最強スライム、町を一口で包む
初めての指名依頼だった。
斡旋所の受付で、エダさんが一枚の紙を差し出す。
「市の揚水場からです。魔石への魔力補充をお願いします」
揚水場。
川の水をくみ上げて、町の水路へ流す施設らしい。
役所で私が魔石を充電した話を聞いて、担当の人が興味を持ったのだそうだ。
「報酬は銀貨一枚」
私は止まった。
「銀貨って、銅貨何枚?」
「百枚です」
もう一度止まった。
百枚。
蜂蜜パン、百個。
体の中で、何かの景気がよくなった。
「やります」
「まだ説明が終わっていません」
「聞きながら、やります」
「落ち着いてください。台から垂れています」
私は慌てて、自分の端っこを引き戻した。
◇
ミナはその日、仕立屋へ行くことになっていた。
エダさんが紹介してくれた店で、まずはほつれ直しを見てもらうらしい。
「一人で大丈夫?」
聞くと、ミナは小さな袋を持ち上げた。
昨日買った針と糸が入っている。
「ひまりこそ、大丈夫?」
「私?」
「魔力、入れすぎないでね」
「そこは信用してほしい」
役所を半年分充電した実績がある。
信用を失うには、十分な実績だった。
町の中央で別れる前に、私たちは約束をした。
昼の鐘が鳴ったら、噴水で待ち合わせ。
仕事の話をしながら、お昼を食べる。
「じゃあ、あとで」
「うん。あとで」
ミナは二度ほど振り返ってから、通りの向こうへ歩いていった。
私も反対側へ跳ね始めた。
別々に仕事へ行って、あとで会う。
何だか、ちゃんと暮らしている人みたいだった。
◇
揚水場は、町の東側にあった。
石壁のすぐ外を川が流れ、水車が三つ並んでいる。
中には大きな歯車と、金属の管と、水の音。
そして、私を見るなり両手を広げるおじいさんがいた。
「来たかね、半年分!」
「ひまりです」
「わしは管理技師のバルツじゃ」
「できれば名前で呼んでください」
バルツさんは笑いながら、奥の部屋へ案内してくれた。
台座に、拳くらいの魔石が六つはまっている。
石の横には、それぞれ細いガラス管がついていた。
「魔力を入れると、管の中の光が上がる。この赤い線で止めること」
「分かりやすい!」
「分からん者にも分かるように作った」
技術者の優しさだ。
私は細い触手を伸ばし、魔石に触れた。
そっと魔力を流す。
光が上がる。
赤い線の手前で止める。
「おお」
バルツさんが感心した。
「早いな。もう一本」
触れる。
上がる。
止める。
六つ全部終えるまで、十秒くらいだった。
「終わりました」
バルツさんは、管を一本ずつ確認した。
それから私を見た。
「……休憩は?」
「いらないです」
「めまいは?」
「ないです」
「何か、甘いものでも食べるかね」
「それはいります」
お仕事は無事に終わった。
あとは報酬をもらって、お昼を待つだけ。
そう思っていた。
川の底から、鐘みたいな音がするまでは。
◇
ごうん。
低い音が、足元の石を震わせた。
水車が止まった。
続いて、外から叫び声。
「鎖を切れ! 船を離せ!」
私は窓によじ登った。
川の真ん中に、平たい船が浮かんでいる。
何人もの作業員が、岸につながった巻き上げ機から逃げていた。
船の上には泥まみれの、丸いもの。
鐘だと思った。
違った。
兜だった。
川幅の半分ほどもある、巨大な兜。
その目の部分に、赤い光がともった。
「……ありゃ、まずい」
バルツさんの声が変わった。
「何?」
「川底から引き上げておった古代の残骸じゃ。昨日までは、ただの鉄くずだったんだが」
水面が盛り上がった。
泥をまとった肩が出る。
腕が出る。
鎖が、糸みたいにちぎれた。
巨人が立ち上がった。
