閉ざされた救助門
消えた灯りの向こうで、誰かが叫んでいた。風に引き裂かれた声は言葉にならない。エステルはレオンの肩に小屋の厚い毛布を巻きつけてから、返してもらった外套を羽織って襟を立て、白樺小屋の戸を閉めた。
「ミナ、先に分かれ道へ。二人を呼んで」
「はい!」
ミナは雪の上を走った。レオンは杖代わりに長い枝を持ち、エステルの隣へ来た。足をかばう歩き方が痛々しい。それでも彼は、救助門の方角をじっと見ていた。
「風向きが北西に変わった。馬車が止まっている場所は吹き溜まりになる」
「そこまで行くのに、何分くらい?」
「普通なら十分。今は十五分は見たほうがいい」
「私は先に行って様子を見るわ。あなたはミナたちと」
「分かった。ただし、馬車から人を動かす前に必ず合流しろ。子どもや年寄りがいるなら、足並みをそろえなきゃならない」
エステルは頷いた。レオンは彼女の手袋の甲を軽く叩き、続けた。
「お前が道を選んでくれ。俺は人の具合を見る。役割を分けよう」
「ええ。頼りにしてる」
レオンは笑った。
「花婿としても?」
「もちろん。結婚式の話は、みんなを助けてからね」
「逃げないから安心しろ」
「逃げようとしても、私が迎えに行くわ」
エステルは先に歩き出した。雪は足首を越え、風が吹くたびに細かな氷が頬を打つ。道の脇には低い木の杭が並んでいる。母が冬道の目印として立てたもので、白樺小屋から救助門まで続いていた。
分かれ道で、ミナが二人の隊員を連れて戻ってきた。大柄なジャンは折り畳み式の担架を背負い、オルガは温かい飲み物を入れた水筒を抱えている。二人ともエステルを見ると、すぐに足を止めた。
「隊長は?」
「後ろから来る。足を痛めてるけど意識はあるわ」
「生きてるんだな。よかった……!」
ジャンは胸を押さえ、すぐに表情を引き締めた。
「馬車のところには俺たちが行きます。エステルさんは小屋へ」
「私が旧道を知ってる。みんなを小屋へ連れていくには、私が必要よ」
ジャンは口を開きかけたが、オルガが先に頷いた。
「お母様と山を歩いていた人だもの。道案内をお願いしましょう」
ミナはレオンを迎えに小屋の方へ戻り、エステルたち三人は馬車へ向かった。救助門の手前には三台の馬車が斜めに止まり、最後尾の車輪は雪に深く沈んでいた。灯りが消えたのは、その馬車だった。御者が火を起こそうとしているが、濡れた薪は煙を上げるばかりだ。
「救護隊です! 動ける方は返事を!」
オルガの声に、馬車の扉が次々と開いた。毛布を被った老人、荷を抱えた商人、幼い子どもを連れた母親。人々は寒さで口を動かしにくそうにしながら、助けを求めた。
「娘が震えてるんです。さっきから返事が弱くて」
母親が抱いている少女は、六つか七つほどに見えた。エステルが頬に触れると、少女は薄く目を開けた。
「名前は?」
「リナです」
「リナ、聞こえる? 私の名前はエステル。暖かい小屋へ行こうね」
少女は小さく頷いた。エステルは母親に、少女を濡れた毛布から乾いた毛布へ包み直すよう頼んだ。ジャンが馬車から荷物を降ろし、歩ける人を集める。オルガは御者と一緒に人数を数えた。
「十八人です。大人が十四、子どもが四。足をくじいた方が一人います」
レオンが到着したのは、そのときだった。ジャンが彼の体を支え、馬車の陰へ連れていく。レオンは座るよう勧められても首を振り、リナの様子を見た。
「ここで休ませるより、風を避けられる場所へ動かそう。小屋までどのくらいだ?」
「旧道なら歩いて二十分ほど。ただし、途中に細い斜面があるわ」
「担架で運べる?」
「大人が両側につけば通れる。馬車は置いていくしかない」
エステルが答えると、後ろから怒鳴り声がした。
「勝手に動かすな!」
救助門の警備兵が二人、松明を持って近づいてきた。先頭の男は、屋敷でエステルを部屋へ閉じ込めた兵だった。
「組合長の命令だ。旅人は有料道へ回せ。ここを通すな」
「馬車はもう動かない。子どもが冷えているのよ」
「だったら金を払って、俺たちの橇を呼べ」
「今すぐ来るの?」
「組合長が許可すればな」
エステルは兵の顔を見た。男は少女の姿を見ても、何とも思っていないらしい。
「人が倒れかけているのに、許可を待てと言うの?」
「お嬢様でも命令には逆らえません。あんたが兄上に頭を下げれば、話は早い」
「私の結婚と、ここにいる人たちの命を取引するつもりなのね」
「言葉を選べ。組合長は親切で道を用意しているんだ」
レオンが一歩前へ出た。
「その親切で、俺は谷へ落とされた」
