5.迷い猫で腕試し
「えっと……。ほ、本当にいいんですか?俺がお世話になって……」
「いいって言ってんじゃん。しつこいなー」
深夜を大きく回り、すでに明け方近い、午前三時すぎ。
ルナの家に向かう道中の光太郎は、きょろきょろと視線を彷徨わせて挙動不審になっていた。
「どーせ、男女だからーとか、くっだらないこと気にしてるんでしょ?安心して、年下のガキに興味ないし、私の家はハガネの家でもあるから」
ルナの後ろを無言で歩くハガネが、こくんと頷く。
「えっと……3人、ならいい、のか……?いや、でも……」
うーんうーんと唸り続ける光太郎に、ルナは肩を竦めてみせた。
ネオンの灯りの下、こんな時間だというのに、まだまだ通りには通行人が多い。
ルナの自宅――駅近い高層マンションまであと少し、というところで、ルナのスマホが鳴った。
着信相手の名前を見たルナは、「げぇ」と露骨に嫌な顔をして、スマホをハガネに押しつける。ハガネは受け取ったスマホで、通話を始めた。
「はい、ハガネです。……ええ。はい。承知しました」
端的で短い返答の後、スマホがルナへと返却された。
「ルナ。ヨシカズが、迷い猫を捕獲しろと」
「あー……一昨日受けた依頼だっけ?ちょうどここにいる感じ?めんどくさー」
「あの路地だ」
面倒だと言いつつも、ルナはハガネが示した路地へと向かう。光太郎が慌てて後を追うと――ビルとビルの間。ちょうど良さそうな薄暗い路地に、首輪を付けた三毛猫がいた。
「ああ、ちょうどいいや」
隣で楽しそうな声がする。ルナがにやりと、光太郎を見た。
「ね、土下座君。ラビットテールの初仕事だよ。あの猫、捕まえて」
「えっ……えっ⁈猫、を、ですか?」
「そ。あの猫を飼い主に返すって依頼があんだよねー。ルナ、ここで見ててあげるからさ」
近場に積まれた段ボールに腰掛け、完全に傍観側に回ったルナ。側に立つハガネも、見守るつもりらしい。
「……まぁ、いいですけど。これからお世話になるし、猫くらい……」
ぶつぶつ言いながら、猫に向き直る光太郎。
「ほら、おいでー。たま?こたろう?いや、名前わかんないけど……飼い主さんとこ帰ろ」
「にゃあ」
「よしよし。いい子だな。……うーん、ラビットテールって、怪異のなんでも屋、だよな?なんでただの猫探しなんて……」
すんなり寄ってきた三毛猫を抱き上げ、首を傾げた瞬間だった。
『……な゛あ゛』
「え?」
ずるり、と、猫の身体から質量のある闇が伸び上がった。
瞬間、伸びてきた鋭い爪を、間一髪で顔を逸らし避ける。光太郎の頬に、二本のひっかき傷ができた。
「おお、いい反応」
ルナの呑気な声が聞こえる中、光太郎の腕にいた猫は、地面に着地すると次々と周囲の闇をその身体に飲み込み、むくむくと巨大な姿に変わっていく。
その額には、捻れた角――。間違いようもなく、オニ憑きだった。
「でええええ⁈」
じゃれるかのように繰り出される、殺傷力の高すぎる猫パンチを必死で避ける光太郎。一撃でもくらえば、身体が真っ二つに引き裂かれてしまいそうな威力だ。
転がり避けた攻撃が、大きな鉄製のゴミ箱を直撃する。ごしゃあああんと大きな音を立てて、ゴミ箱はひしゃげながら真っ二つになっていた。
「ウチが、怪異でもなんでもない猫探しなんて受けるわけないっしょー」
楽しそうなルナの笑い声に、光太郎は目の端に涙を浮かべながら叫んだ。
「ですよねぇえええ!」
『な゛あ゛あ゛ぁ』
どごおん、ずどおおんと音を立てながら、オニは攻撃を続ける。さながら、巨大な猫が、ネズミのような光太郎にじゃれついているような光景だが……あまりにも、命がけすぎるじゃれ合いだ。
