8.縁切り参り事件
ネネと呼ばれた着物の女性は、ルナに手を引かれソファに腰掛ける。
ハガネが用意したアイスティーのグラス内で、カランと氷の涼やかな音がした。
居心地悪そうにカウンター席へやってきた光太郎に、ヤンがこそりと耳打ちする。
「彼女はネネ。我々ラビットテールの協力者です。この新宿で人気の、高級サロンの女将さんですよ」
「協力者、というと……」
「夜の町には、様々な情報が行き交います。ネットの情報ならヨシカズさんが拾ってくれますが、ひとづての情報は、ネネさんを始め、様々な業種の方にご協力いただいているんですよ」
「へぇ……。すごいんですね、ラビットテール」
「そうでしょう?すべて、社長とルナさんの人徳、というやつです。さて、私は社長に連絡してきますので、光太郎さん、みなさんのことよろしくお願いしますね」
「え、あ、ちょっと……!」
光太郎が振り向いた時には、ヤンは既にバックヤードに入ってしまっていた。残された光太郎は、戸惑いながらもネネの方へと視線を移す。ちょうど、依頼の話を始めたところのようだった。
「……そうなの。この頃流行ってる、縁切り参りってものなんだけど」
ネネはまた、上品な仕草でグラスを持ちながら、こてんと首を傾げた。
「ルナちゃんも知ってるかしら?縁を切りたい相手のことをお願いして、神社にお参りすると神様が叶えてくれるっていう。それを、うちの店の子が、困ったお客さん相手にしたみたいなの」
「あー、なんかそれっぽいのはネットで見かけた気がする。縁切りを神頼みって……あんまりいいやり方じゃないと思うけど」
ルナが眉を潜めると、ネネも困り顔で頷いた。
「そうよね。でもその子、しつこく迫られて追い詰められていたみたいで……。縁切り、お願いしてしまったんですって。そうしたら……お参りをした翌日、そのお客さんとお食事に行った先で……っ」
言葉を詰まらせたネネは、ハンカチを取り出すと、口元にあてた。堪えるような背を、ルナが心配そうにその背を撫でる。ネネの震える声が続けたのは、残酷な結末だった。
「そのお客さん、食われたんですって……オニに。その子の目の前で……」
しん、とぴりついた店内で、ヨシカズが静かに溜め息をついた。
「その子は大丈夫だったの?」
優しさを含んだ声が、バーの空気を少し和らげてくれる。ネネは何度も頷きながら、目尻に滲んだ涙を拭った。
「ええ。どうしてか、オニはその子を襲わなかったんですって。だから、怪我はないわ。……目の前でその光景を見てしまったから、精神的に参ってしまってはいるけれど……」
「その程度で済んで良かったわね。オニに遭遇したら、普通腕の1本2本は持ってかれるものだから」
カタカタとキーボードを叩きながら、ヨシカズはふむ、とパソコンの画面を見つめた。
「あったわ。ネットで流行の縁切り参り。やり方は……あら、特にまずいことをしてるわけじゃないのね」
「ヨシカズ!それ、どんなやり方なの?」
ルナが席を立ち、飛びつくようにしてヨシカズのパソコンを覗き込んだ。
「夜21時、境内に現われる屋台で、縁切りのお守りを買う。中に縁切りしたい相手の名前を書いた紙を入れて、神様へお参りするだけ……?」
「やっていることは割と普通よね。これだけでオニを呼ぶことは出来なそうだけど……。本当にこれのせいでオニが出たっていうのかしら?ネネちゃん、他に同じような話は聞いた?」
話を振られたネネは、「ええ、」と、懐から取り出した紙を、側にいたハガネに手渡した。
「私もね、他のお客さんに聞いてみたんだけど……似たような話が、ちらほら出てきたのよ」
「ハガネ!見せて」
駆け寄ってきたルナに、ハガネが開いた紙を手渡す。そこには、先ほど聞いた話と似たような事件の概要が、5件ほど並べられていた。パソコンで情報を調べ続けているヨシカズが、あちゃーと声をあげる。
