第8話:重なる姿、割れた帽子
机の上には何枚もの紙が散らかっている。
まるで幼い子どもが描いた落書きのようでいて、美しい幾何学模様が重なり合っている。
難しい用語や理論がつらつらと書き連ねられた冊子は理解が難しいだろう。
「かわいい!!」
「すべすべしてる~!」
「ぎゅーしたい!!」
「くっ、くるっ!?」
魔物たちから避難したヴェイルの小屋で、子どもたちはスルを可愛がっている。
いっぺんに触られることにスルは困惑してしまっているが、子どもたちの不安を紛らわせるために少しの間だけ耐えてもらうことにした。
「お兄ちゃん、これなぁに?」
少年が一人、ヴェイルに尋ねる。
手に持っているのは大粒の聖石だ、白く光を反射するそれは美しく今なお続いている喧噪を忘れそうになるほど美しい。
「ああ、それはフェルミィが作った聖石だね、アレグリアに行く直前に作ったやつだよ」
「こんなきれいなの作ったんだ!すごい!」
聖石を灯りに透かして内部で光が反射するのを観察すれば、内部で蓄積された聖力が渦巻いているのが見て取れる。
「きれぇ……」
目が輝いている、そんな様子を見てヴェイルは懐かしい光景を脳裏によぎった。
………フェルミィも、こうやって目を輝かせてたなぁ…
少年の姿が幼いころのフェルミアと重なる。
慈しむような喜ぶような、美しく可愛らしい横顔を眺めていたあの頃が懐かしい。
ふと、窓際の写真立てに飾られた二人の写真に目を向ける。
幼いころはフェルミアとともに聖術を学ぶ秘密基地のような場所だったこの小屋も、彼女がアレグリアへ向かってからは一人きりで聖術の研究をつづけたこの小屋も随分と寂しくなっていた。
だが子どもたちを避難させたため今だけは賑やかになっていた。
「………懐かしいな…」
ふと、フェルミアと二人で初めてこの小屋を発見した時のことを思い出した。
いつも通り二人で草原を走り回り偶然見つけたその場所は埃をかぶって誰も使っていないのが見ればわかった。
好奇心の塊だったフェルミアに引っ張られるまま小屋に入れば、見たことのない世界であふれていた。
知らない言葉、知らない道具、知らない幾何学模様、誰かが聖術の研究をしていた場所なのだけはかろうじて理解できた。
二人で目を輝かせたのを覚えている。
知りたい、理解したい、それが二人の聖術の原点だった。
それからは小屋に入り浸る毎日が始まった。
二人で聖術を学んで、試して、失敗して、それすらも楽しくって。
それでフェルミアが杖を授かってアレグリアに旅立って。
1人で聖術の研究を続けて、寂しさなんて感じられないほど没頭した日々。
……それも、今日で終わりかもしれないのだが。
「ねえ兄ちゃん!おれもこれ作れるかな!?」
「んっ?ああこれを作れるかってこと?」
フェルミアとの思い出を懐古している最中に聞かれて少し驚いてしまった。
「うん!」
「そうだね…最初はこんなに大きいのは難しいかな」
少年が今持ってるものはフェルミアがいなくなる直前に制作した、当時の彼女の最高傑作だ。
それと同じものを作ろうとするのは今では不可能と言い切っていいだろう。
「最初はもっと小さいのしか作れないかな、小指の先に乗るぐらいの大きさぐらい」
「えぇ~…」
「でもフェルミィも最初はこんなに大きくなかったんだよ、もっと小さくて聖力もここまで籠ってなかったんだ」
「そうなの?」
規格外の天才でも、1番初めは素人なのだ。
スタートラインは、全員が平等なのだ。
「きっと練習を続けてればできるようになるよ」
「ほんと?」
「うん、きっとできるよ」
かつてヴェイルが出会ったアレグリアの聖術師も語っていた、“全ては基礎が司る”と。
最初は上手くいかなくとも基礎を続ければ、いずれ立派なものを作れるだろう。
