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2/9

最強スライム、入場料が払えない



 山を下りて三日目。


 私は、異世界で初めての町を前にしていた。


 高い石壁。

 大きな門。

 荷馬車の列。


 そして、風に乗って漂ってくる、焼いた肉の匂い。


 完璧だった。


 異世界の町として百点満点だ。


 あとは冒険者ギルドに登録して、簡単なお仕事でお金を稼いで、おいしいものを食べればいい。


 三千年の下積みを終えた私に、もう怖いものなどない。


「入場料、一人銅貨三枚」


 あった。


     ◇


「……ミナさん」


「はい」


「お金って、お持ちだったりします?」


 ミナは申し訳なさそうに首を横に振った。


 そりゃそうだ。


 生贄に財布を持たせる人はいない。


 私も無一文だった。


 体内にあるのは、アルジェントの鱗と、道中で拾ったきれいな石と、ミナがくれた木の実が二つ。


 あと、山脈を滅ぼせるくらいの魔力。


 購買力にすると、最後のやつがいちばん役に立たない。


「物々交換とかは?」


 門番のおじさんは、私を見下ろした。


 それからミナを見た。


「しゃべるのか」


「今さら?」


「いや。さっきから、娘さんが腹話術でもやってるのかと」


 ミナが真面目な顔で首を振った。


「ひまりは、自分でしゃべります」


「ひまり」


「私です」


 体の端を持ち上げて挨拶すると、おじさんは顎をかいた。


「使い魔なら、飼い主が責任を持つことになってるが」


「独立採算でやってます」


「だったら一人分だな」


 私は震えた。


 感動だった。


 この人、私を人数に数えてくれる。


「払いたい……!」


「払ってくれ」


 正論だった。


     ◇


 結局、私たちは門の脇によけた。


 ミナが、町の中をちらりと見る。


 道中で分け合った果物だけでは、育ち盛りの人間には足りない。昨日から歩く速さが落ちていた。


 私が運ぶと言っても、ミナは遠慮した。


 一度だけ背中に乗せたら、勢い余って林を三つ飛び越えたせいだと思う。


 調整はした。


 二度目の申し込みは断られた。


「ひまり。私、あちらで仕事を探してきます」


 ミナが指さしたのは、門の外に並ぶ荷馬車だった。


「荷物を運ぶくらいなら、できると思うので」


「一緒に行こう」


「でも——」


「私もお腹すいた」


 本当はすいていなかった。


 あと千年くらい、食べなくても平気な気がする。


 でも、ミナだけを働かせて、自分は石の上でぷるぷるしているわけにはいかない。


 私たちが立ち上がろうとしたとき、荷馬車の方から怒鳴り声がした。


「だから、それを通すわけにはいかんと言ってるんだ!」


「腐ってるんじゃない! 移ったのは匂いだけだ!」


 御者台の横で、小柄なおばさんが別の門番と言い争っていた。


 馬車には木箱が山積みになっている。


 一つだけ蓋が開いていて、中には黄色い果物が詰まっていた。


 おいしそうだ。


 ただし、箱の隙間から紫色の煙が出ている。


 食品としては、不安になる演出だった。


「夜の間に、沼イタチが荷台へ入り込んだんだよ。追い払ったときに一発やられただけで、実は傷んでない!」


「その匂いで市場に入られたら困る」


「川で洗ったんだ!」


「川の下流から苦情が来てる」


 かなり強い。


 私は馬車に近づいた。


 ミナが鼻を押さえる。


「ひまり、そっちは……」


 私には、匂いというより味で分かった。


 空気に、薄くぴりっとしたものが混ざっている。


 試しに少し吸ってみた。


 うん。


 薄い。


 びっくりするくらい薄い。


「おばさん」


「今、忙し——何だい、あんた」


「その匂い、取れたら銅貨六枚もらえる?」


     ◇


 おばさんの名は、ベルタさんといった。


「六枚でいいのかい?」


「二人分の入場料がほしいの」


「取れたら払うよ。ただし、果物を溶かしたら弁償だからね」


「了解」


 私は荷台へ上がった。


 体を薄く広げて、木箱の隙間へ流し込む。


「ちょ、ちょっと!」


 ベルタさんが悲鳴を上げた。


 木箱十六個を包んだところで、私は気づいた。


 そうか。


 普通は、スライムが食べ物にまとわりついたら嫌か。


「大丈夫。食べないから」


「信用できる見た目じゃないんだよ!」


 私は慎重に、匂いのもとだけを取り込んだ。


 果物の皮。

 木箱の継ぎ目。

 敷き藁。

 荷台の板。


 どこに染み込んでいるか、触れば分かる。


 地下深くの毒を追いかけるのに比べれば、教室で落とした消しゴムを探すより簡単だった。