光太郎がひっくり返って転がった先、ルナと目が合った。
「どーする?ハガネが切ってもいいけど」
からかうような声の先、ハガネが静かに腰の刀に手を掛けるのが見えた。
彼らの実力であれば、このオニも大した相手ではないのだろう。
――だが。
「……いえ、やらせてください。お世話になるのだから、これくらいは!」
真剣な表情で、光太郎はぐんっと反動を付けて起き上がった。
ぐっと地を踏みしめ、腰を落とした姿勢でオニと向き直る。光太郎の両手が淡く発光し始めたと思ったら――次のオニの一撃を、光太郎は素手で受け止めた。
「おお」
すぱああん!と鋭い破裂音と共に、強い余波がルナのツインテールを揺らす。ルナは足を組み替えると、懸命にオニの攻撃を受け止め、反撃し始めた光太郎を見つめた。
彼が扱っているのは、現代陰陽術の中でも多数派の、『陰陽拳』だ。
そもそも現代陰陽術というのは、あらかじめ決まった術式の型――陣や回路といったものに、自身の霊力を流すことで術を発動させるものだ。数百年と続く陰陽道の歴史の中で、効率と速さを重視して改良されてきた、まさに現代風の陰陽術。
陰陽拳とは、格闘技の技に、その現代陰陽術を合わせたもの。大抵は柔道や空手などといった武術と一緒に術を発動させるため、手のひらや腕、足など、肉体に直接、術式の型を彫り込んだりするものだが……。
「なるほど。腕に3つの回路を彫ってるのか」
隣で光太郎の戦い方を見ていたハガネが、静かに呟いた。
「そうみたい。ね、ハガネはどう思う?あの土下座くん」
「……重心のブレが酷い。基礎はできているようだが、速さも霊力の強さも、武術の腕も子供レベルだな」
「うーん。やっぱりそうだよねぇ」
ルナとハガネの見つめる前で、オニの爪が光太郎を掠めて地面を抉った。光太郎はよろめきながらも体勢を立て直し、オニの腕に打撃系の術を叩き込む。
光太郎の術が当たる度に、オニを形成している闇が散っていく。一撃で、とはいかずとも、オニの大きさは段々と小さくなってきていた。
「根性と体力……あと、バランス感覚はそこそこよさげ。まー、陰陽寮にいても、出世は見込めない平術士って感じかなぁ」
「実戦力としては、最低」
「ハガネから見たらそうだよねー。だけど、いないよりはマシ……。うん、そんな感じだね」
ルナとハガネ、二人による光太郎の分析が終わる頃には、肩で息をする光太郎が、一抱え分くらいの大きさまで縮んだオニを、壁際に追い詰めていた。
「陰と陽の狭間に、汝の穢れを封殺す……」
光太郎の呪文に、オニはしゃああああ!と警戒の叫びを上げる。
ぽん、と光太郎の手のひらがオニの頭に触れると、最後の闇が霧散していき、その場には三毛猫だけが残った。
「よーしよし。もう怖くないからな……いてっ!おい、引っ掻くなよ」
猫は遊び足りない、とでもいうように、光太郎に抱き上げられてからもしきりに猫パンチを繰り出している。
「まぁ、使えるか使えないかは置いといて……。あいつの封殺、優しい感じがするから、ルナ、好きかも。もう少しだけ、世話してあげもいいかな」
ルナの柔らかい表情に、ハガネは静かに目を伏せた。
「俺は、ルナがいいならそれでいい」
「ルナさん!ハガネさん!お待たせしましたッス!」
ぱたぱたと駆け寄ってきた光太郎は、バーでヤンさんから治療を受けたばかりだというのに、またぼろぼろになっていた。そんな状態でも、誇らしそうに三毛猫を抱いて笑っている。
そんな光太郎に、犬の耳と尻尾が見えそうだ……、などと、ルナとハガネはその一時、同じ感想を頂いていた。




