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第15話:霧の聖女の元へ至る道

「どいてくれ!大事な物があるんだ!」


芯のある声を合図にヴェイルの前が開ける、育ての親である先生だ。

彼の手には一枚の紙切れがあるのみで、とても大事な物があるようには見えなかった。


突然来た先生を前に、ヴェイルは自然としゃんと背筋を伸ばした。


「…ヴェイルよ」


「はい」


ヴェイルの背負った杖を一瞥し、そしてまっすぐなその瞳の奥を覗き込むように見据えた。

少しの沈黙ののち、厳しさのあったその瞳が柔らかく緩んだ。


「…本当に、立派になったな」


「………はい」


血の繋がりがなくとも、彼らの間には確かに親子の繋がりがあった。

息子の顔に、幼いころの面影を感じた。


いじめられ泣きじゃくり、フェルミアの後ろに隠れていた弱いだけの少年だった。


フェルミアが旅立つのを涙ながら見送るしかできなかった、弱い少年だった。


そんな少年が立派に成長した、そしてフェルミアを追いかけて旅路へ足を踏み入れようとしている。


灰色と青の混じった瞳はまるで剣のように真っすぐな芯が宿っていた。

もう、僕は大丈夫です、そう目が代弁していた。


先生は目頭がじわっと熱くなるのを感じた


「…ヴェイル」


「はい」


彼ならばきっと大丈夫だ。

だが、親にとって子とはいつまでも愛おしい子なのである。


「みんな、お前を応援している、だからこそ言わせてもらう」


「…はい!」


ぴしっと、ヴェイルの背がもう一度伸びた。

しかし覚悟は杞憂に終わり、紡がれた言葉は泣きそうになるほど優しいものだった。


「ここは、いつまでもお前の家だ」


ああ、そうだ。


「辛くなったのなら泣きなさい」


ずっと先生が支えてくれていた。


「寂しくなったのなら帰ってきなさい」


ずっとこうしてあたたかい言葉をかけてくれていた。


ぎゅっと、先生は優しくヴェイルのことを抱きしめた。


ぽつり、先生の少し皺の寄った目尻から涙が零れた。


ヴェイルも視界が潤んできた。


「お前は、私の自慢の息子だ……!」


「……っ、はい!!」


その言葉があまりにも嬉しく、ヴェイルは笑いながら涙を流していた。

悲しいことなんか何一つない、あたたかい号泣だった。


「絶対にっ…フェルミィと帰ってきます…っ!!」


しばらくの間、誰も一言も発さなかった。

熱い抱擁は、二人の涙が止まるまで続いた。



「…先生、それは?」


話題は彼の持つ紙切れに移った。

折りたたまれた中心は青い蜜蝋で封じられていた。


目が赤いまま、先生はそれを差し出した。


「成人したお前へ、ある人からの手紙だ」


受け取った手紙、蜜蝋の紋章を見て、ヴェイルは目を見開いた。

世間に知れ渡った紋章だ、この世界で最も威厳のある紋章だと言っても差し支えないだろう。


「こ、これって……」


「成人祝いだからと、今回だけ特別で許しを得たらしい、普段は書かせたら仕事に手をつけないから禁止されてるらしいぞ」


あの子はいくつになっても変わらんな、目をつむって先生はそう呟いた。

その便箋を前にヴェイルの目から再び涙が零れていく。


雫に乙女の横顔、その紋章を使用できる人物はこの世でたった一人しかいない。


そして、彼女のことをヴェイルはよく知っていた。


「ううっ…、っ」


封筒を開き、中から一枚だけの便箋を取り出した。


何度も何度も書き直された形跡のある便箋に、ぽたぽたと涙が落ちる。

そこにはたった一言だけ記されていた。

たった一言、されどそれはヴェイルにとってこの世で最も尊い一言だった。


あたたかく優しい筆遣いの一文、誰の筆跡かヴェイルはよく知っていた。



___ずっと、いつまでもあなたを待ってるからね、ヴェル___



差出人の名はない。


「ゔぅっっ…ふぇる…みぃ…!」


霧の聖女の手紙は、ヴェイルの心の深くを優しく揺らした。





「もう、いいのかしら?」


別れの挨拶を済ませ、自身に寄ってきたヴェイルに対してティアナは確認した。

ここを離れれば、もしかすると2度と帰ってこれないかもしれない、少年の心に問いかけた。


目を真っ赤に腫らしたヴェイルの返答は決まっていた。