揚水場より高い。
石壁より、ずっと高い。
胸の真ん中で、赤い何かが回っている。
顔が、こちらを向いた。
正確には、私の後ろにある六つの魔石を見た。
『稼働魔力、確認』
ひび割れた声が、川沿いに響いた。
『補給を開始する』
バルツさんが、私を見た。
私は魔石を見た。
光は、ちゃんと赤い線の手前にある。
「規定量です」
「分かっとる!」
◇
警鐘が鳴り始めた。
作業員たちが走る。
船に残っていた一人が、足を滑らせて川へ落ちた。
私は窓から手を伸ばした。
人間の手の形では間に合わない。
細い帯になって水面を走り、落ちた人を腰からすくい上げる。
岸へ置く。
ついでに、倒れかけていた巻き上げ機も支える。
「バルツさん、外へ」
「おぬしは!」
「ちょっと、あれ止めます」
巨人が腕を振り上げた。
手のひらの内側に、赤い光が集まる。
まずい。
あの向きには、町がある。
私は窓から飛び出した。
空中で体を広げる。
揚水場の屋根を越える。
巨人の手が光った。
赤い光線が、私にぶつかった。
熱かった。
少し。
それから、体の中へ溶けた。
私は川岸に着地した。
背後の窓が一枚だけ、かたんと鳴った。
それ以外は、何も壊れなかった。
「……辛い」
久しぶりに、味の濃いものを食べた。
◇
巨人が、私を見下ろした。
『障害物を確認』
「会話できる?」
『排除する』
「できない方か」
拳が落ちてきた。
私は丸くなって受け止めた。
地面にめり込むと困るので、下半分を広げて、川岸の石垣全体に力を逃がす。
ずん、と音がした。
私の体が、少し平たくなった。
拳が止まった。
巨人が腕を引く。
私はくっついたまま、ついていく。
『排除。排除。排除』
「聞こえてるよ」
手首に体を巻きつけ、締めた。
金属が曲がった。
巨人の右手が、ぽろっと取れた。
「あ」
予想より、もろかった。
落ちる手を包んで、そっと川岸へ置く。
屋台三つ分くらいある鉄の手だった。
これ、片づけるの大変そう。
そんなことを考えていたら、手首から黒い糸が伸びた。
切れた断面が膨らみ、新しい指が生えてくる。
私はその様子を見た。
「再生するんだ」
『損耗、復旧』
便利だ。
でも、これはちょっと面倒かもしれない。
◇
「離れろ、スライム!」
石壁の上で声がした。
弓を持った衛兵と、杖を持った人たちが並んでいた。
そのうちの一人が、長い詠唱を始める。
私は叫んだ。
「待って! たぶん魔法は——」
大きな火の槍が飛んだ。
巨人の胸に当たる。
爆発した。
煙が晴れた。
胸の赤い光が、さっきより明るくなっていた。
『補給完了』
「ごはんになるやつ!」
巨人の肩が開いた。
中に、同じ赤い光がいくつも並んでいる。
全部が、町へ向いた。
石壁の上の人たちが固まった。
私は、巨人と町の間にいた。
でも、いまの大きさでは足りない。
揚水場一つなら守れる。
壁の一部も守れる。
あちこちへ撃たれたら、追いかける必要がある。
追いつけなかった場所に、誰かがいたら。
ミナがいたら。
「……そっか」
簡単だった。
全部、覆えばいい。
◇
私は体を広げた。
まず、川岸に沿って。
次に、石壁の上へ。
そこから、町の空へ。
青い膜が、屋根を越えて走っていく。
鐘楼を包まないように、その少し上を通る。
煙突から昇る煙のために、小さな穴を開ける。
鳥が一羽、驚いて飛び込んできたので、通してあげる。
西の門。
南の畑。
北の見張り台。
町の端から端まで、体を伸ばした。
トルカの空が、薄い青色になった。
私の中に、町があった。
通りを走る人の足音。
戸を閉める音。
泣く子どもの声。
全部、伝わってきた。
