第2話:幼い記憶と待ち焦がれた日
片時も忘れない、黄昏時の出来事だった。
「ねえヴェル、私本当にアレグリアに行くんだね」
気丈に微笑む少女は長いブロンドを揺らしている。
少年の口から溢れたのは言葉にならない嗚咽、草葉にぽたぽたと涙が落ちている。
「……ねえ、ヴェル」
「ゔっ…えぐっ……フェルミぃ……」
「私、ヴェルのこと信じてるからね」
別れを前にした悲しみが少しだけ混じって震えた、それでいて芯の通った声だった。
少女は少年の手を優しく握り、あたたかな言葉を続けた。
少年の心に一音ずつ染み渡るようだった。
「遠く離れちゃっても、私はずっとヴェルのことを愛してるから、ヴェルも私のことを愛し続けてくれるって」
「ぐすっ………うんっ……」
「いつかきっと、立派な聖術師になって、私のことを迎えに来てくれるって、信じてるよ」
「……うんっ、ぜったいに、絶対に、フェルミィのことを迎えに行くよっ…!」
「うんっ、いつまでもヴェルのことを待ってるから!」
「いつかもう一度、フェルミィの隣に行ってみせるから!」
黒い短髪の少年と、長いブロンドの少女との声が重なりあった。
__愛してる__
2人はただ互いの瞳を見つめ合った。
言葉は必要なかった。
2人が身に着けた指輪のネックレスが、あたたかな音を鳴らした。
それは幼い2人の、けれど確かな誓いの証だった。
やがて、身の丈に合わない大きな杖を背負った少女は世界の中心へと向かった。
いつか、愛する男が迎えに来ることを信じて
少年はただ、遠くなっていく背中が見えなくなるまで見送るしかできなかった。
「………フェルミィ」
「……くーん?」
滲んだ声に応じたのは愛する少女ではなく、彼女が残していった聖獣だった。
ぼやけた視界が段々と鮮明になり、視界に大きく映る細長く可愛らしいフェレットの聖獣が朝ご飯を求めているのがわかる。
「……おはよ、スル」
「くーん!」
朝早くだというのに、スルと呼ばれたフェレットは元気よく返事をした。
少年はつやつやすべすべのスルを撫でまわす、こうしなければ彼の一日は始まらない。
スルも喜ぶように少年の手に体を擦り付けた。
額についた大粒の聖石がこつりと手に当たった。
「…やっとだね、スル、あれから5年も経ったんだ」
今し方見た夢、5年前に体験した愛する少女との別れと誓い、それが少年の根幹を創り上げていた。
胸の奥でざわついている期待と不安が入り混じった何かを飲み込んだ。
「…さ!今日は杖の授与式だ!早く行こうスル!」
「くーん!」
きらりと、スルの額の聖石が光った気がした。
朝の光を十分に浴びた少年の頭にスルは乗った。
少年は枕元に置いていた指輪のネックレスを手に取り、部屋を後にするのだった。
廊下には日が差し込み、まるで少年の未来を祝福するかのようだ。
ヴェイル・ノクレミナスは孤児院で育った。
それでも自分が不幸だと思ったことは一度もない。
心の優しい大人たちに育てられ、何より、今も愛する幼馴染がいるからだ。
「おはようございます先生!」
「おお、おはようヴェイル、スル」
「きゅる!」
スルが器用に片手を上げて挨拶を返す。
孤児院の院長はヴェイルにとって父親のような存在だった。
親役が彼でなければ、ヴェイルはここまで健やかに育たなかったかもしれない。
「先生っ!いよいよ今日ですよっ!」
「そうだなぁ…ついにこの日が来たなぁ…」
所々白くなった髭を撫で付けながら、噛み締めるように院長は言った。
泣きじゃくるヴェイルの背を撫で続けたのを思い出しているのだろう、目に涙がうっすらと浮かんでいる。
「フェルミアがニヴルヘイム様に弟子入りして早5年近く……あんなに泣きじゃくっていたヴェイルがこんなに立派に育って…」
「本当に、長かったですね…」
「きゅる?」
なぜ2人が涙ぐんでいるのか、スルにはわからなかったようで首を傾げている。
「……気弱なのは変わらんがな」
「今感動するとこなのになんでそんなこと言っちゃうんですか!?」
「ははっ!だが本当に強い心を持ってくれたと思っているぞ、いじめられて泣きじゃくってたお前が、真っ直ぐな青年になってくれたことが嬉しいんだ」
「昔はフェルミィに助けてもらってばかりでしたからね…僕には聖術が使えなかったらから…」