「はい!僕を連れていってください!!」


黒髪の上でスルもふんすと自信をアピールしている。

今の彼に問いかけは野暮だったかもしれない。


帽子の鍔をくいっと押し上げ、ティアナは笑いかけた。


「なら行きましょう、ミズガル派《あたしたち》の本拠地へ」


「はい!!」


ティアナのスカウトにより、ヴェイルは聖術協会の門を叩けることになった。

進みたい道の一歩目を示してくれたティアナには感謝しても仕切れない。


「さ、馬車に乗ってちょうだい」


「はいっ!よい……しょっと」


馬車の荷台に飛び乗った、振り落とされないようにスルが必死にしがみついていた。


「術師様!!」


馬車に乗り込もうとするティアナに、先生が声をかけた。

少しだけ不安の混じった瞳の色は、親特有のものだった。


「ヴェイルを、お願いします」


あんなにも送り出すと決めたのにも関わらず心配せずにはいられないのは仕方ないだろう。


だが、彼が大丈夫かを決めるのはティアナではないのだ。


「大丈夫よ、この子ならきっと」


馬車の中で手紙を優しい目で見つめる彼ならばきっと大丈夫、そんな気がした。

彼の横顔は、不安をかき消すには十分すぎた。


「…じゃあ、行くわね」


「ええ、お元気で」


くいっと帽子の鍔を押し上げ、馬車に飛び乗った。


「出発してちょうだい」


「混在の都ミクセルでよろしいですね?」


「ええ、頼むわ」


「お願いします!」


「くー!」


行き先を確認した御者は手綱を動かし、馬を歩かせた。

ガタガタと車輪が周り、荷台が揺れる。


屋根の隙間から差し込む日差しとそよ風が心地よい。


「にいちゃん!!」


声の方を見れば、少年が必死に馬車の方へ走っていた。

だがその懸命な走りでは馬車に追いつくことはできない。


ヴェイルはその姿に幼い日の自分を重ねた。

フェルミアの乗る馬車を追いかけることすらできずただ見送ることしかできなくて。


ああ…本当に、送り出される番なんだな…


ヴェイルは知っている。

今は追いつけなくとも、懸命に走り続ければいつか馬車に追いつき、乗り込むことができるのだと。


陽だまりのような輝きの少年の目を見た。

きっと彼も、いつか馬車に乗る番が来るだろう。


「元気でね!!」


声を出したのは少年だけではない。


「しっかりなさいね!ヴェイルくん!!」


「かましてこいよ!ボウズ!!」


そして、父親からの叫びに近い、それでいて優しい激励が届いた。


「いってらっしゃい、ヴェイル」


目が合ったヴェイルは大袈裟なほど頷いた。


「ティアナさんも!!お元気で!!」


「あら、私も?」


レスウルフを倒したヴェイルだけでなく、自身を盾に街を守ったティアナも彼らにとっては英雄だった。


声を聞いたティアナは荷台の後ろに近づき、手を振った。


そして旅立つ少年とスルは、めいいっぱい大きな声で返事をした。


「いってきます!!!」


「くー!!!」


街の人たちが見えなくなるまで、2人は手を振り続けた。

その微笑ましい光景を後ろから見ていたティアナはくすりと小さく笑った。


「………悲しい?」


少しだけ哀愁のある背中に問いかけると、手を止めた。


「…悲しいですよ」


大切な人との別れが辛く悲しいことをヴェイルは知っている。

だが振り返ったその顔は笑顔だった。


「でも、いつかまた会えますから」


「くるるっ!!」


俺たちは元気だぜ!とスルが身振り手振りで伝えてくる。


まだ幼さが残るが、ティアナは頼もしく感じた。

彼が台風の目となり変化が起こる予感がした。

きっと彼ならば長い道を進んで行けるだろう、根拠のない確信だが揺らぐ気配はしなかった。


大きな三角帽子をブロンドピンクの髪から下ろした。



少年は遥か彼方に薄っすらと見える城の方を見据えた。


指輪のネックレスをぎゅっと握りしめ、心の中で呟いた。


_____今、会いに行くよ、フェルミィ_____


きらりとスルの額の聖石が輝いた。


少年は霧の聖女への道の一歩目を踏み出した。




序章:指輪の約束編 fin.



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