6.それぞれの事情
捕獲した猫をケージに入れて、光太郎は溜め息をつきつつ、豪華すぎる部屋を振り返った。
ルナの自宅は、駅近な上に高層マンションの最上階。見たこともないような広さのリビングに、ぴかぴかに磨かれた床や、モデルルームのような家具に、アイランドキッチンが眩しい。
明らかに住む世界が違う、そう思ってしまうような場所で、光太郎はそわそわと居心地悪そうにソファに腰掛けた。
「空いている部屋を使っていい……たって、机ベッドラック付き、すぐ住めるホテルみたいな部屋だなんて、誰も思わないじゃん……。てかこのソファも、ふっかふかだしでけえけどいくらするんだ?汚したりしたら怒られるよな……」
ぶつぶつ呟きながらソファの表面を撫でていると、視界の端にぬっと黒い影が現われる。
「うおっ!」
飛び上がった光太郎の目の前、テーブルに食事の皿を置いたのは、ハガネだった。
すっぽりと全身を覆っていた黒いマントを脱ぐと、ぴったりと身体の線に沿ったデザインの黒いタンクトップとスラックス姿になったハガネ。それだけならよかったのだが……。
「飯」
「あ、ありがとうございます、ッス……」
彼は相変わらず、にこりともしないで、ピンク色のエプロンを翻し、キッチンへと戻っていく。
――そう、ピンクのエプロンをしていたのだ。
フリルたっぷりで、どう見たって彼ではなく、ルナの趣味だと思われる可愛らしすぎるエプロンを、背も高く身体も筋肉質なハガネが着用している。その現実にちょっとついていけない。
そして光太郎の目の前に置かれた皿には、どこぞのシェフが作ったのか、と思ってしまいそうな、見事なドレス・ド・オムライスが神々しい光を放っている。もちろん、作ったのはピンクのふりふりエプロンを着たハガネだ。
スプーンですくって一口、口に入れた途端、とろりと濃厚な黄身のなめらかさと、じゅわりと塩気が絶妙なバターライスの香りが口いっぱいに広がる。
「う、うま……!ハガネさん、料理上手いッスね!」
勢いのままに、光太郎ががばりとキッチンを振り返る。洗い物をしていたハガネは、目線だけを光太郎と合わせると、小さく頷いた。
「料理、掃除。家事は全部、俺の仕事」
「それって主夫、ってやつッスか……?」
「わからない。ルナのためにやってるだけ」
それきり、ハガネは黙々と皿洗いに戻ってしまう。
……ホストクラブで見たハガネの刀捌きは、光太郎の目では追えないほどだった。
相当の実力者であるハガネが、自宅ではピンクのエプロン姿で主夫をしている。なんとも激しすぎるギャップである。
今はオムライスに集中しよう……そう決めた光太郎が、勢いよくオムライスをかっ込んでいると。
ふわりと石けんのいい匂いを漂わせながら、お風呂上がりのルナがリビングへとやってきた。
「お風呂空いたよー。土下座くんも、それ食べたらさっさと入りなー」
「ッス」
ふわもこのガーリーなルームウェアを着たルナは、キッチンのカウンターチェアに腰を下ろす。ショートパンツ丈のもこもこズボンから晒された真っ白な生足に、光太郎の目が泳いだ。
ハガネはすぐに冷えた飲み物とオムライスをルナの前に置くと、タオルを手にルナの髪を丁寧に拭い始める。よどみのない面倒見の良さだ。ルナのほうも、それを当たり前のように受けている。
食べ終わった食器をキッチンへと運びながら、光太郎はぺこりとハガネに頭を下げた。
「ハガネさん、ご馳走様でした。うまかったッス」
「ふふん!おいしいでしょ?ハガネの料理。アンタ、ラッキーね。これから毎日ハガネの料理食べられるなんて」
「それは……いや、ほんとに、ありがたいっす」
喉元まで出かかった、「どうしてルナさんが得意そうなんスか?」という言葉は、背後からぎろりと鋭い視線を飛ばしてきていたハガネが怖かったので、飲み込むことにした。
