


「……うれしくないの?」


 アルジェントは、鼻先でパンをそっと転がした。


『うれしいので、見ておる』


 私は黙った。


 ミナも何も言わず、蜂蜜の壺を開けた。


     ◇


 食事のあと、ミナに部屋を見せた。


 石のベッド。


 光る鉱石。


 文字でいっぱいの壁。


「これ、ひまりが書いたの?」


「うん」


 ミナは壁の前に立った。


 この世界の文字も、日本語もある。


 後から付け足したものほど、低い場所に細かく刻んでいた。


 好きだった曲。


 学校の階段。


 お母さんの声。


 忘れないうちに、と思って書いたこと。


 書いたのに、もうよく思い出せないこと。


「ここは?」


 ミナが、壁の中央を指さした。


 いちばん深く彫った文字だった。


「名前。小日向ひまり」


 ミナは、指で触れずに形を追った。


「難しいね」


「私も、一回忘れかけた」


 彼女はしばらく文字を見ていた。


 それから、袋から針仕事の練習用の布と、炭の欠片を取り出した。


「写してもいい?」


「いいけど、何にするの?」


「練習」


 ミナは壁と布を交互に見ながら、丁寧に線を引いた。


「名前、縫えるようになったらいいなと思って」


 私は隣で待った。


 急かさずに。


 壁に置いておくしかなかった名前が、小さな布へ移っていくのを見ていた。


     ◇


 ミナが文字を写している間に、私はアルジェントへ聞いた。


「昔の帝国のこと、知ってる?」


 竜の目が細くなった。


『どの帝国だ』


「三千二百年くらい前になくなったやつ」


『ああ』


「町で動いた鉄の人形、そこの兵器なんだって」


 私は胸の黒い球と、命令してきた文字の形を説明した。


 アルジェントは、途中から動かなくなった。


『それを食ったのか』


「うん」


『腹は』


「壊してない」


 竜は、ゆっくり息を吐いた。


『ならば、よい』


「山の下にあった黒いやつも、関係ある?」


 少しの間があった。


 洞窟の奥で、ミナが炭を布に走らせる音がした。


『あれは、戦の残りものだ』


 アルジェントが言った。


『人間どもが山の下へ埋めた。地脈から魔力を奪い、兵器へ送るための炉だった』


「……止められなかったの?」


『壊せば、溜め込んだ毒が噴き出す。余には少しずつ抜き取るしかできなんだ』


 私は、竜の腹を見た。


 三千年。


 私がここへ来る前から、この竜はずっと。


「誰かに言えばよかったのに」


『当時を知る者は減った』


「でも」


『説明に行った村で、一度、山羊を差し出された』


 私は黙った。


『要らぬと言ったが、翌年は二頭になった』


「……会話が下手」


『おぬしほど達者ではない』


 笑えなかった。


 ミナが山へ来たときの、白い服が頭に浮かんだ。


 守られていた人たちが、守っている竜を怖がっていた。


 竜はそれを知っていて、なお山に残った。


 私は鼻先へ触れた。


「今度、私が説明する」


『もう、毒はない』


「だからだよ」


 アルジェントは何も言わなかった。


 しばらくして、私の頭の花に鼻を寄せた。


 壊さないように。


 ほんの少しだけ。


     ◇


 帰る前に、ミナがアルジェントの前へ進み出た。


 竜が顔を下げる。


 ミナは両手を握って、見上げた。


「私、町で働くことになりました」


『聞いておる』


「針仕事を、教えてもらっています」


『うむ』


「……山に来るときは、もう何もできないと思っていました」


 アルジェントは黙って聞いた。


「でも、いまは、明日もやることがあります」


 ミナは深く頭を下げた。


「ひまりを、守ってくれて、ありがとうございました」


 竜の目が、少し開いた。


 私はミナを見た。


 ミナは照れたように、こちらへ笑った。


 アルジェントは、長いこと返事をしなかった。


 それから。


『あれは』


 と、言った。


『余の話し相手だった』


 私は鼻の奥が痛くなるような気がした。


 鼻、ないけど。


『世話をしたつもりはない』


「百年トイレから出してくれなかったしね」


 つい言った。


 竜が固まった。


 ミナが、こちらを向いた。


「トイレ?」


 しまった。


『修行だと思っておったのだ』


「その話はまた今度!」


 私は急いで、乗り物の形になった。


 アルジェントが、今度ははっきり笑った。


 洞窟の天井から、小石が降った。


     ◇


 帰り道、ミナは少し眠った。


 私は座席を深くして、風よけを高くした。


 膝の上には、日本語を写した布。


 その横に、アルジェントが土産の包みから返してくれたパンが一つ。


『帰りに食え』


 と、言われた。


 持ってきたお土産を持ち帰らされる。


 何だか、帰省みたいだった。


 山を下りる途中で、ミナが目を覚ました。


「ひまり」


「うん?」


「また、来ようね」


「うん」


 すぐに答えられた。


 昔は、あの洞窟から出ることばかり考えていた。


 出られるようになってからも、外へ行くのが怖かった。


 いまは、帰る約束をして山を下りている。


 それが、少し不思議だった。


     ◇


 夕方、トルカの門が見えてきた。


 門番のおじさんが、私たちに気づいた。


 一瞬、姿勢が固くなる。


 私は先に声をかけた。


「ただいま」


 おじさんは、口を開いた。


 何か言いかけて。


 それから、いつもの調子で手を上げた。


「お帰り。今日は飛んでこなかったな」


「安全運転です」


「そりゃ何より」


 ミナが座席の上で笑った。


 私は、普通の速さで門をくぐった。


 町には夕食の匂いがしていた。


 帰る場所が、二つになった。


     ◇


 宿に着くと、セレスさんが待っていた。


 膝の上に、大きな鞄。


 横に、もう一つ大きな鞄。


 床に、さらに大きな鞄。


「……引っ越し?」


「お願いがあります」


 セレスさんは立ち上がった。


「明日、あなたを育てた方に、お会いできませんか」


「誰から聞いたの」


「昼に買い物をされていた店で。山の竜にお土産を買っていたと」


 町の情報網が速い。


「なぜ、あの古代術式を食べられたのか。どのような環境で育ったのか。ぜひ、お話を」


 私は黙った。


 隣で、ミナが首をかしげた。


「私も、ちょっと気になる。食生活の話」


 白い花が揺れた。


 私は、頭の中でアルジェントに祈った。


 明日、研究者を連れていくかもしれません。


 お願いです。


 余計なことを言わないでください。


 特に、ごはんの話は。


 遠くの山から返事が来ることは、もちろん、なかった。

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