第7話:聖術師の矜持
「セン・ウィンド!!」
先手を取ったのはティアナだった。
緑に輝く風の刃が真っ先に向かってくる一匹目と正面からぶつかる。
「ガヴゥッッ!」
「嘘でしょう!?」
ティアナの聖術が恐ろしい顔を切り裂こうとしたその時、鼻先をすっと下げられた。
風は致命傷を与えず、皮膚を浅く切り裂くのみに終わった。
これが“はぐれ”ではない本来のレスウルフ、多少は歯応えがありそうだった。
ティアナはすぐに次の聖術を用意する、回復が専門の彼女が扱える最低限の攻撃でなんとか対抗する。
「ああもう!街では使いたくないのよこれ!!」
次に杖の先に灯ったのは赤い光、幾何学模様の術式から出て来たのは火球。
「セン・フレイム!」
「ぐるるっ!?」
薄い風の刃と違い面積の大きい火球は避けることができず、真正面から衝突する。
火球の勢いと体毛に燃え移る火にやがてレスウルフは倒れて沈黙する。
辺りに魔物の肉の焼ける生臭く嫌なにおいがした。
仲間が殺された、今いる人間の中であいつが一番危険だ、そんな認識が生き残ったレスウルフたちに共有される。
凶暴な目つきが一斉にティアナへと向けられる
じとっとした嫌な汗が彼女の首筋を伝う。
何匹も同時に相手にするなど、自分はどこまで抗えるだろう。
危機はそれだけではない。
「………あいつ、動かないわね…」
奥に控える一際大きい個体、そいつはティアナのことをじっと見続けて動く気配がない。
まるで品定めをするように、それでいてティアナのことを何とも思っていないかのような目だ。
「ぐるあっ!!」
「っ!!」
一匹が跳びかかってきた、ティアナは咄嗟に身をかがめて躱した、鋭い爪が彼女の頭があった位置を通り過ぎる。
「セン・ウィンド!!」
がら空きになった白い体毛の腹に風の刃を打ち込む。
皮膚を貫き向こう側へ貫通した刃を前に、レスウルフの目から光が消えた。
安堵したいのは山々だが、すぐに次が襲い掛かってくる。
「ぐるっ!!!」
「はぁっ!!」
ガキン!!!
硬い物同士がぶつかり合う音が響く。
立ち上がろうとするティアナに迫った爪に対して、咄嗟に杖を剣のように扱って鍔迫り合いを演じて見せる。
ギリギリと杖が少しだけ悲鳴を上げる、いくら硬い素材で作られている杖とはいえこの体勢が長引くほど不利だ。
「うっ…重っ……」
そして女性であるティアナは筋肉量が少ない、自然で鍛え抜かれたレスウルフに段々と押され始める。
「接近戦はっ…苦手なのよっ!!」
「ぐるっ!?」
杖を傾けて受け流された爪が石畳の隙間に挟まり動けなくなる。
この距離で動くことができない相手、たとえ初めて聖術を使う子どもだとしても外すことはないだろう。
「セン・ウィンド」
首と胴体が永遠の別れを告げた敵は完全に沈黙した。
飛び散った血から鉄臭い嫌な臭いがした。
苦手な接近戦を演じて疲労を貯めた杖と腕をねぎらいたいところだが、そうは問屋が許してくれない。
「「ぐらぁっっっっ!!!!」」
「二匹同時!?」
魔物とはいえ学習能力はあるらしい、一匹ずつ跳びかかれば対処される、ならば二匹同時に跳びかかるまで。
ティアナにわずかに残っていた余裕が目に見えて消える。
すぐに聖術を行使するために杖の先を向けて赤い術式を展開する。
より大きく、より早く、二匹同時に対応できるようにより広範囲に。
「セン・フレイムっっ!!」
緊迫した表情で放たれた火球は先ほどよりも大きく、二匹のレスウルフを包み込んで焼き切ろうとする。
「ぐるるあぁっっ!!」
しかしそう目論見通りにはいかなかった。
二匹のうち片方が火傷を負いながらも炎を突き破り強靭な爪を振りかざす。
予期しない危機にティアナは目を大きく見開いた。
聖術の基本、不変の原則だ。
ティアナは二匹を倒せるギリギリの範囲と威力のバランスを見極めたつもりだったが、一匹を仕留め損ねてしまった。
「っ!!避けられないっ!!」
大きな怪我を避けようとしたティアナは咄嗟に杖を扱わない左腕を盾にした。
重く、鈍い痛みに顔を歪ませる。
鋭い爪に貫かれた左腕からは血がどくどくと滴り、爪を伝ってレスウルフの白い体毛を赤く染めていく。
「っ、いつっ……」
痛い、傷口が熱い、突き刺さった爪の異物感が酷い。
歯を食いしばって痛みに耐える、しかし攻撃したレスウルフはすぐに次の手を打とうとしている。
だがそれよりも早く、右手で持った杖が向けられた。
「つっ、…センッ・ウィンドッッ!!!」
「ぐあっ!?」
ティアナにトドメを刺そうとしたレスウルフは咆哮を強制的に止めさせられた。
極薄の鋭い風が眉間を通り過ぎた、咆哮と違い爽やかな風切音が聞こえた気がした。
「ぐっ、痛ぅっっっ………あぁあぁっっ……」
もう襲いかかってくる敵は居なくなった、少しばかりの静寂だ。
突き刺さったままのレスウルフの爪を腕ごと引き抜けば激痛と共に血が勢いよく溢れ出す。
「これっ……だから、近接戦は嫌なのよっ……ライズっ…ヒール…」
杖が傷口に近づけられ、淡く、それでいて力強い光が溢れ出す。
ヴェイルの傷を治した時よりも複雑で情報量の多い術式が展開され、傷を徐々に修復していく。
痛みも和らぎ、やがて綺麗に元通りになる。
左手を握ったり開いたりして動作に支障がないことを確認する。
「………なんとかなったわね」
怪我自体はどうとでもなる、ティアナは回復が専門の聖術師だから。
しかしこれから始まるのは、回復の専門ではどうにもならない事だ。
一息を入れたティアナはある方向に向きあう、そびえるのは群れのボスと思われる巨大な個体。
見え隠れする爪の鋭さも倒したものとは比べ物にならない、まともに受けては人として原型を保てない可能性がある。
「………恐ろしいわね」
杖を握る手のひらに汗がじんわりと広がっていく。
武者震いだろうか、腕の震えが収まる気配がしない。
今できることは肉の盾となること、もちろん痛みも伴うし考えるだけでも悍ましい。
だがやらなければならない、協会に所属する術師として人々を守る義務がある、こんな危機など織り込み済みだ。
ごくりと大きく唾を飲み込んだ。
レスウルフが重い腰を上げてようやくティアナと正面から相対する、鋭い眼光が強く彼女を睨みつける。
認識は餌か玩具か、はたまた煩わしい羽虫か。
どれにしたってやる事は変わらない。
くいっと、三角帽子の広い鍔を人差し指で押し上げてできるだけ気丈に、にやっと笑った。
「来なさいワンちゃん、あたしが遊んであげるわ」
「ぐるるるるるる………」
ずしん、と地面が揺れた気がした。
心臓が嫌な音を鳴らした。
次の瞬間には高速で突撃して来た敵に対して、ティアナはできるだけ強い回復術を準備した。
自身の身を犠牲に、無垢の民を守るために。
絶え間ない激痛を受け入れる覚悟を、ティアナは固めた。
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