「あ、そうそう。ウチの活動時間は、夕方から朝方にかけてだから。寝れる時に寝ておいてね。夕方の4時にはハガネが起こしにいってあげるけど、それまでに起きてなかったら切っちゃうから」
シュッとスプーンを動かしてみせるルナに、光太郎は思わず首筋に触れた。
寝てたら切られる、だなんて物騒すぎる起こし方は、さすがにやめて頂きたい。
ルナの言葉に自然と時計に目を向ける。カウンター上に置かれたデジタル時計は、朝方の4時を過ぎた表示になっていた。見れば、大きすぎる広々とした窓の外、少しずつ空が明るい色に変わりだしている。早く寝支度をした方が良さそうだ。
「じゃあ俺、風呂を頂きます……」
言いかけた時、ふと、カウンターの端に置かれていた写真立てに気がついた。
そこに写っていたのは、ひと組のよく似た男女。
少女のほうは、今よりも清楚な雰囲気だが、おそらくルナだろう。
そのルナによく似た、明るく笑う少年は――。
「……ああそれ。ルナのお兄ちゃん」
素っ気ないような堅い声が、ルナから届く。彼女は、ハガネにドライヤーをかけてもらいながら、オムライスを見つめ暗い表情をしていた。
「ルナさんの……?」
「そ。似てるでしょ?双子なの」
「へぇ。お兄さんもラビットテールなんですか?」
「ううん。お兄ちゃんは……どこにいるのか、わかんない」
「え?」
暗い声と雰囲気に、もしかして聞いたらいけないことだっただろうか、と狼狽える光太郎。
ルナはもぐもぐとオムライスを咀嚼して、びしっとスプーンを光太郎へ突きつけた。
「後で話すのも面倒だから、今言う。1回しか話さないから、よく聞いて」
「はいっ」
「私のお兄ちゃんは――黒鷹にいるの」
「……は?それって……」
「事情はわかんない。理由もわかんない。でも、お兄ちゃんは黒鷹にいる。それだけはわかってる」
がっと勢いよく、オムライスにスプーンが突き立てられる。
すくったオムライスを勢いよく口に入れて、ルナは真剣な表情で、写真の中の兄を睨み付けていた。
「社長が、ラビットテールにいれば黒鷹の情報が得られるだろうって言ったのは、そういうことだよ。私も、社長も……ヨシカズとか、他の皆も。色んな理由で、黒鷹と因縁があるの」
「因縁……」
「直接、アンタの妹さんを助けるとか、そういう依頼は受けないけどね。怪異に関する事件を解決していれば、黒鷹の情報も入ってくるから。だから……アンタも、自分の目的を忘れずに、目の前の仕事しな」
光太郎は俯いていた。
妹がいなくなって、それに黒鷹という組織が関係しているとわかってから……頭の何処かで、自分は被害者なのだ、という意識が蔓延っていたということに、今唐突に気がついた。
黒鷹の被害者は、自分だけではないのだ。目の前にいるルナも、よくわからないままに身内を突然失って。他のラビットテールのメンバーも……きっと、色々な思いを、経験をしてきたのだ。
――自分だけが被害者だと、そんな意識でいてはだめだ。
辛い思いをしながらも、真っ直ぐ、諦めない目をしているルナが、眩しく見える。
自分も、そんなルナのように――強い気持ちで過ごさなければならない。
ごくん、と最後の一口を飲み込んだルナの背後では、黙々と彼女の髪を手入れしていたハガネが、仕上げのオイルを付け終えていた。
ルナの食器を片付けにキッチンへ戻ったハガネは、ルナと光太郎、二人の前に、ガラス容器に美しく盛られたアイスクリームを置いた。
何となく、無口な彼なりの気遣いのような、激励のようなものを感じた気がして、じわっと心が熱くなる。
「まったく、ハガネは優しいんだから……。いい?コウタロー」
「!」
ルナが初めて、光太郎の名を呼んだ。顔を跳ね上げた光太郎に、ルナが鋭い表情を向けた。
「アンタはまだ弱い。弱すぎのよわよわ。だから、陰陽術をもっと磨きなさい。強さがなきゃ、あいつら相手になんてできないからね」
「……っはい!」
口に入れたアイスクリームは、優しい甘さとしょっぱさで、光太郎の胸の中に沁みていった。