「うわ。ネットにも、この縁切り参りで嫌な相手がオニに襲われた、って内容あるわね。ただ怪我をしただけのものもあるし、行方不明になってるのもある……」
「あのぅ……流行、ってことは、もう陰陽寮が動いてたりするんじゃないですか?」
恐る恐る挙手した光太郎の発言に、ヨシカズが肩を竦める。
「どうでしょうね。こういうことが起きてるって知ってはいるかもしれないけど、あの連中は公務員だから……もう少し騒ぎが大きくならないと、本格的に動きはしないんじゃないかしら?」
「そう、ですか……」
「そもそもねぇ。神社の境内で、夜の21時にお守りなんて売ってるはずがないのよ。そこからおかしい、って思わないとだめなのに、最近の若い子たちったら……危機感が足りないんだから」
しゅん、と肩を落とした光太郎の肩を、戻ってきたヤンが慰めるように叩いた。
「もうすぐ社長がいらっしゃいます。そうしたら判断をしてもらって……」
「――その必要はないわ」
静かだが強い言葉がヤンを遮った。
ルナが、受け取った紙を睨み付けながら立ち尽くしていた。
「ネネちゃん。今回の依頼は、この縁切り参りの実態を暴いて、これ以上の被害がでないようにすればいいんだよね?」
「ええ」
「社長に聞くまでもない。この依頼、ラビットテールが受けるよ」
依頼を受けると決まってからの、皆の動きは速かった。
ヨシカズがネットでの情報収集を担当、駆けつけた社長は、ネネと一緒に彼女の店の女の子……事件の当事者の聞き込みをするため病院へと向かった。ヤンはバーで待機する。
そして、ルナとハガネ、光太郎の3人は、街での聞き込みに向かっていた。
「ネットでも、ネネちゃんのところの子の話でも、どこの神社にお参りしたのかまではわからなかった。そこがわかれば、こちらから仕掛けることもできる」
今日も通行人が多い新宿の夜道を、ルナはずんずん進んでいく。大きな身体でするするとそれについていくハガネを見失わないように、光太郎は懸命にあとを着いていこうとしていた。
「こちらから仕掛けるって……、この事件、偶然起こった都市伝説の類いじゃないんスか?」
こういった、噂から生まれたような曖昧な儀式が、怪異を伴う事件に発展することを、陰陽師たちは都市伝説化と呼んでいる。どこから発生したのかもわからないような怪しいものも、その根底に古い儀式の一部が不完全に関わっていたりすることで、怪異やオニを呼び寄せる、危険な儀式となるのだ。
てっきり今回の事件は、そういった都市伝説化したものだと思っていた光太郎だが……先ほどのルナの話しぶりでは、まるでこの状況を引き起こしている「誰か」が存在するかのように聞こえた。
「都市伝説というには、おかしい部分が多いでしょ。特に、夜21時っていう、指定された時間にお守りを買わないといけないっていう部分とか。きっと何か、悪いことを企んでるやつがいるよ。……それこそ、黒鷹とかね」
ちらりと振り返ったルナの視線の冷たさに、光太郎は思わず足を止める。
――この事件が、黒鷹に繋がっているかもしれない……。だから、ルナさんもずっと、怖い顔をして……。
「取り敢えず、ここで聞き込みするよ。コウタロー、あんたもしっかり働いてね」
「はい!……って、ここ、ガールズバー……?」
カクテルグラスにリボンがついた可愛らしいマークの店を見上げて、光太郎が戸惑うような声を出す。
ハガネが開けた扉を通りながら、ルナはのんびりと応えた。
「そー。ここ、ラビットテールが運営してる店だから、あんたも覚えておいてね。ほら、置いてくよ」
「ま、待ってください……っ!」
慌てて駆け込んだ店内、光太郎を迎えたのは、鼓膜に突き刺さるような大歓声だった。