ヴェイルは聖術が使えない。
周りの子が少しずつ覚えていく中、彼は何一つできず、そのたびに泣いて、笑われて、フェルミアに助けられてきた。
だがそれもきっと今日までだ。
「でも今日は杖の授与式ですから!」
「ああ、杖を授かればきっと変わるだろう」
年に1度だけの式典にて、ヴェイルは杖を受け取ることとなっていた。
「杖は人類とは切っても切り離せないものだ、今まで術の使えなかったお前も杖さえ授かれば使えるようになるはずだ」
ヴェイルと先生はそう考えていた。
「ああもう待ち切れない!僕もう行きますね!!」
「ああ、私は後で他の子達を連れていくから、行ってらっしゃい」
「行ってきまへぶっ!?」
「くるっ!?」
授与式が待ち切れずに早くもで街に出ようとした時、ヴェイルは思いっきりすっころんだ。
「くるるっ!!」
振り落とされたスルはカンカンに怒っている。
「ごめんてスル…許してくれ…」
「…鈍臭いのは変わらんなぁ…」
院長は額に手を当てやれやれと呟くのだった。
「おう!!今日の主役が来たぞ!!」
「来たかヴェイルのボウズ!今日は特段いい顔色じゃねえか!」
街の大通りを歩けば、すでに大人たちが酒盛りをしており、今日という日が特別な日だということを再認識させられる。
人族に獣人族にドワーフ、エルフまでもが同じテーブルで酒を酌み交わしているのは大陸の中腹の地方ならではの光景かもしれない。
「おはようございます!きいてくださいよ!今日フェルミィの夢を見たんですよ!これもきっと運命ですよね!」
「おいおい!杖よりも嬢ちゃんかい?ボウズも一途だな!ガハハッ!」
「フェルミアも嬉しいことであるな」
「ええ、今は遠いところに行っちゃったけど、それでも愛してるのには変わりませんから!」
ヴェイルの付けた指輪のネックレスが日の光を反射してきらりと揺れた。
「ほんとしっかりとした子に育ったものよ、うちの子なんて旦那に似て勉強そっちのけだからねぇ」
「奥さんだって昼間から飲んじゃってるじゃないですか」
「私だって今日ぐらいはいいのよ!ねぇ?」
街の大人たちは、ヴェイルがどれだけ努力を続けてきたのかを知っていた。
だからこそみんなヴェイルのことを応援していた、そして今日という日をずっと待ち続けていた。
「ボウズもやっとガキんちょ卒業か、ちゃんと杖を授かれることになってよかったな!」
「そんな!皆さんが応援してくれたおかげですよ!」
「ちっちゃいころは5~6人のフェルミアちゃんに追っかけまわされてたヴェイルくんが、立派に育ったわね…」
「そんなこともあったなぁ…」
「おい姉貴、感傷に浸るのは早いぞ!」
「とにかく、今日はしっかりね!」
「はい!」
ばしっと背中を叩かれ、ヴェイルは背筋をピンと伸ばした。
「昔はフェルミアの嬢ちゃんと、ああやって走ってたなぁ…」
走り去るヴェイルとスルを、酒盛りたちは我が子を見守るようなあたたかいまなざしで見届けるのだった。
だが、街のだれもがヴェイルのことを良く思っているわけではない。
「…おい、来たぞ」
「ああ、落ちこぼれだ、よくあんな堂々と」
ヴェイルは同年代からは侮蔑的な目で見られ、心無い言葉の対象となっていた。
それもこれもすべてはたった一つの原因のせいだ。
「聖術が使えないくせに…」
聖術が使えないくせに大人たちからは好かれ、フェルミアにも愛されている、それがひたすら気に食わなかった。
「よく来れるぜ、ほんと」
「あんなやつ、杖を授かる資格ないでしょ」
「……くるる」
頭上のスルが心配そうに控えめな声をかける。
「…大丈夫だよスル、ありがとう」
身体を刺すような冷たい目と言葉、だがヴェイルは臆することはなかった。
応援している人たちがいる、スルがそばにいてくれる、それになにより…
「こんなことで立ち止まってたら、一生フェルミィに追いつけないからね」
幼馴染への想いが、彼の足を止めることを許さなかった。
ぎゅっと祈るように、ネックレスの指輪を握りしめた。
日の光を吸収してあたたかく、揺らがない固さが頼もしく感じられた。
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