 最後に馬の尻尾についた分も吸って、元の大きさに戻った。


「終わり」


 ベルタさんは、恐る恐る箱に顔を寄せた。


 果物を一つ取り、嗅ぐ。


 隣の箱も嗅ぐ。


 自分の袖も嗅ぐ。


「……あたしのは残ってる」


「あ、ごめん」


 袖に触れて、吸った。


 ベルタさんは黙った。


 そして、果物を一つ割って、門番に半分押しつけた。


「食べな」


「俺が?」


「あたしも食べる」


 二人は顔を見合わせてかじった。


 汁が指を伝った。


 ミナのお腹が鳴った。


 ベルタさんが振り向いた。


 ミナは真っ赤になった。


 私はちょっとだけ体を揺らして、自分のお腹が鳴ったことにできないか試した。


 無理だった。


「……あんたたち、いつから食べてないんだい」


     ◇


 銅貨は十二枚もらえた。


 約束の倍だった。


「馬車まできれいにしたからね。洗浄代込みだ」


 それから、果物を二つ。


 私は受け取った銅貨を体内にしまった。


 青い体の中で、茶色い硬貨がきらきら光る。


 初任給だ。


 三千年にして、初任給。


 もっと胸を張りたかったけれど、胸がなかったので、全体を少し高くした。


 ミナは果物を両手で持っていた。


「……おいしい」


 小さな声だった。


 もう一口かじる。


 飲み込んでから、こちらを見る。


「ひまりも」


 私は自分の分を持ち上げた。


 体に取り込むと、皮も種も一瞬で消えた。


 甘い、ような気がした。


 でも、それより、ミナが次の一口を遠慮しなくなったことがうれしかった。


     ◇


 入場料を払うと、門番のおじさんは木の札を二枚くれた。


「日が暮れたら門は閉まる。泊まるなら、宿で名前を書いてもらえ」


「はーい」


「それと、お嬢ちゃん」


 おじさんはミナを呼び止めた。


「その服、裏返した方がいいぞ」


 ミナの肩が跳ねた。


 白い服の裾には、銀の糸で小さな模様が縫われていた。


 山で会ったときから着ていた服だ。


「神殿の送り衣だろう。それで歩くと、面倒な勘繰りをするやつがいる」


 ミナは裾を握った。


 おじさんは、それ以上聞かなかった。


「町に入ったら、右手に古着屋がある」


 私はお礼を言った。


 門をくぐりながら、ミナの手に触れた。


 少し冷たかった。


     ◇


 町の名前は、トルカ。


 通りには布のひさしが並び、その下に野菜やパンや金物が積まれていた。


 人がいた。


 たくさんいた。


 値切る人。

 怒る人。

 笑う人。

 走って叱られる子ども。


 私は何度も止まった。


 そのたび、ミナも待ってくれた。


「疲れた?」


「ううん」


 パン屋の前で、女の子がお母さんの袖を引いていた。


 二つほしいと言っている。


 一つだけ、と返されている。


 それでも諦めず、両手の指を一本ずつ立てて見せる。


 私はそれを、ずいぶん長く見ていたらしい。


 ミナが、そっと私を抱き上げた。


「この方が、見やすい?」


「……うん」


 高くなった視界の先に、道が続いていた。


 どこまでも、人の暮らす道だった。


     ◇


 古着屋では、茶色い上着と紺のスカートを買った。


 合わせて銅貨四枚。


 残り二枚。


 私の分は買わなかった。


 帽子を勧められたけれど、かぶると完全に帽子だけが歩いているように見えたので諦めた。


 ミナは白い服を丁寧に畳み、店でもらった袋にしまった。


「捨てなくていいの?」


 聞いてから、少し後悔した。


 ミナは袋を見つめた。


「母が、縫ってくれたので」


「……そっか」


 嫌な役目のための服にも、お母さんの縫ったところがある。


 私はその袋を、代わりに持った。


     ◇


 宿は、一番安いところでも二人で銅貨八枚だった。


 夕食付きだと十二枚。


 世知辛い。


 無敵になるまで三千年。


 無敵になってから、金欠二回目。


「やっぱり、安定収入が必要だね」


「安定収入?」


「毎日ちゃんと、ごはんが食べられるお仕事」


 ベルタさんに教えてもらった仕事の斡旋所は、市場の裏手にあった。


 剣を背負った人もいれば、籠を持ったおばあさんもいる。


 掲示板には、文字の書かれた木札が並んでいた。


 護衛。

 荷運び。

 屋根の修繕。

 薬草の採取。


 これこれ。


 こういうのを待っていた。


 私は受付の台によじ登った。


「登録お願いします!」


 眼鏡をかけた女性が、ペンを止めた。


「……使い魔の登録は、向かいの窓口です」


「自営業希望です」


     ◇


 受付のエダさんは、話の早い人だった。


 自分で意思表示ができるなら登録できる。ただし、仕事を請けるには、できることを確かめる必要があるという。


