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3/9

最強スライム、友の死亡届を破棄する

 役所の入口には、槍を持った石像が二体立っていた。


 中へ入ると、長い椅子が並んでいた。


 その奥に窓口。

 窓口の向こうに、山積みの書類。

 壁には、何だかよく分からない説明書き。


 私は少し感動した。


 異世界だ。


 異世界なのに、役所だ。


「何のご用件ですか」


「友達が生きてることにしてほしいです」


 案内係のおばさんは、私とミナを交互に見た。


「死亡記録の訂正ですね。三番へどうぞ」


 話が早い。


 こういう相談、ほかにもあるんだ。


     ◇


 三番窓口にいたのは、袖口にインクの染みがある男の人だった。


 歳は四十くらい。


 机の端には冷めたお茶と、食べかけのパンが置かれていた。


「戸籍係のローデンです。ご本人は?」


「こっちです」


 私は体を伸ばして、ミナを示した。


 ミナが椅子に座る。


 私は隣の椅子によじ登った。


 机が見えなかった。


 少し伸びた。


 まだ見えなかった。


 もっと伸びた。


 ローデンさんは無言で、空の木箱を椅子に置いてくれた。


「ありがとう」


「どういたしまして」


 この町、いい人が多い。


 ローデンさんは、エダさんからもらった紙を読み、棚から帳面を持ってきた。


「リュゼ村のミナさん。死亡日は八日前。死因は……山神への奉献」


 ミナの膝の上で、指が重なった。


「実際には、亡くなっていないわけですね」


「はい」


「山へは?」


「行きました」


「戻ってきた?」


「……はい」


 ローデンさんはペンを持った。


「では、まず死亡日の時点で生存していたことについて、事情を伺います」


「話、通じる!」


「まだ何もしていませんが」


「生きてる証拠に死んでみてください、とか言われるかと」


「誰が得をするんですか、それは」


 私は木箱の上で、丸くなった。


 役所に対して、ちょっと失礼だった。


     ◇


 ミナは、ゆっくり話した。


 村の井戸に、山の毒が混ざり始めたこと。


 神殿の人が来て、竜の怒りを鎮めなければならないと言ったこと。


 くじで、自分が選ばれたこと。


「くじ?」


 私は思わず聞き返した。


 ミナは頷いた。


「家ごとに、一枚ずつ」


 ローデンさんのペンが、一瞬止まった。


「それから?」


「送り衣を着せてもらって、お別れをしました。山へ登って……」


 ミナの声が小さくなる。


 私は手の形を作って、膝の上に伸ばした。


 ミナが握った。


「竜は、私を要らないと」


「求めてない、って意味だからね」


 そこは訂正したかった。


 ミナは私を見て、少しだけ頷いた。


「ひまりが、助けてくれました」


 今度は、私が話した。


 アルジェントは生贄など頼んでいなかったこと。


 山の毒はもう止まっていること。


 護衛の男がミナの腕をつかみ、短剣を抜いたので、私が止めたこと。


 ローデンさんは最後まで聞いてから、言った。


「あなたは、現場にいた証人ということですね」


「そうです」


「お名前を」


「小日向ひまり」


「年齢は」


「十七歳です」


 ペンが動いた。


 私は少し迷った。


「……と、三千年くらい」


 ペンが止まった。


「くらい?」


「途中で数えるのが雑になって」


 ローデンさんは、私を見た。


 私も見返した。


 やがて彼は、紙に何か書き足した。


 逆さまだけど読めた。


『年齢不詳』


 初めて年齢を申告した結果が、それだった。


     ◇


 話だけで全部終わるわけではなかった。


 同じ名前の別人かもしれない。

 誰かが身分を乗っ取ろうとしているのかもしれない。


 だから本人かどうかの確認が必要だという。


「出生時の記録に、魔力紋が残っています」


 ローデンさんが出してきたのは、薄い灰色の石板だった。


「生まれたときに採った、ごく小さな魔力の跡です。成長で多少変わりますが、本人なら中心の模様が一致します」


