第13話:ヴェイル・ノクレミナス
「……やっぱり、離れると拡散するな」
ヴェイルは至って冷静だった。
冷静に己が得た力の性質を確認し、技を更なる高みへと導こうとしていた。
まだヴェイルが聖術に慣れていないからだろう、聖術を飛ばそうとすれば霧散してしまう。
だから自身に適した術式を作り上げたところでフェルミアのように遠距離を攻撃する術はまだ使えない。
そしてヴェイルが作り上げた術式は3つだけだ。
「…炎聖術、“フラム・ノワール”」
一層目の真っ黒な術式から炎の形をした闇が立ち込める。
ノッテ・ブレッダが放出するそれはこの場の全てを焼き払うかのような勢い、強力な聖術なのは火を見るより明らかだ。
そして二つ目の術式
「…霧凝縮聖術」
二層目からブワっと薄ら汚れた灰色の霧が放出される。
まるでこの場を世界から隠蔽するかのように視界に靄がかかっていく。
そっと、胸元の指輪を握りしめる。
ぼそりと、そして強く、名を宣言する。
「“アントレネ・オートゥル”」
その聖術の名は、かつてフェルミアが与えた名だった。
宣言と同時に霧の術式が光り輝き、濃霧がまるで母親が子どもを抱きしめるかのように黒炎を包み込んでいく。
やがて凝縮された霧と黒炎は彼の操る杖に吸い込まれるようにして消えていき、そして鋭い刃に変化が起こる。
ぼうっと、火がつけられるような音を立てて剣に黒炎が纏わりつく。
少し靄がかかって視認し辛いそれは剣から出ているようだった。
ああ、なんと悍ましく、それでいて美しいのだろうか。
様子を見ていたティアナは心の中でそう呟いた。
ブレッダを上段に構えるヴェイルの顔つきは歴戦の勇士のそれだった。
「…混成聖術、“ブレッダ=セーラ”」
それが、ヴェイルの作り上げた新たな聖術の名前だった。
遠距離攻撃は操れない、そう感じたヴェイルの選択は至って単純だ。
遠距離用の聖術を杖に宿し、超近距離でぶっ放せばいい。
そしてそれを成功させるだけの聖術に対する知識をヴェイルは身につけていた。
剣をもう一度握り直し、精神を統一させるために大きく深呼吸する。
愛する人について行くことの叶わなかった、過去の涙に。
それでも諦めなかった不器用な少年に。
ただ、一言。
「行こう」
そして、走り出した。
前へ、前へ、薄くなった霧の中を駆け抜ける。
ティアナが見守る中、隻眼のレスウルフの元へと走る。
長く、そして短い道を走る。
だが相手だって黙ってやられてくれるほど優しくない。
立ち上がったレスウルフは迫る脅威を跳ねのけようと真正面から向かってくる。
「ぐるぅああッッッ!!!」
ティアナを何度も切り裂きヴェイルにも襲い掛かった爪が迫り来る。
だが彼にとってはもう恐怖にはなりえなかった。
「っっせああぁぁっっっ!!!!!」
霧と炎の刃を横に振るい迫る爪に正面からぶつける。
ばきん!!
硬い物が折れる音が響いた。
無論折れたのはレスウルフの爪、断ち切ったのはブレッダだ。
折られた爪から赤い血がどくどくと染み出している。
拮抗する暇など与えない、圧倒的な硬度と切れ味をもってして敵を屠る形をしている。
まるでヴェイルの意志をそのまま映し出したかのように強い剣と成っていた。
「ぐるっ!?」
「せああッッッ!!!」
反転、そして下から袈裟切りを仕掛ける、だが敵も苦痛に顔を歪ませながらも反応している。
どんっ!
後ろに跳ぶことで一度距離を取り立て直そうとする、刃の切っ先は一瞬だけ晒された腹の皮を切り裂くのみに留まった。
距離さえとればやられることはない、だがその考え自体が間違いだった。
「逃がさないッ!!」
ヴェイルは鬼気迫る表情でレスウルフを追撃しにかかる。
空いた距離を再び埋めるために全速力で走る、与えられたこの試練を乗り越えようと懸命にもがく。
逃げることはできない、レスウルフは蓄積した痛みを振り払い迎え撃つ。
「ぐるぅおおおッッッ!!!」
大狼が咆哮を上げる、群れの長たるプライドとこの少年を殺すという信念を賭けて。
「はあああぁッッッ!!!」
少年が叫びを響かせる、全ては自身につけられた枷を破壊するために駆ける。
再び逆袈裟を切る構えを取る、彼の思いに応えるべく剣がボウッ!と黒炎の勢いを上げる。
「駆けろ黒炎ッッ!!!」
持てる聖力を全て剣に乗せる、剣はそれに応じて鈍く重いうなり声を上げる。
「叡智の霧のその先へッッ!!!」
詠唱を受け取ったことで、まやかしの様に揺れていた炎が姿をはっきりとさせる。
「ぐらああッッッ!!!」
隻眼の大狼は反転する、ティアナを飛ばしたようにヴェイルに後ろ蹴りを喰らわせるために。
ぶんっ!!
強靭な脚力から繰り出される鋭い蹴りは空気を押しのけてヴェイルの腹に迫る。
明確な死を内包する蹴りのほうがヴェイルの剣よりも速い。
だが、蹴りはヴェイルを捉えることはなかった。
「ふっ!!」
ここはヴェイルとフェルミアが走り回った草原、いつもこけていた場所ぐらい彼は熟知していた。
走った勢いをそのままにスライディングの姿勢になり草葉の上を滑る。
ふんっ……
渾身の蹴りは空を切った、立ち上がったヴェイルの前にはガラ空きになり血の滲んだ腹が。
驚愕に満ちた黄色の瞳、それと対照的に揺るぎないものを秘めた瞳が互いに交差する。
終わりだ
霧と黒炎を従えた切っ先が今度こそレスウルフの腹を捉える。
「ブレッダ・セーラッッッ!!!」
ザシュッ!!と硬い肉を断ち切る感触が剣を通して腕に伝わる。
ブオオッ!!と霧と黒炎の柱が斬撃と共に立ち上り、遥か彼方まで伸びてゆく。
「ぐるぉぉぉぉっ………」
「うおおぉぉッッッ!!!」
深い斬撃と強力な聖術の2つを受けたレスウルフは完全に力尽き、黒い火柱が消える頃には上半身が焼け爛れ、心臓の鼓動も停止していた。
「っはぁ………はぁ………」
ずしんと目の前で倒れるレスウルフの死骸、血の鉄臭い匂いと魔物の肉が焦げた苦い匂いが混じって鼻にまとわりつく。
切れた息はなかなか戻らない、聖力を使い切ったからか頭がくらくらする。
剣を地面に突き刺し杖のようにして体重をかける。
ノッテ・ブレッダは疲弊した主人を支えた、主人の初陣を労うように中心の聖石がきらりと光った。
「ああ………フェル、みぃ………」
愛する人の名を呟き、ヴェイルはとうとう気を失った。
「………ほんとうに、よく頑張ったわねぼうや」
遠くでティアナは微笑んで労った。
少年は霧の聖女の元へと至る道の第一歩を踏み出した。
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