巨人の肩が、いっせいに光った。
赤い雨が降った。
私はそれを、全部食べた。
屋根には、一滴も落ちなかった。
◇
町の中央で、ミナが立ち止まっていた。
仕立屋らしい女の人が、彼女の腕を引いている。
ミナは空を見上げた。
「……ひまり?」
聞こえた。
私は、噴水のそばまで細い触手を下ろした。
先を、いつもの丸い形にする。
「はーい」
女の人が悲鳴を上げた。
ごめんなさい。
ミナは私と、空を交互に見た。
「これ、全部?」
「ちょっと広がってる」
「ちょっと?」
問い返されている間にも、川の方で何かが爆発した。
少し酸っぱい。
味が変わった。
ミナが私に触れた。
「痛くない?」
「平気。そっちは?」
「大丈夫」
「よかった」
女の人が、ようやく口を開いた。
「知り合いなのかい、あんた」
ミナは頷いた。
「友達です」
私は、空の端が少し揺れないように気をつけた。
うれしくなると、ぷるぷるする癖がある。
いまやると、町全体の天井が揺れる。
「ミナ、建物の中にいてね。すぐ終わらせるから」
「うん。待ってる」
触手を戻した。
川の方へ、意識を集める。
巨人はまだ、せっせと私に魔力を撃ち込んでいた。
◇
アルジェントの食事は、いつも同じだった。
地脈の毒を吸い上げる。
体の中で薄める。
残ったものを、外へ出す。
私は三千年、それを食べた。
火を吐く竜の魔力も。
山を腐らせる毒も。
竜自身が消化できなかったものも。
少しずつ、体の作り方を変えながら。
だから、こうして目の前で頑張っている古代兵器を見ると、思ってしまう。
確かに辛い。
濃いし、熱い。
でも。
「あんたの攻撃、ちゃんと消化できるんだよね」
巨人の胸に、細い触手を伸ばした。
装甲の隙間へ入り込む。
内部には、金属の筋と、赤い光の流れる管があった。
触れると分かる。
ここを通っている。
ここで増やしている。
ここから、手足へ送っている。
私は流れをたどった。
胸の奥に、黒い球があった。
その周りを、何重もの文字が回っている。
『侵入を検知』
金属の棘が伸び、私を貫いた。
穴が開いた。
すぐ塞がった。
「核、そこにないので」
そもそも私に核があるのかも、よく分からない。
体を千個に分けても、全部私だった。
千個同時にしゃべったらアルジェントに怒られたので、それ以来やっていない。
黒い球に触れる。
細い文字が、体の中へ食い込んできた。
『制御対象を変更』
何かが、私に命令しようとした。
ひざまずけ。
従え。
所有者を認めろ。
そういう意味が、ぴりぴりと伝わってくる。
私は文字ごと包んだ。
「私、もう就職してるので」
食べた。
◇
巨人が止まった。
胸の光が消える。
肩の砲口が閉じる。
膝が折れた。
このまま倒れると、川があふれる。
私は下から支えた。
ついでに、内側から関節を外した。
頭。
腕。
肩。
胴体。
大きすぎる部品は、さらに分ける。
危なそうな魔力は、残さず吸う。
川底の泥を巻き上げないように、一つずつ岸へ運ぶ。
最後に、船へ絡まった鎖をほどいた。
巨人はいなくなった。
代わりに、川岸へ鉄くずの山ができた。
私はそれを見上げた。
片づいた。
多分。
◇
町を覆っていた体を、ゆっくり戻した。
西の門から。
南の畑から。
北の見張り台から。
青い空の下に、元の青い空が現れる。
変な言い方だけど、本当にそうだった。
最後に揚水場の屋根から降りて、いつもの大きさに戻った。
バルツさんが、口を開けて立っていた。
衛兵たちもいた。
川から拾った作業員さんは、毛布にくるまっていた。
誰も何も言わなかった。
私は少し不安になった。
「……どこか壊れてた?」