 指紋みたいなものらしい。


 ミナが手を置くと、石板に淡い光が浮かんだ。


 細い枝が、輪を描くように広がっている。


 ローデンさんは、帳面に貼られた紙と見比べた。


「一致していますね」


 ミナの肩が、少し下がった。


「じゃあ、これで?」


「生きているご本人が来たことは確認できました。次に、元の届けを出した者への確認と、訂正の決裁です」


「何日くらい?」


「通常なら数日。ただ、今回は——」


 廊下で、靴音が止まった。


「その必要はない」


 ミナの手が、強く縮んだ。


 振り返る前に分かった。


 山で、短剣を抜いた男だった。


     ◇


 男は鎧ではなく、灰色の上着を着ていた。


 胸には、銀色の輪の飾り。


 腰には剣。


 私が溶かしたのとは、別のやつだ。


 隣に、白い法衣を着た細い男が立っていた。


「神殿護衛のガルドだ。その娘については、こちらから届けを出している」


 ローデンさんは椅子を引き、ミナと二人の間に立った。


「どのような届けですか」


「奉献の儀を妨げ、娘を連れ去った魔物の件だ」


 ガルドは私を指さした。


「そいつだ」


 私は自分を見た。


 今日も、青くて丸い。


「連れ去ってないよ。一緒に来たの」


「娘に取り憑き、操っているのだろう」


「独立採算だってば」


 昨日から、立場の説明が難しい。


 ガルドがミナへ手を伸ばした。


「来い。神官殿が、お前を清めてくださる」


 私はミナの前に移った。


 伸ばされた指が、私に触れる直前で止まった。


 山でのことを思い出したらしい。


 賢い。


「受付の途中です」


 ローデンさんが言った。


「話があるなら、順番に伺います」


「神殿の問題だ」


「市の住民記録の問題でもあります」


 ローデンさんは、机の上の小さな鐘を鳴らした。


 ほどなく、廊下に衛兵が二人来た。


 ガルドの口元が歪んだ。


「人間の言葉を話す魔物だぞ。何を仕込まれているかも分からん」


 その言葉に、細い神官が初めて口を開いた。


「でしたら、切り離して確認しましょう」


     ◇


 案内されたのは、窓のない小部屋だった。


 床に円が描かれている。


 円の周囲には、細かい文字。


 いかにも魔法っぽい。


 神官は銀の棒を取り出した。


「これは、外からの魔力の干渉を遮る結界です。娘さんには円の中へ入ってもらいます」


 ミナが私を見た。


「大丈夫?」


 私が聞くと、彼女は神官の顔を見てから頷いた。


「……一人でも、話せる」


 その声は小さかったけれど、さっきよりはっきりしていた。


 私は手を離した。


 ミナが円の中へ入る。


 神官が棒を床につけた。


 白い光が立ち上がった。


 途端に、ガルドが叫んだ。


「今だ! 魔物の方も封じろ!」


 私の足元にも、別の円が光った。


 なるほど。


 そういうことをする。


 白い鎖が何本も伸び、私を包んだ。


 衛兵が動きかけたけれど、間に合わなかった。


 私は反射的に、鎖を食べた。


 全部。


 床の光が消えた。


 壁の灯りも消えた。


 隣の部屋から、「あっ」という声がした。


 ローデンさんが、暗闇の中でため息をついた。


「建物の魔石につながっているんです、それ」


「……ごめんなさい」


 反射だった。


 三千年かけて身についた食習慣は、そう簡単に直らない。


     ◇


 窓のある部屋へ戻った。


 神官は椅子に座ったまま、自分の銀の棒を見つめていた。


 ガルドは顔色が悪かった。


 私も、たぶん悪かった。


 青いけど。


 問題は、壊した設備を弁償できるかどうかだ。


 所持金、銅貨四枚。


 最強スライム、初めての債務。


「魔石は割れていません。魔力が空になっただけです」


 確認に行った衛兵が言った。


「補充すれば使えます」


「私、できます!」


 私は全身を持ち上げた。


 ローデンさんが、じっと私を見た。


「少しだけですよ」


「はい」


「本当に、少しだけ」


「はい」