「何が得意ですか」


「毒を食べること。汚れを取ること。あと、たぶん戦えます」


「戦闘の審査は週明けです。清掃でしたら、いま確認できます」


 私は用意された銅板の錆を取った。


 続いて、油まみれの歯車。


 最後に、焦げついた鍋。


 鍋が出てきたときだけ、エダさんの目が少し真剣になった。


「縁のところも、お願いできますか」


「はい」


「取っ手の裏も」


「はい」


 ぴかぴかにして返すと、エダさんは深く頷いた。


「登録を認めます」


「最後の、私物じゃない?」


「登録を認めます」


 私は職を得た。


 職種は、清掃だった。


 思っていた異世界冒険と、ちょっと違う。


 でもまあ、いい。


 人を助けて、お金がもらえて、ミナとごはんを食べられるなら、十分だ。


「同行者の方も登録しますか?」


 エダさんが聞いた。


 ミナはしばらく迷ってから、頷いた。


「読み書きはできます。計算も、少し。針仕事も」


「お名前は」


「リュゼ村の、ミナです」


 エダさんのペンが止まった。


     ◇


 空気が変わったのが分かった。


 エダさんは立ち上がり、棚から薄い帳面を取った。


 ページをめくる。


 指で一行を押さえる。


 それから、ミナを見た。


「ご家族のお名前を、伺っても?」


 ミナは答えた。


 父親と、母親の名前。


 エダさんは帳面を閉じなかった。


「……こちらの記録では、あなたは七日前に亡くなっています」


 ミナの手が、袋を握りしめた。


 中に入っているのは、白い服だ。


 私は台の上で、少し前へ出た。


「生きてるよ」


「ええ。見れば分かります」


 エダさんは声を落とした。


「ただ、死亡の届けが出ている人に、新しく仕事の登録をすると、照会が入るんです。村か、届けを取りまとめた神殿へ」


「照会されると?」


「事情を確認する人が来ます」


 ミナの呼吸が浅くなった。


 山で、短剣を向けられたときと同じだった。


 私は、あの男たちを止められた。


 剣も魔法も、怖くなかった。


 でも、目の前の帳面のどこを溶かせばいいのかは、分からなかった。


 そんなことをしても、ミナは安心しない。


「ミナ」


 呼ぶと、彼女は顔を上げた。


「どうしたい?」


「……迷惑を、かけたくない」


「うん。でも、どうしたい?」


 返事を待った。


 後ろで誰かが椅子を引いた。


 外から、荷車の車輪が鳴る音がした。


 ミナは俯いたまま、小さく言った。


「戻りたく、ない」


「分かった」


 私はエダさんを見た。


「この子を、死んでないことにするには、どうすればいい?」


 エダさんは、しばらく私を見つめていた。


 やがて帳面を閉じ、別の紙を一枚取り出した。


「役所で、死亡届の訂正を申し立てられます。まずは本人確認からですね」


「分かった。やる」


「簡単には済まないかもしれませんよ」


「時間はあるよ」


 三千年も待ったのだ。


 友達が、自分の名前で働けるようになるまでくらい、待てる。


 ミナが私の体に触れた。


 今度は、少し温かかった。


     ◇


 その日は、斡旋所の裏にある倉庫を掃除した。


 報酬は銅貨十枚。


 エダさんが紹介してくれた宿は、事情を聞かずに泊めてくれた。


 小さな部屋だった。


 ベッドが一つ。

 椅子が一つ。

 窓が一つ。


 夕食のスープには、豆と、薄い肉が入っていた。


 ミナは最後の一滴まで飲んだ。


 私は空になった器をきれいにしようとして、止められた。


「ひまりも、休んで」


「疲れてないよ」


「それでも」


 だから、その夜は何もしなかった。


 ベッドの端に乗り、ミナが眠るまで話した。


 好きな食べ物。

 村にいた犬。

 私が通っていた学校。


「学校って、毎日行くの?」


「そう。で、友達と話して、授業受けて、帰りに寄り道したりする」


「楽しそう」


「うん」


 小テストも、早起きも、面倒なことはあった。


 でも、いま思い出すのは、帰り道だった。


「楽しかったよ」


 やがて、ミナの寝息が聞こえ始めた。


 私は窓辺へ移った。


 町には、まだ明かりがあった。


 こんな時間まで起きている人がいる。


 壁の向こうには誰かがいて、通りの向こうにも誰かがいる。


 それが不思議で、うれしかった。


 明日は役所。


 最強になって初めて挑む相手としては、かなり手ごわそうだった。


 私は体の中から銅貨を取り出し、一枚ずつ並べた。


 残り、四枚。


 書類にお金がかからないことを、心から祈った。

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