第9話:指輪の音
身体の震えが収まらない、目の前の光景を理解することを脳が拒み続けている。
唇を震わせながらもヴェイルはなんとか声を絞り出した。
「てぃ………ティアナ、さん………」
声をかければティアナは咳をしながらもなんとか血だらけの身体を起こした。
「わ、るい……わね………」
「はやくっ!!回復術を!!」
震えて定まらない杖を自身に向けて、なんとかして回復術をかける。
「アー、クっ………ヒー、ル……」
複雑な幾何学模様が幾重にも重なる、式典前に目撃したものとは比にならないほどの難解さ、ティアナが回復術を得意としている紛れもない証拠だった。
「早く逃げて!!」
再びヴェイルが飛ばした怒号を聞いた瞬間、固まっていた子どもたちはすぐに小屋を飛び出して行った。
それを少し待つ間にティアナの傷は綺麗に塞がったが流した血の跡は消えなかった。
「ティアナさん!!大丈夫ですか!?」
「ああ……ちょっとマズいわねこれは……」
朦朧とした意識がハッキリとしたティアナはしっかりとした返事をする、だが血を流しすぎたせいか身体はまだふらついている。
2人の視線の先には巨大なレスウルフ、やはりこちらのことなどなんとも感じていないのだろう、わざわざ回復するまで待つのが紛れもない証拠だ。
「ティアナさん……回復術が専門なんですよね……?」
「ええ……戦闘は強い一般人ぐらいよ」
「それはつまり…対抗できないってことですよね……?」
「そうよ」
悔しそうに、しかし認めざるを得ない事実を噛み締めるように答えた。
「対抗できる術を知らないってことですか!?ならここに…」
そう、今2人がいるのはヴェイルの研究小屋にして四聖が聖術を研究した場所だ、攻撃可能な聖術の術式ならいくらでもある。
「違うわ、使えないの」
「え……」
「あいつ……おそらくディアム級のやつは大体“アーク”の術がいる……でも…あたしは“アーク”の攻撃術を使えないのよ」
高難易度高火力の術を使えないが、高レベルの回復術は行使できるティアナはいわば超純正回復術師だ。
「それはつまり……」
ヴェイルはそれを聞いて一つの恐ろしい事実に辿り着いた。
奇しくもそれはティアナがとっくにたどり着いていたものだった。
「あたしたちは、一方的にやられるしかないわ」
そう、今できることをどれだけの精度で、どれだけの威力で行ったところで敵に一矢報いることは不可能、2人になす術などないのだ。
「そんなっ………」
床に転がった写真立ては、2人の間を割くように亀裂が走っていた。
「あ……あ………」
本当に今度こそ、永遠の別れだ。
絶望の淵に掛かっていたヴェイルの手は、容赦なく蹴り落とされた。
が、落ちるはずのヴェイルの手を掴む者がいた。
「大丈夫よ、ぼうやは死なないわ」
「え……?」
ティアナだ。
同じく絶望の淵に立つ彼女の後ろ姿は痛々しく、それでいて気高く美しかった。
「あたしが回復し続けてあのワンちゃんを引きつけるから、ぼうやは早く逃げなさい」
「でもそれじゃあティアナさんが……」
「なあに、これぐらいとっくに覚悟してるわよ」
地面から帽子を拾い上げ、ぽんぽんと割れた鍔についた砂埃を払った。
「力のない人々の盾となり天命を終えるだなんて……」
割れた三角帽子を深く被り、彼女は震えながらも微笑んだ。
「さいっこうに、かっこいいじゃないの」
世界は残酷である。
力がなくとも立ち向かうその姿は正しく聖術師の鏡だった。
そしてヴェイルは自身の無能加減を呪った、自分が杖を授かれていれば、結末は違っただろうに。
「グルルァァァッッ!!!」
戦闘なんて綺麗なものなんかじゃ決してない。
ただティアナがレスウルフに一方的に嬲られるだけの“じゃれあい”だ。
「痛っ………」
ティアナにできることはただひたすら致命傷を避けることのみ、もし受けてしまったら回復が間に合わず死んでしまう。
それを加味したとしても、聖力と体力共に限界に近い彼女がいつまでも生き延びられるわけがない。
「がはっ!?」
レスウルフの怪物のような右腕がティアナの細い腹に突き刺さる。
衝撃と痛みにやられたティアナはまた血反吐を吐き出す。
「てぃ、あな、さん」
殴られ、蹴られ、切り裂かれ、潰されて。
凄惨、その一言に尽きる。
「あー、く、ヒール…」
だがその度にティアナは術式を広げた。
何度でも回復して立ち上がり、そしてまた嬲られる。
見ているだけで腹の奥が痒くなるような光景、胃液がせりあがってくる感覚がする。
「さあ来なさいワンちゃん!!」
レスウルフは喜ぶ、まるで壊れない人形で遊ぶ子どものように。
「………逃げなくちゃ」
足に力が入らない、脳が目の前の惨劇を理解したがらない。
ティアナが死ぬよりよっぽど辛いことに耐えているのは標的がヴェイルに移らないようにするためである。
逃げよう、僕は聖術が使えないのだから
ずしん
逃げよう、僕は杖を授かれなかったのだから
ずしん
逃げよう、僕は無能だから
ずしん
逃げよう、僕はフェルミィがいないと何もできないのだから
ずしん
逃げよう、僕は、フェルミィのところに行けないのだから
「ぼうや!!!」
あれ、ティアナさんの声が凄く近い。
どんっ
えっ
なんでティアナさんは僕のことを突き飛ばしたんだ?
その次瞬間だった。
どしゃあん!!!
床が破裂した、正確には床が破裂しそうなぐらいの衝撃が襲いかかってきた。
そこには崩れた壁から侵入したレスウルフ、頭が真っ白になってる間にティアナはここまで追い込まれてしまったようだ。
「ぐっ……うぁあっ……!」
「っ!ティアナさん!!」
ヴェイルは咄嗟にティアナを抱えて外へ逃げた。
普段から街で重いものを運ぶ手伝いをするヴェイルからすれば、ティアナは羽のように軽かった。
「ぐっ……まずっちゃった、わね……」
彼女の右足が向いては行けない方向を向いている。
ヴェイルは自分自身を祟った、逃げ遅れたから、近づくレスウルフに気づかなかったからこんなことになった。
「ふふっ…泣かないで、ぼうや、これぐらいすぐ治せるわ」
文字通り、イカれてしまった足を治すのは彼女にしたらすぐにできるだろう。
しかし向きを元に戻すのには痛みを要する。
「うゔっ……あ゛あ゛っっ………!」
いいのだろうか
このまま彼女を見殺しにして
「うっ…」
ティアナが痛みにもぞもぞと動いた、その時だ。
ちりん
ヴェイルの胸元から、柔らかく心地いい音がした。
指輪だ
_____ヴェル_____
柔らかい声
_____私は知ってるよ_____
あたたかい声
_____ヴェルは本当は_____
愛おしい声
_____私がいなくてもなんでもできるって_____
幾度となく勇気をくれた声
_____世界で1番、自由で、優しい人なんだって_____
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