 針の先くらいの体を伸ばし、運ばれてきた魔石に触れた。


 ほんの少し。


 木の実一粒より、ずっと少なく。


 魔石が白く輝いた。


 灯りが戻った。


 廊下の奥で、誰かが拍手した。


 よかった。


 破産は免れた。


     ◇


「では、確認を続けます」


 ローデンさんは、何事もなかったように椅子へ戻った。


 強い。


 この人、私より落ち着いている。


 神官は棒を机に置いた。


「干渉を遮る結界は、数秒ですが作動していました」


「娘さんに、変化は?」


「ありません。元から、他者に操られているときの反応も出ていませんでした」


 ガルドが神官を見た。


「しかし——」


「なかったものは、なかったと申し上げています」


 神官は目を合わせなかった。


 少なくとも、そこまで話を合わせるつもりはないらしい。


 ローデンさんがミナに向き直った。


「ミナさん。こちらの人たちと、帰ることを希望しますか」


「しません」


 すぐに返事があった。


 私の体が、少し揺れた。


「山へ行くことは、自分で望みましたか」


「……いいえ」


 ガルドが椅子を鳴らした。


「村を救うために、皆が——」


「いまは、ご本人に聞いています」


 ローデンさんの声が、初めて硬くなった。


 ミナは膝の上で手を握った。


「怖かったです」


 その言葉のあと、部屋が静かになった。


「行きたくなかった。でも、逃げたら、父と母が村にいられなくなると」


 私はガルドを見た。


 食べようとは思わなかった。


 ただ、椅子ごと山のてっぺんへ置いてきたいと思った。


 かなり具体的に。


「誰に、そう言われましたか」


 ミナは顔を上げた。


 指はささなかった。


 ガルドを見て、言った。


「その人です」


     ◇


 ガルドは立ち上がった。


「生贄を戻さなければ、竜の怒りを買う。何か起きたとき、責任を取れるのか!」


「竜は怒ってないって」


「魔物の言葉が証拠になるものか!」


「じゃあ、何を見たら信じるの」


「竜本人でも連れてくるんだな!」


 私は、少し黙った。


 体の中にある銀の鱗を、前へ出した。


 アルジェントにもらったものだ。


 困ったら砕け、と言われている。


 来る前に、まず起きるらしいけど。


「起こしていい?」


 ガルドが口を閉じた。


 神官が、椅子を倒しかけた。


「それを、どこで」


「本人にもらった」


 銀の鱗は、私の中で淡く光っていた。


 神官の棒の先が、かたかた鳴っている。


 窓の外で、馬がいなないた。


 私は慌てて鱗を奥へ戻した。


 普段は私の体が、魔力を抑えていたらしい。


「呼ぶなら、町の外にするけど」


「待ってください」


 ローデンさんが額を押さえた。


「住民記録の訂正に、竜を呼ばないでください」


「でも、この人が」


「呼ばなくて結構です」


 ガルドも、今度は何も言わなかった。


     ◇


 そのあと、話は意外なところから動いた。


「ガルド殿」


 ローデンさんが、最初の帳面を開いた。


「この死亡の届けに、立会人として署名したのは、あなたですね」


「……そうだ」


「ですが、先ほどの説明では、儀式は妨げられた」


 ガルドは黙った。


「ミナさんが亡くなるところを、確認しましたか」


「奉献された者は、村では死者として——」


「村の慣習ではなく、死亡確認について伺っています」


 ローデンさんの指が、署名のある場所を押さえた。


「確認していませんね」


 長い沈黙のあと、ガルドが頷いた。


 私の体から、少し力が抜けた。


 こんなに強くなっても、待っている間は緊張するらしい。


 ローデンさんは別の紙に何か書き、衛兵へ渡した。


「この方の話は、別室で。神官殿にも、届けの作成経緯を伺います」


 ガルドは私たちを一度だけ見た。


 ミナは俯かなかった。


 私の手を握ったまま、男が部屋を出ていくまで見ていた。


     ◇


 昼を少し過ぎた頃、ミナの死亡記録は訂正された。


 本人の魔力紋が一致したこと。


 死亡を確認した者がいないこと。