バルツさんが、ゆっくり首を振った。
「いや」
「けがした人は?」
「船から落ちたやつが、膝を擦った。それだけじゃ」
「よかった」
そこで、昼の鐘が鳴った。
私は跳ねた。
「ごめん、待ち合わせがある!」
「待て待て待て!」
バルツさんが両手を広げた。
「待ち合わせ?」
「お昼、一緒に食べる約束してるの」
おじいさんは、私を見た。
鉄くずの山を見た。
もう一度、私を見た。
そして何かを諦めたように、腰の袋を開いた。
「……報酬じゃ」
銀貨を一枚。
私は丁寧に受け取った。
「ありがとう!」
「そっちの鉄くずの分は、別じゃからな! あとで斡旋所へ来いよ!」
「はーい!」
私は町へ戻った。
門を通るとき、門番のおじさんが道を空けてくれた。
今朝は、普通に挨拶してくれた人だ。
ちょっとだけ、寂しかった。
◇
ミナは噴水で待っていた。
私を見つけると、駆け寄ってきた。
しゃがむ。
両手で持ち上げる。
右から見る。
左から見る。
ひっくり返す。
「底も無事です」
「本当に、けがしてない?」
「してないよ」
ミナは、ようやく息を吐いた。
そのまま、ぎゅっと抱きしめられた。
少し平たくなる。
私は、されるがままになった。
「大きかったね」
「うん」
「びっくりした」
「私も、町って意外と広いなって」
「そうじゃなくて」
ミナは笑った。
それから、私を噴水の縁へ置いた。
周りの人たちが、こちらを見ていた。
目が合うと、頭を下げる人。
一歩離れる人。
子どもを抱き上げる人。
さっきまで平気だったのに、少しだけ、体が縮んだ。
ミナが隣に座った。
膝が、私に触れた。
「ひまり。手、出して」
言われたとおり、小さな手を作る。
ミナは袋から何かを取り出した。
青い布を細く縫った、ひもだった。
先に、小さな白い花がついている。
「お店で、余った布を使っていいって」
手首に結ぶ。
きゅっと引いて、形を整える。
「仕事、見てもらえた?」
「うん。明日も来ていいって」
「やったじゃん!」
私は跳ねかけて、やめた。
せっかく結んでくれたものが落ちたら困る。
ミナが、それを見て笑った。
「戻っても大丈夫なように、長くしてあるよ」
手を丸い体へ戻す。
ひもをほどいて、上の方に巻き直してくれた。
白い花が、ちょこんと乗った。
「似合う?」
「うん」
噴水の水面をのぞいた。
青いまんじゅうに、白い花。
さっき町を覆っていたものと、同じ生き物には見えない。
でも、私はこっちの方が好きだった。
◇
その日の昼ごはんには、肉をつけた。
銀貨を出すと、屋台のおじさんが慌ててお釣りを数え始めた。
ミナは串焼きを持ち、私は小さく切ってもらった肉を、少しずつ食べた。
香ばしい。
塩が利いている。
古代兵器とは、比べものにならないくらいおいしい。
「ひまりは、何でも食べられるの?」
ミナが聞いた。
「だいたいは」
「今日の、赤い光も?」
「うん」
「どうやったら、そんなふうになれるの?」
私は肉を取り込むのを止めた。
ミナが首をかしげる。
白い花が、風で揺れた。
この子からもらった、初めての贈り物だ。
いま、かなり格好いいところも見せた。
できれば、もうしばらくは、この感じでいたい。
「……好き嫌いをしないこと、かな」
ミナは自分の皿を見た。
端によけていた苦そうな青菜を、そっと肉の隣へ戻した。
違う。
そういう努力で到達していい場所ではない。
私は慌てて付け加えた。
「でも、嫌なものまで無理して食べなくていいからね!」
ミナは不思議そうにしながら、青菜を一口食べた。
私も肉を一口食べた。
温かかった。
もう、ぴりっとするだけのごはんには戻れそうになかった。