兵は顔色を変えた。レオンが生きているとは思っていなかったのだろう。男が腰の剣へ手を掛けると、ジャンとオルガが旅人たちの前へ立った。
「剣を抜くなら、ここにいる全員が見るぞ」
ジャンの低い声に、兵は動きを止めた。エステルはその間に、旅人たちへ声を掛けた。
「この門は使いません。別の道を知っています。歩ける人は私についてきて。荷物は命に必要なものだけ持ってください」
「勝手に案内するな!」
「兄上の許可は要らないわ。母様の小屋へ行く道は、母様が誰にでも開いたものよ」
エステルは少女を抱いた母親へ手を差し出した。母親は震える指でその手をつかみ、立ち上がった。
隊員たちが人々を二列に並べる。足をくじいた老人はジャンと御者が担架に載せた。レオンは最後尾へ回ろうとしたが、エステルが止めた。
「あなたは先頭の私のすぐ後ろ。足の状態を見ながら歩いて」
「俺が最後尾を見たいんだが」
「ジャンが見てくれる。あなたが倒れたら、私が困る」
レオンは少し考え、頷いた。
「分かった。お前の指示に従う」
警備兵が腕を伸ばした。エステルはその腕を避け、雪道の脇へ踏み出した。母の杭は吹き溜まりに埋もれかけていたが、目を凝らせば一本ずつ位置が分かる。彼女は鉄鉤で雪を払って目印を示し、旅人たちを誘導した。
細い斜面へ差しかかると、先頭の商人が足を止めた。右側は木の根が張り出した斜面、左側は雪に隠れた小さな沢だ。
「ここを通るのか? 落ちたらどうする」
「一人ずつ進みましょう。私が先に渡って、縄を張るわ」
エステルは太い木へ縄を結び、向こう側の岩まで進んだ。雪の下の地面を鉄鉤で確かめ、足場が固いところを選ぶ。縄の端を岩へ固定すると、レオンが声を掛けた。
「エステル、右の根元を使え。そこは雪が浅い」
「分かった!」
彼の言葉どおりに踏み直すと、確かに足元が安定した。エステルは振り返り、旅人たちへ順番を指示した。オルガが子どもを一人ずつ連れ、ジャンと御者が担架を運ぶ。レオンは縄を握り、足をかばいながら渡った。
最後の一人が通り終えるまで、エステルは向こう側で待った。母親に抱かれたリナが、彼女の外套を指さす。
「お姉ちゃん、お花がついてる」
外套の留め具には、母が彫った小さな白樺の花があった。エステルは少女の手を取り、見せた。
「これ、母様が作ってくれたの。小屋にも同じ花があるよ」
「そこ、あったかい?」
「暖炉がある。甘いお茶も作れるわ」
リナはようやく少し笑った。エステルは母親に頷き、列を進めた。
白樺小屋の屋根が見えるころには、旅人たちの足取りは重くなっていた。エステルは戸を開け、先に入ったジャンへ薪を頼んだ。オルガが濡れた靴を脱がせ、毛布を配る。レオンは長椅子へ腰を下ろし、足をくじいた老人の様子を確かめた。
小屋には全員が横になるほどの広さはない。それでも風を避けられ、火のそばで順番に体を温められる。エステルは大鍋へ水を入れ、乾燥した薬草と砂糖を加えた。
「本当に、ありがとう」
リナの母親が深く頭を下げた。
「もう駄目かと思いました。あの人たち、金がなければ通さないって」
「助かったのは、皆さんが歩いてくれたからです。今は体を温めてください」
エステルは湯気の立つ杯を渡した。背後からレオンが近づき、彼女の肩へ毛布を掛ける。
「自分の分を忘れてる」
「あなたの足は?」
「オルガが固定し直してくれた。今は休めと言われてる」
「なら、言うことを聞いて」
「お前もな」
エステルは彼の隣へ座った。レオンは二人で毛布を分け、火のそばへ杯を置いた。
「お前がいなかったら、あの人たちは戻れなかった」
「あなたが人の具合を見てくれたから、私は道だけに集中できたの」
「いい夫婦になれそうだな」
不意に言われて、エステルは彼を見た。レオンは照れた様子もなく、まっすぐに彼女を見返している。
「俺はお前と、こうやって生きたい。困ったときに言い合って、助け合って、帰る場所を一緒に守りたい」
「私もよ。兄上が何を言っても、あなたと結婚する」
レオンは彼女の額へ口づけた。小屋の隅でミナがわざと大きな咳払いをし、二人は笑って身を離した。
そのとき、戸が乱暴に叩かれた。
「エステル! 開けろ!」
ベルトランの声だった。外には複数の馬の足音がする。
「ギュスターヴ殿もお見えだ。花嫁の返事を聞きに来たぞ!」
エステルは杯を置き、立ち上がった。レオンも杖をつかむ。
戸の向こうで兄が叫んだ。
「その男を差し出して、山小屋の権利を譲ると約束しろ。そうすれば、中の連中も見逃してやる!」