 届けの立会人が、それを認めたこと。


 ローデンさんは、その三つを説明してくれた。


「村の方には、訂正の通知を送ります。ただし、あなたの宿泊先を教える必要はありません」


 ミナが顔を上げた。


「父と母には……生きていると、伝わりますか」


「はい」


「それなら、お願いします」


 ローデンさんは頷き、最後の紙に判を押した。


 赤い印が、白い紙に残る。


 それだけのことだった。


 雷も落ちなかった。


 奇跡の光も差さなかった。


 でも、ミナはその紙を両手で受け取った。


 落としたら割れてしまうものみたいに。


「ありがとうございます」


 声が震えた。


 ローデンさんは、少しだけ目を細めた。


「なくしても、記録は残ります。大事にしすぎなくて大丈夫ですよ」


     ◇


「お会計は?」


 帰る前に、私は聞いた。


「届けの訂正なので、今回はかかりません」


 神はいた。


 袖にインクの染みがあった。


「ただ、建物の魔力設備についてですが」


 神はいなくなった。


 私は小さく縮んだ。


「何か、壊れてました?」


「いえ。補充していただいた魔力が、半年分ほどありまして」


「……多かった?」


「少し」


 少しの基準が難しい。


 ローデンさんは、机の端にあるパンをようやく手に取った。


「係の者が、継続的な納入について相談したいそうです。今日はもうよいので、後日、斡旋所を通して」


 私は膨らんだ。


「お仕事?」


「お仕事です」


 魔力に、購買力が生まれた。


     ◇


 役所を出ると、ミナは石段の上で止まった。


 手元の紙を見る。


 名前を指でなぞる。


 それから、胸に抱いた。


「ひまり」


「うん」


「私、働いていいんだね」


「うん」


「宿に、名前を書いていいんだね」


「うん」


 ミナは鼻をすすった。


「明日のこと、決めていいんだね」


 私は、すぐには答えられなかった。


 代わりに体を伸ばして、彼女の手を包んだ。


 町の鐘が鳴っていた。


 昼ごはんの匂いがした。


 昨日見たパン屋で、今日も誰かが買い物をしている。


「まず、今日のこと決めよう」


 私が言うと、ミナは濡れた目でこちらを見た。


「今日?」


「お昼、何食べたい?」


 ミナは少し考えた。


 ほんの少しだけ遠慮して、それから言った。


「……甘いパン」


「いいね」


 所持金は、銅貨四枚。


 今日は手数料がかからなかった。


 なら、使い道は決まっている。


     ◇


 買ったのは、小さな蜂蜜パンを二つ。


 一個、銅貨一枚だった。


 噴水の縁に並んで座り、ミナが包みを開いた。


 ちぎったパンから、まだ少し湯気が出た。


「明日は、針仕事を探してみたい」


 ミナが言った。


「エダさんに聞いてみよう」


「うん」


 それから彼女は、私の分のパンをじっと見た。


「ひまり。ゆっくり食べてみて」


「ゆっくり?」


「昨日、一瞬だったから。少しずつの方が、味が分かるかも」


 私はパンの端だけを取り込んだ。


 すぐに溶かさず、薄く包む。


 表面の蜂蜜が、少しずつ体に混ざった。


 甘かった。


 昨日より、はっきり。


「あ」


「分かる?」


「甘い」


 ミナが笑った。


 私はもう一口、ゆっくり取り込んだ。


 三千年。


 温かいとか、魔力が濃いとか、ぴりっとするとか。


 そんなものばかり食べてきた。


 いま、銅貨一枚のパンが、びっくりするくらいおいしかった。


「ね、ひまり」


「うん」


「明日も、一緒に食べよう」


 私は頷いた。


 明日も。


 その次の日も。


 できれば、もっと先まで。


 とりあえず、そのために。


「午後は、もう一件お掃除しようか」


「私も手伝う」


 私たちは残りのパンを食べて、立ち上がった。


 私は、立ち上がった感じに伸びた。


 ミナが笑ったので、もう少し伸びた。

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