「うん!おれがんばる!!」
ああ、そうだ、こんな目をしていた。
強い術師を夢見てがむしゃらに突っ走っていたあの日と同じ目だ。
しかしヴェイルは成長してしまった。
もう、夢は追えない。
「………僕も頑張らないとな」
そう、立ち止まっている暇などヴェイルにはない、術師がだめでも学者としてでもいい。
約束を守らなくてはならない、それだけは絶対にだ。
「そういえば兄ちゃんって、ここでずっとこれについてやってるの?」
少年は手に持った聖石をヴェイルに差し出した。
「いや、これは“思い出”として置いてるだけだよ」
差し出された聖石を受け取り、胸の前でぎゅっと握る。
その石に込められた思い出を慈しみながら話す。
「今やってるのは、新しい聖術の理論を研究するのと、ここの研究の解読かな」
「ここの?」
「うん、僕とフェルミィの前にこの小屋を使ってた人の研究だよ、杖を作ろうとしていたっぽいんだけど……構造が斬新で複雑すぎて難しいんだ」
「兄ちゃんでむずかしいならすごいむずかしそう…」
賢いヴェイルが難しいという研究は自分に理解できるはずもない、まるでピーマンが食卓に並んだ時のように嫌な顔を浮かべる。
「……!くっ!!」
突如、スルが大きな声を上げて子どもたちの腕からするりとすり抜ける、そのままヴェイルの目の前に来た。
くーくー!と何かを指し示している。
「スル?どうしたの……」
スルが指し示す窓の外に目を向けた。
「なっ…………!?」
そして、目を見開いて言葉を失った。
全身から汗が噴き出てぶるぶると震える。
だが次の瞬間には急がなきゃ、この子たちを守らなきゃという意識が彼の体を動かした。
「みんな外に出て!!早く!!」
突然の大声に驚いた子供たちはきょとんと困惑の表情を浮かべた。
「え?兄ちゃんなんで……」
「いいから早く!!」
「あ、うん……」
兄ちゃんが本気で焦っている、ヴェイルのあまりの剣幕に有無を言えなかった。
「くー!!」
「危ない!!」
ヴェイルはもう一度窓の外を見た、そして間に合わないことを察した彼は目の前の少年を咄嗟に抱きしめた。
空気が重くなる感覚、そして次の瞬間だった。
どっ!!がしゃん!!!!
文字通り壁が弾け飛んだ。
窓硝子が粉々に砕け散りヴェイルの背に飛び散る、煉瓦がガラガラと崩れ落ち、あまりの衝撃に机の資料が宙を舞う。
窓際の写真立ては見るも無残な姿へとなり果ててしまった。
「大丈夫かい?」
「う、うん…」
ヴェイルが抱きかかえた子は無事なようだが突然の衝撃に困惑している、スルも無事だ。
幸いなことに子どもたちは窓から離れていた。
「ゔっ…ぐっ………」
ヴェイルの背のほうからうめき声が聞こえた、それは先ほど窓から姿が見えた女性のものだった。
肩を震わせながらゆっくりとヴェイルは振り返った。
そこには、痛々しくおぞましい光景が広がっていた。
「ぐるるるる………」
奥に佇むのは一際大きな体躯のレスウルフ、餌を見つけたといわんばかりの冷たく凶暴な瞳。
そしてついさっきまで壁だった瓦礫の上に、じんわりと赤く鉄臭い液体が広がってゆく。
「がっ……ごぼっ………」
「そ、そんな……」
血だらけ傷だらけで横たわりながら血反吐を吐き出す彼女の姿にヴェイルは大きな絶望感を覚えた。
杖を授かれなかった時とは違う、これからの未来が見えなくなった絶望とは別種の絶望だ。
身体がガタガタと震える、歯がカチカチとなる、顔から血の気がさーっと引いていく。
「げぼっ、ごほっ……ごめん、なさいね……ぼう、や」
「ティアナさん!!!」
トレードマークの三角帽子の鍔が、真っ二つに切り裂かれていた。
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